賢者の憂い
*『賢者の遭遇』の続きの話
・ヒロインは特殊な力持ち。
・某魔法使い漫画のパロあり。知らなくても大丈夫です。
・キャスニキに対する捏造や改変あり。
きらきらと星を散らしたような光が舞い落ちる。
目を開けた名前は、目の前に広がる馴染み深い光景にそっと息を吐いた。
手入れの行き届いた木々に、色彩豊かな花、その中に立つ大きな木の屋敷は、いつか見た絵本に描かれていた魔法使いの家そのものであった。
広い庭には、優しい香りのハーブなども綺麗に植えられており、家主のセンスを物語っていた。
目を瞬かせて見入っていた名前は、聞こえて来た足音に視線を足元へと移すと、表情を引き攣らせた。
名前が助けた山犬と同じサイズの、白い犬達が一斉に名前目掛けて走ってきたのだ。確かに、その姿はとても愛らしい。きらきらと目を輝かせて勢いよく走る彼らが、ぐと足に力を入れて空を飛んだ瞬間、もふりと胸に置かれた足と、傾いていく重心、勿論踏ん張り切れず後ろへと体が倒れるのを感じた。
「っと、…あっぶねえなあ、お前ら。
可愛いお嬢さんが来て興奮するのはわかるが、流石にやり過ぎじゃねえか?」
「…わ…っ、ちょ…っと、」
すかさず伸ばされた腕が名前の体を支えるが、それでも彼らは止まらない。
ぺろぺろと頬を舐められ困った顔をしながらも思わず微笑んだ名前と、千切れんばかりに尻尾を振り続ける己の使い魔を交互に見て、飽きれたように男は言った。
しかし、わん、という低い鳴き声が聞こえたかと思うと、名前の影から一匹の山犬が現れた。それは名前が街で助けた犬で、牽制するように他の犬に対して低く唸る。そうすると渋々と言った様子で名前から離れた犬たちが、くうんと名残惜し気に鳴いたのだった。
「なんだ、お前さんたち…俺以上に懐いてんじゃねえか。
これもお嬢ちゃんの影響かい」
「わ、私…。動物には好かれるから…」
「へえ…。動物には、ねえ」
腕に抱いた名前を興味深げに見た男は、まあ話は中でしようやと軽い口調で言うと、名前を連れて家の中へと入っていった。分厚い木の扉を開くと、そこには多くの妖精などで溢れており、澄んだ魔力が名前を包み込んだ。妖精といっても常に人の形をしているわけではない。
そもそも、良く妖精や精霊、そして神といった人の目に映らない存在が、人や動物の姿として描かれたり認識されたりしているのは、都合の良い人間の解釈に過ぎないのだ。
人はその目に映るものしか知りえない。それが人間を造り給わった神の意志である以上、超越することは許されていない。だから、人は知りえるもので神の世界を描き続けてきた。
猫の形や、ねずみの形、様々な形をしたものや、蛍のようにぼんやりと光を放ちながら飛び交う円いもの、それらは皆、人と共に在り、人が知らぬもの。この男には見えているのだろうか、と名前は茶器を準備し始めた男の背中を見る。
此処に連れて来られたのは良いと思う。名前に馴染む環境であることに間違えはない。
しかし、名前はこの男のことを何一つ知らないのだ。あの水の妖精が男を知っていて、名前が男と行くことに文句は言っても反対はしなかった。故に悪い男ではないのだろうけれど、いまいちその意図はわからない。
傍に集まってきたそれらに挨拶を返しつつも、ぼんやりと思考を続ける名前は、足元に座る山犬に視線を移す。とぼけたような愛嬌のある顔をした犬を見ても、その飼い主が悪い男であることは考えられなかった。
「おら、嬢ちゃん。ハーブティーって奴だ。
まあ飲みながら話そうや」
「……いい、かおり…」
「だろ?何せ俺の手作りだからな、愛情たっぷりってわけよ」
落ち着いた雰囲気だが、性根は快活でさっぱりとした男らしい。片目を瞑りウィンクをして見せた男は、名前を椅子へと誘い、自分も反対側に腰を下ろした。当然のように名前の足元に座り込んだ犬に、どっちが飼い主なんだか、と笑った男は、ふとその赤い瞳を細める。
一変した男にそれに、名前にも緊張が走る。何せ人の機微に触れるのは久しぶりのことであり、人との会話も随分していなかったのだ。
