砂丘の約束
・男主人公
・衛宮士郎の兄貴分であり父親のような存在
・いろんなキャラ(男女問わず)に愛され
・ぐだ男がメイン…?な話です注意。
*SNで死んだ主人公がいくつかの次元を経てカルデアに転生した話です
ああ、もう駄目だ。と今まで拒絶していたその言葉を飲み込んだ瞬間、心がずんと重くなった。
『何故俺なんかが最後のマスターに選ばれてしまったのだろう』
この言葉を、いくつ唱えたのだろうか。この言葉を、いくつ唱えれば良いのだろうか。
静まり返る夜ですら、弱音も涙も零すことが出来なかった。だって常に誰かの耳が目がそこにあるのだ。
幼い頃から戦いを知る英霊がいる。全てを敵に回しても己を貫いた英霊がいる。一騎当千を成し遂げた英霊がいる。孤独の中で戦い続けてきた英霊がいる。命を懸けて守りたいものを守った英霊がいる…。
そんな彼らに囲まれて、俺はただ進むしかなかった。
本当は怖かったんだ。剣も槍も弓も…人を殺せる武器全て。
どんな小さい傷でも、痛みが伴う。痛いのは嫌い。でも…失望の眼差しはもっと痛い。
魔力も体力も一般人で、知識もない俺に向けられるのは…いつも呆れと諦めのそれで。
中にはわかってくれるヒトもいるけれど、でも、辛かった。
漫画やゲームの主人公のように、何か1つでも可能性を持っていたのならば違ったのだろう。何か自分の自信となるものが欲しかった。そうあの人のように…。
その人とは、少し前に燃え盛る冬木で出会った。
綺麗な顔立ちをした無条件に惹きつけられるような瞳が印象的な、俺よりも少し年上の男性。その人はカルデアの実験にも参加していなかったし、魔術師に関係する人でもなかった。
それでも、俺たちがその人を受け入れたのは、英霊にも劣らない戦闘能力と知識を持っていたからで。あの時はマシュしか戦える英霊がいなかったから、あっという間に無くてはならない存在となった。
そしてその人の手の甲には、俺と同じ令呪が…宿っていたのだ。
カルデアの施設に足を踏み入れてから、その人と俺は人類最後のマスターとして任務を行うことになった。だけれども、その人は凄く戦うことに慣れていて、英霊の指示も完璧で、頭の良い英霊と雑談を楽しんだりする姿を良く見かけた。正直…心が押し潰されそうになった。『俺がいる意味は何か』…なんて考えたくないことを、考えてしまうから。
でもその人は、優しかった。いつも誰かしらに囲まれたその人は、眩しかった。
だから…近付きたくても、近づけなかった。
そうしているうちに、任務が始まって2か月が経った頃。
ものをはっきりという英霊から、遂にその人と俺を比較するような…ことを言われてしまった。
その瞬間、頭の中が真っ暗になり、そして気が付いたら俺は誰もいない夜の廊下をただ歩いていたのだ。
「………」
しん、と静まり返った廊下は、昼間の活気がなく、まるで死んでしまったかのような静寂に包まれている。分厚い雪雲に覆われた所為で、月の光もない、ただの闇。非常灯の光だけが、おぼろげながら足元を照らしだしていた。この闇が今の俺にはひどく心地良かった。
やっと息ができて、やっと思考が回りだす。
とはいっても、こんな気持ちでは碌なことは考えられなくて、このまま消えてしまいたいと、そんなことばかりが頭に浮かんでいた。
「……ん?…誰か、いるのか?」
何故この時間に、この人が…廊下にいるのだろうか。
聞き慣れた、その声に、どくりと心臓が重く跳ねたのは…。一種の恐怖からであろう。
かつりと、施設内の固い床に靴音が響く。どうやら俺はそれを思考に溺れて聞き逃していたらしい。
強張る体に、引き攣る唇…これでは返事も返せない。
結局…近づいて来るその人に、俺はまた背を向けて逃げた。
俺はきっと、今酷い顔をしているし、今その人の顔を見たくはなかったから。
そんな自分に…また、失望することになった。
広く長い廊下を走る。走って、走って、走って、荒げた息をそのままに、何も考えられず、走った。
