主の試練

監視機器を起動させると同時に電波が生きているのを確認する。
それならば、と名前が所属する組織にアクセスして、厳重なセキュリティーに守られたページへと辿り着く。配属された際に配布された自分のIDとパスワードを打ち込むと、組織内の人間にしか閲覧できない、専用のページへが表示された。
そこからメール画面を表示させ、自分の置かれている状況を簡易的にまとめ、どのような対処がなされているのかを聞き出す為の文章を打ち込んだ。
映像通信も試みてはみたが、どうやら手の空いている人間はいないようで応答がなかった為、メールを作成して送信したのだ。返事が来るのは先のことだろうが、連絡が取れる手段があるだけ良いとする。

男のことは、悩んだ挙句結局報告はしなかった。
事情が事情だけにということもあるが、今は上手く説明が出来る自信がなかったのだ。
情報の整理をする時間が、名前にも必要であった。

今後の作戦を練る為に情報の収集を行うといった名前に、男はこの施設内の見回りをして来ると言い残して、出て行った男は、まだ帰ってきていない。
あの男の実力がどのようなものかは、まだわからないが、簡単にやられるようなタマであっては困る。自分すら守れない戦闘能力ならば、いっそ此処で眠ってもらった方がお互いに楽だ。
名前が今まで必死で乗り越えてきた死線は、そんなに甘くはない。
多くのものを失って来た名前の足元には、惨たらしい死を遂げた屍が転がっている。
油断をすればその屍に足を掬われて、あっという間に仲間入りするだろう。

キャスターの付いた椅子を転がして、モニターの前に腰を下ろすと、施設内に設置された防犯カメラの映像にアクセスする。この施設は何やら相当な警備がなされていたらしい。死角を潰すように配置された大量のカメラの映像が映し出されると、そこには警備を担当してたであろう人間たちが至るところに倒れているのを確認できた。

恐らくもう命はないであろうそれに目をやると、どれも鋭利な刃物で切り裂かれたような傷があった。カメラでも確認出来るくらいの傷と、床に広がる血が物々しさを語っていた。


「……ふうん、……何か、いるのね」


床には何かを引き摺ったような跡が赤く残されている。
その跡は施設の奥へと続いており、血の乾き具合からどうやらまだ中にいるらしいことが推察された。


「さて、どうしようかしら」


モニターに、浅黒い肌の男が映し出された。
薄く息を吐いた名前は、無機質な瞳でその痕跡を一瞥した男が、迷いなくその痕を追っていく姿を見て、口角を上げた。


「お手並み拝見、…高みの見物といきましょうかね」


今後共闘するのならば、相手を知ることも必要である。
『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』とは良く言ったもので、それを信条とする名前は、頬杖をついて傍観を決め込む。その傍らで地図を広げると、今後の方針について頭を回し始めた。





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磨かれた白い床と壁に囲まれた施設は、倉庫とは名ばかりで、研究所のような造りをしていた。
途中で手に入れたカードキーで奥の部屋に入ると、そこには最先端の機器や棚に並ぶ薬品が顔を出した。
カモフラージュされた施設であることは、男にもわかった。
所々で床に伏せている人間たちに金の瞳を向けた男は、鋭利な刃物に抉られた傷を見て、眉を顰める。


「……」


ぴちゃりと、足元に広がる血を革靴で踏み付けた男は、床に広がる血がおかしな形をしているのに気が付いた。
何かを引き摺って行ったような、痕跡が奥の部屋にまで続いている。
施設内に充満する濃厚な鉄の匂いは、男にとっては慣れたものでしかない。
躊躇することなく、跡を辿り血が続く方へと向かう。

向かった先には、今までのフロアとは異なる空気が流れていた。
他から隔離されたように、妙に浮き立っているように感じられるそこは、一つの扉があった。
扉の横には認証機器が取り付けられており、どうやら人の目が鍵となっているらしい。

ふと、何かの気配を感じた男は、後ろに視線を送る。
白衣を着た研究員と思わしき人間が、壁に凭れるように顔を伏せていた。
だが男の耳には、確かにその呼吸音が聞こえた。
どうやらまだ生きているらしい、と判断した男は、その人間に近づくと微かなその吐息が恐怖に引き攣った。


「おい、……意識はあるな?」


あの何かを引き摺った痕は、この人間を此処まで連れて来た時に出来たのだろう。
至る所から出血はしているものの、他の研究員たちとは違い、致命的な傷はない。
どうやらこの認証システムを解除するためだけに、生かしておいたらしい。
男は、衰弱しきった様子でゆっくりと顔を上げた人間にそう声を掛けると、猫の首根っこでも掴むように、人間の襟元を掴み上げて、扉の横にある装置の前に近付けた。
道具を扱うようなそれに、抗議すら出来ない人間は、ただ恐怖に開いた瞳孔を機械に向ける。

ーー認証完了、開錠します。
抑揚のないプログラムされた声が淡々とそう告げると、軽い音を立てて扉の鍵が開いた。
男は片手で掴み上げていた男を床に放ると、武器である二丁銃の片方を出現させ、無造作に額に宛がう。


