凍てついた再会
柔らかな金を帯びた白、白金の色を纏う巨大な鳥は彼女の相棒であった。

『星を継ぐ血族』と『うつくしい吸血鬼』との激動の運命を生き抜いた彼女がその世界で使命を終え、次に目を覚ました世界は海に生きる世界で。
生前より動物は好きであったが、生と死を繰り返す彼女は、それ故に共に生きるものを選んだことはなかった。

けれど、それはひょんなことからとある三兄弟を育てることになった翌日のことだった、と彼女はその瞬間をよく覚えている。今にも死にそうな小さな小さな雛を拾ったのは。

自然に生きるものにとって、対して珍しいことでもない、成長過程での死。これもまた運命、と名前は、せめてもの手向けとして大地へと還そうとした。

白い手に乗せられた、酷くか細い体に宿るまだ生けるものの宿す熱。それが失われる瞬間を彼女は知りすぎていたのだ。麻痺していたといっても良いだろう。




『ねぇちゃん。そいつ助かるんだよな!』


『あったりまえだろ!あねきにまかせとけばこんなもん、すぐに治るにきまってる!』


『なんでおまえが得意気なんだよ!』




子供特有の、その高い声。
それは名前が雛を見捨てようとしているなどと微塵も思っていない、無垢な声であった。まだ身長は彼女の腰ぐらいしかない、3人の兄弟は、きらきらと輝く瞳と笑顔で見上げる。

真夏の太陽のような、光に、この時彼女は気がつく。いつからか自分は随分と物分かりの良い人間になってしまっていた、ということに。




『うおっ!ずいぶん、元気になったなぁおまえ!!』


『あぁ!!ずりぃぞ!おれもさわりてぇのをがまんしてたんだ!』


『ば、ばかやろう!!そんな強く握ったらかわいそうだろ!!』




ばたばたと、弾むような羽音が聞こえる。痩せ細った身体は、その面影もなくふっくらと肉付き、艶やかな羽が生え揃っていた。

なんの鳥の雛か、はわからなかった。この世界には様々な鳥がいる。そして、まだその存在すら、証明されていない鳥だって多くいるのだ。
それにこの島は、のどかで穏やかな治安の良い島であるが、その代わり情報が少ない。図書館などといった施設も充分ではないので、最新の図鑑とか論文などといった本は手に入らない。

だが、単に育てるだけでは勿体ないと感じた名前は、その生態記録をつけ始めたのだ。やっていくうちに、三兄弟も手伝いたいと暴れたので、名前と三兄弟でその雛は世話をして、記録をつけていった。


それほどまでに、雛ながらもうつくしい鳥であったのだ。
気がつかないうちに、名前も情が湧いて、兄弟に一羽を足していたほどに、人を惹きつける愛らしさと魅力があった。




『なあ、あねき。こいつに名前…つけないのか?』




名は、個を示すもの。
大衆の中で、自分を示すもの。
言い換えれば、その存在を定義し、縛り付けるもの。
名前は無意識にその行為を避けていた。

けれど、自分を見上げて首を傾げる少年に、彼女はこう思案した。

もしどのような形であっても、自分がこの世界からいなくなった時。託せる人間がいるのであれば…良いのではないか。
あまりこの世界に自分のいた証を遺したくはないけれど、それはもう遅い。
使命を果たすために、これまで様々な人間の手をかりてきたのだから。

どんな名前が良いか、と尋ねると、2人の様子を見ていた残りの兄弟が顔を出して、次々と知恵を絞り出す。
その中にとんでもない名前が飛び交っている気がした名前は、呆れつつも、雛に視線を移すと…。

雛という幼い存在に似つかわしくない、崇高ともいえる、厳かな何かが見えた気がして。何やら大変な拾い物をしてしまったのではないかと、心の中で呟いた。






それから、幾年の月日が流れたか。
気が付けば少年は青年の顔付きになり、雛は成鳥だと思わしき風体へと姿を変えた。それがまだ雛とも呼べる姿であり、数年後にはあの白ひげすら軽々と乗せられる巨大鳥となることを、この時彼女たちは知らなかったのだ。

