熟れた実を齧るまで

※ほんのり下品注意、家族構成の捏造有り


 その日、私は憂鬱だった。

「おはようさん…って、どないしたん?名前?」

 先ほどから女子が黄色い声を上げていたのはこいつの所為か。同じクラスなんだからいい加減慣れないのか。宮侑は毎日登校してくる。宮侑は宮侑であって、他の誰でもない宮侑なのだから毎日登校してくるのは宮侑で間違いないのだ。それを毎日毎日毎日毎日、ご丁寧にきゃーとお出迎えしやがって。

「おーい、無視せんでぇや」

 机に突っ伏していると、上から声が降ってきて、指でツンツンと刺される。女子の黄色い声を掻き分けて自分の席にやってきた侑は、いつも当たり前のように後ろを振り返り私と話す。しかし、その私がこのような状態であると、大体二言目には、こう言う。

「角名とケンカしたん?」
「してへん」
「じゃあどないしたん」
「…いや、したんかもしれんし、してへんのかもしれん」
「だいぶ重症やなぁ」

 侑との会話の途中にもかかわらず、はあ、と大きなため息を吐く。「そんな大袈裟に落ち込まれて放っとけるほど酷い人間とちゃうで」と見捨てないでいてくれるのは、私が同じ部活仲間の彼女であるから、だろうか。もし、私が倫太郎と付き合っているわけではなくて、普通のクラスメイトであったら、侑も治も倫太郎も私とは全然住む世界が違う。バレーの強豪校でスタメン入りを果たす彼らを、同校の生徒は誇りに思っている。あれ、私一体何の話しとるんやっけ。

「何があったん?昨日部活終わり一緒に帰っとらんやったか?」
「うん。帰った」
「普通に仲良さそうにしとったやん。家でなんかあったん?」

 そう帰るところまでは本当に普通だった。いつも通り話して、少し寄り道をしてコンビニスイーツを買って、電車の中で角名が激写したバレー部のみんなの写真を見返したり、本当にいつもと変わらなかった。家に到着して、部屋に案内された。もう何回か訪れていて、ご両親にも会ったことがある。部屋で二人っきりになると、倫太郎は結構甘えん坊になってくるのだ。横にぴったりとくっついてきたり、私を倫太郎自身で包み込むように後ろから抱きついたり。昨日も本当にそんな感じで過ごしていてのだ。
 途中で倫太郎が席を外した時に事件は起こった。

『ん?』

 殺風景な部屋でベッドは一番面積を使っていた。そのベッドの下から雑誌のようなものが覗いていた。倫太郎って私服は結構オシャレなのだ。背も高いし、体もスリムだけど筋肉質だから、なんでも着こなしちゃう。元々はそんなに洋服にこだわりを持ってなかったみたいだけど、私が雑誌を見ながら「こういうのは?」とか聞いていたせいか、最近自ら雑誌を買うようになったらしい。私の言ったことを少しでも意識してくれたのかな、と嬉しくなって、つい勝手にその雑誌を手に取ったのだ。
 ふん、どれどれ。倫太郎はどんな雑誌を読んでいるのだ…ろ…、

『※△!♪☆□◎?!??!』

 その後のことは言うまでもない。

「そら角名も男なんやからエロ本くらい読むやろ」
「なあ、私ものすごくオブラートに包んで話しとんねんから、モロ言わんでぇや」

 そう侑の言う通り、私が手に取った雑誌は、お洒落なモデルが着飾るファッション雑誌などではなく、所謂年頃の少年たちが家族に隠れながらヒッソリと読むエロ雑誌だった。いや分からないこともない。高校二年生で、日々部活に打ち込み、健全な男子である証拠ではないか。だから、そういうことに興味を持っていたって悪いことではない。別に私も悪いと思っているわけではない。ある意味で正常なのだから。
 ただ、私がショックを受けたのは、別に理由がある。

「年上のグラマラスボディ、お姉さんとイイことシよ、おっぱいの大きい先輩と××」
「ちょっ、おま何言っとんねん」
「年上のグラマラスボディ、お姉さんとイイことシよ、おっぱいの大きい先輩と××」
「おい、そんな念仏のように唱えなや。つか、あんま何回も言ったらあかんて」
「年上の…」
「もう分かった!一旦落ち着け、な?」

 侑に顔を両手で挟まれて、意思と反して唱えていたのは、雑誌の表紙からインプットしていた言葉の羅列だった。何回も何回も頭で反芻していると、その言葉たちが指し示す意味が分かってしまった。

