海へ還るとき
名前と2人の英霊が無事にレイシフトを完了した頃。
食堂では、まさに死屍累々の如く、他の英霊が力なく突っ伏していた。
「あー、つっかれたぁ…!」
「おい、行儀が悪いぞ…アサシン」
べたりと頬を付けて、食堂の机に懐いた男は、腹の底から湧いた声をそのまま上げた。
爽やかな朝日に照らされた黒髪が、持ち主の動きに従い、さらりと流れる。
鮮やかな刺青を誇るように剥き出しにしたその男の後ろから、咎めるような声が掛けられるが、珍しくも疲労の色を露わにする姿に、それ以上の追求はなかった。
早朝とも言える時刻。
睡眠は不要である英霊も、このカルデアでは夜襲などの襲撃は起きえないので、名前の生活リズムに合わせて寝ていたり、自室で休んだり、作業をしたりと、比較的静かな時間であるはず…なのだが…。
他の部屋よりも大きくつくられた食堂には、カルデアの殆どの英霊が集まっていた。
「だってよぉ…昨日の名前に煽られて暴走するアイツらの相手、一晩中させられたら、そりゃ疲れるだろ…。
ほんっと何度座に還るかと思ったか…」
「はっ、てめぇが弱っちいだけだろうが。そんなんで良くあの名前の英霊やってんな」
「ああ?ふざけんなよ!大体アンタが真っ先に理性無くして名前に突っ掛かるから、こんな大事になったんだろうが!」
「あー、悪ぃ悪ぃ。ちぃと血の気が多い奴でな。まあ勘弁してやってくれや」
「……アンタも、乗り気だったじゃねぇか…」
荒々しい棘をその身に纏うクー・フーリンオルタが、どかりと床に腰を下ろしたまま鼻で笑うと、がばりとその身を起こした黒髪の男がその目を鋭くして怒鳴る。義理堅く忠実であり、主に付き従うことに誇りを持つ彼は、単に自分のことを詰られるよりも、主に従う己のことを悪く言われることを嫌う。それはアサシンと呼ばれた、その男にとっての最大の侮辱であるから。
殺気立つアサシンに、仕方ないという風に非常に軽い謝罪を投げたのは、杖を持ったクー・フーリンである。アサシンの前に腰かけて頬杖を付いた男は、飄々と言葉を並べて場を鎮めた。感情の抑揚を読ませないその凪いだ赤い瞳が、アサシンの灰を帯びたそれに重なり、ばちりと火が散って見えたのは幻覚ではないだろう。
食堂を見渡すと、誰もが程度はどうであれ疲労をみせていた。
何故このようなことになっているかというと、それは昨日まで遡る必要がある。
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とあるレイシフトに名乗りを上げた名前は、その勢いのままに任務に向かおうとしたのだ。
確かに普段はレイシフト先の情報がある方が稀な環境であるので、そこはまあ問題ではない。問題はその後である。
彼らからすれば『ただ一番初めに召喚されただけの癖に名前に引っ付いているお邪魔虫』ともいえる憎らしきエミヤオルタという英霊が、名前のフォローに動いていたのは知っていた。
だが、その様子がおかしいのは、昨日の朝からの姿を見ていれば察していたが、まさかあんなにも己が名前にとって大事な意味を持つ任務だというのは、知らされていなかったのだ。
事の発端は、名前の『今までに見たことのない目』に何かを察した棘の王が、いつものように静かに近づいたその時であった。その男は口数が多い方でも愛想が良い方でもないので、いつも静かに名前の『後』を付いて歩く。そして、昨日も、同じように、名前に近づいた棘の王は、その敏捷さを以て突如振り下ろされた短剣を回避した。だがそれでも頬に一筋の傷を負った彼は、その姿を見て、頬を伝う血の如く赤い瞳を見開くことになる。
そこには、…研ぎ澄まされた静かな殺気を纏う、まるで餓えた獣のような名前が、いた。
凪いだ水面のように、清廉さすら感じる、その瞳は『自分ではない何か』が映っているのは、直ぐにわかった。だからこそ、棘の王はその槍を抜いたのだ。己の知らない目で、己ではない何かを見る名前が酷く気に食わなかったから。同時にその瞳に、己の姿を映したら…と考えると体の昂りを抑えることは最早不可能であった。
この時、一番幸いであったのは、稀有なことに連日に渡り晴天が続いていたため、偶々名前が外にいて、その事態が発生したのは、施設から結構離れた場所であったこと。である。
室内で発生していたら、間違えなく恐ろしいことになっていたであろうと、愉快そうに殺気立つ名前を見ていた探偵が後に語る程であったのだ。
「あまりそのような目をするな。思わず抉りたくなるだろう」
「……ああ、そう…貴方も、邪魔をするのね」
うつくしい、と思った。それと同時に殺したいほどに、憎かった。
