その笑顔を独り占めしたいのだ

※リラの樹にて 夢主


 元来、人を喜ばせるとかいうことは考えたことがなかった。だが、歳を重ねるにつれ、自分がした行いで、誰かが喜ぶというのは、すごく心が躍るものだと知った。
 誕生日というのは、人を喜ばせるにはもってこいのイベントだ。大概の人は誕生日を祝われると、笑顔になるのだが。

「別に普段と何も変わらねえ一日だろうが」

 彼はこういう人間だった。
 彼の誕生日を週明けの月曜日に控えた金曜日。食堂は相変わらず賑やかで、それは待ち構える週末を楽しみにしているようにも捉えられた。
 勝己は興味無さげにくわっと大きく口を開けて、唐揚げを頬張った。

「当日は平日だから、今週の日曜日、せっかくだしどっか行かない?」
「………まあ、…いいけど」
「じゃあ決定ね」

 勝己は意外にもすんなりと私の意見を飲んでくれた。何となくこの賑やかさが嫌な気がしなかった。それはきっと、この週末が私の楽しみに変わったからだ。
 ごくごくとお茶を飲む勝己を見ると、飲むのに合わせて喉が大きく動いていた。そういえば男子には喉仏っていうのがあるけど、勝己にもしっかりあるな。いつの間にか成長している幼馴染を感慨深く思いながらも、今でもこうして一緒にいれることが嬉しかった。すると、飲み干したお茶のコップをトレーに置くと、勝己が「つーか」と切り出す。

「行きてえ場所でもあんのか?」

 そう言われて少し考える。勝己はその間にスマホを扱い始めた。おそらく勝己は私の答えを待つ間に、行く場所のリサーチをし始めるはずだ。それでは意味がない。

「勝己!」

 止めることに必死で声が異様に大きくなってしまった。周囲の人たちから「どうした?」という視線を浴びながら、私は勝己のスマホを触っている右手ごと思い切り掴む。少し開けて隣に座っていた瀬呂や上鳴たちから「大きな声出してどうした?」とやはり尋ねられてしまう。「ごめん、ちょっとボリューム間違えた」と言い逃れた。
 当の勝己も「てめえ何だよいきなり」と食いかかってきそうだったので、すぐに手を離す。

「勝己は調べなくていい!」
「……なんで分かった…?」
「いつも勝己はそういうの調べてくれるから。でも、今回は私に任せて」
「…はぁ?」

 いかにも信じきれないというのはその眉の形でよく分かる。怪訝そうなその表情は「何企んでやがる」と言っていた。
 そんな勝己のことは他所に、私は日曜日までの間に二人で行けそうなところをしっかりとサーチすることにした。
 せっかくの高校最初の誕生日、勝己にしっかりとお祝いの気持ちを伝え、更には笑ってくれると嬉しいな。


***


「勝己、もう出るの?早いわね」
「名前に言えよ」
「え、何何。今日名前ちゃんがリードしてくれんの?」

 あー、面倒臭え。変なこと言うんじゃなかった。
 準備を終えてソファでテレビを見ていると、絡んできたクソババアは、今日一日のことを名前が計画していると知るや否や、ソファの背もたれから身を乗り出して、質問攻めをしてくる。

「るっせえわ、クソババア!ちっと黙ってろ!」
「うるさいのはどっちよ!大体からその舐め腐った物言いいい加減どうにかしなさい!」
「うるっせえ!」
「あんた名前ちゃんにもそんな言い方してるんじゃないでしょうね?」
「関係ねえだろ!」

 朝から喧しいババアのせいで、お笑い番組の内容は一切頭に入ってこなかった。テレビからはどっと笑い声が聞こえているはずなのだが、俺の脳内は苛立ちで埋め尽くされていた。

「てゆーか、あんたたちって、付き合ってんの?」

 その言葉と同時に、ソファが沈んだ。ど真ん中に座っていた俺の領域を侵略せんとババアが体を押し付けてくる。言いたいことが頭で大渋滞していた。

「てめ、クッソ!ババア!あぁ!?」
「うーわ、勝己何顔真っ赤にしちゃって!可愛いとこあるじゃない」

 リモコンで頬をぐりぐりと突かれて、俺の怒りは頂点に達した。ソファから勢いよく立ち上がる。

「クソババア!てめえいい加減にしろ!ブッ飛ば」
「勝己!あんたこそいい加減にしなさい!家の中で大きな声出すなっつってんでしょ」
「あぁ!?てめーの方だろうが!」

 その勢いに任せて立ち上がる。時間には少し早いが、外で待つことにしよう。テーブルに置いていた財布をポケットに入れ、スマホが反対のポケットに入っていることを確認してさっさとリビングから出ようとする。ババアは後ろでまだ何か言っているがもう聞く耳を持たなかった。一部始終を見ていた親父はのほほんと微笑みながら「いってらっしゃい」とだけ言ってきた。何となくそのまま返すのが癪だったので、思わず「行ってくるわ!」と怒鳴ってしまった。余計にババアが声を上げていたが、知るかと思い扉を閉めた。