森の民は皆名前に真実を告げた。名前が幼い頃人間にどのような目に遭わされて来たかを知っていたから。しかし、人間は違う。平気で自分の都合で真実を嘘に歪め、嘘を真実へと彩る。あのオークション会場にいた人間たちも皆そうであった。
「……大事な宝モンを、随分な目に合わせるじゃねえか。
これもアンタが課した試練ってヤツかい?」
飄々とした赤い瞳が、真摯なそれに代わる。笑っているのに笑っていない目の前の男が放ったその言葉に、名前は首を傾げようとした…その時、突如眠気が襲ってきたかと思うと、かくりと意識が落ちていくのを感じた。抗う間もなく訪れた眠りに驚く間もなかったのだ。
かくりと力の抜けた体は椅子へと凭れる形で倒れこむ。
だが次の瞬間、ぴくりと名前の手が揺れ、ゆっくりとした動作で名前の瞳が開かれた。
「我とてこのような事態は予想外であった。
森の王に与えられしは真実を見抜き、先を知る目…。しかし、名前の未来(さき)を見ることは出来ぬ」
「へえ、そりゃ面白い…。
先に聞くが、アンタの大事なお嬢ちゃんは、俺が面倒みるんで良いだろう?」
「…どういう気まぐれかは知らぬが、仕方あるまい。
導きの杖を持つ賢者に託すのも…また運命」
「なら…このお嬢ちゃんが『なに』か、話してくれるんだろう?」
「ああ、神託は得たり。森の神々の許しは下りた。
汝(うぬ)にこの娘…神の花嫁の話をしよう」
「…神の、花嫁…。このお嬢ちゃんが?」
「汝も感じただろう、月の如く優しく、太陽の如く力強い力を…。
霊山より沸き立つ水のように清らかでうつくしい。これは全て神より授かった力。
人間の身ながらも、この体には神の力が流る」
「そういうことかよ。それでアンタは『なに』をさせる気だ」
「このままでは名前の体は朽ちゆくのみ。
だが、我らは何も出来ぬ。自然と共に歩む者たちにこの娘は救えぬのだ」
「………」
名前のそれとは違う、深い緑の瞳が鋭さを以て男を射抜く。ぴりりと肌を裂くような威圧感が辺りを満たしていた。それは王の貫禄であり、秘めた力の象徴であった。細い腕を組んで淡々と語られるそれに、男は頬杖を付いて深い息を漏らす。
「しかし、人間は違う。
時に自然に逆らい、抗う力を持つ人間ならば…名前を救う術を授けられる」
「なるほど、愛する娘に反抗期を起こさせようってのかい」
「……本来ならば、精神ともに熟練した魔術師に頼むつもりであったが、これもまた仕方のないこと」
「ほう?」
「女人の尻を追い掛け回す汝(うぬ)に頼むのは、我とて苦渋なり」
「本性出てんぞ、おっさん」
「………さりとて、魔境の淵まで彷徨っても、氷の海に身を投げても、生き残り続けたその生命力だけは、認めざるおえん。良いか?名前は神の花嫁である前に、我が愛しき娘である。
汝が原因となり、この柔らかな頬を朝露の如き涙が伝う時…我は汝を喰らうであろう。心しておくと良い」
「随分好き勝手言ってくれるじゃねえか…」
「ふん、汝の興味を満たす代償に過ぎぬ。
そして…。いや…予言は我の役割に非ず、か。
この娘はまだ己の運命を知らぬ。まだ刻は来ておらぬ故」
やれやれとでも言うようにそれはため息を零した。そして、ふと目に浮かんできた光景に口を噤むと、やり方は汝に任せよう。と一言呟いた。それにゆるりと口角を上げて応えた男は、再び気を失った名前を見て、静かに目を閉じたのだ。
「カミサマの女、か…。ヒトの女に手を出す趣味はない、が…。どうも納得いかねえなあ」
それは名前の意思を無視した一方的な契約。神の特権を利用して結ばれた理不尽な…。
義を重んじる賢者である男は、契約という言葉の重さを充分に知っている。だからこそ、納得が出来ない。
もやりと胸を騒がせる不快感にその端正な顔を歪めると、立ち上がった男は名前の細い体を抱き上げて、その部屋を後にしたのである。
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名前が目を覚ましたのは、その夜のことであった。