同じような造りの廊下は、円の中でも走っているような気分にさせられる。だがそれも直ぐに終わった。突き当りに、辿り着いてしまったのだ。
その人は俺のことなど追って来ないだろう。あの暗い廊下にいたのが俺だと気付いていないかもしれない。
荒げた息、もう何も考えられなくて。喉元から這い上がる慟哭を只管飲み込んだ。
廊下の突き当りの、窓の下の壁を背にして座り込む。冷たい床の感触に、思わず膝を抱いて顔を伏せた。
「…リツカ?…大丈夫か?」
「……っ、…な…、なんで…」
「なんでって、そりゃ…気になったからな。お前泣きそうな顔、してただろ」
「………なんでも…ない、です…っ、!だから、いまは…」
「わかっているさ。放っておけって言うんだろう?」
「………っ、…すみ、ま…せん、でも…おれ、」
かつりと、今度はちゃんとその足音が聞こえた。
追って来てくれた、でも何故。噛み締めた唇から零れるのは掠れた声だけ。そんな声でも、俺はその人の言葉を無視出来なくて、情けない声で言葉を返した。
訪れた沈黙。それでも足音が再び聞こえることはなくて。
暫くそのまま、俺は目を閉じて、その時を待った。
きっと遠ざかる足音を聞いたら、また後悔するのだろう。と痛みを訴える胸を無視しながら。
「…なあ、…少しだけ、俺に時間をくれないか?」
その人らしくない、恐る恐るといった調子の声に、俺は思わず顔をあげてしまった。
すると廊下に膝をついて、俺に目線を合わせたその人に、慌てて再び顔を伏せる。
今の自分は放っておいてくれた方が良い。…なんて反発する気持ちが沸き上がり、直ぐに萎んでいく。自分の浅ましい気持ちは…自分が一番良く知っているのだ。
「リツカ」
穏やかに響く、低い声。心地よく耳朶を打つその音色が俺の名前を呼ぶ。
そしてぽすりと何か暖かなものが背中から頭に掛かるのを感じて、そっと顔を上げると、それはその人が偶に着ているパーカーであることがわかる。とある英霊が水着の上から着ていたのと色違いであると聞いたことがあるな、なんてぼんやりと考えていると、突然パーカーのフードを被せられた。
大きな手がフードの上から、俺の頭を撫でるのがわかって、動揺してしまったのは内緒のことである。
「…悪いようにはしないさ、少し…気分転換に行こう」
遅い時間ということもあり、トーンの落とされた声が囁きのように感じられて、じんわりと頬が赤くなる。俺はもうその人の言葉に何も返せなかった。あたたかなその体温が…俺の中の、頑なに封じた感情を溶かしていくのがわかって、堪えることがもう限界であったから。
そんな俺に手を差し出して、立たせたその人は、何も言わずに俺の手を引いて歩き出した。
「ドクターに話は通してあるから、まあ大丈夫だろ」
向かった先は、カルデアスが据え付けてあるカルデアの中枢部である中央管制室であった。
いつもはこの部屋のコフィンでレイシフトを行ったりしているので、比較的慣れた部屋ではあるのだが、英霊を伴わずに来たことはなかった。
その人はダヴィンチなどが良く操作をしている装置を慣れた手付きで弄ると、満足げに笑う。そして俺を手招いたと思うと、あれやという前に、そのままレイシフトが開始されてしまい、気が付けば俺の視界はぐるりと回って…暗く包まれていったのである。
**************
名前は、その変化に気が付いていたし、その気持ちが痛いほどよくわかった。
何故ならば自分が普通の人間だった頃に同じ経験を何度も味わい、苦汁を何度も飲み干してきたから。そして、かつて義弟と呼んだ人間や英霊たちも…また、名前を見て同じ顔をしていたのを知っていたからである。
日に日に暗くなっていくその顔に、誰かの顔が重なり始めたのはいつの時であったか。
