魔術礼装
「…それで、今回の任務はキミの使用人(servant)になれということかね」
爽やかな青が広がる空に、今日も変わらぬ輝きをみせる太陽が浮かぶ。
最もその輝きが強くなる季節は少しずつ過ぎていき、
生温い風に、少しばかりの冷たさを感じたとき、
流れる雲はぽつぽつと鱗のような形を成していた。
その雲の色を思わせるシーツに散らばる、絹の糸に影が掛かる。
窓から差し込む光の位置からして、もう朝と呼べる時間は過ぎていた。
溜息混じりに放たれたその言葉に、毛布に包まれていた名前の体が蠢く。
だらりと垂れた絹の糸を掻き揚げて、夢と現を見るその瞳がぱちりと瞬いた。
「貴方には、うってつけの仕事でしょう…エミヤ」
「嫌味かと思うほどに、な」
換気のためにあけた窓から流れた風が、赤い外套を軽やかに揺らす。
己が主の寝起きの声に、呆れたように目を細めたその男、エミヤは、慣れた手つきで、程よい温度の蒸しタオルを差し出した。差し出されたそのタオルで顔を拭った名前は、先ほどのぼんやりした瞳を、いつもの艶やかな光の宿るそれに変えて、次に差し出された紅茶の入ったカップを受け取った。
テンポ良く行われるその行為は、元々名前がエミヤに教え込んだもので、今やすっかり身についてしまった己を疑問に思いはすれど、自分にしか求められないそれに遣り甲斐を通り越して、誇りすら感じつつあることに、気づかないふりをしていた。
完全に夢の世界から覚醒した名前は、毛の長い絨毯に置かれたスリッパに足を通し、身支度をするために奥の部屋へと消えた。
「相変わらずのようで、なによりだ」
やれやれというように、緩やかにその口角を上げた赤の英霊は、名前が自分の魔力を持って召喚した、彼女にとって初めての英霊であった。故に古くからの付き合いであるので、その性格から行動、仕草など嫌というほど熟知している。
だがある一件から、彼女はもう一人の自分を伴うようになり、仕事内容によってその編成を変えているために、自分だけのマスターではなくなってしまったことに、複雑な思いを抱いていたのだ…が。それが何故なのかは、この英霊、自覚していなかったのである。
***************
今回の立食パーティーは、所謂夜会(社交パーティ)と同じ意味を持つようである。
そしてそれを主催するのは、かつて政治界をはじめ、芸能やら芸術やらを牛耳った財閥の統領と来れば、その規模は想像を絶するものであろう。指定された会場も歴史あるその名を象徴でもするように建てられた、これまた豪奢なホテルである。
海外でもその名を馳せる、やり手であり、そちらの方からも人が呼ばれるらしいという話は、どうやら本当であったらしい。
その選考基準は明かされていないようだが、正直面倒だと、少年の体をした青年はソファーに身を沈めた。
そもそもそういう類のパーティーは、上流という言葉が頭につく、家柄や肩書を持つ人物たちの、社交場である。それなりのふるまいをしなければ、仕事を失うことにもなりかねない。興味深い話も聞けはするが、今の青年は少年である。少年相手に仕事の話やら政治の話をする人間は限られているのだ。
だが、その財閥の名が刻まれた招待状をみつめる少年には、1つばかり気になる点があった。
FBIきっての切れ者捜査官として名を馳せる、この赤井秀一に声が掛かるのはわかる。だが…何故、毛利小五郎という、探偵に声が掛かったのか。
「何か、があるのは間違いない。
だが…その謎を解くためには…」
「うん。わかっている。
だから参加しようと思うんだ」
「ああ。それが良いだろう。
それに…あの『降谷零』君も、呼ばれているようだぞ」
「安室さんが…?」
「さて、一体なにが始まるのか…」
夜の帳が下りてから開かれるそのパーティーが始まるまでは、まだ時間があるため、少年は再びとある男を訪ねた。長年の経験の賜物か、何かが起こりそうな気がして、落ち着かなかったから。
今回参加する予定であるのは、毛利小五郎とその娘、居候の少年。この沖矢昴…即ち赤井秀一と、公安の降谷零…。
そしてなんと少年が懇意にしている阿笠博士までもが招待を受けていたのだ。
とある業界においては、確かに有名な博士ではあるので、理由はわからなくもないが、何か引っかかる。
最早職業病としか言いようがない癖で、ついつい考え込む少年に、その男はふと口角を上げた。
「招待状が届いた人物に関係のある人間なら、誰を呼んでも良いみたいでな。
俺は…沖矢昴として顔を出す予定だ」
「…え」
「おそらく…だが、彼も同じ手を使うであろうことは想定できる」
無暗に顔と名前を出せない立場である彼らが、そう言うのも少年には理解できた。
そのパーティーにも例の組織の人間が混ざっていないとも限らない。
もしかしたら…『知られてはいけない』人間に、顔を知られることにもなりかねないのだ。
「それに、子供たちのお守りも、必要だろう?」
軽い口調で吐き出された言葉に、少年は他の真意を読み取るが、何かを狙い覚ますようなその瞳に昨夜の話が脳裏に浮かぶ。この沖矢という男もまた、今回のことに何かを感じているのかもしれない。
ふとあけていた窓から聞こえてきた近づいてきた子供らしい高い声と、楽しげに弾む足音に、
何か、暗い音を聞いた気がして、少年はその瞳を光らせたのだ。
***************
少しずつ傾きつつあるその黄金に、太陽も偶には沈まないとその輝きもわからなくなるな、と何処かの王を思い描いた名前は、アーティーク調の椅子に座り向かい合うように座る、赤い英霊にその指を預けていた。
