雨音に包まれた世界

「うわ、雨」

 つい30分くらい前まで雲一つない快晴だったというのにやってきた突然の雨。空の色が変わる様子も臭いもしなかった、雨が降るという予兆は一切なかった。それなのに数秒のうちにざっとバケツをひっくり返したような大きな音を響かせて地面に大量の雨粒を地面に打ち付けている。

「……これは雫だな」
「暇を持て余した雫さんが美紅様に喧嘩を売りにきたって感じですねー」

 ごろりと寝返りをうてばい草の香りが鼻をくすぐる。新しい畳は寝心地がいいなと言えば清水様は「そうだろうな。しかし雨の匂いに打ち負けた様子だ。お前の顔色が随分と悪い」と頬を撫でられる。清水様の手は冷たくて気持ちいなあと言えば「最近目に見えて元気がないところにとどめの雨と来たら心配もするぞ」と言われた。

「ばれてた?」
「美紅と夜子に心配かけたくないときは決まってここに逃げ込んでくるからな」

 だが、この雨だ。傘を貸してやるから帰れ。と、黒と赤の2色で塗られた蛇の目傘を渡される。どうしてよりにもよってこの配色。狙っているのかどうか知らないけれど本当にこの人のやることは俺の悩みを抉ってくれる。ありがたく借りますねと笑えば「返すのはいつでもいい」と言われた。店を出る途中に接客していた紫鳴ちゃんに「顔真っ青ですよ!?」と驚かれたので、俺の顔色は相当なものらしい。



「雫さんも毎度暇潰しに喧嘩を売りにきたついでに豪雨を降らせるのはやめてほしいなあ」

 雨に濡れた和を重んじられた建物というのは趣が深い。ひっそりと咲く花も広がる葉も気持ちよさそうに伸びている。しかし俺の気持ちはそれに反比例して落ちる。雨は好きじゃないんだよな。べたにも美紅様に出会ったのは雨にうたれていたときだし。人生の転機の日でもあったけれどあれはあまり思い出したくないことも多かったからなあ。

「はあ、一人でいると余計鬱々とするから誰かと……あ」

  雨に紛れて微かに香ってきた匂い。久しぶりに嗅いだ気がする。もしかして、という期待をこめてその匂いのする方へ足を運べば思っていた通り、市乃くんがいた。突然降ってきた雨に足止めされたようで、屋根の下で煙管を咥えながらどうしようかと考えている様子だ。胸元の開いた着物に身を包んで色っぽさがただでさえあるのに、雨の効果でさらにそれを増すとは罪深い姿だねえ。少しそれを眺めてから「よう、お兄さん」といつもの調子で声をかける。

「こんな雨の中煙管を咥えて色っぽいことしてんなあ」
「ちょいと用事で出かけてたら予想外の雨で途方にくれてたんだよ」
「へえ。俺はてっきり色気振り舞いて女の子が声かけてくれるのを待ってたのかと思ってた」
「どこぞの誰かさんと同じにしないでくれねェかい」

 はて、どこぞの誰かさんとは誰のことか。待っているだけで声をかけてもらえるなんてさぞかし器量のいいイケメンなんだろうなあ。笑えば「本当口が達者だなァ」と返される。それほどでもと照れたら少し冷ややかな目をされた。俺はこの目を知っている、紫鳴ちゃんが返事をするのも面倒臭いからどうしようと考えているときにする目だ。

「ほれ、送ってやるから入ってけ入ってけ」
「傘をもってでかけるたァ準備がいいこったな。今日は雨が降る予定もなかったろうに」
「出かけ先の店主がもたせてくれたんだよ」

 手にしている荷物は店のものだろうか。それとも女性への貢ぎ物……貢ぐ姿が浮かぶようで浮かばないな。いつだったか美人局にあって全部剥かれたという話を聞いたせいだろうか。なんにせよその荷物を濡らしたくなくて屋根下で立往生していたのだろう。彼の着ている着物も高価そうだしなあ。彼が濡れないようにと気を付けて歩きだす。

「いやあ、雨に憂鬱としてたがお兄さんに会えたとなると気分も良くなるなあ」
「それは光栄だねェ」

 歩き始めて数分。話題を振っては返事をもらってぷつりと切れる。それが何度か繰り返してから少しの沈黙が続く。なんだろうか、今日はいやに話しにくい。久しぶりに会ったからか、それとも雨で気分が落ちているからか。いやでも彼に会ってからだいぶ気が楽になったんだよなあ、不思議なことに。他に普段と違うところといえば……。