そうでなくても名前にとって『人間の相棒』となる、人類最後のマスター藤丸立夏は、弟のような存在になっていた。常にとは言えないが、24時間同じ建物の中で、同じものを背負い、同じものを食べて生活しているのだ。家族にも等しい存在となるのはそう時間も掛からなかった。
だが…名前には、素直に手を差し伸べられない理由があった。
『大事な血の繋がらない弟を、壊してしまった過去』から負った傷。それが彼を躊躇させたのだ。
そんな名前が、行動に出たのは…いつもよりも酷い吹雪が吹き荒れる夜のこと。
泣きそうな顔をしたリツカに、遭遇した瞬間から、彼はもう放っておくという選択肢を失っていた。
「………っ、…こ、……ここ、は…」
「きれいだろう?此処は俺が偶然見つけた場所でな。誰にも教えていないんだ」
一面に広がるのは、肌色に近い砂の海。
傾ぐ太陽のオレンジの光が差し込み、きらきらと広大に広がる砂を輝かせている。
乾いた風が髪を揺らすが、不思議なことに砂漠らしい暑さも寒さも感じなかった。
点在する大岩の1つに並んで座ると、リツカは暗い瞳を太陽のように輝かせて周りを見回す。
遺跡だろうか、神殿のような造りをした建物がいくつも見えた。だがそれは所々が朽ち果てており、砂に埋もれているものもある。それが殺風景な砂漠に色を付けていた。
目に焼き付くような、夕日の色でまとめられた世界。シンプルながらも雄大な世界は、息を飲む程に美しく…そしてどこか悲しい場所だとリツカは感じたのだ。
「この場所はな、人間の人生なんだよ」
「……え?」
「人は生まれると、まずこの柔い大地を自分の足で踏み締めるようになる。そして成長するに従いこの先へと恐れず進んでいくんだ。…ずうっと遥か先にある山…うっすら頭が見えるだろう?あの山の途中はな、雪が降っているんだ。相当雪深いがそこを超えていく。…そうして、あの頂上へと登るんだ」
「……頂上には…、何が?」
「さあな。…だが…聞いたことがある。
あそこには自分の祖先が待っているんだと、そして歩みと共に亡くしてきたものたちが、待っているんだと」
「…………」
「そうして、彼らと共にまた山から戻っていく…」
オレンジに染まった空に、黒く浮かぶ雲に囲まれた山を指差して名前は言った。確かに微かではあるが山らしいものが見える。
伝承を語るような口ぶりで話すそれをリツカは無心になった聞いていた。今を生きる自分と重ねることは出来ないが、例えられた人生はとても高潔に思えたのだ。
「…あそこまで辿り着くことの出来ない者は、多くいる。
だが何も1人で登れというわけではない、家族と友と一緒に連れ添ってあそこまで行くんだ。
はぐれることだって、途中で失うことだって、あるさ。勿論自分が倒れることだってある。
それでも、あの頂上まで登りきるんだ。生きる意味がそこにあるんだから」
「…………でも、そんな…強い人ばかりじゃ、ないですよ」
「そうだろう。俺だって、そうだ」
「え…?」
「ふふ、お前は俺を買い被っているようだが…。俺は大した人間じゃあないさ。
良く言われるんだ。『心が死んでいる』ってね」
「心が…?」
「俺はね、人間の最低な部分も多く見てきた。まあ勿論その逆も然り…だが。
だからこそ、見え過ぎてしまう」
「………少し、難しいです」
「お前のような…素直で…好奇心に溢れている、生き生きとした人間ではないということさ。
人間は好奇心を持たないと、腐ってしまうから」
「そんな…、そんなことないです!!だって、俺は…っ!」
「役に立ててない。と言うつもりか?」
「な…、なんで…」
「いっただろう?わかる…って。
人間は成長するものだ。そして成長する人間は素直で好奇心を持っているのさ」
「………そんな…。俺なんて、」
「お前は、英霊の話をよく聞く。どのような英霊にも話しかけて、時には相手の望みを叶えている。充分頑張っているじゃないか」
「………っ」
「逆に問おう。お前の苦しみは、なんだ?」
「………俺は…。マスターとして、皆の役に立ちたい…っ!