 外はちょうど良い気候だった。天気はここぞとばかりに晴れていた。道端には桜の花びらが散っていた。もう桜は満開を過ぎ、葉桜になっている。ふわ、と下から巻き上げるような風が吹くと、花びらたちが小さく渦を巻いていた。

「あれ、勝己?」

 その声の後「早かったんだね、ごめん待たせたね」と続けたのは名前だった。玄関の門を開けて出てきた名前は、いつもの制服姿とも、週末にゲームをしに来たりする格好とも全然違った。ベージュのカーディガン、シンプルな白いTシャツ、淡いピンクの膝下丈のプリーツスカート、控えめな高さのベージュのフラットなパンプス。いつもは真っ直ぐな髪も、少しふわふわに巻かれていた。普段あんまりしない化粧もしていた。目元がやたらとキラキラしているし、唇なんかはぷるっぷるだ。あまりにもいつもと違う幼馴染に、心臓がうるせえくらいに悲鳴を上げていた。

「勝己?」

 だがいつもと同じなのは、その表情。どこか自信なさげなその顔だった。

「やっぱ変かな。色々と見ながらだったし、こういうの初めてだし」

 そう言いながら眉を下げて笑う名前を見て、ようやく俺自身がボーッと名前を見つめていたのだと気付く。俺が何も言わずにずっと見ていたから、名前は自分の格好に自信を無くしたのだろう。

「良いんじゃねえか」

 平然を装うのでいっぱいだった。変な顔をしないように思い浮かべたのは、さっきからうるさかったクソババアだ。よし、いい感じに中和されて、普通のテンションに戻ってきた。
 ようやくまともに目が合うと、名前は笑っていた。風が吹いていたおかげで、桜の花びらが舞い、その柔らかな髪と絡まりそうで絡まずに靡いていた。

「ありがとう」

 少し照れ臭そうに笑うその顔は、いつまでも見ていられそうだった。


***


 電車で揺られること早10分。次の駅が目的地らしい。本当に俺は今日のことについて何も下調べもせず、何なら目的地も明かされていない。普段俺の隣にいて付いてくるだけの名前が、ここまでして自分から行動するのは珍しいことだと思う。電車のアナウンスが「急カーブにお気をつけください」と流れた。その瞬間、体にかなりの圧力がかかり思わず腕をドアに当ててしまう。

「勝己、大丈夫?」
「あぁ、わり…ィ…」

 …これは非常に不味い。不可抗力とはいえ、周りからは壁ドンしているように見えはしないだろうか。何より恐ろしいのは気付いていないこの本人だ。俺の両腕の間から見上げながら「大丈夫?」とまた尋ねているが、正直に言うならば俺は大丈夫じゃねえ。俺は天井を仰ぎ、大きく深呼吸をした。

「勝己気分悪いの?」
「…違ェ」
「ふーん、変なの」
「るせえ」

 相変わらず状況を知らない名前は呑気なことを言っている。俺のこの気持ちも知る由などないのだろう。それが苗字名前だ。もう随分前から知っている。こいつは超がいくつあっても足りねえほど鈍い。頭は確かに賢いが、少し抜けている。所謂男女の付き合いとかそういう面については特に疎い。だから、俺はこいつが自分で気付くようになるまでは、絶対言わねぇと心に決めている。

「まず最初に行くところは、ここ!」

 電車を降りて数分歩いたところの川沿いに、白を基調としたカフェがあった。まだ11時過ぎだというのに、既に数組が並んでいる。それも揃いも揃って女子ばかり。どう考えても俺みたいな奴は場違いという言葉がピッタリで、先に並んでいた女子たちからジロジロと見られる。

