巡り合う魂


カチカチと部屋の壁に掛かった時計の針が忙しなく立てる足音が、静かな部屋に響く。
カルデアのマークが施された薄型の最新鋭ノートパソコンを支給されたのは、つい先ほどのことであった。セットアップを既に終えたそれを早速使いこなし、必要なソフトやらはもう既にインストールされているので、後は持ち主の使い易いように組み替えるだけである。
備え付けのテーブルの下に、ふかふかとした毛の長い絨毯を敷いて、更にクッションを置いた名前は早速仕事モードに入る。まるでピアノでも弾くかのような滑らかな指遣いでキーを叩くと、複雑な文字列が画面に踊った。
その傍らで、テーブルの隅に置かれた名前の携帯が、軽やかな音楽を奏でていた。崩壊の影響により、電波が途切れてしまったそれは、通信を必要としない機能ならば使うことが出来る。なので、主に気紛れで詰め込んだ音楽再生機として利用していた。
偶に流れる曲の歌詞を口遊みながら、仕事を進めていると、ふと廊下から足音が聞こえてきた。歩く音というものは、体重のかけ方や歩き方によって、微妙に音が異なる。だから、名前はその足音の主を察することが出来るのだ。
名前は、基本的に部屋を出るとき以外は鍵を掛けていない。律儀にも鳴ったノックの音に、応答した名前は、画面から顔を上げずに、入って来たそれを出迎えた。


「よお、兄貴。珈琲飲むだろ?持ってきたぜ」

「ああ……ありがとな」


両手にカルデア印の入ったカップを持ち、現れたのは青い髪の美丈夫であった。
すらりとした長身だがしっかりと筋肉はついており、バランスの取れた体といい、その顔といい、うつくしい英霊である。年を重ねたからか、快活なそれよりも落ち着いた雰囲気を纏う英霊は、ふと唇に笑みを浮かべて名前にカップを渡した。


「レイシフトは終わったのか?」

「ああ、今日の分はな」

「そうか、無事で何より」

「誰に言ってやがる。とーぜんだろ」

カップに口を付けて再びキーボードを叩き始めた名前は、小さくそう返した。
今朝の会議で当分の指針が示されたのだ。今は少しでも早く少女に、英霊の扱い方について慣れてもらわねばならない時期である。なので優先的に少女に動いてもらい、名前はそのフォローに回ることに決まった。故に滞っている事務作業や、機械のメンテナンス及びアップデート、そして台所が名前のメインの仕事である。これらの仕事が回るようになって、飛躍的にカルデアの仕事及び生活環境が良くなったことは、言うまでもないだろう。

元々令呪を宿さない名前にとって、寧ろこのまま職員として働くのが筋なのではないかと思うが、それは許されなかったのだ。だが少女が潤沢に英霊を揃えられるまで、名前は召喚を行わないことを決めていた。これには、思わず彼の唯一の英霊が文字通り泣いて喜んだという裏話もある。

英霊は、少女が召喚した英霊たちと鍛錬をしていることもあるが、殆ど名前の傍に寄り添っていた。流石に風呂にまでついて来るのはどうか、と名前が渋い顔をしても、聞く耳を持ちはしなかったのだ。


「……なあ、まだ終わらねえのか?」

「まだ始めたばかりだが?」

「終わったらトレーニングルーム行こうぜ」

「構わない。だが……英霊とやった方が楽しいと思うぞ」

「いいや、俺はアンタがイイんだ」


英霊が己の青いフード付きのマントを取り外すと、薄い黒いキャミソールが露わとなる。同色のアームカバーをした長い腕が、名前の背中から回され、後ろから密着する体勢となった。
このような仕草を見せる時は構って欲しい時であると相場が決まっているなと、名前は内心で呟くが、そうしてしまうと仕事が一向に進まなくなってしまうので、好きにさせておく。
すると、無抵抗な名前に調子に乗った英霊が、彼の背中に顔を埋めて、前に回した手でその腹筋を弄り始めたのだ。溜息を零した名前は、英霊の手を軽く叩いて止めさせるが、今度は背中に柔らかい感触が落とされた。