「……あー、距離感かあ」
「ん?」
「いんや何にも」

 地面に投げた呟きは雨の音にかき消されて彼の耳に届かなかったらしい。初めて雨に感謝をした気がする。多分聞かれていたとしてもなんでもないと答えたらそれで終わるんだろうけどな。
 それにしても距離か、そうか距離。うん、普段は彼を煽りたいという悪戯心から抱き着いてみたりすり寄ってみたりとしていたからやたらと密着していたんだよな。だからこうやって肩が触れるか触れないかの空間があるというのが落ち着かないから話しにくいのか。そういうことを気にする性格でもないっていうのに。あー、なんかそういうところに意識をし始めたらいやに左肩が熱い気がする。右肩は濡れて冷たいけど。

「……そういや知ってるか? 相合傘しているときの声がお互いにとって一番美しい声を聴いているらしいぜ」
「野郎同士にも相合傘というのもなァ」
「野郎同士は野郎同士でもあれこれシた仲だろ?」

 なんとか会話を長引かせて気を紛らわそうと振った話題はどうやら茶化せる内容へ転がった。にまあと笑っていえばため息を吐かれる。本当にからかいがいのあるやつで可愛いと思う。うん、これだからやめられない。夜子が煩いから最近ではこういうことを控えていたのだけれどこの子、いい反応するからなあ、ついつい会うたびに遊んじゃうというか。
 そんなことを考えている間、どうやらずっと顔を見ていたらしく、「何見てるんだイ」と額を叩かれる。

「いやあ。これが最も美しいお兄さんの声と考えると惚れ惚れしちゃいそうだなあって思っただけだよ」
「また随分と軽い口なことで」
「匂いだけじゃなくて声もお気に入りってことだな。俺、こういうことに嘘だけは言わないぜ」
「……とんだ小悪魔だなァ。いったい何人泣かせてきたのやら」

 褒めるつもりで言ったのに再びため息を吐かれる。そんなに吐くと幸せが逃げるぞと注意もしたくなるが、こういう場合決まって「誰が原因だと思っている」と言われるのが落ちなので黙っておこう。……うん。それにしても何人泣かせたか、かあ。

「恋愛で泣かせたことは一度もないと思うな。少なくとも俺が誘惑したノンケには」
「そりゃ意外」
「身体は気持ちよくなるから男とヤることは受け入れたけれど、恋愛対象とするには抵抗があるっていいそうなノンケ選んでるからな」
「ふうん」
「そうしたら俺が情を移しても無理だからって最初から諦められるしな」

あ、喋りすぎた。そう後悔したのは言い切った後。こんなこと夜子にも言えないと話したことないはずなのに。今までの会話から彼が俺の話に興味とか感心をもって掘り下げることがなかったから気を弛めたからなのか、それとも雨のせいで気が弱って誰かに甘えたくなったからなのか。……彼に情が移りかけているから、という線も捨てきれない。ここ最近その自覚があって悩みの種となっているわけだし。
 さて、どういう反応をしているのだろうかと視線を向ければちらっと目を向けられる程度で何か言うつもりはないらしい。よかったと一安心。ここで掘り下げられても話すつもりはないが……この流れだと余計なことをぽろぽろ零す気がしてならない。早急に対応して今の話を忘れてもらおう。

「なあ、ちょっとこれ持ってくんない?」
「急に何だってんだ?」
「いいからいいから」

 強引に傘を渡せば右手に傘、左手に荷物と両手が満席になる。これなら何しても反撃を殴られることはないだろ。するっと首に両腕を回して身体を近づけ、そのまま唇を重ねる。揺れた耳飾りに意識を寄せて、舌をいれたくなるのを我慢する。身体の力抜けて荷物を落とした、なんてことになれば惨事だしな。

「っ、」
「うん、その一本取られたって感じの顔好きだな」

 驚いた表情に満足してすぐに離れる。降り始めと比べれば雨の量が和らいだとはいえやっぱり冷たいな。傘から出るとすぐに身体を冷やしてくる雨粒にふるりと身体を震わせながら「じゃ、俺こっちだから。傘、瞬くんとバイトで会ったときにでも渡しといて」と笑う。それから返事は聞かず、すぐさま背を向ける。今から走って帰れば美紅様のバトルに間に合うだろうか。雫さんたちと戦うお姿は荒々しさが露わになっていて珍しいから是非とも目に焼き付けたい。

「……顔、熱いままだなあ」

 瞬く間につむじから足の先までびっしょりと濡れて冷えたのに顔の熱だけは冷めないのは、柄にもない話をした恥ずかしさからだと思っておこう。

prev next
TOP

ALICE+