不安も忘れる温もりを

 土を水玉模様に染めていた雨は今、窓を叩き割らんばかりの勢いとなっている。ねずみ色に染まっていた空の上から黒い絵の具を塗りたくったようだ。
 強くなった雨音につられて窓に目をやり、憂鬱になりそうな空をぼんやりと見つめる。

「……ま……くん、水島くん!」
「わっ、びっくりしたあ」
「ごめんね、何度呼んでも反応がなかったから。……外がどうかしたの?」
「んー、ん。雨が強くて紫陽花が揺れてるなあって思って、あと」

 もう少ししたら雷が鳴るのかなって。
 小さく呟いたと同時のことであった。空気がびりっと震える程の轟音が落ちた。雨音は強くなったことは知っていたが、稲光は見えなかった。にも関わらず、雷が鳴り始めるタイミングで口にたことに四作は目を丸める。水島は的中した予想に「ほらね」と呟き、連続して光りだす空を指さした。

「ぼくね、雷予報が上手なの」
「そうなんだ。雷、苦手なの?」
「ううん、こわくもないし苦手じゃないかなあ。ただ、雷が鳴るとさみしいなって」
「寂しい?」
「うん、だって」

 水島の言葉を遮るように古びた音が室内に響く。聞き慣れない、ホラー映画にでもありそうな音に一瞬四作はびくっとする。が、すぐにその音が部屋に置かれた黒電話の音だと気付く。あれ、飾りじゃなくて現役の電話だったのかと思っている間に水島が「はいはぁい」と小走りで取りに行く。

「水島です! ……うん、だいじょーぶ、分かってるよ。はーい。冷蔵庫にあるご飯チンして食べるね。お洗濯ものはね、ちゃーんと取り込んでるから大丈夫だよ。えへへ、ちゃんと畳んだの。四作先生がお手伝いしてくれたからきれいだよ!」

 受話器を耳に当てるなり、にこにこと笑って話し始める。聞こえてくる内容から相手が水島のトレーナーであるスズメでだろうと想像がつく。楽しそうにお喋りしているな。そう微笑ましく見守りながら解きかけの問題集に目を移す。
 まる、まる、ばつ、まる、まる。家庭教師として勉学を教え始めた当初はお世辞にもできが良いとは言えないものであったが、飲み込みは早いから教え買いがある。正答率が上がっている問題集に頬が緩んだ。これはちゃんと褒めないとなあ。そう思って「スズメちゃんも気を付けてね!」と電話を終わらせた水島に目を向け、そしてでかかった言葉が喉奥でつまった。

「ふー……あ、せんせい。ごめんね、ちょっと待ってて」
「あ、うん」
「今日ね、スズメちゃんが帰ってこれないって電話があったからね。先にロンじぃにお供え物だしたいの」
「え」
「甘宮ちゃんはエンテンくんのところでバイトだからお天気が落ち着いてから帰ってくるのかなあ」

 冷蔵庫から出した食事をお盆の上に乗せ、慎重な足取りで仏壇まで運ぶ。振る舞いはいつもと変わらぬ表情豊かなもの。その自然すぎる態度が電話を切る寸前に浮かべた寂し気な顔が四作の中にひっかかる。心配げな視線に気づいた水島は「雷が怖いのはスズメちゃんと空純くんなんだ。雷の日はお家にいると不安になるから帰ってこれなくなるの」と力なく笑う。

「それは……意外だね」
「だからちょっとさみしいなあって。夜には帰ってくると思うからせんせいは気にしないでね!」

 水島の言葉に偽りはなかった。にぱにぱとした愛らしい笑顔はいつも通りで、仏壇の前で手を合わせて「ロンじぃ、ちゃんとスズメちゃん見守ってよね、もう!」と叱る姿も違和感がなかった。その違和感のなさがかえって四作の心配のもととなる。しかし家庭教師である自分が家庭の事情にあまり首を突っ込むのはよろしくない。どうすべきか。
 隣に座り直して勉強を再開し、花丸がつく度に頬を桃色に染めて喜ぶ姿を眺めながら考え、結局「水島くん」と柔らかい声で呼んで、膝の上に招くことにした。
 招かれるままに膝の上に座り、「せんせい、なあに?」と見上げる。その目には遊んでくれるのかな、じゃれてくれるのかな。という期待が孕んでおり微笑ましい。ふふっと笑い、細い指で剥き出しになった腹部をなぞる。水島はくすぐったさにぴくっとお腹に力を少しいれ、「?」と不思議そうに首を傾げた。

「あのね、雷様はおへそをとりにくるんだよ」
「!?」
「おへそだした服着ている水島くんは危ないなあ」

 途端に顔が真っ青になる。どうしよう、今スズメちゃんたちもいないからお家にそんなの来たら勝てない! などと騒ぎ、縋るように四作に抱き着く。雷の音や光は怖くないが、そのような御伽噺のような脅威には弱かった。なんたって今日はスズメたちが帰ってこないのだから。少し前まで顔色一つ変えていなかった余裕はどこへやら、今にも泣きそうな顔をしていた。
 
「せんせぇ」
「大丈夫大丈夫。先生が隠しておいてあげるから」
「でも、今日スズメちゃんたち帰ってこないもん」
「帰ってくるまで一緒にいるから、ね?」

 包むように抱きしめられる。自分よりも一回り以上広い背に腕を回し、胸に頭を押し付ける。止む気配のない雨と雷の音の他に、とくとくりと規則的な心音が聞こえてきて水島に安心感を与える。そこで初めて、水島は大丈夫、怖くないと言い張る自分の中に不安があったことに気付く。

「……ぼくも雷にスズメちゃんたちをとられたらどうしようと心配していたんだあ」
「水島くん、意外と自分のことに鈍いところあるよね?」
「親譲りだよ!」
「うーん、その点は誇らしげに言われてもなあ」
「えへへ。でもね、せんせいがぎゅーってしてくれたらほっとしたの」

 ニャビーのようにすり寄る。十分に四作の温もりを堪能した後、「せんせい、手!」と差し出す。唐突の要求にきょとりとしながらも手を出せば、「ふふ。せんせいと手を繋ぐと胸がぽかぽかしてくるね」と指を絡めるように手を繋ぐ。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。しかしこの繋ぎ方がそう呼ばれているなどと水島が知るわけもなく、せんせいの温もり好きだなあとのんきに考えているのであった。
 それから数分、安心感に満たされるために存分に甘えた後、良いことを閃いたと顔を輝かして顔を近づける。

「なのでせんせい、今日はお泊りして一緒に寝てください!」

 断れば涙目になることは想像するに容易く、頷くほかないのだが。

*****

「……一緒にいてくれたことには感謝をしますが、これはどういうことでしょうね」

 と。四作の服に潜り込むように抱き着いて眠る水島を目撃し、スズメに叩き起こされることになるという散々な起床を、酷い雨が嘘のように晴れ上がった翌朝に身をもって体験することになった。

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