泉に沈み、煙に巻く

 鳥ポケモンたちの囀りを子守唄に目を瞑る。深く、ゆっくりとした呼吸に合わせて胸が上下する。そのわずかな揺れに水面は波打ち、青と桃の2色が交わる長い髪を広げる。
 柔らかな生地で作られた服の裾は浮いては沈みを繰り返し、水をたっぷりと吸収する。服が重くなるに比例し、身体の力が抜けていく。心地の良い空間に意識を手放してみようかと考え始めたころ、パキリと小枝を踏む音がする。

「何かを思いつめれば沈もうとするの、相変わらずっすね」
「…………よくここが、分かったね」
「そりゃあ漏れてましたもん、夢の煙」

 指摘され、ゆっくり瞼をあげる。久方ぶりに視界にいれた光はとても眩しく、赤紫の瞳は細められる。数分くらいしてようやく光に順応し、吊り上がった目が露わになる。彼女を迎えに来た男は相変わらず不思議な色をしている。せっかく綺麗な目をしているのだからいつも開いていればいいのに。と、静かに思う。どれだけ言おうと気の強そうな目付きを他でもない彼女自身がコンプレックスにしているのは知っているのでそれを口にすることはないが。

「本当だ」
「貴重なのに勿体無い」
「うとうとしてたらつい」
「いや、こんなところじゃなくて家で寝ないんすか」
「帰巣本能には従ってるよ」
「ああ、確かに。泉に変わりはないっすね」

 男は、助はあたりをきょろりと見渡してから納得する。
 青々と生い茂る木々を映した水面。揺れる水面の底には苔の生えた岩や枝が沈んでいる。その泉を覆うように桜井の胸元に飾られた石から漏れている紫色の煙。きらきらとした粒子が混ざっており、それは水面に反射していた。
 その幻想的な光景は自分たちが生まれた夢の泉の景色とそっくりだ。明らかに違うところといえば紫の煙に黒煙が混ざっていることだろうか。桜井の近くを漂う黒煙に助は顔を顰める。

「それで、なんのご用事かな?」
「ちょっと聞き流せない噂を耳にしたからその確認に」
「噂? 助くんってそういうの気にするタイプだったっけ」
「8割流すけど2割流せないってやつだな」
「それで今回は2割の方なんだ」

 助くんが興味を示した噂、私も気になるな。などと言いながら身体を起こし、陸地にあがる。髪や服にしみこんだたっぷりとした水は重力に従い、ぽたぽたっと地面の色を変えていく。
 ふんわりと柔らかなワンピースは濡れることでぴったりと肌に張り付いている。普段は隠れている身体のラインもよく分かる。助の記憶よりも一回りと細くなっている腰。袖や裾から伸びる四肢も助の手で握れば親指と中指は容易に重なることだろう。
 頭から爪先まで観察するような不躾な視線に、桜井は「どうかしたの?」と首を傾げた。

「本当に夢を食べてないんすね」
「食べてるよ?」
「夢は夢でも悪夢の方でしょ」
「夢は夢だよ。そこに差はない。助くんも知ってるでしょう?」
「屁理屈こねないでください」

 人の来ない場所にまで探しに来るくらいだからそんな話しだろうとは思たけれど、直球で言われるとはさてどうしたものかと桜井は2色の髪を手櫛で梳く。
 まったく、誰が口を滑らせたのか。よりにもよって自分が望む結果にするためなら手段を選ばないこの男の耳にいれるなんて。逸らされることのない視線に射抜かれながら、お喋りな犯人探しを頭の中で行う。が、そもそも助と自分の関係を知る人はいないのだから耳に入れるなという方が無茶な話だということに気付き、考えることを放棄した。

「ムシャーナの栄養となる良質な夢の方は食べてないんすよね」
「私が食べたらその人は見ていた楽しい夢を忘れちゃうし」
「寝ている時に見ている夢なんて起きたら忘れる程度でいいんすよ」
「でも」