「倫太郎は、年上の胸が大きい人が好きなんやろか?」

 私たちが付き合ったのは一年の終わり頃から。もう夏が終わりそうだというのに、倫太郎は私にそういうことを一切してこなかった。手を繋いだり、抱きしめあったり、キスをしたり。でも、そのキスは触れるようなものばかりで、その先にはいつも進まなかった。
 友達と話していても、大事にされてるんだよ、と言われ続け、ずっと自分にもそう言い聞かせてきた。本当は何回も不安になって、直接問いただそうとしたけれど、倫太郎はそういう時に限ってより一層甘えてきて、私にそういうことを話す隙を無くさせてしまう。ずるいな、と思うのだが、それでいてあんな切れ長の目で見つめられると、私は何も言えなくなってしまうのだ。

「私は胸も無いし、年上どころか同い年。付き合ってみたはええけど、子どもっぽいって思われて、そういうことをしたいと思わへんのやろかって…」
「ん〜…、なあ名前。一旦顔上げぇ」
「せやから、雑誌とか動画の大人な女の人で、満足しとんのとちゃうかなって思うんやけど…」

 そこでようやく顔を上げると、侑が少し困った顔をしていた。珍しい表情に私は思わず「え、何」と我に帰る。下がり眉の侑が何も言わないのが不思議でしょうがなかったが、その意味がようやく分かったのだ。

「俺別に年上とか興味ないし、胸は大きさより形なんだけど」

 ん?

「まあ強いて言えば胸は形と感度」
「お前やめろ、まだ朝やで?てかそんなキャラちゃうやろ」

 ん?ん?
 聞き慣れない声、いや聞き慣れないというと語弊があるな。私と侑以外の第三者の声。そしてこの兵庫県という関西圏で珍しく標準語を話す男。私はその人物を、この学校でたった一人しか知らない。分かっているからこそ、顔をそちらに向けるのが恐ろしい。まるで首が石像のように固まってしまっている。恐る恐るふり向こうとすると、ギギギと歪な音がしそうだった。

「………倫太郎?」
「何」
「…いつから、そこに?」

 そこには仏頂面の倫太郎がいた。わざわざ違うクラスに来るのは珍しい。大体休み時間や昼休みには、私の方から倫太郎のもとへ行くことの方が多い。むしろ、倫太郎の方から私のところに来るなて、初めてなんじゃないだろうか。

「年上のグラマラスボディ、お姉さんとイイことシよ、おっぱいの大きい先輩と××」
「ああぁ、やめてぇや!倫太郎!やっぱり倫太郎は」
「だから興味ねえって」

 少し声に怒りを孕んでいた気がする。侑が「あらご立腹なんとちゃう?」と肘をついて優雅に言っていた。私もそう思う。でもなんで。私の方が怒るまでは行かないにしろ、こんなに悩んでいるというのに。
 すると倫太郎は大きなため息を吐いて、一歩詰め寄り私の手首をぐいっと引く。その勢いで無理矢理立たされる形となった。

「悩んどんのは、名前だけどちゃうんやで?」

 侑がそう言った。確かにそう言っていた。その言葉の真意を聞く前に、私はそのまま手を引かれて席から遠退く。クラスメイトからチラチラと視線を浴びているのが分かり、恥ずかしくなってしまった。私の手を引っ張る倫太郎の背中は大きくて、背も高いと改めて認識した。嗚呼、かっこいいなあ、と思って見上げていると、私は彼の耳が異常に赤くなっているのを見つけてしまった。
 教室を出ると、握られていた手首をずらして、倫太郎の手を握り返す。すると少しだけ腕がピクッと動いた。だけどすぐにその手を強く握り返された。
 ほんの少し汗ばんでいたその手のひらが、愛おしかった。

「なあ、倫太郎?どこ行くん?」

 無言のままズンズンと歩く倫太郎に、私は困惑しかなかった。どこまで行くんだろう。っていうか、怒っとんよなあ、倫太郎。どないしよ、今まで怒らせたこととかあらへんかったのに。

「何で昨日急に帰る、とか言ったの」

 そう質問をされた頃には、いつの間にか普段は使われていない離れた棟の校舎に来ていた。視聴覚室や化学準備室などがある棟であり、特別な授業がない限り、人の出入りは少ない校舎だ。
 ゆっくり手を離されて、向き合う。すると、ゆったりとこちらに倫太郎が歩み寄るので、必然的に後ろに下がる。

「いや、それは…」
「侑とは話してたのに、俺には言わないの?」
「え?いや、そういうのとちゃうよ、私は」
「侑には話せて、俺には話せないわけ?」

 一言一言が刺々しくて、元々の表情も相まってすごく睨まれているように感じた。いつの間にか壁に追い込まれていて、せめて廊下の方に行こうとすると「逃げる前に答えてくれる?」と膝が飛び出してくる。倫太郎の太腿によって通せんぼされてしまい、私は完全に逃げ場を失ってしまった。ものすごく密着していて、倫太郎が怒っているという状況なのに、ドギマギして堪らなかった。