慣れない人に触れて、とんでもない事件に巻き込まれたこともあり、疲れが蓄積されていたのだろう。体を起こした名前は、すっかり固まった体を伸ばすと、掛けられた毛布に目を瞬かせる。
そして自分の足の方に視線を移して、そこに丸まっている白い何かに、ふと微笑んだ。
どうやらすっかり懐かれてしまったようである。名前の動きを察したのか、むくりと顔を起こした白い犬は、眠たそうな目を一瞬で輝かせて名前の頬を舐めた。
しんと静まり返った部屋は、ずらりと本が並び、隅には木の机が置かれているのが見える。立ち上がった名前は暫く部屋を見回していたが、そろりと部屋の扉に手を掛けると、かちゃりという軽い音を立てて扉を開けた。
丸い毛玉のような妖精がふよふよと漂い、それらが淡い光を放っている。
部屋の外に出た名前は家の中に浮かぶそれらにより、明かりが無くとも問題なく歩くことが出来た。恐らくどこかの部屋で寝ているのだろう男の姿は見えなかった。
いくら思い出そうとしても、男にハーブティーを出されてからの記憶がない。馴染みのある場所に似た所へと辿り着いた安心感から寝てしまったのだろうか、と首を傾げつつ、ハーブティーを出されたリビングのような部屋を通り過ぎて、外へと通じる扉を開く。後ろから着いて来た白い犬は、尻尾を振りながら名前を見上げた。
『散歩に行くけど、あなたも来る?』
森で生活していた名前の活動時間は夜であった。森の民は基本的に夜行性のものたちが多かったし、その方が人間に見つかるリスクも低かったためである。
夜の帳の一面に散らばる星々は、ダイヤモンドの欠片のようで。その中心に浮かぶ少々欠けた月は、真珠のようであった。名前の行く先を照らし出すように、明るい夜。
こんな夜は心が躍ると機嫌良く笑った名前は、ぴったりと傍に付き従う山犬に、湖はないかと尋ねた。すると小さく返事を返した彼は、名前の一歩前に出た。ついてきてと言わんばかりのその仕草に、素直に従うと、名前と一匹は庭を出て明るい夜道を歩き始めたのである。
「………大人しくみえて、ありゃとんだじゃじゃ馬だな」
そんな姿を窓から見下ろす影が、呆れたように笑った。
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草木の間にできた道、まるで畦道のような細い道を行くと、突然視界が開けた。
そして名前たちの前には、周りを森の木々に覆われた湖が広がっていたのだ。
湖は月をその中心に抱き、星々の輝きを纏っていた。澄み切った水が夜風に揺れる。微かに聞こえる水音が心地よかった。
『さっきはありがとう』
『まーったく、ほんとよねエ…。わたしたちがどれだけ心配しているかわかル?』
『ふふ…わかってる。だから、ありがとう』
『…しょうがないワ。名前のためだもの、なんでもするに決まっているでショ。
それで結局あの男と一緒にいるわケ?』
『……たぶん、そういうことだと思う』
『たぶんって、…ああ…そういえば、あなた…寝てたものネ。
まあいいワ。王サマが決めたことですもノ。わたしはあなたが幸せになれるならそれでいいノ』
『………?』
『でもネ…』
名前が祈りを捧ぐように両手を組むと、ふわりと光が満ちて、とある妖精が姿を現した。
薄い青色を帯びた体に透明な羽、名前の手のひらと同じサイズの人の形をしたそれは、顔に憂いを滲ませる。彼女たちは知っていた。名前の運命を。だからこそ男の傍に置くことを渋々ではあるが許したのだ。
名前は愛される存在であり、『恋をすること』ができない人間であった。
名前を真に愛することができるのは、神である存在のみ。
『神の花嫁』として生まれた名前は、愛しむことはできても、愛することを許されてはいない。
妖精たちは精霊に従い、神の意を成すものである。しかし…彼女たちは名前を一つの存在として、愛していた。だからこそ憂い、嘆くのだ。いつか来るであろう彼女の苦悩を。
『まあ、いいワ!此処なら…いつでもわたしたちとつながれるシ!』