常に冷静であり、取り乱した姿など今まで一度も見せなかった己の名前が、こうも何かに乱されているなどと。
常識を考えれば如何に戦闘経験が豊富であろうとも、人間が英霊に敵うはずはない。
だが、この名前は、その朱槍を受け止めるどころか、弾いたのだ。
段々と、姿なき何かから目の前の棘の王に、その殺意は向けられ始める。
うつくしく鋭い、瞳が、男を捕らえたその時、男はその背中を、肌を震えさせた。
その存在がつくりだされてからたった1度も、感じたことのない、高揚。
ただ只管、己の胸が熱くて。ああ、なんと…。
「ふ、…ははははっ」
込み上げるその熱が、噴火するマグマの如く、身を焦がし吹きあがる。
高らかに響いた棘の王の、咆哮。それは純粋な喜びであった。
びりびりと広がる振動が、カルデアを揺らし、他の英霊たちに異常を伝えるが、それはもう2人にとっては蚊帳の外のこと。ぶつかり合う刃と、軽やかに舞う細い体に少しの容赦も無く突き立てられる槍。
だが蝶のように舞う名前に傷をつけることはなかった。
それはこの世界に降りた名前が真っ先に封じた、自らの力を少しずつ解放していたから、であるのだが…。
至高の獲物を見つけた獣のような高揚に、笑みが止まらない男が放つ斬撃を軽々と弾いた名前は、ふと何かを感じて後ろに跳躍する。棘の王に集中する魔力。血走ったその瞳が、にたりと名前を見据えると…。
「全呪解放。加減はなしだ。絶望に挑むがいい……」
構えなおされた槍、少し引かれた足、唱えられた言葉、
名前の指示を得て解放されるそれが、自分に向けられているのを感じて、彼女も迎え撃つようにその魔力を高める。…だが、集中するために閉じたその瞳は、直ぐに開かれることになるのだ。
「名前、その魔力を回せ。…I am the bone of my sword.---So as I pray,」
「闇の侠客ここに参上ってね、何があったか後で聞かせてもらうよぉ…名前!」
恐らくだが、カルデアの屋上からでも飛び降りて来たのだろう。
目の前に落ちた2つの影に、名前は反射的に溜めた魔力を2分して与える。
「噛み砕く死牙の獣 (クリード・コインヘン)!」
「十面埋伏・無影の如く! ハアッ!」
「無限の剣製 (unlimited lost works.)」
3つの宝具がぶつかり合い、雪の大地を抉る。
その衝撃に大地が震え、下の方で雪崩が起きるのが見えた。
相殺された力がやがてゆっくりと収まり、ホワイトアウトした視界が晴れると、そこには武器を納めた3人の英霊と、天空と冥界の女神に支えられ気を失った名前の姿があった。
そんなことがあり、ちょっとした所ではない騒動となってしまった、名前の暴走は勿論問題視された。
今までもう1人のマスターを支え、その何故か豊富な戦闘経験などから、軍人のように冷静で精確な名前が、まさか突然こんな暴走を起こすとは、誰も考えなかったのである。
とはいえ、被害は1つもなかったこともあり、問題視というか只管心配をされた名前は、執筆の邪魔をした罰として、作家を筆頭とした英霊たちに、1つ残らず吐くことになったのだ。
そして、現状では冷静な判断に欠けるとして、全員が一丸となり今回の任務を動かすことになったのが、経緯となる。
因みに真っ先に飛び出していこうとした王たちは、その宝具の攻撃範囲から危険と判断され、何とかその場にいた全員で説得したという、一コマもあったことを記しておく。
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「ああ、なんかすごくやらかした気分」
「どのことを悔いているのか知らんが、何を今更」
「…今まで、私そんなにやらかしていたかしら…」
「まあ、オルタ化した俺相手に、アレだもんなァ。
今度は俺とやろうぜ、名前」
「……次はないわよ」
潮風が吹き上がり、名前の髪をふわふわと揺らす。
広がる大空を仰ぎ見つつ、蘇って来た昨日の記憶に頭を抱えた彼女の側についた2人の英霊がため息と笑いを漏らした。
地図をみるとよくわかるが、この世界は豊かな海が広がり、点々と島が存在する、海の世界なのだ。
故に船がメインの交通手段となり、貿易や交流のために、島を行き来するために必要不可欠である。だがその船の中でも、海賊が乗った海賊船がこの世界の特徴であると名前は思う。
とある大海賊王が今際に残した言葉が、人々を海に誘ったのだ。
この世のすべてという、とてつもなく大きな宝。それを手に入れるために、大海原を行く海賊たち。
だが所詮は人間の集まりなのだ。その性質は良いものもあれば悪いものもある。
何を以て、良いのか?
