恋をした相手に少しでも可愛いと思われたくて、いつもは着ないお洋服を鏡の前で合わせてみたり。少しでも綺麗だと思われたくて、髪の毛のひと房も気が抜けなくなったり。おろしたての靴に浮き足立ったり。どきどきしながらも準備することが楽しくて、時間より早くついて待っている間は緊張しちゃって。その一つ一つに幸せだなあと足元がふわふわする。
だから、デートの日に雨が降ると憂鬱な気持ちになる。と言う女の子たちの言葉が今なら理解できる。好きな人に見てもらうためにおしゃれしたのに、雨のせいで台無しになることがあるからだろう。湿気で髪の毛がくしゃくしゃになったり、地面がぬかるみ靴が汚れたり。でも、理解できるだけで共感はできなかった。私にとって雨が降るということはーー。
「霖雨さん!」
「あれ、待ち合わせ時間……」
「先に待っていたくて早く来ちゃいました」
好きな人が来たという合図だから。
雲一つない快晴であっても彼が来たら一粒二粒と雨が降り始める。それは早く会いたいなと待ちわびていた私の胸を弾ませる。ただ、最近の困りごととして狐の嫁入りのときでも近くに霖雨さんがいるのではないかと辺りを探し、見つけられなくて落ち込むことが増えたこと。
「先に?」
「霖雨さんが来ると雨が降り始めるじゃないですか。その瞬間が好きなので」
「……そんなこと初めて言われた」
「晴れから雨に変わるとき、どういう雲がかかり始めるのか。どんな音を立てて空から降りてくるのか。どういう香りを広げてくれるのか。それは霖雨さんの心情次第で変わるのかなあとか考えたらとても愛しくて」
私の妄想になりますが。などと笑いながら折り畳み傘をさして霖雨さんの隣に並ぶ。本当は相合傘、というものをしたいのだけれど……それをすれば霖雨さんは私を気遣って肩を濡らしてしまいそうなので我慢する。ううん、そんな我慢をせずとも、そんな至近距離に並ぶなんて恥ずかしくて私から言い出せそうにはない。
「霖雨さん?」
「小毬さんといるといろいろなことに気づくなあ」
雨音の中にぽつりと呟かれた言葉はすんなりと私の耳まで届く。ほんのりと染まった霖雨さんの頬はモモんのみのようで、自分が伝えた言葉を思い返して私もつられて照れてしまう。
心落ち着かず、ほんのり甘い空気になっちゃった。どうしよう、なかなか大胆なことを言ってしまったのではないか。と少し慌てていると、霖雨さんから「ありがとう」と優しい笑い声が吐き出された。
「えっと、どこか行きたいところある?」
「あります、今日絶対霖雨さんを連れていきたいなと思ってるところがあります!」
雨の日だから行ける場所限られるけれど。などと言いたげに投げかけられた霖雨さんの質問に食い気味に返す。勢いあまって傘同士がぶつかり、パラパラと雫が落ちてきた。慌てて謝ると「大丈夫だから落ち着いて」と宥められる。あう、やってしまった。
「小毬さんの行きたいところって?」
「とっておきの場所です!」
*****
「なんかすごい道通ってるような」
「ふふっ。アラシくんと一緒にいると獣道も普通の道に見えてくるんですよ。あ、そこ。ぬかるんでいるので気をつけてくださいね」
生い茂る草木が屋根のようになって一本道を作る。傘をさすには狭く、閉じて進むしかない。草木の間から降ってくる雨粒が冷たくて気持ちがよい。ぬかるんだ足に取られないように霖雨さんに声をかけていくけれど、さすが雨をつれてきてくれるだけあって慣れた足取り。そうだろうと思ったからここへ案内できるのだけれど。
「じゃじゃーん!ここが本日の目的地、秘密基地でーす」
「ひみつきち?」
「ホウエン地方にはひみつのちからを使って秘密基地を作る遊びがトレーナーの中で流行っているんです。この間、アラシくんたちとここに来て懐かしいねって話が盛り上がったので作っちゃいました」
「小毬さんって結構……」
「格好と性格のわりにやることは活発的とはよく言われますよ。まあ、九割巻き込まれてやる感じですが」
柔らかな土の上に広げられたかみなりマット。中央を陣取るキャンプつくえには未開封のお菓子が置きっぱなしになっている。前来たときに片付けた覚えがあるのに……またアラシくんか要助くんあたりが来ていたのだろう。まったくもう、賞味期限の心配があるから食べ物は置いていかないでって言ったのに!
「わあ」
「草の中に作られたわりに、広くて綺麗だと思うんですよ」
「うん、うん、すごい」
きょろきょろと、視線を忙しなく動かしている霖雨さんが微笑ましい。ベッド代わりに使われるカビゴンドールや抱き枕に使われるアチャモドールたちをどかし、ふかふかのクッションを敷き、「霖雨さん」と声をかけて手招きをして隣に座ってもらう。
ちょいちょいと上を指さし、視線を誘導。各自好き勝手にいじったひみつきちの中で私が作った場所。草を少しのけて、空を見えるように硝子を窓のように張るのはすごく難しかったのだけれど……。
「ここで日向ぼっこするのも、雨音に身を委ねるのも楽しいんですよ」
「小毬さんは本当にいろいろなものを楽しめるね」
「まったりしながらお茶を飲むのが好きだからですかねー」
ぽふりとカビゴンドールにもたれて硝子窓を見上げる。ポタポタ。パラパラ。軽やかな音が心地よい。こういうことがあるから雨の日も好き。だからあまり天候を自分でいじろうとは思わえないのだけれど、今日は特別ということで。
「実は今日、霖雨さんをここに連れてきたのはどうしても感じてほしい景色があるからなんですよ」
「秘密基地じゃなくて?」
「秘密基地は見せびらかしたかったものです」
パチン。指の音を合図に雨音が一つ、また一つと減っていく。窓硝子に乗った雫は差し込んできた陽の光を反射してきらきらと輝く。そして薄らとかかり始めた七色の橋を映した。ふわりと立ち籠めるのは色濃い花の香り。雨上がり特有の景色。
「……わあ」
「ね。雨上がりはとっても素敵でしょう?」
青い瞳がきらきらと輝く。それは今、窓硝子の上で輝く雫みたいで、とっても綺麗。その表情がとても微笑ましくて、笑い声が零れる。ああ、すごく難しかったけれど、諦めずに硝子窓を作ってよかった。この方に、この光景を感じてほしいだけのために頑張ったかいがある。
「雨が運んでくる景色、感じてほしかったんです」
「小毬さんの目にはこういうものがたくさん映ってるんだね」
「これからは霖雨さんもたくさん見るんですよ」
霖雨さんの手をそっと握る。どういう反応をされるだろう、と見上げればぱちくりと瞬きを繰り返していた。胸がほんわりと温まり、そしてくすぐったい。それは霖雨さんも同じようで、気付けば二人して笑っていた。
「楽しみ」
「私もです」
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