手繰る記憶、探し人

 輪郭がぼやけていて曖昧な記憶がいつからか私の中に根付いていた。そして、その記憶があることを自覚した日から、私は誰かを探していた。名前も顔も声も何も知らない人。唯一分かっているのは、私がその人を恋しく思っていることくらい。
 街中を歩く度に、もしかしたらすれ違うのではないかと期待をしてみたり。近寄ってくる異性の好意に触れてみるも、違和感と不快感しかなくてすぐに切り離すことを繰り返していた。見つけられるはずがなかった。だってその人は、彼は──。

「……なんなんだろう」

 思考整理。
 この行為が何の意味もないことを私は知っている。だってもう幾度となく繰り返されていることだから。出口のない迷路に踏み込んだ気持ちになる。

「きもちわるい」

 難しいことを考え続けるのは得意ではないから疲れてきた。頭はぐるぐる回るし、胸はもやもやするし。なんだかなあと、池の近くに植えたカキツバタの花弁をつつく。
 茉里様が誕生日プレゼントになんでもあげると言われ、園芸の趣味もないのに育てたくなった花。美しい紫色の花弁の中心にすっと引かれた白色の斑紋が可愛くてなぞりたくなる。数少ない癒しに毎日様子を見ては育てて良かったとほんわかした気持ちに満たさていった。

「おうおう、暗い顔しちゃってー。せっかくの可愛い顔が台無しだぜ」
「…………壱希」
「そんな露骨に嫌そうな顔するなってー。お兄さん傷ついちゃうぞ」

 水の音に耳を傾け、花の香りに身を委ね。ぐちゃぐちゃになった思考を落ち着けていたら声をかけられていた。茉里様の声じゃないからその他大勢の誰かだ。と、聞き分けできず、振り返ったら壱希が底抜けに明るい笑みを浮かべて立っていた。この男なら今更筆談する必要もないかと、周囲に他のポケモンがいないのを確認して喋る。

「天音が花を育ててるって違和感しかないよなー」
「見た目では似合うって言われる」
「中身がなあ」
「それは自覚している」

 見た目ほど綺麗な中身をしていないことも。それでも私に魅了される人間やポケモンは後が絶たないことも理解している。またこういう立場なのかと考えると同時に、はて。またとはどういうことか。と首を傾げる。まあ、どうでもいいかな。

「でも園芸趣味に芽生えたというより、その花にご執心って感じだよな」
「ん。……なんでだろう。花そのものというか、うん」

 この花のどこに惹かれたのか。育てて年月が経った今では愛着も抱いているけれど、花の形や色は趣味ではないし。壱希の言葉に改めて考える。そして数分も満たないうちに「……名前の響き?」と答えをだす。壱希はなんだそれという表情を浮かべた。

「分かんない。ただ、茉里様がもっている本に杜若の花が記されていて……ほしいなって」

 それは挿絵一つない小説だった。内容も難しく、私には面白さが分からなかった。けれど、その杜若の文字に惹かれた。どんな花なのか実際に見たことはなかったけれど。その旨を茉里様に伝えたとき、あの方はとても嬉しそうに、けれどどこか寂しさを残して「天音も諦めが悪いよね」と笑っていた。あの言葉の意味は今も分からない。

「そんな話より何か用があって来たんでしょ」
「そうそう。お使い頼まれてほしくて。ここにいるってことは考え事でもして暇なんだろ」
「言い方が腹立つ。断る理由はないけど」

 お使いなんて紅や藍に任せればいいのに。などと不満は一つ二つ以上あるが、無駄に話したくないので了承だけして立ち上がる。長いことしゃがみこんでいたようで、スカートに皺がくっきりとついていた。それを丁寧に伸ばしてから「何してこればいいの」とお使いの内容を確認する。

「ウデン限定のチョコケーキ買ってきて」
「茉里様でもない奴がそんなことで私を使うなと殴っていい?」


*****

「……」

 荷物は重い。人混みは息苦しい。何よりもちらちらと刺さる視線が鬱陶しい。次から次へと湧き上がる不快感に機嫌は最底辺まで下って行った。自分で買いにいけばいいものを、わざわざ喧噪の街であるウデンにまで私を行かせた壱希、絶対許さない。

「……つかれた」

 この街の唯一良いところというのは、ビルが並び、大きなテレビを飾り、騒音だらけなところ。おかげでため息とともに声をこぼしても誰かの耳に届くことがない。油断していい理由にはならないけれども。
 一休みいれようと、ケーキの箱がはいった紙袋を置いてベンチに座る。ぼんやりと人の流れを眺める。人間観察なんて趣味はない。他人なんてどうでもいいから。それでも探している誰かを見つけるために身についた癖だ。ああ、でもやっぱり見つからな──。

「え、」

 目の前をすっと、美しい熨斗目花色の髪をもった男が横切った。目に焼き付くような派手な色をしていたわけではない。その逆で、目に優しい落ち着いた色。……こんな人混みであれば印象に残らない地味な色であった。けれど、その色を目にした瞬間、胸のあたりがざわついた。
 どれだけ経ったか分からない。予想外のできごとに、それなりの時間放心していたのだと思う。我に返ったときには既にその男の姿はいなかった。今ここで、見失うわけにはいかない。慌てて立ち上がり、男が向かった方へ駆け出す。

「はあ、っは……あ、の!」
「…………」
 
 人ごみを掻き分け、追いかける。こんなに必死になるのは茉里様の背中を追いかけるときくらいだ、なんて考えながら。やっとの思いでその後ろ姿を見つけたとき、息がつまりそうだった。あと、少し。距離を縮め、手を伸ばす。そして、指先が男の服の裾に触れることができたので、勢いをつけて引っ張る。
 これはしんどい。体力はあまりない方だから少し走っただけで呼吸が乱れるし、そもそも人混みの中だから息がしにくいし。おかげで言葉が上手く続かない。ぜえ、はあと息を整える。ようやく顔をあげたとき、目を見開いた。

「……っ!」
「なんだ」
「あ、えっと」


 どこか呆れたような、げんなりしたような、疲れたような。あまり良い印象を抱かれていないような目に見下ろされる。声色も、要件がないならさっさと離せとでも言いたげで。そういう扱いを受けるのは初めてのはずであった、なのにどこか懐かしいと感じていた。

「……杜若」

 ようやく出せた言葉は見るたびに恋しくて、寂しくて。そして気持ちが満たされるあの花の名前。口にすることで長いこと空白であった場所にピースがカチッとはまるかのようにしっくりときた。ああ、そうだ。

「やっと、見つけた」

 何を考えているのか分からない無表情。こちらの好意をものともせず、拒絶の一点張りな冷たい目。初めて見る人のはずなのに、見慣れた相手だった。
 胸がいっぱいになり、泣きそうな気持ちになる。その衝動に身を委ね、いつもの筆談も忘れて、探し人に出会えたら言いたかった言葉を伝える。

「私の諦めの悪さ、変わってないから」

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