町の中にあふれた廃屋。壁はひび割れ、屋根も欠けている。今にも崩れてきそうだ。そんな危うい建物に足を踏み入れば、砂埃が鼻腔をくすぐる。不快ではあるものの、この町に住んでいる限り慣れるしかない匂いだ。……とは言えど、ここに住んでいたのは数年前のことだが。それにしてもまったく、こんなところに呼び出してどういうつもりだ。ここ数年で伸ばした髪を束ねながら周囲に警戒をする。
「そんなに警戒しなくても何もないって」
建物の奥から凛とした声が響いてくる。どうやら自分を呼び出した本人は一足早くここに来ていたらしい。
コツン、コツン。乾いたヒールの音をたてて現したのは自分の記憶に残る姿よりもやつれた印象を抱く元相棒の姿。元、というのは誤った表現かもしれない。今はつるむことも、顔を合わせる機会もないだけで相棒として見れるのは過去から現在に至るまで彼女しかいないのだから。もう何年も見ていなかった相手を相棒と言うのもおかしな話だが。
「あの仮面野郎をメッセンジャーにしてまで呼び出すとは、なんのつもりだ」
「彼女に頼んでちゃんと来てくれるか不安だったけれど、来てくれてよかった」
「それは……林音が行くべきだって言ったからな、珍しく」
メッセンジャー……この町に住んでいたら1度は耳にしたことのある情報屋の澪織。あの仮面と接触しているとき、林音は酷く焦っていた様子だったがあれは何だったのだろうか。聞いても言いたくなさそうな顔だったので掘り下げはしなかったが、思い返せば気になってくる。
ゆったりとした動作でこちらに近寄ってくる様子を窺いながら、山音は付き合いが長くなってきたグループメンバーの様子を思い返して首を傾げた。
「ところでわらし」
「今はみはるだよ」
「……エアじゃないのか?」
山音を呼び出した女、みはると名乗る彼女は自分よりも先に進化をし人の姿になることができていた。それ故に、エアという芸名でグラビアアイドルとして活動していたことも知っていた。……もっとも、それを知るきっかけというのは自分の所属する組織の後輩であるpuÅが雑誌を片手に熱く語ってきたからなのだが。
その記憶とは異なる名前を口にするため、山音はまばたきを数度繰り返して不思議そうにする。が、彼女は「エア」という名を耳にするなり肩を強ばらせ、それから力なく笑って「みはるだよ」と繰り返した。
「改名は髪が短くし、目の下にも化粧では誤魔化せていない隈を作り、更には不健康的に痩せたことと関係あるのか?」
「ちゃまくんって人の世界でアイドルしているのにデリカシーを学んでないの?」
「ああ、そういえば仕事中は眼鏡をかけていたな。あれはその酷い隈隠しか」
「私に気付いてなかったくせに余計なこと覚えていた上に気付きやがった」
「そういう貴様も俺に気付いていなかっただろう」
「泣き虫わがままいじめられっ子が今や世間をときめかす国民的アイドルのリーダーだとか思わなくない?」
「俺はエアの姿には気付いたがな」
「私、この町で人の姿になれるようになってから出た。ちゃまくん、ポッタイシ姿で町を出て失ったたまご探しを強行した。この差はご理解いただけて?」
「どうでもいい話だな」
「どうせ気付いていてもスルーしてたしね」
癖のついた短い髪を指先でいじりながら「意識的に姿を変えていたのもあるし、気付かれなくてよかったのだけれど」と睫毛の影を落とす。
ああ、やはりそうだ。雰囲気が変わっていることもそうだが、それ以上に元気がないことの方が深刻そうだ。長かったときの髪には艶もあったのに、今では艶どころかハリすらないところがいい証拠だ。
眉間に皺を寄せて考え込んでいる山音に気付き、みはるは苦笑をして本題に移そうとする。
「ねえ、ちゃまくん。三つ巴で有名な花畑が火災に襲われたのは知ってる?」
「知っているもなにも」
その現場に行った。あの頑張り屋で人を頼らない後輩が涙目で助けを求めてきたことが珍しくて、なんとかしなければならないという一心でついていった。結果、あまり良いものではなかったが。
思い出すだけで不快感に襲われ、舌打ちをする。見るからに機嫌が降下した山音にみはるは目を細める。
「あの場にちゃまくん居たでしょう」
「知ってて聞いたのか」
「確認だよ。風林火山の山音がちゃまくんだって気付いたのはあの報道で映るちゃまくんの戦い方を見てだったし、確信はなかったから」
確信はなかったのにあの仮面をメッセンジャーに呼び出したのかと言いかけたところで、確信材料を得られなかったからこそあの情報屋に頼ったのかと気付く。分かったところで大将と不仲のジャローダ側のポケモンを頼ったことには納得していないが。そんな不満に対して目で訴える山音に「急いでたから」と返す。
先ほどからあまり変えていないはずの表情を汲み取られるものだから、思わず「ユキメノコはエスパータイプもあったか?」と聞きたくなる。が、そんな話が脱線するような質問をする前にみはるは話を続けた。
「クロユリ団」
「……?」
「花畑を襲った組織の名前。そして──」
次に狙われるのはこの町。
震えた声で絞り出すように吐き出された言葉に山音は目を丸める。どうしてそんな情報を、いや、それよりもなんでそれを俺に言うんだと驚きは尽きない。
「それが本当なら俺よりも大将に伝えるべきだ」
「できないの」
「は?」
「私はもう、表舞台に立てないの」
本来ならこうしてちゃまくんに会うことすら怖いし、危ういのに。
よく見れば震えているのは声だけではない。肩も手も震えていた。それに足だって今にも崩れ落ちそうだ。何かに怯えているのは一目瞭然のことで。話の流れでその対象がクロユリ団であることも手に取るように分かる。
「ちゃまくん、この町をあの花畑のように悲劇の舞台にしないで」
みはるは顔を覆って蹲る。その刹那、ひらりとが舞った振袖とマーメイドスカートを視線で追ってから、視線を逸らす。それから嗚咽を漏らしながら大粒の涙を溢れさせる姿なんて、よりにもよって俺に見せたくなかっただろうにと察して、数歩下がって背を向ける。
久しく聞いていなかったみはるの泣き声を聞きながら、山音は思い出す。エアについて熱く語っていたpuÅの言葉を。人気全盛期、これからだとメディアも注目をし始めた途端に行方をくらましたのだと。誰にも行き先を伝えることはなく、突然に。そして、この怯え方を見て気付く。行方をくらましたのは本人が望んでしたことではない。
「一つ、正直に答えろ。貴様をそんな風にしたのはそいつらなんだな」
「……っ」
小さく頷く。肯定の意を捉えるなり、山音はぎりっと唇を噛む。血の味がした。じんわりと滲んでくるのも分かった。商売道具の顔に傷でも作れば相月が騒がしくなるが、めったに泣かなかった相棒がここまで追い込まれていることに腸煮えくり返りそうでそれどころではなかった。
「お願い。これ以上私の大事な居場所を失うのは、嫌なの」
その切実な願いに山音は「潰してやるから泣きやめ」と返すほかなかった。
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