「こら、仕事中だぞ」

「へえ……仕事中でなければ良いのかい」

「あのなあ……。全く、ほら……こっち来い」


英霊の腕を掴み自分の方へ引くと同時に身を捻じると、英霊の体が名前の前へ倒れ込む。自分の足の上に頭を乗せさせた名前は、赤い瞳を瞬かせる英霊の形の良い額を、軽く指で弾いた。


「おいたが過ぎるな。セタンタ」

「アンタが機械に浮気してんのが悪いだろ」

「お前は俺の彼女か何かか。いや彼女でも言わねえだろそのセリフ……」


ふう、と呆れを滲ませた瞳に混じる優しさが、英霊を見下げる。その瞬間英霊の頬が赤く染まると、小さく呻いた英霊が、くるりと体を反転させ、名前の腰に腕を回した。名前の腹筋に顔を埋めた英霊の頭をぽんぽんと叩くと、やっと落ち着いたかと再び画面に目を移すのであった。
静けさを取り戻した部屋に、小さめに掛けられた音楽とキーボード音だけが響く。偶に名前の唇が口遊む音色が、英霊の耳朶を打つ。名前の鼓動や呼吸音と零れる音色に耳を傾けると、肌に染みるあたたかな体温と相まって、己が名前に侵食されていくようなむず痒くもどうしようもない幸福感に、胸が焼かれていくのを感じた。


「……なあ、兄貴」

「なんだ、まだ終わらねえよ?」

「違えよ。……アンタの歌が聞きてえ」

「仕事中だが」

「さっきから歌ってんだろ。ちゃんと歌ってくれって言ってんだ」

「……そうだったか」

「誤魔化そうとしてんじゃねえよ。俺を待たせてんだ。ちっとはサービスしてくれや」

「待ってくれと言った記憶はねえが」

「終わったら構ってくれるって言ったろ」

「お前、そんなに俺に構って欲しいのか?」

「決まってんだろ、……なあ、頼む」


ぐりぐりと音の腹筋に顔を埋め、籠った声でそうおねだりをする英霊に、小さくため息を吐いた名前は丁度新たに流れ始めた曲を始めから口遊むと、落ち着いた低音が曲に合わせてトーンを変え、英霊の胸に響いていく。瞳を閉じて、聞き惚れる英霊は名前の腰に回した腕の力をそっと強めた。



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「ああ?……召喚、だと……?」

「リツカもそろそろ慣れてきた頃だ。俺も動くしかねえだろ」

「……マスターの呼んだ英霊借りりゃ良い話だろ」

「そうもいかないのさ。お前だってわかるだろ。
呼んだ人間の性質によって、英霊のそれも変わるんだ。正確な任務を行っていくためには、自分の手で呼ぶ必要もある」



横を歩く英霊が腕を組もうとして来るので、それを仕方なく受け入れると、名前は召喚室へと足を向け始めた。それに伴う英霊は不服そうな瞳を名前に向けるが、この名前は一度決めてしまえば、てこでも動かないことを知っている。

せめて編成できるくらいの英霊を揃えてくれと言われたが、今回は一人呼べれば良いと思っていた。理由を上げるならば、それ以上名前の気が乗らない日であるから。
なんとも根拠の無い感情的な理由であるが、運要素の絡む事には、直感も大事なのである。そんなことを思いながらも、名前は再び召喚室の扉を開いた。


「あー……いやーな予感がするぜ。なあ兄貴、今日は止さないかい」

「まあそういうな。お前いつだってそういうだろ」

「バレちまったかい。こうなっちゃしかたねえ……いっそ、気絶でもさせるか?
いやいやまてまて、今の俺じゃ返り討ちにあうだけじゃねえか。あーあ、せめて槍がありゃなあ……」

「ほう?槍があれば良いのか」

「……冗談さね」


召喚用の機械に近づいて電源を入れた名前を見上げて、ぶつぶつとそう零す言葉は実に物騒である。それを一蹴して、いい加減腹括れよと笑った名前は、手にした虹色の石を4つ投げ込んだ。
溜息を吐いてそれを見送った英霊は、途端に上がった焼き付くような強い光に、眉を顰める。どこからか吹いた風に、青い髪がふわりと舞い上がりやがてフードの上に落ちた。