「ここね、Twitterとかインスタとかでずっと見てて、気になってたんだよ」
「結局お前の行きたいところかよ」
「でも勝己も気にいると思うよ?」

 どこからその自信がくるのだろうか。やはり周りからの視線は痛かったが、こいつは一切気にも留めずメニュー表を見ていたので、俺も全く視線は気にしなくなった。やっぱり鈍すぎだろこいつ。

 待つこと20分。ようやく案内された店内は、独特のスパイスの香りで充満していた。元気のいい店員に案内されたテーブルに座り、あたりを見渡すと意外にも男女のペアが多いことが分かった。じゃあさっきの奴らは何故あんなにこちらをジロジロと見ていたのだろうか。
 予想通りここはカレー専門店らしく、互いにメニューを決める。大体こういう時サッと店員を呼んで、注文をしてくれるのは名前だ。鈍臭いくせに、こういうところはしっかりとしてんだよな、こいつ。注文が終わると名前はスッと席を立ち、店のどこかへ消えてしまった。ハンカチを持っていたからトイレか何かだろうと思い、手持ち無沙汰になったのでスマホを触る。すると、やたら近くで俺の苦手な人種の声が耳に入る。

「ね、あの人だよね?」
「そうそう。ね、結構カッコ良くない?」
「連れの人いないし、今じゃない?」

 どこにでもいるんだよな、ああいう女は。別にケチつけるわけじゃねえけど、もう少し内内で話せよとは思う。

「あの、すみません」

 てっきり店員かと思いスマホから目を上げると、そこには店に並んでいた際に俺を睨むように見ていた女子のペアがいた。俺が見るとくねくねと動いていたが、その女子共はさっき俺が聞いた苦手な人種の声の主だろう。

「さっきから見てて、カッコイイなあって思ってたんです。良かったら、連絡先…」
「あぁ?興味ねえよ」

 何でこういうこと言ってくるのが名前じゃなくて、こういうどこの誰かも分からねえ女なんだろうか。苛立ちのあまり、話をぶった切って即答してしまった。女子たちは一瞬で怯んだらしく若干涙目になっていた。傍にいた女は俺に対して「お前のせいだぞ」という目をしてきている。いや、知らねえよ、と思いつつ、ここは名前が来たがっていた店で、せっかく俺のために計画してくれた今日の出鼻を挫く訳にはいかねえ。

「そういうのは間に合ってんだよ」
「……そう、ですか…」

 俺の言葉に納得をしてくれたのか、彼女からはそこから立ち去って行った。そして、入れ違いで名前が、両手に水を注いだグラスを持って帰ってくる。

「誰か知り合いでもいた?」

 当たり前のようにコップを置いてくれる名前に、さっきの出来事を言ったらどうなるだろうか。まあきっとこいつのことだ。どうせ、勝己モテモテだね、とかで終わらせるのだろう。
 本当に、何であの言葉を名前が言ってくれねえんだ。

「美味しかった〜。ねぇ、どうだった?」
「…悪かねえ」
「とか言いつつ、結構がっついてたじゃん」

 食事を終えると少し話をしてから店を出る。会計は名前が「何が何でも私が払う」と聞かなかったので、有り難く奢ってもらった。
 その後は、また少し歩いたところにあるショッピングモールで映画を観ることとなった。映画の種類は俺の好きなもので良いということだったので、迷わず洋画のアクションものを選ばせてもらった。映画館の良いところはあの大画面、リアルな音響、そして薄暗い環境のおかげで、全力でその世界観にのめり込めるところだ。それとあともう一つ挙げるとすれば、それは、暗くなるおかげで名前の顔を何度見たってバレないことだ。俺が見ていることなど全く気付かずに、名前は食い入るようにスクリーンを見ていた。高い鼻筋が特徴だった。耳にかけた髪から覗く、揺れる花のイヤリングに惹きつけられた。
 俺は映画を観ながら、名前にまた馬鹿みてえに恋をしてしまった。

「結構面白かったね」
「お前ああいうの興味ねぇだろ」

 映画が終わった後、次はスイーツカフェに案内された。注文をしたドリンクを先に飲みながら、映画の感想を述べ合う。

「前は興味なかったけど、最近面白いなって思うようになった。ジェイ◯ン・ステイサムのアクションはカッコイイよね」
「お前見る目あるな」

 頼んだアイスコーヒーは思ったよりも苦くて、まだ俺が子どもなのだと感じさせられた。
 こうして今日一日二人で歩き回っていると、やはり周りにはカップルのように見えるのだろうか。本当にそうなっちまえばいいのにな、と思っていても、こいつがまた目の前で笑っていれば、俺はそんな考えすら邪だと思ってしまう。