三兄弟が次々と海を出た。詩的な表現をすれば、己の夢という帆を張り、運命という風に背を押され、母なる海が問う試練という名の厳しい航路へと足を踏み出していった。

ただ、三兄弟はすんなりと出て行ったわけではない。今までにない激しい言い争いやら喧嘩をしてでも、彼女を己の航路へと連れて行こうとしたのだ。

それら全てに首を横に振り、自分が育てたも同然な愛しい兄弟達に、泣かれて縋られても、彼女はその背を見送った。それは彼女もまた背負うべきものがあり、果たすべき使命があったからであるが、そのことは誰も知らない。

きっと、人を惹きつける厄介な性質を持った兄弟達は(特に末の子は良い意味でも悪い意味でもその気が強い)、良い意味で癖の強い仲間を集め、守り抜き、己の夢と意地を貫くのだろう。

数十年前とある処刑場で笑った亡き王(とも)を思い描いて、名前もまた同じような笑みを浮かべ、また1人になった自分にまた思考を巡らせようとして、やめた。

果てなき海が一望できる崖の上には、1人と1羽の姿があったのだ。






*****************






ぱちり、と小さな火花が弾け白い砂浜の砂へと舞い落ちる。

昼間に、肉及び果実や水などの食料や、夜の闇を照らすための薪といった、野営を行うための準備は全て完了していたので、後は夕飯準備だけというところとなった。身に纏う白い魔術礼装が示す通り、海軍に所属していた名前は、勿論こういった無人島での所作は取得している。いかなる環境でも生き残れるように、と一通りの知識と経験はあった。そして…実は、それらの知識をとある人物に全て叩き込んでいたのだ。

時には冬山へ、時には無人島へと連れて歩き、『ナイフ』一本で最低でも一週間は自力で生きれるように、と連れ回した。一歩間違えれば、一生もののトラウマを生み出すことになりかねない行為だが、彼女の目は間違えを知らない。

そんな彼女の目には、その人物(…その頃は少年であったが)の行く道が、見えてしまったのだ。故に彼女は少しでも『少年自身が』生きることに執着を持つように、と育てた。人を救う正義の味方を名乗るならば自分自身ごと相手を救えと教え続けた。



砂の上に敷かれた黒い布に腰を下ろした名前は、ぱちぱちと弾ける火に思考を映す。
その傍らには電伝虫と呼ばれるこの世界の通信手段が置かれ、とある方法で傍受したラジオが引っ切り無しに流れていた。彼女が弟と呼ぶ大事な男の名前と罪状、処刑に至る経緯や処刑内容などが次々と語られている。その情報源であり、この件の原因である海軍へ直接繋いで情報を盗み取ってやろうかとも考えたが、万が一バレた時は恐らく名前のいる島も特定され、彼女の同僚が光の速度で乗り込んで来るだろうと考えて止めた。

名前を案じてか、大きな瞳がぱちぱちと瞬いて彼女の顔を上から覗き込むと、大丈夫だというようにふわふわの毛に覆われた頬を撫でる。

どうやら弟繋がりで、とある男のことも考えてしまったらしい。と彼女はため息を吐いた。





「切るか?」


「いいわ、それの所為じゃない」


「……そうか」




考えていた男の、声に似た、でも違う男のそれが名前の真横から聞こえ、彼女はその長い睫毛を微かに揺らす。
慣れたような手つきで肉を処理するその男は、手にした『ナイフ』の切っ先を、電伝虫に向けた。それに首を横に振った名前は、此方を見る金の瞳に苦く笑う。深く聞きたいくせに、聞かないのは相変わらず女心を理解していないからか、それとも優しさか…なんて考えるまでもない。

女が男に秘めるときは、他の男に関することか、暴いて欲しいとき。なんて相場は決まっているのに、と伸びてきた鋭い嘴が男が処理をした肉を一切れ摘まみ上げたのを横目に、闇に響く穏やかな波の音に耳を澄ませた。




「行儀の悪い鳥だな…」




じろりと睨み上げる金のそれと、巨大鳥の鋭いそれが合わさる。
冷静沈着というか感情が機械的であるが故か、まあすべてにマスターに関すること以外でという言葉がつくのだが、感情的になることはほぼゼロである英霊は、取られるお前が悪いとでもいうように鼻で笑った鳥に対して、額に青筋が立つのを禁じえなかった。

以前に比べると、表情を出すようになってきた英霊の沸点は、やはりとある赤い弓兵と同じである様子が極稀にだが垣間見える。この地に来ているもう一人の英霊のオルタと同様に、興味がないことにはとことん反応を示さないので、鳥を睨み上げるその姿は、とても珍しいのだ。





