堕とす獣
*今回はIFの話
*『もし主人公が殺生院キアラのような立場であったら』という設定。
*あくまでIFなので、この話限定の設定。
窓から滑る月の光が、名前の横顔に静かに落ちる。
明かりの落とされた部屋に浮かび上がるその顔に、思わず感嘆の息が漏れた。
相変わらずうつくしいひとだ。
顔立ちばかりではなく、その瞳にもどうしようもなく惹き付けられる。
この世の全てを知っているように凪ぐ、2つの眼は、何処を見ているのだろう。
彼の血の繋がらない弟であった衛宮士郎という少年は、ただ純粋に名前を慕っていた。その瞳に映る慈愛の色は、名前の優しさが詰め込まれたものであると、信じて止まなかった。
故に義兄である名前と生活を共にするのに従って変化していく、己の心にこそ戸惑っていたが、名前の持つ、『それ』に気が付くことはなかったのだ。
「………オルタ」
「…にいさん、」
じいと自分を見つめる男に気が付いていたが、手元のタブレットで仕事中であったので、取り敢えずキリの良い所まで仕上げた名前は、やっと顔を上げて柔らかな笑みを向ける。
黒い衣を纏った英霊は自室のベッドの上に座る名前に近づくと、その長い腕を伸ばした。
その腕を掴んで自分の方に引き寄せた名前は、自分の体で彼を抱き締めると、そっとその髪を撫でた。
エミヤという、彼の弟に似た青年がいた。彼は名前を盲信し続けた。それは一種の狂気染みたものであったのかもしれない。衛宮士郎という少年が手に入れることの出来たなかったものを、彼は、求め続けたのだ。
そして彼は薄らと気が付いていた。名前の瞳に垣間見える『それ』に。だが名前を正義と心酔する彼は、盲目過ぎた。それ故に彼は名前にのまれてしまったのだ。まるで蛇の如く、じわりと追い詰め、甚振り、ゆっくりと足から捕食していくような『それ』に。
「…どうやら、終わりが近いようだな」
「………共に在ろう、にいさん。アンタとなら地獄の底も悪くない」
「ふふ、これでも一応聖職者だったこともあるんだぞ。
勝手に行き先を決められては困るよ」
「ああ、そうだな。アンタはこんなナリをした俺を生み出したカミサマだったな」
「責任を問うつもりか?」
「ああそうとも、アンタには責任がある。
生み出したガラクタを始末するのも、その1つさ」
名前は、とある次元で人を救い続けた。それは心の救済であり、人の心に救う悪を払うものであった。
そして段々とその活動は大きくなり、気が付けば名前は『救導師』として尊ばれるようになっていった。
もしも…この男に、罪悪という意識があったのならば、名前は救い主としてそのまま在り続けたのだろう。
名前の救ったものたちは皆、一様に彼を求め続けた。信者と呼ばれるようになった人間たちは、蜘蛛の糸に群がる餓鬼のように名前に愛されることを求めたのだ。
いつしか信者は暴徒と化し、名前の目に留まろうと、彼の望んでいない行動をするようになった。もう制御が利かなくなっていたのだ。
しかし、それでも名前は彼らの望みを満たし続けた。底の抜けた盃に酒を注ぐようなものであっても、名前はその『成り立ち』から、伸ばされる手を払い除けることを知らなかった。
名前の住処が教団と呼ばれるようになってから、暫く時が流れた。
それは冬のことである。視界がホワイトアウトする程に吹き荒れる雪の日。
赤い外套を纏った男がその教団へと乗り込んできた。
単身で扉を蹴破った男を、敵と認識した信者たちは、手に武器を持ち襲い掛かった。…だが…この赤い男は、夢幻の世界に微睡む信者たちに目覚めを告げる、現世の救世主であったのだ。
赤い男は何度も訴えた。彼らの目を覚ますために。しかし一度…堕ちてしまった人間は、再び浮き上がることを受け入れない。現実の苦痛から目を逸らし、甘い蜜を求める堕落と化した彼らは、男を殺そうとした。赤い男は、…それらを全て、払い除けたのだ。手にした2つの剣を以て。
救いたかった人間たちの死に、絶望を抱きながら上り詰めた先にいた…男を見たとき、赤い男は音を立てて狂った。しかし、赤い男は、微かに残った己の正義で、男に立ち向かった。
そして最後に赤い男が覚えているのは、塔の上から身を投げる男の姿と、それを追って身を投げた己が伸ばした手で男を抱き締めた、ぬくもりだけ。
その結末は、彼の魂を蝕んだ。
数多の信者を手に掛けたことも、己の信念を曲げてまでも挑もうとした相手が、己の目指した正義であったことも。彼の鉄心をいとも簡単に圧し折ったこの出来事は、オルタ化した彼にだけ記憶として引き継がれ、赤い男からは忘却させられた。その代償として、男に関する以外の記憶を欠如させられた黒い外套の男は、再び現界した先で、男に再開する。
故に、エミヤオルタという英霊は、名前の『それ』を知っていた。己を腐り果てさせた名前をマスターとして、再び相見えることになった英霊は、ただ静かに、これほど酷い物語(ストーリー)はないだろうな、と嗤ったのだ。
「…お前は、俺を憎んでいただろう?」
「ああ、殺したいほどね」
「ならば何故、俺の英霊として動いた?」
「俺はアンタがなくした『罪の意識』だ。唯一アンタを苦しめることのできる、存在。
だからこそ俺はアンタを恨み…愛すのだよ。にいさん…アンタだって、同じだろう」
「………」