「あ、来たよ!勝己!」

 その声の後すぐに店員が大きめのお皿を持ってきた。まず最初に名前の方のパンケーキが置かれ、次に俺の目の前に置かれたのは―――。

「お誕生日、おめでとうございます!」

 皿にはHappy Birthday,KATSUKI とチョコレートで丁寧に書かれていた。そして名前と同じものを頼んだ筈なのに、俺の皿にだけフルーツが乗っており、ロウソクまで立てられている。

「は?」
「びっくりした?」

 悪戯な名前の顔は、正しく計画通りと言わんばかりだった。初めてこんなことをされて、どうすればいいか分からなかった。視線を名前からまた皿に移す。よく見ると、皿の下側には縁取るように「いつもありがとう」と書かれてあった。まあ、なんだ。何が言いてえかって、こいつほんっと馬っ鹿じゃねえのかって。

「実は今日キャンペーンで、カップルの方に写真撮っていただいて、インスタに#店名を入れて載せてくださると、割引になっております。宜しければぜひ、会計の時にお見せください」

 店員の言った言葉をこいつは本当に理解したのであろうか。快く分かりました、と言っているが、お前本当に分かっているのか。

「じゃあロウソクあるうちに写真撮ろ」
「あ…あぁ?」
「ほら勝己、はいチーズ」

 本当にこっちのペースを乱されまくりだ。ひとまず名前のスマホのフレームに収まるように写る。苗字はスマホを見て満足そうに、その写真をこちらに見せてきた。

「勝己全然笑ってない」
「情報の処理が追いついてねえんだよ」
「びっくりした?」
「するわ普通に」

 残念ながら俺は笑ってはいなかったが、とても良い写真だと思った。まるで、本当に恋人同士のようで、俺は正直に舞い上がっちまっていた。おかげで頬の筋肉が緩み切ってしまっていた。

「マジでビビった」

 言葉では言い表せない、嬉しいが顔いっぱいに現れていた気がする。それは名前が目を点にしてこちらを見ていたから。

「勝己、笑ってるね?」

 名前に誕生日を祝ってもらうのなんて、もう何十回目の話だ。それなのに、何で今年はこんなにも嬉しいと思ってしまうのだろうか。
 多分、そこには嬉しいの中に、愛しいが混じっているから。

「改めて、お誕生日おめでとう!」
「明日だけどな」
「分かってるよ、分かってるけど雰囲気大事じゃん?」
「名前のくせに一丁前に言いやがって」

 その後、散々急かされてロウソクをふうっと消す。その後は普通にパンケーキを食べた。店のパンケーキというのをおそらく初めて食べたが、こんなにふわふわとしているものなのか。もはやナイフが要らなくてもいいのではないだろうか。いつも通り話して、飲んで、二人で過ごす時間はあっという間だった。

「今日は楽しかったな〜」
「お前が一番楽しんでたな」
「勝己は楽しくなかった?」

 馬鹿言うな、楽しかったに決まってんだろ。夕暮れに伸びる二つの影は、どこまでも平行線だった。こんなに楽しかったのに、それだけが歯痒かった。

「楽しかったぜ」

 そう言うとさっきまで隣にあった影がいつの間にか後ろに下がっていた。振り返ると、名前は何か言いたげな顔をしている。

「来年も、再来年も、ずっとお祝いするね」

 少女はそう言って笑っていた。俺が好きな顔をしていた。その顔を誰にも見せたくなくて、小せえ頃にささやかな独り占めをした。てめえはもうすっかり忘れちまってるかもしれねえが。初めて名前の笑った顔を見たとき、俺は何よりも誰にも見せたくない、と思った。だから『笑うな』と一言伝えた。どこまでも独占欲にまみれた発言だった。
 けど、その気持ちは数年経っても、未だ変わらなかった。俺はその表情を見るたびに、この先ずっと同じ気持ちに駆られるのだろう。
 今日は俺の誕生祝いだ。だから、これくらい良いだろう。

「頼むぜ、名前」

 そう言って名前のもとまで行く。そして、空いている手を握って引っ張った。

「さっさと帰るぞ」

 名前の小さく薄い手が俺の手に握られている。俺は今誕生日を祝われて盛大に気持ちが昂っている。だから少し血迷ったことを言うだろうが、気にしないで欲しい。

 ―――このままずっとこの手を離したくねえ。


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