「煩いなあ。口答えするとかどういうつもり? 僕に指図していいのは可愛い美紅ちゃんと朱彦くんだけなんだけど」
「きみたちの時間は刹那的なんだよ。無駄にする余裕なんてないと思うんだけどなあ」
■基礎情報
種族:ホウオウ
特性:プレッシャー
性格:やんちゃ
性別:不明
年齢:不明
身長:178cm
一人称:僕
二人称:きみ
■背景
創が生み出した世界は咲来の願望により数多の命が誕生した。生命が存続するために数多の生物たちは炎を扱うようになった。時に命を奪うものとなる炎は危険なものであると同時に生きていくには欠かせないものとして畏怖されてきた。それは信仰にも成りえるもの。炎への畏怖と信仰が形となり誕生したものが緋王である。感情を抱くものたちからの信仰によって生まれた神とされる緋王は信仰心がなければ存在し続けることができない。伝説のポケモンやら神やらと言われているが、1匹になってしまえば生き続けることすらできない儚い命なのだ。時代が移り変わることで信仰も薄れ、消えかけることは何度もあった。その寂しさは思い出すだけで恐ろしく、その恐怖心のせいで愛する子を病的なまで寵愛する傾向がある。そのせいで今まで何匹の子たちが潰れたことか。
病的なまでに重たい寵愛に動じない朱彦とやんわりと流す美紅が愛し子となってからは緋王も腰を据えた。2匹がいる限りは自分の存在が揺るぐことがないと安心したのだ。しかも、今までの子たちは自分の顔色を窺ってばかりだったというのにこの2匹は言いたいことははっきり言うし抵抗も拒否もするという。今まで夢見ていた親子のような関係が成り立つことがとても幸せなのだ。以降、寂しさを埋めるために放浪していた緋王はスズの塔に定住するようになった。
■特徴
緋王の灯す炎は命の炎。その肉体に魂と心があれば炎を吹き込むことで新たな命を誕生させることも、事切れていた命を蘇えらせることもできる。その炎を用いれば眷属だって作り放題、緋王を信仰する者も多く現れ、彼の存在を確固たるものにできただろう。だが、そうしなかったのは自分が生み出した命を寵愛し、存在証明に扱うなんて自給自足が酷く虚しいものに思えたからだ。だから今まで使わずにいたのだが、朱彦と美紅と共にいるようになってからは2匹のためならばと安易に使うようになった。例えば2匹が遊び場にしていたカネの塔が焼けた際に亡くなった3匹の兄弟を後片付けさせるために新たなポケモンとして誕生させ、自分が子どもたちと一緒にいる時間を増やせるように眷属にしたり。例えば美紅が掬い上げた哀れな双子の亡骸を蘇らせ、美紅と共にある存在にしたり。「美紅ちゃんに作ったからには朱彦くんにも作ってあげるからね!」と。純粋無垢な笑顔を輝かせて言われたときにはさすがの朱彦もぞっとして全力で止めたらしい。
命を自由に生み出し、作ることのできる力を持っているのだが、何せその扱い方を教える者が周りにいなかった。ポケモンにも人間にも神様として扱われてきたせいで自分が成すことは道徳的に悪だとしても正しいことなのだと考えているところもある。そのせいで幼子のような無邪気さで命を弄ぶこともするのだから恐ろしいものだ。
■ポケモンバトル
神である緋王とポケモンバトルをしようとするなど無謀である。だが、時には神としてではなく伝説のポケモン・ホウオウとして挑むトレーナーもいる。こういう者を相手にするのも務めの1つだろうと興じるときもある。が、それは緋王の気分次第。虫の居所が悪いときに来てしまえば人間のくせに生意気だと焼き尽くされてしまうことだろう。以前、朱彦に「肉の焼ける臭いが残るから不快だ」と。嫌そうな顔されて以来は生身を燃やさないように注意している。
■自宅関係
朱彦・美紅『炎を与えた愛し子たち』
「きみたちが笑ってくれるなら、僕は何だってするさ。ふふ、神様にはできないことなんてないんだよ」
緋王の病的な寵愛を受けてなお、自分らしく振る舞うことができる強かな子どもたち。緋王の気まぐれに拾われたことで生き残れており、もしあのとき拾われていなかったら自分たちは死んでいたことだろう。その恩は忘れていないし、だから一生緋王の子として寄り添うことを決めている。だが、それとこれは別であまりにも重たい愛情に疲れて反抗することもある。当初は自分の言いつけを守らず、自分勝手をする2匹に気を悪くすることもあった緋王だが、朱彦に「親として振舞うなら当然我が子の反抗期も受け入れるんだよな」と煽られ、美紅に「父様は愛娘の甘えたいが故の我儘を受け入れてくれないのでしょうか」と涙ぐまれた。そして、陥落した。反抗期は子どもたちが自分のもとで成長している証拠。子どもたちの我儘は甘えている証拠。そう思うと悪い気がしない、むしろいいね! なんてちょろいんだ。
扱いを心得ている朱彦と美紅は上手に転がして緋王の重たい愛情をコントロールしている。それに気付かず調子良くしている緋王はアホの子なのかもしれないと微笑ましく思われているくらいだ。そうやって気を抜いていると時々愛する子どもたちのためだととんでもないことをしでかすので油断ならないのが困るところ。