何を以て、悪いもか?
名前はかつてその答えに迷った。
この世界にいたころは、海軍という海賊を取り締まる側にいて、色々な人間を見て来た。海賊全てを殲滅する過激な同僚がいた。立場によりそれは異なると静観した男がいた。そして虎視眈々とその間を見る男がいた。
その中で、名前が選んだのは…何であったのか。
懐かしい海の香りが、彼女を出迎える。
『近づいてくる大地』に、遠ざかる空。
「…そろそろ、地上に普通にレイシフトできるように調節できるようにして欲しいわ」
「ふん、この方がいきなり襲撃を受けずに済むだろう。効率的な降り方だと思うがね」
「貴方たちは何も問題ないかもしれないけれど、こっちは下手すればこれで死ぬのよ?」
「はは!そんなんで死ぬような女じゃn「クー、貴方…今回の任務で走り回ってもらうから、精々働きなさいね」…げ、そりゃねーぜ」
「全世界の女が、全員スカサハのように強靭だと思わないことよ」
「…………お前も似たようなもんじゃねーk「か弱いマスターに、何か御用かしら?」…イイエ、ナニモ」
名前がレイシフトする際には、必ず遥か上空に投げ出される羽目になる。
もう毎回のように紐無し超高度のバンジージャンプを行っているため、段々と感覚は麻痺していったのだが、近くに英霊がいなかった時は、流石に死を覚悟したこともある。
海よりも、空よりも、濃い青の髪が、風に舞い上がり、黒地に金の刺繍の施された腰布が揺れるのを視界に入れつつ、肩と腰に回された、固い腕に、再びこの地に足を着けるその瞬間が近づいていることを察した。
ずん、と今まで感じなかった重みは、重力であろう。
黒い皮の靴が、柔らかな砂に触れて、目の前に広がる海の青が酷く眩しく感じられた。
着地した地を、名前は良く理解していた。
「さて、此処からどうすんだい、名前」
「………ええ。これから海を行くわ。
用意するから、適当な『獲物』を採って来て頂戴」
自然の海岸の奥は、木々が生い茂った深い森が広がり、『少しやんちゃな』生き物も生息している。
だがその分食糧となるものが豊富に存在し、腕の立つ者ならばこの島に住むことは可能であろう。
わかった、と軽快な足取りで森に向かった青い英霊を見送り、名前は白いズボンのポケットからとあるものを取り出す。
鋭いくらいの太陽の光を弾くそれは、『笛』であった。
銀の横笛は、細かな彫刻が施されており、とてもうつくしいつくりのもので。それに口を付けると、名前は蘇る記憶から1つの旋律を選び出し、構えた笛の穴の部分に指先を乗せた。
波の音が反響するだけの、静かな島に、淑やかな高い音が流れ始めると、ざわりと木々が揺れ始める。
ばさり、と聞こえた大きな羽音に、乾いた砂がぐわりと舞い上がると、伸びて来た黒い衣を纏った腕が肩に回り引き寄せられる。固く、筋肉の隆起した胸板に顔を埋める形となった名前は、砂埃が晴れるまで顔をあげることは出来なかったのだ…が。暗くなった視界の代わりに、敏感になった聴覚が、ぐさりという音を捉えた。
「おーおー、随分見せつけてくれるじゃねぇか、黒い弓兵サンよぉ…。
思わず槍が滑っちまったぜ」
「ほう、お前が槍を使えなくなるとは…無様だな。
で…クー・フーリン。お前から槍を取ったら、何が残るのかね」
「はっ、てめぇには言われたくねぇ台詞だな」
聞こえてくるその険悪なやりとりを、いつものことだと放っておくことにした名前は、自分を拘束する腕から抜け出すと、現れたそれを見上げる。
砂地にその鋭い爪を埋もれさせた、その巨体を屈めて名前を大きな瞳で見つめる、生物。それは光に透けるような色を纏う、巨大な『鳥』であった。
バーサーカーのヘラクレスです軽々乗せられるであろう大きな体と、強靭で筋肉質な体を覆うふわふわな羽毛。
この鳥は、名前にとってかつての『相棒』であり、心残りの1人でもある大事な存在で、この世界では『死んでいる』自分の呼びかけに応えてくれるかは、正直自信がなかったのだ。
「おいていって、ごめんね…。
また一緒に戦ってくれるかしら」
再会を驚くように、そして喜ぶようにぐ、とその身を屈めて、頬擦りをしてくる相棒をぎゅと抱きしめて名前は囁く。一時期の再会を果たせたことは彼女にとっても嬉しいことであると同時に、ちらつく別れの影を無視したかった。
だが、その言葉に…そっと影を落とした存在が2人いたことに、名前は気が付かなかったのである。
*終わり*
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