想いを食む花
*新宿のアサシンに対する真名表記あり注意*
*花吐き病ネタ
(この話の花吐き病は、罹患した患者の魔力が花となってノンストップで吐き出される設定。知らなくても読めます)



喉からこみ上がり口から吐き出されるそれを、飲み込むこともできず、ただ無様に吐き散らす。すると鮮やかな色のそれが、ぽろぽろと白いシーツに落ちていき、似つかわしくない甘い香りが部屋に満ちていく。
生理的反射で流れ落ちる涙を拭うことも忘れ、ひたすら背中を丸めて苦しみに耐える姿は、とても痛々しいものであった。
その時である。ふと、部屋の扉が開く音が響いたかと思うと、一人の男が中へと入ってきた。
その男…名前は、ベッドの上に蹲るその姿を見ると、静かに目を伏せる。そしてそのまま近づいていくと、浅黒い肌にそっと触れた。


「戻ったぞ、オルタ……。大丈夫か?」

「……っ、ぁあ……にい、さん……」


虚ろな金の瞳が名前を映すと幾分か正気の色を取り戻す。安堵したように緩められた表情に、名前眉を顰めた。

元々己を保てない程に壊れてしまっている英霊は、ある日突然口から花を吐き出した。慌てて名前がナイチンゲールの元へと連れて行くが、原因はわからずじまいであったのだ。
この英霊を召喚してからというもの、彼の身を一番に気にかけていた名前は、どうしても外せない任務を除いて、ずっと英霊の看病を続けた。看病といっても、ただ傍にいて魔力を与え続けるだけであったが、それが一番よく効果を現したのである。
それと同時に、様々な英霊の力を借りて数々の文献を漁り、その症状の病名を明らかにすることができたのだ。だがそれが解決に結びつくことはなかった。

『嘔吐中枢花被性疾患』通称花吐き病と呼ばれる病は、恋の病と同義であったのだ。片思いを拗らせると発症するという病を治す方法は、ただ一つ。相手と結ばれること。それだけだ。

名前はそれを知ったとき嘆くことしかできなかった。中身の腐敗や記憶の欠落、味覚の喪失など満身創痍な英霊をこれ以上崩すことは、したくなかったのだ。それは名前がマスターであり、彼の義兄であるから。

だが、名前は一つ勘違いをしていた。己を己と成していたものすら捨てた英霊が尚も求め続けているものを、見誤っていたのだ。実際に、イシュタルやエレシュキガル、シトナイなど、かつての彼に関連した女性の英霊に声を掛けようとした名前を、赤い衣の英霊が止めた。悲痛なその面を見た名前は、何も言わずにこうして、部屋へと戻ってきた。故に名前はまだ知らない。彼らが口にしたくともできない、真実を。


「……っ、う……」

「オルタ、おいで」


軽装に着替えた名前はベッドに上がると、喉を抑えその長身を丸める英霊の背に腕を回す。
そして力なく名前の胸に寄り掛かった彼に、ゆっくりと魔力を流し込んでいく。良く馴染むそれが、英霊の体を巡り浸潤していくその瞬間が、英霊はどうしようもなく好きだった。腐敗した中身が、名前によってまた組み立てられていくようで酷く心地良いのだ。

次々とこみ上げてくる吐き気も流し込まれる魔力により、落ち着いてくる。少しでも症状を落ち着かせようと、寝る時間を削ってまで調べ上げ、多くの方法を試した結果この病を抑える治療法が見つかったのだ。それはマスターである名前の傍にいることであった。常に名前の魔力を感じていれば、普段通りに戦闘もできるし、生活もできた。
しかし、いつでも任務に連れていけるわけではないので、その間だけはどうしても発症してしまう。ちなみに、名前の魔力を媒体に流し込み持たせてみても、もう一人のマスターの魔力を流しても、効果はなかった。


「ああ……かわいそうに、苦しいだろう?」


自分の痛みのようにその瞳を曇らせる名前を見上げた英霊は、突然己の身を襲ったこの病気を憎いとも疎ましいとも思っていなかった。寧ろ、仄暗い悦びを感じていたのだ。前からとある理由により、他の英霊よりも、己を優先してくれていることは知っていた。しかしこの病気を発症してからというもの、よりそれが顕著になったのだ。ずっと名前に想いを寄せていた彼が、これを悦ばないわけがない。
ある意味で名前を騙していることは、少し胸が痛むが、その名前も酷いことをしているのだ。己の生ですら執着しない英霊が、どれだけ名前に引っ付いて希っても、聞いてはくれないのだから。


