噂の少年



 一年生の頃、同じクラスにとんでもない不良がいた。名前は松野千冬。入学初日から先輩たちに目を付けられ呼び出しをくらっていた少年だった。彼は一学年の不良のなりかけのような人たちを従えるほど喧嘩は強かったらしく、クラスの生徒たちは割と松野くんに歯向かわなかった。とんでもない不良だな、と思っていたら、今度は中学生なのに留年している生徒がいると知った。

 それが場地圭介だった。

 クラスの生徒が騒いでいたので場地くんがどのクラスにいて、どんな風貌なのか分かってしまった。たまにその教室の前を通る時にどんな人なのかと自分の目で確認したが、何故あんなに真面目そうな人間が留年したのか、分からなかった。
 そして極め付けは、あのゴリゴリのヤンキーである松野くんが何故か場地くんに懐いていたことだ。

 松野くんは昼休みは大体場地くんのもとにいた。本当に仲良いんだな、と思っていつもの如く廊下から見ていると、話が盛り上がったタイミングだったのだろうか。松野くんが笑った。松野くんも笑うんだ、と思っていた矢先、あの如何にも真面目そうな少年の場地くんもまた笑っていた。八重歯が印象的な無邪気な笑顔は、悉く私の中の場地圭介を壊していった。

 ここまで来ると逆に興味が湧いてきた私は、松野くんに直接尋ねてみることにした。

「松野くん」
「あ?」
「聞きたいことがあるんだけど」
「…何」

 おそらく松野くんとちゃんと会話をするのはこれが初めてだ。とはいえクラスメイトが話しかけているのに、そんなに警戒心強く出さなくたって、と少し悲しくなってしまった。しかし警戒心が強いとはいえ、ちゃんと話を聞いてくれるところは律儀だと思った。

「場地くんて何者?」
「お前、場地さんに何するつもりだ」
「待って。なんでそうなるの?ていうか、場地、さん…?」
「場地さんは場地さんだろうが」
「場地くんは場地くんだね?」
「お前からかってんのか?」
「えー、会話になってないよ、松野くん」

 なかなか答えてもらえない質問はおそらく忘れ去られているのだろう。壊滅的な松野くんとの会話に絶望していると、少し遠くから友人が私のことを呼んでいるのが聞こえた。そちらを向くと彼女たちはひどく怯えた様子で、私がそちらへ行くように手招きしていた。まだ答えを聞いていない、と思ったので「ちょっと待って」と伝えると彼女たちは「やめときなよ、一緒にいたらアンタも先輩たちから目付けられるよ」と忠告を受けた。
 その言葉に松野くんはほんの少し体を動かしたが、ボソリと「さっさと行けば」と呟いた。その様子が彼が根っからの悪い人間ではないということを物語っていたと思う。

「大丈夫だよ。もし目付けられたら松野くんがどうにかしてくれるだろうから」
「は?」

 友人は「もう知らないよー!?」と言って教室から出て行ってしまった。残された私は松野くんを見る。彼はいつもの鋭い眼光はまるで作り物かのような、年相応な顔をしていた。

「ごめんね、嫌な気持ちにさせて」
「いや、つかお前の方こそ良かったのかよ。行っちまったぞ」
「うん、いいよ。それに人を見た目とか噂だけで判断するなんて勿体ないからね。あの子たちには後からちゃんと言っておくね」

 すると松野くんは警戒心を解いてくれたのか、少し口元を緩めてくれた。そしてニカッと笑って「お前良い奴だな」と言ってくれたのだ。
 そうして私はようやく本題に入る。


***


 場地くんは東京卍會という暴走族の幹部だということが分かった。松野くんが不良に絡まれていた時、場地くんが助けに来てくれたのが松野くんが彼に懐くようになったきっかけだったという。
 東京卍會―――噂程度で耳にしたことはあるが、暴走族という時点でとにかくヤバそうだと周囲はあまり関わろうとはしない。しかしそんな悪い組織に、あの場地くんが入っているなんて、本当に何かの間違いなのではないか、と思ってしまう。でも松野くんは場地くんが助けてくれた、と言っていたし、助けてくれたということはやはりそれなりに相手を痛めつけたということだろうから、やはりそういうことなのだろう。

 友人と談笑しながら廊下を歩いていた時、トイレから出てきた男子生徒が手を濡らしたまま、辺りをキョロキョロと見渡していた。すると友人の一人が「あれ場地じゃない?」と言う。確かにその少年は場地圭介だった。骨張った手の指先から雫がぽたぽたと床に落ちていた。

「どうしたんだろ?」
「知らないよ、行こ!あの人も松野くんと仲良いし、噂じゃなんかヤバイ組織の人なんだって」
「え!?マジ?絶対関わらない方がいいじゃん」

 彼女たちの発言はもしかすると普通なのかもしれない。確かに暴走族の一員で、義務教育である中学を留年するなんてヤバそうだ。暴走族と関わりのない生活をしている人からすれば、関わらない方がいいという思考になるに決まってる。
 友人の声は場地くんに届いていたらしい。彼はこちらを見た。あまりにもふざけているような眼鏡の奥は、確かに鋭い目付きだった。

 おそらく初めてちゃんと目が合ってしまった。

 今までは遠巻きにしか把握できていなかったのだが、彼は意外と背が高く見上げる程の高さがあった。あと眼鏡が邪魔に思えるくらいにまつ毛長い。
 何か言いたげな場地くんはこちらをじとーっと見る。すると友人たちの小さな悲鳴が聞こえて「早く行こ!」と腕を引っ張られるが、私はその手を振り解いてしまう。

「え、ひかる?」
「…もしかして何か拭くもの探してる?」

 怯える友人には「大丈夫大丈夫」と笑っておく。面と向かって初めて話す場地くんは、ふざけた眼鏡と長髪を一本で結っており、一見真面目だが対面してよく分かった。
 彼はやはりヤバそうな人だ。

「…あぁ、まあ…」
「だろうと思った」

 そう言って私はスカートのポケットからタオルハンカチを取り出し皺になっていたそれを綺麗に畳み直す。淡い桃色の生地のハンカチを目の前の彼に差し出す。

「あ?」
「これ使って」
「…これお前のだろ」
「私もう一つ持ってるから。持ってていいよ。使い終わったら捨ててもいいから」
「は、あ…おい」

 場地くんの返答は聞かずにぐいっと桃色のハンカチを押し付ける。すると反射的に濡れた手を差し出してくれた。形は綺麗だけど手の甲にら少し傷跡の目立っていた。ちゃんと受け取ってくれたことを確認すると、私は柱に隠れてながら様子を窺ってくれていた友人たちのもとへ行く。

「大丈夫!?何もされてない?」
「されてないよ。ビビりすぎだって」
「だって怖いじゃん。場地って変な噂しか聞かないよ」
「それ全部噂でしょー?本当だったとしても、自分で直接確かめもしないで決めつけるのは良くないよ」
「そーだけどさー」

 彼女たちも私の言い分も分かってくれてはいるようだが、やはり怖さの方が勝るらしい。まあ確かに場地くん面と向かって見るとちょっと怖かったかも。声も低いし、体格も違うし。まあそれは本来ならばひと学年上だということもあるのだろうけれど。

「もしかしたら噂だけ出回ってるだけで、本当はすっごい良い人かもしれないじゃん」

 そんなことを話しながら私たちは場地くんのもとから離れて行った。
 これが、私と場地くんの一番最初の会話だった。