すぐ傍に置かれた白いテーブルには、まるで色の宝石のように並ぶ小さなガラス瓶が、赤い布の敷かれた黒いケースに収まっており、その中から選ばれた色が、静かに白の上に座している。
お互いの息遣いすら聞こえるほどの距離で、淡い貝のような爪に、細い筆を巧みに動かして装飾を施す。
昔から、社交場は女の争いの場である。
マリーアントワネットの時代から、社交という名のもとに女たちは、作らせたドレスやら靴、そして小物を競い合い、髪型や香水などを用いて、自分をアピールし、その権力やら財力を、その体を以て示したのである。
それにより育まれた文化は数知れず。ではあるが、それに伴い湯水のように流れたものもあるので、良し悪しを此処で議論しようとは思わないが、武器を片手に戦場を駆けて来た彼女にとっては、めんどくさいというのが本音であった。
「もう少し、嬉しそうにしてくれても良いと思うのだが…」
「…どうも気が乗らないのよね…、今回」
「気が乗る仕事など一握りだよ、マスター」
「わかっているけど、…なんかめんどうなことになりそうな…」
「まあ、何も起こさせないさ。その為に私を呼んだのだろう?」
「………そうねぇ」
うつくしく色付いたその両手と、両足の爪を乾かしつつ、『この前の夜』からもやもやと胸を占める何かの予感が、時間と共に大きくなっていくのを感じて、ため息が零れてしまう。
そんな様子の主に灰色の瞳を細めると、エミヤはその褐色の大きな手を、小さな名前の頭にぽふりと乗せた。
「それで、出来栄えはどうかね」
「…すごく、良いわ…。完璧よ」
「何よりだ。
ほら、次は髪だろう?大人しくしていてくれたまえ」
完全にエミヤという英霊に、身支度を放り投げた名前はやがて夜を迎える空を見上げる。
心在らずなその様子に、青筋を立てながらも、甲斐らしく世話を焼く赤い英霊も何となく理解はしていた。主の勘はよく当たるのだ。昔から。故にそれが杞憂だと慰めることはできない。念には念をいれて、守らなければならないことは承知であった。
滑らかに、手から零れ落ちる絹の糸。
エミヤのその瞳に、己の指に絡む蜘蛛の糸に見えて。
「何を恐れているかは知らんが、
俺のみではなく、この男を呼んだのだ。
少しは落ち着いたらどうかね」
抑揚すら感じられない、夜の静けさに似た声が近くから聞こえる。
黒に近いその肌を剥き出しにした、上半身裸の男は、窓際で繕う名前を横目に、部屋の真ん中に置かれたソファーで、己の武器を調整していた。
器用に踊る指先により磨かれる銃達が、部屋の光を弾いて黒々と光る。
この世界では、その男…エミヤオルタの武器は非常に目立つために、よっぽどのことがない限りは、名前が用意したこの世界で使用されている銃を使用しているのだ。
揃えられた様々な銃を、自分の思うままに改造した改造した男は、名前の方も見ずにただ静かにそう零した。
その動きに合わせて動く筋肉を目で追いつつ、名前はふと思う。…もう少し幸運の高い英霊を呼べば良かった、と。
幸運は関係ないと言われがちであるが、このエミヤという名の付く英霊は、中々の苦労人であることを知っている。云わば人を放っておけない性質なのだ。その恩恵を受けてはいるが、それにより幾度と事件やらに巻き込まれている。同じような青い英霊も、その兄貴肌により、何度もめんどうな目に合っているので、正直なんかもう、王様とか連れてくれば良かったかと思ってしまった。まあ、名前に応える英霊はどれも幸運が低いものたちであるから、これも運命ということなのだろう。
一番の問題は、その中でも飛び抜けて面倒見が良く、誰よりも救いを求める人を放っておくことができない、生粋のお人好しは自分であることに、気が付いていないマスターであることは…言うまでもないからであった。
「わかっているわよ、そんなこと」
髪に触れるその優しい手つきに、気を抜くように息を零した名前は、そういえばと壁に掛かった男用のスーツに目を遣った瞬間、冷や汗が流れるのを感じた。
「…ねえ、オルタ…。貴方スーツは」
「カルデアから送られてきたものだが?」
「………そ、そう…」
暗いグレーの生地に、細いストライプの入ったそのスーツと
それと近い色のシャツ…はとても良い。かつてカルデアで開かれたパーティで、一度見ているので、似合うことも良くわかってはいる。だが、似合っているというのは…勿論良い意味で、ではあるけれども、その…見ようによっては、『仕事着』にしか見えないと評判でもあった。
『その』筋にしか見えない、とクー・フーリンのオルタと交互に見て思ったその記憶が、名前の唇を引き攣らせたのである。
「完成だ。お疲れさま、マスター」
「ありがとう、エミヤ」
その膝を落として名前の足元に跪き、ヒールのある靴を履かせたエミヤが立ち上がると、そこには1人の淑名前の姿が、あった。華やかな色で彩られた唇を緩めると、長い睫毛が瞬きと共に上品に揺れて、細められた瞳が、先ほど零した憂いを忘れたように、きらきらと輝いた。
「エスコート、お願いね」
黒と灰のスーツを身に纏い、その褐色と黒の手を名前に差し出した男達は、
静かにその薄い唇を動かす…
「御望みのままに、マスター」
*終わり*
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