「お前は多くのものを捨ててきた、手にしたいものもあったのにな」


背中を撫でる優しい手が誰にでもそうであることも、知っていた。口から吐き出される心地の良い言葉も。この名前は、このエミヤオルタがみせる執着を、失ったものを取り戻すためのものと勘違いしていることを、気づいていた。本当の意味が、長年に渡り煮詰められた愛に濡れたものとは、思ってもいないのだ。


「……にいさん」


愚かな義兄だと嘲笑う、その心は今までになく満たされていた。



*************



「マスター」


沈黙した廊下を名前の足音だけが響く。英霊から吐き出される花は、彼自身の魔力でもあるため、それをずっと吐き出すということは、相当な負担なのだろう。名前の魔力に満たされた英霊はそのまま穏やかな眠りについてしまった。暫くその寝顔を見ていた名前は、いい加減溜めてしまった仕事を消化しなければならない、と後ろ髪を引かれる思いで、部屋を出たのだ。別に部屋に持ち込んで仕事をしても良いのだが、音にも敏い英霊はキーボードの音で起きてしまう。それを考慮したわけである。

数多の英霊や職員が行きかい賑やかな廊下も、深夜を過ぎれは真逆のものだ。しかしその静けさは、名前にとってはありがたいものであった。そうして一人ただ思考に耽る名前の、すぐ後ろから聞き慣れた声が掛けられる。いつもよりも反応はやや遅れたが、直ぐに足を止めて振り返った名前に、深い色の瞳が弧を描いた。


「燕青、か」

「めっずらしいなあ、マスターが気付かないとは……そんなに深い悩みがあるのかい?」

「……」


武に優れる英霊はそれぞれ独特のリズムを持っていて、それが歩き方や足音に現れるため、普段であれば声を掛けられる前に名前が声を上げる。しかし随分深く思考の海に飛び込んでいたらしい。流石に驚きはしなかったが、すぐ傍に来られるまでは気づいていなかった。

足もとまで伸びる艶やかな黒髪が、どこからか吹く夜風に揺れ動く。人懐っこい笑みを浮かべるその端正な顔は、何処か冷たい。鮮やかな刺青が刻まれた剥き出しの体は、動きに合わせて隆起する筋肉がよく見えた。


「あのおニイさんの容態はどうだ?」

「相変わらずさ」


ふうと溜息を吐いて憂いをみせる名前が見つめる先を、黒髪の英霊は察した。そして同時にこみ上げるどろどろとした感情に、何となく花を吐き続けるという憎き英霊の気分がほんの少しだがわかる気がして。自分も花を吐き始めたのならば、この名前はどんな顔をするのかと、歪んだ思考を思い浮かべる。


「燕青、どうした?」

「いや、なんでもねえよ。マスター」


ぱっと表情を変えた英霊は、するりと甲冑を解いた白い腕を伸ばして、名前の腕に身を絡ませる。するとすんなりと受け入れられたそれを良いことに、英霊は名前の胸にすり寄った。


「それよりも、ちょっと付き合ってくれねえか?
最近あいつのことばっかで、ぜんっぜん俺に構ってくれないだろお」

「遊び相手ならいくらでもいるだろ。
それに、今は……だめだ」

「……そんなに心配?片時も離れられねえほど……心配なのかよ」

「ああ。……お前も知っているだろ、あれは崩壊寸前だ。
放っておけるわけがない」

「ふうん……崩壊寸前、ねえ」

「安定したら、ちゃんと構ってやるさ。な?」

「いいや、そいつはいけねえ」

「燕青」

「マスター。あんたはわかっちゃいない。
……あの英霊が、どうしてああなったかを」

「……」

「なあ、マスター。いや我が主よ。
この燕青の……命の全てを捧げてお仕えすると、誓った唯一無二のヒトよ。
どうか、我が言葉……聞き入れてはくれないか」

「……お前、……」

「失いたくはない、あなただけは……っ、
俺に再び生きる意味を与えたマスターを、奪われたくはねえんだ」


名前の胸に手をついてしな垂れかかるように、名前を見上げる。嫋やかともいえるその仕草は、英霊に良く似合っていた。彼は理解していたのだ。花を吐く奇病に罹り名前の寵愛を受ける英霊が考えていることを。
だからこそ、忠告する素振りを見せてそう名前に告げれば、己の過去を憐れむ主の心に入り込むことが出来るだろうと考えたのだ。そうして、名前の耳を己に向けさせてしまえば……。


「聞いてくれ、マスター。あの英霊は「おいおい、なあにしてんだ兄ちゃん。軟派にしちゃ相手が悪過ぎるだろ」」



名前の目の前を何かが過ったかと思うと、バキリと床が割れた衝撃音が静かな廊下を揺らす。寸前で後ろに跳んだ英霊は、己がいた場所に突き刺さった茶色の杖を見て、忌まわしげに目を細めた。