一緒に戦いたいし、会議でももっと自分の考えを言いたい、受け身の自分が…苦しいんです…っ」
魔術師ではなく一般人であり、通常ならマスターとなり得なかった可能性のあるリツカ。
名前は、そんな彼をずっと見守っていた。そして自分の身に降り掛かった事態に、自分の立場を言い訳に開き直るわけでもなく、卑屈になるわけでもない、現状なんとかしようと足掻くその姿を知っていたのだ。
だからこそ手を貸したかった。真っすぐでひた向きなリツカを、腐らせるわけにはいかなかったから。
「そうか、…ならお前には何を求める?」
「……戦うための力と、知識…」
「ふむ、それだけか?」
「あともっと英霊と、話したいから…歴史も、知りたい」
「ふふ…良いだろう。お前は誰かのために動く方が、性にあっているのだから」
劣等感というものは、人を成長させる起爆剤であると同時に人を歪ませる毒沼ともなり得る。
性根の優しいリツカにとって、それはどちらかというと後者であったのだ。それをわかっていたので、名前はゆっくりとリツカの心を解し、無意識に封じているであろう負の感情を全て掻き出そうとしたのだ。
「有能な人間は、効率的に結果を出す動きを要求して来るものもいる。それは英雄として名を馳せた、英霊たちも同じこと。だがな、一つ一つに応えていては、身が持たん。彼らは人間としては死んでいる、もう結果が分かっている存在なんだ。だがお前は違うだろう?…まだまだ道半ば。あの山にもたどり着けていない若人さ。
まず、足元を固めるんだ。面倒見の良いやつに頼んでも良い。基本からじっくりと学ぶんだ」
「……俺、…ずっと、あの山を…見ていたんですね…」
「若い人間は、視線を遠くに向ける。
それは向上心ともいえるが…その足元にも気を付けないと、転んでしまう」
名前は、少年の言葉を否定したことはなかった。間違えたことを発しても、やんわりとその考えに至った経緯を問われ、間違えの部分を共に考えてくれる人であった。
リツカは大きく息を吸う。やっと肺を満たした新鮮な空気が、体中を巡り、ぱっと目の前が開けた。すると隣に座る男が、どういう態度で自分に接してくれていたか、わかったような気がして。ずっと負の感情を向けていたことに罪悪感が込み上げて来る。
それすらも察したのか、名前は軽く笑って、そんな顔をするなと一言だけ口にした。
「今にも死にそうな顔をしていたが…、まあ、その顔なら大丈夫だろう」
「酷い顔、…していましたよね…」
「ああ。酷かったさ。…今の顔が良いだけに、そう思うよ」
「……っ」
夕日に照らし出された横顔が、うつくしい微笑みをリツカに向けた。穏やかな瞳が、大事なものを見るかのように、優しく細められており、どくりと軽やかに跳ねた心臓を思わず抑えた。
「さて、そろそろ帰ろうか。
あまり遅くなると…お前の英霊たちに怒られてしまう」
「え…もう、ですか?」
「ふふ…名残惜しいのか?」
「ええ…もう少し、此処にいたい…です」
「良いだろう。弟の我儘を聞くのも兄の仕事だからね」
「……っ、…おと、うと…」
「ああ、いけないな。つい悪い癖が出てしまった。
お前を見ていると…つい弟のように思えてしまってな」
「それは、…エミヤ…の?」
「いいや、彼は俺の弟ではない。……違うんだ」
「……なら。良いです」
「ん?」
「カルデアで、弟と呼ぶ存在が俺だけならば…それで良いです…。名前兄さん」
「………そうか。ならば敬語は、必要ないだろう」
「…わかったよ。名前兄さん」
エミヤ、という名を出した一瞬。名前の瞳が微かに揺れたのがリツカにもわかった。だから彼は何となく悟ってしまったのだ。一輪の花の如く芯の通ったこの男が、唯一求めているものに。
ふと脳に浮かんだ1つの考えに、心が高揚するのを感じた。甘美なその策は、とても狡猾で酷いものだとわかっていた、だが高鳴る心臓を抑える術はもう…ない。
この優しい名前が捕らわれているものに、自分がなってしまえば良い。そうすればこの名前はきっと自分を見てくれる。…リツカは望んでしまったのだ。
「ねえ、名前兄さん」
「ん?」
「名前兄さんが…教えて、くれないか?