くすくすと表情を明るくして笑う妖精は、いくつか他愛無い話を名前と交わした後、閃いたと言わんばかりに瞳を輝かせた。
『ねえねエ、名前。あれを聞かせて頂戴!』
『え…あれ、って…オカリナのこと?』
『そうヨ!わたしたち、あなたの歌も、楽器も大好きなノ!』
名前の周りをくるりと飛んだ妖精は前で指を組むと、顔を赤らめてそう言った。
それを聞くと名前は首に掛けていたそれを服の下から取り出す。
つるりとした素材のそれは、名前が幼い頃に貰い受けたもので、大切な宝物であった。高すぎず低すぎずあたたかな音色を響かせるそれを、名前はいつも奏でていて、森の民はそれを聞きながら眠りに落ちるのだ。
『それがないと、眠れないのヨ!!』
『でも今、夜だよ…?活動時間じゃないの?』
『いいのいいノ!ほら、早ク!!』
そう急かされた名前は、仕方ないと笑うと、肌触りの良いそれに指を掛ける。
自然に指がオカリナの穴を塞ぐと、『森の子守歌』と名前が名付けたその曲を奏で始めた。
気が付けば、ぴたりと風の音が止まり、聞こえていたこの森の民たちの声も聞こえなくなった。
まるで名前の音色に聞き入るように、森から音が消えたのだ。
瞬く星の光と、優雅な月の光に照らされ、名前はそっと目を閉じる。
子守歌の名に相応しい、穏やかな音色だった。
母の御胸に抱かれる眠る子に願いを込めて贈られる、祝福。
森という狭い世界の中で、自然のままに生きてきた名前だからこそ、奏でることのできるそれは、妖精が眠り落ちるその時まで、森をやさしく包み込んだのだ。
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帰りの遅い名前たちに男が立ち上がったのは、直ぐのことである。普段は余裕を構えている男であるが、実は気が短いという一面も持っていた。気になったら即行動しなければ気が済まないのだ。
青いフードを被りいつもの装いを身に着けた男は、名前の後を追うように外に出ると、杖の先に魔力を込める。するとルーン文字が空に舞い、光が道を滑った。
『追跡のルーン』が示す道を進んで行くと、微かな音色が聞こえてきた。男が近づくにつれて大きくなるその音は、どこか優しく…どこか悲しい響きを鼓膜に焼き付ける。
普段から良く足を向ける湖へと辿り着くと、いつもとは異なる空気に息を飲んで喉を鳴らした。まるで…違う世界に来たかのような、荘厳で…崇高な…。神の国があるとしたらこのような空気に包まれているのだろう、と柄でもないことを考えさせられるような、それの中心には、探し人がいた。
「……神の…、花嫁……」
彼女の背に浮かぶ月は、その細い体を包み込むようにも見える。
森の生命がじっと息を殺して、彼女の『声』を聴いているのが分かった。
風無き森に湖の水面が揺れる。
名前と呼べる齢であろうに、男は名前の横顔に浮かぶ艶やかさを目にして、目を見開いて、思わずそう呟く。うつくしい、のだ。無垢な表情に浮かぶ切なさも、薄ら開かれた瞳も。
男は今まで様々な女性に出会ってきた。
その中には国一番と呼ばれた可憐な女性も、傾国と呼ばれた妖艶な女性もいた。故に女性の可愛らしさや美しさは身を以て知っている。一時の夢とはいえ受け入れた女性たちを愛していた。
だが…今宵赤い瞳を奪った、その名前が纏うそれを、男は知らない。
心が震えるまでの、衝撃を知らない。込み上げてきた、何か熱いものを知らなかった。
耳から、目から感じる名前に、男は喘ぐようにやっと息をする。
唇から漏れた熱い吐息は、まるで恋を知った乙女の如く、男の胸を焼いた。
そうして男はただ、そこに立ち名前を見ていた。やがてその音色が止まるまで…ずっと。
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ゆっくりとオカリナを離した名前は、ほうと息を吐いた。
いくら似ているといっても住んでいる民は異なるので、名前の音色を受け入れてくれるかわからなかったのだ。どうやら止められないところを見ると、気に入ってはくれたらしい。