「俺はにいさんの一部だ。一種の亡霊のようなものか、それとも悪夢か。どちらにせよ、アンタが死んだら俺も消えることに違いはないがね」
名前の体に絡みつく、2本の浅黒い腕に刻まれた傷。
英霊の全身を裂くように這うその傷は、彼の覚醒と共に大きく深くなっていく。
だが、英霊にとって、それは名前の傷と同義だった。
弟に似た青年を絶望の底に突き落として腐らせた名前は、確かに、愛していたのだから。自分が炎の町で救い上げた少年も、正義を歩み破滅へと向かった青年も。
だからこそ、名前がつくり上げたこの英霊は、赤い男からその記憶を奪いその代償として己を捧げた。そうすることで、名前の一部となろうとしたのだ。
「……にいさん…。アンタは俺を受け入れてしまった。
罪を感じる度に広がる、この傷を…愛してしまったのだよ」
名前の耳元に寄せられた薄い唇から囁かれるその言葉は、悦を含んだ甘い響きを持っていた。
ふと力の抜けた体がベッドへと沈むと、それを英霊も追い掛ける。
白いシーツに散った名前の髪を撫でた英霊は、その体に覆い被さり、端正な顔を近づけた。
一度瞳を瞼に隠した名前は、ゆっくりと目を開くと。
「愛した?…今日は随分笑わせてくれるじゃないか、オルタ。
俺は、誰も愛せない。全部紛い物さ。ヒトの真似をしただけのね」
普段の柔らかな声が、一変し抑揚の抑えられた冷たいそれとなる。
優しい光を灯す瞳は、風に火を奪われた蝋燭の如く、掻き消えた。
その瞳はとある呪いが込められており、名前によって制御されていなければ、目の前の英霊は魔力を根こそぎ奪われて息絶えていただろう。
だが制御されていてもその威力は絶大で、英霊の体が崩れ落ち、名前のそれと重なる。
ぞくぞくと全身を駆け巡る感覚に、体を震わせた英霊は、息を荒げて苦しげに喘いだ。
「お前は、俺の一部であることは認めよう。だがそれ以上でもそれ以下でもない。
あまり調子に乗ってくれるなよ、オルタ…。俺はもう、お前を殺したくはないんだ」
弧を描く唇から吐き捨てられたその言葉に、英霊は顔を歪めて、動きを奪われた腕を無理やり動かし、名前へと伸ばしたのだ。
****************
薙ぎ払った一閃が、刺青の刻まれた頬を切り裂くと、すかさず振り下ろされた槍により後ろへと飛ぶ。
だが追撃するために突っ込んできたそれは、餓えた獣の如き赤い瞳を見開いて、襲い掛かる。
心臓に向けられた切っ先を弾き、その腹に思いっきり蹴りを入れると、音を立てて壁へと叩き付けられた。
「は…っ、今日は随分荒れているじゃねぇか」
ばさりと黒いマントが蠢き、衝撃で歪んだ壁から抜け出した尾が、興奮に揺れる。
ゆるりと起き上がったそれは、外れた頭巾をそのままに、青い髪を後ろへと払った。
「それはお前だろう。通りすがりに一撃見舞われた身にもなって欲しいものだ」
「すんなり避けやがった癖に。相変わらず…いけすかねェ野郎だ」
腹立だしいほど余裕のある佇まいと凪いだ顔。だが、どこかいつもとは違う瞳に、英霊は愉快そうに笑った。どうやら何処かの馬鹿野郎が機嫌を損ねたらしい。いつものスカした顔よりも大分男前になってる、と朱色の槍を構えて、挑発した英霊は名前とは真逆に機嫌が良い。
「いつもの嘘臭え顔より、な」
「酷いことを言ってくれる。生まれつきの顔は変えられないさ」
「俺が気付かねえと思ってやがんのか…。
テメェは獣だ…名前此処にいる英霊の誰よりも厄介な、そうだろう?
その腹ん中に何を飼ってんのか知らねえが…。まあ掻っ捌いちまえばわかることだ」
宣言通りに名前の腹に向かって突き出された槍先を間一髪で避けた彼は、その手を伸ばして槍を握る腕を掴んだ。そして自分の方に引き寄せると、覗き込むように緋色の瞳を見た。
英霊は、稀に名前が任務先で見せる、獣のような瞳を好んでいた。どう喉元に噛みついてやろうかと言わんばかりの、ぎらついた眼差し。それが己を見たら…ああどんなに血が沸き立つことか…!そう考えただけでも身震いした。
しかし、その時は中々やって来ない。その目を向けられる敵が、憎いとさえ思った。だからこそこうして、英霊は名前に噛み付くのだ。あの瞳を…己に向けさせるために。
「止めておけ、目が腐るぞ。
お前の目は案外気に入っているんだ」
「………ッチ、…そうかよ」
「仕舞いにしようか、そろそろ夕食の時間だ」
トレーニングルームを覗く数多の視線。
その中の大半を占める仄暗い影が差したそれに、英霊は鼻を鳴らして嘲笑した。
どいつもこいつも狂ってやがると、呟いた英霊は、頬の傷を治す為にあてがわれた手に目を伏せる。
「…夜、付き合え…名前」
「夜?…別に構わないが」
胸に沸いた仄暗い悦びも、この男が振り撒く甘い幻想に過ぎないと、忌々しげに名前を睨み付けた英霊は、舌打ちを1つ零すと身を翻して、彼に背を向けた。
「他の奴らと同類になる気はねえ。いい加減俺を映せ…名前。
俺は…お前の、槍だ」
「………」
クー・フーリンオルタ。
『もと』の彼とは違い陰の存在である英霊だからこそ、気付くものがあるのだろう。
鼻が良すぎるのも、厄介だとため息を吐いた名前は、近づいて来た足音に後ろを振り返る。
ひらりと揺れた、赤と黒の衣に…名前は静かに、微笑んだ。
*終わり*
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