戦い方とか…戦術とか」
「……俺よりも経験豊富な英霊に聞いた方が良いさ。
何なら俺が頼んでおいてやる」
「…でも、俺は…」
「リツカ…」
真っ直ぐにリツカを見ていた名前は、この時初めて視線を逸らした。彼が避けていたことを、彼は口にして願ったのだ。ぐと目を閉じた名前は、静かに首を横に振ると、苦しげに息を一つ零す。その姿を見たリツカは、渋々口を噤み、小さく謝罪を口にした。
「さ、…帰ろうか、リツカ」
「はい、名前兄さん。…また、連れて来てくれる?」
「ああ…勿論だ。いつでも言ってくれ」
名前の言葉に嬉しそうに顔を綻ばせたリツカは、差し出された名前の手を取った。
傾いたままの太陽は来た頃と位置が変わっていないので、此処は固定された世界なのだろうか、と彼は思ったがそれを口にすることはなかった。今度また来た時に…名前の口から、聞きたかったから。そう考えるとリツカは『特権』を得られたような気がして、また心を弾ませたのである。
**************
軽やかな鳥の声は、残念ながらこの閉ざされた雪山では聞くことが出来ない。
勝手に行ったレイシフトから帰還した名前は、シャワーを浴びて直ぐに寝てしまった。
リツカとの時間を作るために、数日前から仕事を詰めていたのでその疲れが出たのだろう。本当ならば朝食も食べずに寝ていたい所であるけれども、それをすると数多の英霊が乗り込んで来て、連れ出されるので、大人しく着替えることにした。
「おう、名前!ちゃんと起きてんじゃねぇか」
「おはよう、クー。おかげさまでな」
「なら、ちゃっちゃと着替えて朝飯いこうぜ」
「わかっているさ…、って、待て…っ!」
「なんだよ。折角着替え手伝ってやろうっつーのに」
「必要ないと毎回言っているだろう」
自室の扉が突然開かれたと思うと、そこにいたのは、深海を映し出したような深い青の髪を揺らす1人の英霊で。纏う青いタイツの所為で鍛え抜かれた肉体美がはっきりとわかる、その男はいつものように快活に笑った。
「そーいや、名前。あの弓兵になんかしたのか?」
「……ん?」
「朝からえっらい機嫌悪くてなァ…。ああも殺気立たれると、バーサーカー連中が触発されて暴れだすかもしれねェぞ」
「お前がなんかしたんだろう?」
「してねェよ。お前さんに手ェ出すなら兎も角、好き好んでアイツに出すわけないだろ」
「………」
にい、と形の良い唇が弧を描く。光の御子という名が似合う英霊は非常に整った顔立ちをしているで、その笑い方もまた良く似合った。
呆れたように英霊に背を向けた名前は、するりと後ろから伸びてきた2本の腕に深いため息を吐く。白い腕は、筋立った武人のそれで。着替えるために上半身に何も纏っていなかった名前の背中に、べったりと張り付いた英霊は、赤い瞳を煌々と輝かせていた。
「今夜、どうだい?」
「……良いだろう。トレーニングルームを予約しておこう」
「ベッドルーム、の間違えだろ?」
「クー、お前なあ」
「良いじゃねーか。最近ご無沙汰って奴さね。
わかるだろう?浮気モノのご主人サマに、何も言わずおとなしくしてやってんだ。
これ以上『待て』をさせるんなら…手始めにあの赤い弓兵を、消してやるさ」
「……お前、犬扱いされるの嫌いだっただろ」
「さあね」
唸るような低い声で告げられたその言葉を、名前は冗談とは思えない。