慣れた香りが鼻を擽り、後ろに払われた青い髪がふわりと広がる。突然姿を現したそれは、名前を背に庇うように、英霊の前に立ちはだかった。


「他人の男に手え出すなんざ、ちっと野暮が過ぎるんじゃねえの」

「……誰がなんだって?槍無しのおニイさん」

「ああ?……お前さんにはこれで充分ってことさね」

「そうかい。賢くなったわりには……誤算が過ぎるんじゃねえの」


張り詰めた空気が場を緊張で満たす。鋭い赤と緑が睨みあい火花を散らした。
一触即発の二人を見ていた名前は、小さく息を吐くと、目の前にある英霊の青いフードに手を伸ばして、後ろへと思いっきり引っ張った。ぐえっと情けない声をあげた英霊は、恨めしげに名前を睨み上げる。


「落ち着けって、クー。ただ話をしていただけだ。
誰彼構わず噛みつくのは、一人で充分だろ」

「ったく、アンタもわかってねえなあ。
話をしていただけで、あんな距離感になるわけねえだろ」

「ははーん、おニイさん。嫉妬かい?
そいつは残念だな。フラれた男はさっさと帰んな」

「……殺す」

「だから、落ち着け。……燕青、お前もあまり煽るな」


どこかの赤い弓兵と青い槍兵の喧嘩に慣れているだけあり、慣れた手付きで二人を宥める名前は、小さく笑う。久しく見る名前の穏やかなその顔に、安堵の息を零した英霊たちは、ふと纏っていた空気を緩めた。


「そういう顔、してた方が良いぜ……マスター」

「ずっとキツい顔してたぜ、……ったく、オルタの俺なんか触発されて大変だったんだ。
少しは労ってもらわないと、割に合わないさね」

「そう……だったか?」


発症してからずっと治療方法やらを考えたり、任務中も苦しんでいる姿を思うと集中しているようでしていなかったりと、冷静になればなるほど、目の前の二人が言うように切羽詰まっていたのだという自覚が込み上げてくる。寧ろ自分の方が追い込まれていたのか、と思えば、赤い弓兵が自分に向けた視線にも納得が言った。


「あんまり人の恋煩いに口を出すモンじゃねえよ。
かわいい弟……なんだろうが、なあ?」

「……ああ。そう、だな」


槍兵の彼を思い出させる快活な赤い瞳に、張り詰めていた心が解されていくのを感じる。
漸く知っている名前の顔に戻ったことに気が付いた英霊たちは、揃ってうつくしいその顔に笑みを浮かべた。



******************



「なんだ……起きていたのか?」

「にいさん、何処へ行っていた」

「少し外に出てただけさ。……随分、顔色が良くなったな」


部屋に戻った名前は、ベッドから身を起そうとする英霊と目が合いそう声を掛けた。
良かったと呟いて笑みを零した名前は明らかに様子が違う。それに気が付いた英霊は、目を細めると名前を注視した。


「……どんなことがあろうとも、お前はかわいい弟だよ。オルタ」


浅黒い肌に走る傷を撫でて頬を撫でた名前は、愛しむような眼をして、そう……囁いた。
その瞬間金の目が見開かれ、英霊はその身を固めた。咀嚼したくないその言葉が、己の意思に反してゆっくりと咀嚼されていく。名前にとっては親愛に満ちた慈愛の言葉なのだろう。しかし英霊にとっては、それは猛毒の言葉でしかない。
はくりと動かした口で、何かを言おうとした英霊は、こみ上げてきたそれに嗚咽を零す。そして喉に溢れてくる何か柔らかなものを堪えることはできなかった。


「っ、!!……オルタ!」


はらはらと零れ落ちる花びら。驚いた顔をして背中を撫でる名前が、憎らしくて溜まらない。
気が付けば英霊は名前の体を突き飛ばして跨り、力の入らない腕を、その胸板に叩きつけていた。
何かを叫びたくても、口から吐き出されるのは己の魔力の塊である花のみ。声にならない慟哭が部屋に響く。
自分の身に舞い落ちる英霊の欠片を痛ましげに見つめ、何も言わず腕を英霊の背中に回した名前は、ぎゅうとその身を抱き締めた。

先ほど廊下で遭った英霊たちと話して冷静になった名前は、なんとなく、この英霊との間に行き違いがあることを察したのだ。だから、これ以上言葉を交わすことは悪手でしかないことに、気が付いた。


「…っ、…に…、…いさ……」

「……ごめんな、オルタ。……もう、何も言わないさ……だから、あとでお前の言葉を聞かせてくれ」


名前の頬に落ちた涙に小さくそう呟くと、自分の胸に顔を埋める英霊の背をただ静かに撫でた。
この夜はもう会話はなかった。英霊が落ち着くまで、名前はずっとそうしていたのであった。





*終わり*
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