「よう!サーヴァント・ランサー、召喚におう……、じ……」


光が薄れると同時に、長い脚が白い床を叩く。にかりと快活に笑った英霊は良く通る声で名乗りを上げた、が、名前の顔を見た次の瞬間、赤い瞳を見開いてかちりと固まった。同時に名前の腕に伸ばされた腕が絡み、ぐいと引き寄せられる。


「だから嫌な予感がするって言ったんだぜ、兄貴」

「……今、わかった」

「アンタ俺のこと信じてねえな?」

「ばーか、それはねえよ。だが……まさか、なあ?」


じと、とした目で見上げられ思わず名前は視線を逸らすと同時に、どすんという重い衝撃に襲われる。
胸に重く響いたそれに思わず踏鞴を踏むと、僅かに空いた距離さえも厭うように距離を詰められて、仕方なくそのまま後ろへと倒れた。踏ん張れないことはなかったが、その方が楽だと過去から呼び覚まされた記憶が名前に語り掛けたのだ。

床に尻餅を付いた名前に正面から抱き着いた新しき英霊は、ふるふると体を震わせて、呻きを挙げていた。思いっきりデジャブだな、と遠い目をしてそれを受け入れる名前は、そっとその背中を撫でた。すると緩慢な動きであげられた顔を見て、名前も目を見開くことになる。うつくしい赤からぽろぽろと零れ落ちる、雫がそこにあったのだ。

キャスターである英霊と顔つきは同じであり全く異なっていた。クラスの違いが影響しているのだろう、体つきも別のものである。だがそんなことは名前には関係ない。自分が面倒を見た可愛い弟分であることに、違いはないのだから。



「お前もか。……よしよし、ほら男がそんなに泣くなって」

「……泣いて……っ、ねえ……っ」



青いタイツに包まれた背中を撫でると、名前の胸を濡らす雫が更に勢いを増す。暫く止まりそうもないそれに、仕方なく笑った名前は、不意に背中に感じた熱にふと息を零した。



「俺も忘れんなよ、兄貴」

「お前は今回関係ねえだろ」

「ひっでえなあ。兄貴は俺のモンだろう?」

「……どうしてそうなった」



名前の腰に回された腕に背中にぴったりと張り付いているキャスターの英霊と、名前の胸に手を当てて顔を埋めるランサーの英霊。マジか……と思わず声を漏らしてしまったのは仕方のないことだろう。

若い頃にあれほど槍を振り回していた弟分が、ジョブチェンジしていたのは意外であったが、生きていればそういうこともあるだろうと、流していた。しかしこのカルデアの召喚装置は、どうやら様々な場所から、英霊を呼び寄せるらしい。ランサーが先程放り投げた朱色の槍自体は、名前には見覚えのないものであったが。

とはいえどのような形でも、生前の記憶は変わることはないのだろう。『名前に置いて行かれた』ことは、その存在に深すぎる傷を残していたことが、証明されていく。



「兄貴……っ!」

「もう泣くな、目が赤く……ああ、もとからか」

「ちょ、待てって!……普通俺ので拭くかあ?」

「丁度良いところにあるのが悪いだろ」


きらきらとした透明な粒が伝う白い頬を、視界の隅に捉えた青い布で抑えるように拭う。マントが引っ張られた為にそれに気付いたキャスターが抗議の声を上げるが、見事に受け流された。


「なあ、なあ、……兄貴、なんで……、突然……消えたんだ……?」

「……前に言っただろ、俺は一か所に留まれないんだ。
お前も充分に育ったし、頃合いだったんだよ」

「……っなら!!せめて、一言言っていけば良いだろうが……!!」

「あー、それな。ほんとは記憶ごと持っていく予定だったんだが……予想以上に、術が効かなくてな」

「はあ!?どういうことだ?……アンタ、全部無かったことにするつもりだったっつーことか?」


見開かれたのは4つの赤。視線を泳がした名前は、観念するように溜息を吐いた。
名前は一つの場所に留まらない。それは人々の記憶に残ることを避けるために他ならないことだ。自分の存在を万が一記録されることがあれば、自由に動くことも儘ならなくなる。不老不死だと周知されたら、それこそ名前を狙って、様々な人間が襲いに来るだろう。

当時からも不老不死に関する呪術紛いの研究は多く進められていて、少しでも疑わしいものがいれば、捕らえられて実験体として解剖された挙句、不死を与える人肉として食されることも、不老不死の薬として骨まで粉砕されることもあったのだ。

