色褪せぬ愛を隠して

 紅羽には記念日を祝うという習慣がなかった。しかし、習慣がないとからと言って覚えていないわけではない。むしろ、彼の人生で劇的であった日についてはよく覚えている方であった。

 例えば自分が産まれた日。主張をすることはないが、自分という存在が生まれたというのは忘れられるわけもなく。

 例えば雨藍が産まれた日。「生まれてすぐに失敗作と落胆された命だもの。誰よりも私が祝ってあげなきゃ」という雨藍の言葉が印象的であったことと。本人には一生言うつもりはないが、あの地獄みたいな研究所を共に逃げ延びたなくてはならない存在だ。そんな片割れが生まれた日を忘れるわけもなく。

 例えば研究所から逃げ出せた日。それはようやく自分の人生を自分のものとして歩めるようになる奇跡の瞬間なので忘れたくなくて。


 例えばユアと恋人になった日。困難だと言われていたクロユリ団の研究所を諦めなかったあの紅羽が唯一諦めようとした。他人の都合よりも自分の利を最優先する紅羽が初めて立場を考えて手放そうとした。にも関わらず、ユアの方が一縷の可能性すらあったか怪しい状況から紅羽を追いかけ、そして結ばれた。
 それは自由を得た日よりも満たされ、柄にもないが幸せを感じた瞬間であった。記憶力の良い紅羽の中から薄れるわけもない。

 だが、紅羽はそれらを祝うという習慣がなかった。雨藍が自己主張が強く、無視すると面倒臭いので彼女の誕生日にはケーキを買うくらいのことをするが、それ以外については全くしてこなかった。奇跡的な日を振り返っても、奇跡よりも幸せな瞬間を思い返しても。それらは過去の出来事でしかなく、今と先を見ている紅羽にとってわざわざ祝うという行為に必要性を見出すことができなかったのだ。
 そして去年5月8日。カレンダーで日付を認識したとき、呼吸をするように「ユアと今の関係になったの、去年の今日か」と思い出していたが何もすることはなかった。後日、そういえば2人が付き合い出したの今月だったよね。何かしたの? と聞く雨藍に何もすることないだろうと返せば、今までに見たことのないような無表情でただ一言「それはない」とだけ言われた。いつものように騒いで文句を言われるのであれば紅羽も無視をしていたところだが、さすがにあの反応を見れば一般的にはありえなさすぎるのだろうと思うところはあった。それでユアが怒るとは思えないし、関係が拗れることも考えられなかった。しかし、雨藍があのような顔をするくらいだし、2年目は何かをするかと珍しく考えた。自分でも珍しいと驚いたくらいだし、ユアの反応も面白そうだという気まぐれでもある。

「…………」

 長い前置きをしたが、2人が付き合ってから2度目の5月8日。紅羽と機嫌は悪かった。珍しく何かをしようと考えたその日に限って、ユアに急な仕事がはいったのだ。ここで我儘を言えるような可愛らしい性格をしているはずもなく、いつもと変わりない顔で「いってくれば」と素っ気なく返した。しょんぼりとした背中を見送った後、思い通りに事が進まず、腹が立ってユアの服で巣作りをして布団に潜った。もう何時間も前の話である。
 どれだけ苛立っていても、ユアの匂いに包まれてしまえば気持ちも落ち着き眠気に誘われた。それに身を委ね、眠りについた。起きる頃には戻っているだろうと予想していたのだが、いざ目を覚ますとどうだろう。日付けを跨ぐ直前にも関わらず、帰ってきていなかったのだ。

「もう帰ろうかな」

 雨藍が観ているドラマで記念日を忘れられて怒る女のシーンがあった。馬鹿馬鹿しいという感想を抱いた覚えがある。その女に共感するわけではないが、準備をしたというのにその日思うままに事が進まなかったら怒りたくもなるかと納得はした。とはいえ、去年は立場が逆であったので、本人に当たるつもりはない。だが、我儘な紅羽がこれ以上大人しく待っていられるわけもなかった。
 買ってきたものはもうそこら辺に放っておくかと、ポケットから小箱を取り出す。そして枕元に投げ出したスマホで時刻を確認する。日付けも変わったことだしと布団から出ようとした。というタイミングで、玄関から鍵を開ける音がした。続いてダダッと通路を駆ける音、そして「紅羽くん、ただいま!」と勢いよく寝室の扉が開いていた。

「煩い」
「あ、ごめん。思っていたよりも撮影が長引いてこんな時間になったし、さすがに帰ったかなと思ってたから、まだいてくれたの嬉しくて」
「……あっそ」

 額にじんわりと汗が浮き、毛先にかけて癖のついた髪は肌に張り付いている。息もあがり、肩がいつもより早く上下している。よく見ずとも、ユアが急いで帰ってきたことはすぐに分かった。帰ったと思っていたのならばゆっくり帰ってこればよいものを、と思いながらも紅羽は「待ちくたびれた」とだけ言う。