仕方なく自分の腰に回された腕を軽く叩くと、それを了承の合図だと察した英霊はぱっと離れた。現金なヤツと呟いた名前は、そのまま着替えを続けた。
「それで、エミヤがどうしたって?」
「ああ…まあ、見りゃわかるさ」
自室を出た2人は、食堂へと足を進めながら会話を続ける。
エミヤの様子がいつもと違うらしいと聞いてから、名前は思い当たる節があるので、さてどうしようかと思考を回していたのだ。
それは昨夜のこと。名前は、エミヤとエミヤオルタの2人の英霊と自室で酒を交わしていた。
だが元々英霊たちは非常に酒に弱い。強い酒を口にするとダウンしてしまうのだ。そして名前と飲むときは、色んな意味で絡み酒をする習性があるので、程々に飲んでいた筈…なのだが。
彼らが顔をほんのりと赤らめて寝てしまった後、つまみでも取りにと部屋を出た所、リツカと遭遇したのだ。結果的に、2人をそのまま放置したことになる。名前が戻ってきた頃には2人の姿が見えなかったから、問題なかったのだと軽く考えていた。
オルタと喧嘩でもしたのだろうか、と首を傾げながら食堂へと入ると、そこはいつも通りであった。
少し時間が遅いので、英霊や人は少ないが、至って雰囲気は通常通りである。
「エミヤ」
「……兄、さん…。なんでそいつと?」
「こういうことさね。さっさと飯寄こしな」
エプロンをつけて洗い物をする英霊に声を掛けるも、名前の隣にいた青い英霊に思いっきり眉を顰めただけで、特に機嫌が悪いというわけではなさそうだ。するりと名前の肩に回された白い腕を、褐色の手がばちんと弾いた。この青と赤の仲が最悪なのは熟知していたので、始まった喧嘩を後目に、トレーに乗った朝食を適当な席に運ぶ。
「…気のせいか」
「何が、だ?」
「ああ、オルタか…。おはよう」
食事を進めていた名前の後ろから、聞き慣れた声が掛けられる。
振り返りもせずに返事をした名前の前の席に腰を落とした、英霊は金の瞳で、己のマスターを見据えた。
「昨日、何処に行っていた?」
浅黒い肌に纏う、黒と金の服、腰布は外してあるらしい、すらりと長い脚が軽く組まれたかと思うと、問い詰めるような響きを持ったその言葉を吐き出したのだ。
そうだろうな、と心の中で頷いた名前は、勝手に消えてしまったのは悪かったしなと、昨夜のことを説明しようと口を開いた、その時。
「名前兄さん…っ!!!!」
「っ、と…何だ、朝から騒々しいぞ、リツカ…」
ばたばたと、騒々しい足音は廊下から聞こえていたが、まさか自分に用とは思っていなかったので、飛び込んできたその少年…リツカに視線を向けた名前は、手にしていたカップをテーブルに置いた。
名前の目の前に立つ彼は、昨日までとはまるっきり雰囲気が変わっていて、きらきらとしたその瞳は落ち着かなそうに名前を見つめていた。
名前の、目の前に座った英霊は、その太い腕を組み2人を静観していた。ぐと腕に突き立てられた自分の爪が、肌に這う黄色の亀裂のような傷を抉るのも、気付いてはいないように。
「…やっぱり、俺は…」
「落ち着け、リツカ…。その話は部屋でしよう」
「俺は…っ、名前兄さんのように、強くなりたい…っ!…近づきたいんだ…っ!」
『俺は、…っ!!兄さんのようになりたい!!…守られてばかりじゃ、もう嫌なんだ…っ!!』