 何を言っても、でも、だって、だけど、と拒絶的な態度は変わらない。誤ったダイエットを継続して拒食症になった女子かと舌打ちをする。途端に柄の悪くなった助の態度に桜井は困ったように笑った。
 ムシャーナにとって良い夢を食べることの重要性しか知らない古森たちと違い、助はムシャーナである桜井が食べるのは悪夢だけで良い夢を一切口にしていない緊急性の高さを理解していることを知っているだけに「放っておいて」などという冷たい言葉で突き放せないだけに対応に悩んだのだ。

「桜井さんにとって夢を食べるという行為がどういうことかは知ってますけど」
「うーん。だから同郷の人と同じ職場で働くの嫌だったんだけどなあ」
「だから普段は関わらないようにしてるんじゃないっすか。すごかったですよ、クルリと入隊してきた俺を見た時の顔」
「ロケット団に所属していたと私にばれたときの助くんの顔もすごかったよ」
「ぶっ飛ばされると思いました」
「私、暴力は苦手だから」

 その代わり三日三晩、巨大な大福に押しつぶされるような夢を見たり、食べても食べても無限増殖する大福の夢を見たりしたのですが。と、ジト目で見下ろす。さてなんのことでしょうとすっ惚けるものの、そんなことをするのは桜井しかいないのだから誤魔化されないとでも言うように髪に隠れた額を叩く。

「で、話を逸らそうと頑張ってるところ悪いんすけど」
「……逸らされてくれてよかったんだよ?」
「桜井さんの命に関わることをそんな話で逸らされると?」
「むっ」

 拗ねたようにむくれた桜井の白い頬を助の細長い指がなぞる。くすぐったさに肩を小さく揺らし、目を細める。男慣れをしていないとか、恋人とかいたことがないという話はよく聞くが、こういう接触に関しては無防備になんだなと喉を鳴らして笑う。それから顎の下に指を添え、くいっとあげた。

「自分で食べることに抵抗があるなら俺が食べさせてやりましょーか」

 形の良い唇がにぃっと歪む。歯並びの良い白い歯が剥き出しになる。距離が縮まり、かかる助の吐息を感じながら、以前小児科病院で読み聞かせをした絵本に出てくる猫にそっくりだなあと呑気なことを考える。
 あーんと口を開け、桜井の唇に噛みつこうとする寸前。薄桜色に塗られた形の良い爪が目を引く指にふにっと下唇を押される。

「そういうのは好きな人とするからだーめ」

 心配してくれるのは嬉しいけれどね。なんてクスクスと穏やかに笑う。毒気の抜かれるその対応に助は脱力し「そういう反応をするとは思った」と肩を竦めた。

「でもその好きな人には良い夢を見てほしくて与えるだけになるでしょ」
「この件、古森たちに黙ってくれているならクルリちゃんにも良い夢をお届けするよ?」
「うちのトレーナーはそういうの嫌うのでいりませーん」
「えー、口止め料支払えないなあ」
「払われなくてもばらすつもりはないっすけど。同郷のよしみでね」
「それは助かります」

 顔の前で両手を合わせてからぺこっとお辞儀をする。それから「そろそろ本部に戻ろうか」と言いながら、胸元の飾りに触れて周囲に漂う夢の煙を吸収する。全てを回収し終えた後、少し苦しそうに息をついたのは悪夢を混ぜた煙も吸い込んだからだろう。助はさてどうしたものかと目を細めて改善策を思案する。が、今できることはないので今日は諦めるかと手を上げた。

「あ、でも好きな人の夢は美味しいだけでなくてとても愛しくて幸せに満たされるって聞くからちょっとは興味あるかも」
「ああ。だから恋人ほしいなんて飢えた女子のポーズだけとっといて好きな人を探すことしないんだな」
「よっぽど運命的な出会いがあったら考えます」
「考えるつもりも、するつもりもないのはもう知ってる」
「皆には内緒だからね」

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