「倫太郎、なんか、怖い」
「………そりゃ怒ってるから」
「…何で倫太郎は怒っとるん?」

 明らかにいつもの違う雰囲気の倫太郎は、多分付き合い始めて初めて見る顔だった。その表情に、恐怖心が込み上げてくる。見上げていた倫太郎の顔が霞んで見えてくると、倫太郎はようやく表情を和らげてくれた。

「泣くのはずるい」
「せやけど…」
「……昨日急に帰るって言われて、LINEは素っ気無いし、電話はしたくないって言われるし、理由分からずそういうことされたかと思ったら、今朝は侑と変な話で盛り上がってるし」

 倫太郎がこんなに饒舌なのって珍しいのではなかろうか。てか、侑との話だいぶ聞かれとったんやな。「結構傷付いてんだけど」としょんぼりとした声を出す倫太郎に、私が思っていたことを彼氏の倫太郎には恥ずかしくて言えない、なんて言っている場合じゃないと思った。

「昨日、家に行った時、倫太郎が部屋から少し出た時あったやん?」
「うん」
「そん時、ベッドの下の、…その、雑誌を、見てもうて…」
「……雑誌?」
「…うん。下着姿の女の人いっぱいおって、その、年上とか胸が大きい人とかばっかやって…」
「………うん」
「倫太郎は、胸が大きくて、年上の人が好きやから、私とは、その、そういうこと、せえへんのやろか、って…」

 そこまで言うと「ふうん」と素っ気無い返事が返ってきた。やっぱりこういうこと、女子が言うのって変なんやろか。私の方がおかしいんやろか。
 そう思っていると、口に人肌の温もりを感じた。

「り、ん…」
「ちょっと黙って」

 そのまま倫太郎に完全に口を塞がれてしまう。触れるだけのものから、何度か角度を変えて、啄むようになる。するとぬるり、と舌が出てきて私の唇をひと舐めすると、薄い舌先が私の唇をこじ開けてきた。

「りん、たろ…ここ、がっこ…んっ」
「うん、知ってる」

 二人の吐息が混じり合いどちらのものか分からなくなった。夏も終わりかけだが、じとりと汗を掻いてくる。このまま溶けてしまいそうな程の熱を感じた。うっすらと目を開けると、熱っぽい表情をした倫太郎がこちらを見つめていて、私の心はもうどろどろだった。
 息ができなくなって、酸欠になるんじゃないか、というところで、ようやく倫太郎の唇が離れた。

「俺だって我慢してきたんだよ。名前のこと大事にしてきたつもり。でも、名前からそんなこと言ってくるとは思わなかった」
「え、…え?」

 ギロリとした目で見られ、まるで獲物を捕捉した野生動物のようだった。ペロリ、と舌を覗かせると、倫太郎は好戦的に笑う。

「次からはこれだけじゃ済まさないから」

 淡々とそう述べられ、顔が茹で蛸のようになっているのが自分でも分かる。倫太郎はそう言って私を抱きしめた。その際、下腹辺りに何か硬いものが当たっているのが分かる。それが一体何なのか、それは倫太郎の言葉で充分に理解できた。

「覚悟しといてね」

 耳元で囁かれたたった一言。私には爆発的な威力を持った言葉だった。見上げると倫太郎はいつも通りの雰囲気に戻っていた。少しだけだけ笑ってくれると、倫太郎は私の前髪をかきあげ、額に優しくキスをしてくれた。

「ごめん、怖がらせて」
「いや、全然…。私もごめん。ちゃんと昨日、言えばよかった」

 うんいいよ、もう怒ってない、と頭を撫でてくれると、倫太郎は教室に戻ろうか、と再び手を引く。所謂恋人繋ぎをして、来るときとは打って変わった心持ちで、教室までの道のりを仲良く歩いて行った。



***

教室まで帰り道
「ああいうの興味無いなら、あの雑誌どうしたの?」
「それ多分弟の仕業だと思う。俺マジで気付かなかった」
「へえ…(弟くんそういう趣味なんだ)」
「あと侑とあんまり喋んないでくれない?」
「なんで?」
「侑と話してるって考えると普通にムカつくし、部活の時侑に自慢されるのマジでうざいんだよね」
「自慢って…」
「『俺今日名前とこんな話したんやけど、角名はもう知っとるやろ?あれ、知らへんの?すまんなあ、俺ばっか先に聞いてもうて』とか」
「うわそりゃうざいな。気を付けよ」


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