「貴方も、料理に関することには怒るのね」


「……地獄に落ちろ、マスター」





自分のことになると、急に鈍くなるポンコツ…。とは誰がぼやいたことであったか。青い髪の作家であっただろうか。その言葉の意味が充分わかると思わず悪態をついてしまう。あれ程一緒にするな、と言ってきた筈なのに、どうやらまったく聞いていなかったらしい。自分であって自分でない存在と比較されることは良くあることで、何の興味もないことであるが、それがマスターであるとどうやら彼も、反応するようだ。

はあ、とため息を吐いた英霊は、鳥から視線を逸らすと再び作業を始めた。





「そういえば…クーはどこ?」


「その鳥の腹の中じゃないのか?」


「あら大変、私の愛鳥がお腹壊しちゃうわ」


「ふん。いいじゃないか。
目障りなものたちが一掃される瞬間ほど、清々しく感じることはないね」




「てめぇ好き勝手言ってんじゃねぇぞ弓兵ぃ!!
今日こそ穿ち殺してやるわ!」


「できるものなら、な」


「ちっ、……だがそれは後だ。
とんでもねぇお客さんが来たぜ。構えな」





がさっ、と砂浜の奥にある森から飛び出した男が、息を切らしつつ浅黒い肌をした英霊に向けて青筋を立てる。月に照らされた夜空の色をした髪が、一部まるで氷漬けにでもしたように固まっているのを見た名前は、ゆるりとその腰を上げた。
何かを察したように、低く鳴いた鳥が、威嚇するかのようにその瞳を細める。

息を荒げる英霊に、がちゃりと無機質な音を立てて構えられた銃剣が向けられると同時に、柔い砂を持ち前の俊敏さで蹴り上げた青い英霊が、高く高く月夜を舞った。



名前は静かに目を閉じる。ひやりとした冷気が彼女の肌を刺し島の温度を下げていく。
こうなることは、大体想像がついていた。そもそも名前がこの世界で死を迎えてから、巨大な鳥はどこにいたのか。それを考えれば、簡単にわかるだろう。

相棒として海軍の一員に迎えられた鳥は、彼女亡き後は同僚の1人…青雉に託された筈である。何故ならばそのように『彼女の遺書』にそう綴ったからであるのだが、これはまた後で語ることにしよう。

兎も角、鳥人間なんじゃないかと疑われるほどの知能を持つ、この鳥は主人である名前に従順であったから。きっと慕う彼女の遺言通りに、青雉のもとで変わらずその力を振るっていることは想像に付いた。
そして、青雉もまた、とある特別な想いを名前に抱いていた。故にきっと彼女の残した言葉を聞き入れたのだろう。例え自分に反抗的であっても、傍に置いたことが…『その姿を見て』、理解した。










「あららら…。おれに反抗しても、今まで任務放棄なんかしなかったのにねェ。
なーんか変な予感がして追って来たけど…正解だったワケ」


「………貴方の、世話の仕方が悪かったんじゃないの……クザン」





ぱきり、と現れた男の足元が音を立てて凍る。
出現は予想していた。とてつもない面倒臭がりではあるが、面倒見は良い男だということは知っていたから。
自分が世話をしている鳥が突然何処かに行って帰ってこなかったら、迎えに来るだろうということを。
そのリスクを踏まえて、名前は相棒を呼びつけたのだ。



とはいえ、名前は、木々を掻き分けて現れたその姿を見て、自分の感情が制御不能になるほどに乱れるのは、予想していなかった。




島に流れる風が凍り付く。

あのヘラクレスよりも随分高い身長に、ふわふわとした黒い髪、もう1人の黄色い同僚とはまた違う飄々とした読めない表情を浮かべるその顔に浮かぶのは、困惑と疑惑…そして。


向き合う2人の間に流れたのは、感動的な再会のそれではない。





「それで、どういうことか説明してくれる?…名前」


「…残念だけど、私はそっち側にはなれないのよ」


「炎拳…か、」





氷に包まれて、消える炎。
暗闇に包まれた島に、光はない。





「なるほど、ワケありってか。
昔の男ってやつじゃねぇだろうなァ?」


「くだらんな。空洞の頭ではそんなことしか考えられんのか」





氷の槍に、朱槍が交わり
降り注ぐ銃弾を、固い氷が弾く

凍てついていく大地に、名前はゆっくりとその瞳を開けたのだ。









*終わり*
戻る