「!」
「何」
「紅羽くん、待っててくれたの」
「……待ってない」
「でも今待ちくたびれたって」
「待ってない」

 食い気味で答える。しかし、いくら否定しようとユアが紅羽の言葉を聞き逃すことも聞き間違えることもするわけがなく、表情を明るくする。そして鞄を床に置き、ユアの服に潜っている紅羽を抱きしめる。その状態のまま、紅羽はもぞもぞと動き、自分にとって楽な姿勢に直してユアにもたれる。それから、少し前までその辺に放っておこうかと考えていた箱をユアの頬に押し付ける。

「……これ」
「5月8日だったから」
「え、あ……え!?」

 それはユアにとって予想にもしていなかったことであった。何せ去年は1周年のいの字もないくらい無反応な紅羽であったから。日付けなど覚えていないだろうと思っていたのだ。だが、その考えを裏切るように贈り物まで用意されている。青い瞳を丸め、しばらくの間言葉を失う。
 そのような驚愕に満ちた表情を見て、紅羽の最底辺まで下降していた機嫌も良くなる。良くなったついでに「いらないなら捨てるけど」と意地悪も付け加える。慌てて「いる、ほしい!」と声をあげたユアは紅羽を抱き締めたまま小箱を受け取り、宝物を、壊れ物を扱うように優しく開く。

「指輪?」

 小箱の中には水晶の中に細い金針がいくつも閉じ込められた神秘的な石が飾られた指輪が収められていた。サイズ的に身に着けられるようなものだろうとまで予想はしたものの、まさか指輪だとは思わなかった。どうして指輪なの? とでも聞きたげな目を向ける。その視線に気付かぬふりをしてもよかったのだが、らんらんと目を輝かせたユアを無視し続けるのも一苦労なので、紅羽は目を逸らしてぼそりと小さな声でその疑問に答える。

「……その形ならネックレスにでもなんでもできるでしょ」

 この手のものを買うと決めたとき、真っ先に浮かべたのはピアスであった。しかし、ユアの職業を考えれば付け外しも多そうだと考えた。それならば、脱いだり胸元を露出するような撮影でない限り、チェーンを通せばネックレスにもなる指輪の方が身につけやすいだろうと言われたのだ。この指輪に埋め込まれた天然石をにやにやとした笑みを浮かべて教えてくれた相談相手に。

「〜〜っ、紅羽くん!」
「って、付き合ってる間は身につけやすく、どうせ貰うなら別れた後も換金しやすいものがいいからってユアの同業者の花華夢が言ってた」
「かかむ……あー、紅羽くんと珍しく仲良くしてる子で同業者と言えば……puÅちゃんかあ。って別れないからね?!」
「そんな予定を見据えてる相手にこんなことするように見える?」

 見えるわけがない。そんな予定があるのならば先延ばしになんてせず、今この場でその話題を切り出すのが紅羽だ。否、それ以前にそれを思いついた時点で接触の手段を全て断ち切ることもしかねない。逆に言えば、これから先もずっと一緒にいることを見据えているからこのように形に残るものをくれたのだということにもなる。
 言葉足らずなうえ、それを自覚していてもなかなか口にしない紅羽であるが、その意図を汲み取ったユアは幸せそうに頬を緩める。あまりにも幸せそうにするものだから、紅羽もつられて僅かだが口元が緩む。

「ねえねえ。この石って何?」
「お腹空いたんだけど」
「紅羽くん。その話の逸らし方は露骨すぎる」
「…………絶対教えない」

 パワーストーンとしては有名どころルチルクォーツ。その名を知れば、暇なときにどのようなものなのか調べることもあるであろう。普通に検索すればパワーストーンといえば代表的なものとしてあげられるだけあって簡単に情報が集まるだろう。もしも、その膨大な情報の中から紅羽があえてこの宝石を選んだ理由に辿り着いたとしたら。可能性は0ではないので、紅羽としては知られたくなかった。
 もうこの話は終わりだと布団に潜りこめば「ねー、紅羽くんってば」と覆い被さられる。煩いと引き剥がそうにも破顔している様子に強く出れずにいる。どちらも引かない攻防を繰り返してしばらくし、紅羽が「もう黙れ」と言ってユアに唇に噛みつき、そして一言。

「そんなに知りたいなら自分で調べれば。特徴的な石だからすぐ分かるでしょ」

 ルチルクォーツ。
 その天然石に込められた言葉は──。


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