名前が面倒をみた、クー・フーリンという男は太陽神ルーの御子でありいずれ英雄譚に描かれる存在になるであろうことは、想像がついた。だからこそ、早く離れなければならなかったのだ。しかし名前の中に芽生えた情は、そう簡単に彼を置いて行かせてくれなかった。だから青年となるまでずっと傍に在ったということなのである。



「っとに…!!馬鹿だなアンタ……っ!!」

「……」

「……兄貴、俺は……あんたが、あの日からずっと……殺してやりたいほど憎かった……っ!」



いつの間にか手にした槍先が、名前の胸に向けられる。しかし雄々しく敵を穿つ朱の槍は、細かく震えていた。ぽろりとまた零れ落ちた涙を、名前は伸ばした指先で拭う。そして静かにその瞳を向けた。


「……っ!……だが、だめなんだ…できねえんだよ……
夢ん中でも何度も、アンタを穿とうとしたさ…。

はっ……情けねえなあ……一度もあたりゃしねえ……」


からん、と無機質な音を立てて白い床を小さく跳ねた槍に、名前はそっと目を閉じて、ランサーの体を強く抱き締めると、ごめんなと唇だけを動かした。




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雨垂れの如くぽろぽろと流れる粒が収まった頃にはもう日付が変わっていた。英霊たちは、何やら二人で話すことがあるらしいので、名前は先に部屋へと戻ってきた。
机に積み上がる書類の山を一瞥した名前は、胸元の湿った服を脱いでそのままシャワーを浴びることに決めた。仕事をする気力はとっくに消え去っていたので、朝また続きを行うことにしたのだ。

英霊の身であるなら兎も角、あの頃の青年は人間だった。故に寿命を考えてもいずれは別れなければならない運命の元にあった。だが名前の頭には、先ほどの英霊の涙がこびり付いて離れない。それ程までに彼にとって名前が大事な存在であったのならば、それを何も言わずに置いていった名前は、恨まれるべきなのだ。

出会いと別れを繰り返してきた名前は、もう感覚がおかしくなっているのだろう。今までそんなことを考えたことはなかった。
置いていこうとも、置いてかれようとも、抗いようのない運命なのだと諦めてしまっていたのかもしれない。

軽装に身を纏った名前は、ベッドに寝転んで目を閉じる。ぐるぐると回る思考は、戸惑い故のまとまりのないものであった。そうしている内に忍び寄ってきた眠気に、名前はただ身を委ねた。


「……」


何かに体を固定されているような息苦しい感覚に、名前の意識は浮上した。どうやら眠っていたらしいが、窓の外は暗いままであるので、それほど時間は経っていないようだ。


「ん?……なんだ、起きちまったのか」

「……セタンタ」

「ははっ、あんたにそう呼ばれるのは……いつぶりだ。懐かしいぜ」


薄暗い部屋の中で、はっきりとした輝きを放つ赤い瞳と目が合い、朧げであった意識が覚醒していくのがわかった。目の前にランサーがいることを考えると、後ろの気配はキャスターだろう。先ほどとほぼ同じ体勢ということか、とぼんやり理解した名前は、解かれた青い髪に指を絡めた。


「随分、傷つけてしまったんだな」


さらりと流れる髪が再びシーツへと落ちていくのを見つめて名前は小さく呟く。それに英霊は、らしくねえなと笑った。


「さっきも言ったが、殺したいほどあんたが憎かったが……それ以上にあんたが好きだった。
愛情の裏返しのようなモンさ。だからもう、良い。あんたともう一度会えたんだ。それ以上は言わねえ」


ぐと近づいた顔が不敵なそれに変わると、名前の頬に白い手が触れた。


「だから、もう二度と……置いてくんじゃねえよ。
置いてったら地獄の果てまで追いかけて、今度こそ穿ってやるからな」

「……それは怖いな」

「だろ?……俺だってあれから随分力を付けたんだ。
刺し違えてでも、あんたを殺してやる」


ゆるりと細められた瞳が更に近づくと、名前の唇に柔らかな感触が触れる。
その視線が、名前の後ろにいるそれに向けられたものであることは、二人の英雄のみが知っていた。





*終わり*
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