うっとりとした顔を見せる山犬を撫でる。もうあの妖精は姿を消していた。
帰ろうか、と呟いた名前に、ぱたぱたと尻尾を揺らした山犬がふと視線を上げる。つられるように名前もそちらの方に視線を向けて、驚いたように一歩後ろへと後退した。
それは、まるで炎に溶かし込んだ宝石のようだった。
熱い瞳がどこかうっとりと名前を見つめていて、交差したその一瞬であっても、名前まで溶かしてしまいそうな熱を確かに帯びていたのである。
男はふとその色を消して、軽い笑みを唇に乗せると、名前たちに近づいた。
「いくら良い夜とはいえ、無防備すぎるぜ」
「…もしかして…、私を探して…?」
「そりゃ、夜遅くに出てって帰って来なかったら心配するだろうが」
「しんぱい…してくれた?」
「当然だろ。おまえさんはもうウチの人間なんだからよ」
ぱさりとフードを落とした男は、深海を思わせる青い髪を後ろへと払うと、名前の顔を覗き込んで笑った。そして杖を手にしていない方の手を差し出して、帰るぞと告げた。男の顔と手を交互に見た名前は、恐る恐るその手に自分の手を重ねると、ぎゅと大きな手があたたかく包み込んだ。
名前にとってそれは不思議な感覚であった。自分よりも大きな手から伝わるあたたかさと、自分を見下ろすその優しい瞳は、動物たちから与えられるそれとは違うものに思えて。
ぎこちなく合わせられる歩幅も、共に空を見上げて何気なく数える星も、全てが新鮮で楽しくて。あっという間に屋敷へと帰り着いた時、何故か惜しいものに感じたのであった。
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「っと、これはこっちだ。順番を間違えるとその時点でアウト。気ぃ付けな」
「……えー、と…。これは、こう?」
「おっ、そうさね。中々イイじゃねえか」
次の日の朝。夜行性だと宣言した名前をベッドから引き摺り下ろして、風呂に放り込んだ男は、早速授業開始だと機嫌良く笑った。薬草を染み込ませた良い匂いのする湯舟に浸かりシャワーを浴びた名前は、少し覚醒した脳でそれに応じるしかなかったのだ。
作業台へと案内され、作業着に着替えさせられた名前は、材料を揃えたりなど料理でいう下処理を終えると、後ろから伸びて来た手と頭上にある唇から発せられる言葉に従い、傷薬を調合中であった。
何故かぴったりと後ろから抱き着くような体勢で、指示を出す男を気にすることもなく、名前は必死に頭と手を動かした。
「さて、こっからだお嬢ちゃん。傷を治すことだけ考えて魔力を送り込むんだ…良いな?」
薬も量を間違えれば毒となる。それと同様に、魔力を流し込み過ぎるとそれは体の組織を溶かしてしまう。ただの傷薬でも力の調整が何よりも大事であるのだ。
名前から発せられる魔力をさりげなく抑え、制御しやすいようにサポートをする男は額から伝う汗をその儘に、恐る恐るといった様子で流れていくそれに、満足げに頷いた。
小瓶に詰められた液体と薬草が、名前の魔力によってきらきらと光り、枯れていた薬草がふわりと花開く。そこで魔力を止めれば、一見ハーバリウムにも見える、綺麗な傷薬のできあがり。
名前の師匠曰く、街の若い女性に凄く人気が高い商品らしく、いくらつくっても足りないとのこと。なので魔力の加減に慣れるためにも、暫く名前の仕事はこの傷薬をつくることになりそうである。
「…すごい…、きれい…。師匠、私…頑張るね」
そっと完成した傷薬の瓶を手で包み込み持ち上げた名前は、後ろに立つ男を見上げて、ふわりと微笑んだ。春の穏やかな日差しを思わせるその微笑みに、男は目を細めて名前を頭をぽんと撫でたのであった。
「おう、頑張りな。まずは一人でつくれるようになるまで…サポートしてやっから」
どこまでも広がる青い空に昇る太陽の光が、窓から差し込み、2人を照らす。
ふわりと風の妖精が悪戯にカーテンを揺らし、爽やかな午後を彩っていた。
*終わり*
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