「だから…お願いします!!…俺に、教えてください…!」
『だから、お願いだ兄さん!…俺に、稽古をつけてくれ…っ!!』
くらり、と…名前の脳が揺れる。酷い頭痛と共に押し寄せるそれが、封じていた記憶を呼び起こさせる。リツカの顔に重なる、赤銅の髪の少年に、名前はぐと喉を鳴らした。指先の感覚が無くなるのがわかった。細かく震えているのも、わかった。遠くで何かが割れる音がした。キッチンの方であったのかもしれない。
「………無理だ、と…「名前兄さん!!俺は、藤丸立夏だ…!言ったじゃないか、このカルデアに…貴方の弟は俺しかいないって!…それなら、俺を…っ、俺を、見て…?」
迷いなく伸ばされた手が、震える手に触れると、真っ直ぐな眼差しがじいと名前を見つめた。
名前が誰を見ているのか、誰と重ねているのか。そんなことはリツカにはどうでも良かった。ただ自分という存在を『弟』だと…定義して欲しかったのかもしれない。例えこのカルデアという組織にいる間だけであったとしても。
「待て。…その話は、私が受けよう」
「…エミヤ」
「いやだ、俺は名前兄さんに…教わりたいんだ」
「…っ…。私では不満というわけかね?」
「違う!…ただ、俺が、憧れているのは…この人なんだ」
「……諦めろ、エミヤ…」
「兄さん!…だが…「お前が、この件に関して口を挟むことは…出来ない。そうだろう?」」
エプロンを取り、いつもの赤い礼装に身を包んだ英霊は、『いつも通り』冷静な口調でリツカに向かってそう声を上げた。だが彼にとってもその言葉と行動は、否定できないものなのだ。故に黒い弓兵もただ黙したまま、名前の様子を見つめていた。
青い槍兵は、弓兵たちを愉快そうに見ると、『とある聖杯戦争』の『赤銅の髪を持つ少年』と…その少年が兄と慕っていた男に関する記憶が蘇ってくるのを感じて、とある思考を回す。
「…わかった、リツカ…。そこまでするならトレーニングルームに、予約を入れてこい」
「っ!!本当?」
「ああ、…お前の熱意に、まけたよ」
仕方ない、と言わんばかりの口調ではあったが、その顔には穏やかな笑みが浮かんでいて。それに嬉しそうに笑ったリツカは、軽やかな足取りで食堂を出て行った。
リツカの背中を見て、若いなあとぼやいた名前は…3人の、男がこの時何を考えたのか…それを知ることは出来なかった。
「…面倒見が良すぎるぞ、兄さん。たださえ仕事が多いのだろう」
「構わないさ。彼が育てば…俺も楽になる」
「…………練習相手になろう。準備が出来たら呼べ」
「オルタ、だが…」
「いいさ。だが覚えておけ…俺が従うのは、アンタだけさ」
「名前、俺も参加するぜ。あの弓兵は加減を知らねぇだろ」
「ああ…そうしてもらえると助かるな」
「……兄さん、俺も出よう。丁度…体を動かしたい気分なんだ」
「そうか。なら後でトレーニングルームに来てくれ」
灰の、赤の、金の、瞳が…何かを、秘めるようにゆるりと細められる。
リツカの鍛錬について早速頭を回し始めた名前は、それに気付かない。
一度歪んでしまったものは、もう二度と戻らない。
一度知ってしまった熱は、もう二度と手放せない。
名前がそれに気が付くのは、まだ先の話である。
*終わり*
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