「信仰はあるかね?」

「……」

「それなら、祈りたまえ。あとはアンタの神様がどうとでもしてくれるさ」


冷たささえ感じる金の瞳が見下げる。
床に倒れ、額に銃口を当てられた人間は体を震わせて、目を閉じた。
長い指が迷いなく引き金が引いた瞬間、高い銃声が終わりを告げたのだ。

床に広がる血に背中を向けた男は、開かれた扉から中へと入っていく。
その瞳は一度も揺らぐことはなかった。

男が始めに目にしたものは、壁に飛び散る赤に染められた白で、次に部屋の中央に置かれた巨大な実験装置であった。何かを制御していたのだろうか、引き千切られた無数のコードが床に散乱している。
此処で何らかの実験を行っていたらしく、散らばった書類の中に、研究員の手記が残されていた。
床に膝を付いて、それを拾い上げた男が、長い指でページを捲ろうとした……その時。
ぐるる、という濁った呻き声と、生温い気配がぞわりと背中を擽り、反射的に横へと跳躍した男は二丁銃を出現させると、引き金を引いた。

高い音を立てて突き立った銃弾に手応えはない。
空を裂くような音に剣で応じると、人間の腕よりも太い爪が剣に当たる。

醜悪な化け物とは、これのことを言うのだろう。
二メートルは超えるだろう長身に、筋肉が異常に発達した体、そして左腕は腕ではなく爪が生えている。
皮膚は人間のそれではなく、硬い金属のような光沢を放っていた。

刃と爪が拮抗し合い、押し合う。
すかさずもう片方の銃を、その脳天に向けて至近距離から撃つが、案の定固い肌に阻まれ跳弾した弾が、壁に突き刺さった。


「……ふん、厄介だな。だが……少し露出が過ぎるんじゃないか?」


もう一度銃口を向けた男は、ゆるく口角を上げる。
力は化け物の方が幾倍も上で、押し返せず目の前に丸太のように太い爪先が迫る。
それに突き刺されば、体ごと抉られて終わりであることは、想像に容易い。
だが、男は笑んだ。

ぱあん、と放たれた銃弾が、無防備な眼球に突き刺さった。
男の目の前にいるそれは、実は実験体の一つでしかなく、完成体ではない。
故に弱点となろう部分を保護するものを持たないのだ。
剥き出しの眼球と心臓。
二つの銃口が、ぴたりとそれにあてがわれた。

ふわりと、黒い布を揺らして着地した男は、床に倒れたそれに目を向ける。
反動で体を痙攣させたそれがやがて力尽きたかのように動きを止めると、どろりとその巨体が溶け始めたのだ。そうして跡形もなくなったそれを、無表情で見送った男は、部屋を見回すと静かに踵を返した。





**************





「準備運動ぐらいにはなったかしら」

「そう見えたかね」


制御室へと戻った男を出迎えたのは、その一言であった。
やれやれと目を閉じた男は、手にした書類と手記を名前に手渡す。


「戦利品だ、俯瞰の女王様」

「あれくらい倒してくれないと困るのよ。嫌味を言わないで頂戴」

「嫌味など言った憶えはないね。俺はアンタの武器だ。
使われるのが仕事ってわけだよ」

「仕事熱心な男は好きよ」

「それは光栄なことだ」


くつりと低く喉を鳴らした男を横目に、溜息を零すと、名前は受け取ったそれらに目を通した。


「……此処は国の研究施設だったようね。
表では出来ない研究の為の」

「ああ、そうだろうな」

「その中でも、ほんの一部ってわけ。先は長そうね」

「そうでないとつまらんだろう。
まさかあんなものが最後のボスであった方が……拍子抜けするね」


男が持ってきた書類に記されている情報を基に、机に広げられた地図にマークを付けていく。
すると、研究所がある場所が、とある国を中心として、円を描くように配置されているのが見えて来た。


「ふん、……どこの世界にも、歪んだ独裁者はいるものだな」

「……一応、比較的平和で安定した国だった筈なんだけどね」

「コインの裏表と一緒さ。安定というのは表と裏が均衡した状態なのだよ。
そして、それは案外呆気なく崩れるものだ。……所詮砂の城というやつさ」


男が態々持ち出して来た資料と手記は、どうやら密告者の記録であったらしい。
鼻が利く男だと、ふと笑った名前は、腕を組んで立つ長身を見上げた。


「全部読んだの?」

「ああ、あまりにも下らなかったものでね。すっかり内容を覚えてしまったよ」

「……そう。読み込んだのね」


得られた情報を簡易的にまとめると、
名前たちのいる研究所を始めとした、とある国の周りを囲むように建てられた研究所では、前々から人体実験を重ねていたらしい。
此処までの設備が整った研究所がいくつも存在するのだ。国の関与を疑うのは当然だろう。
国はそれを逆手に取り、研究設備の充実さを売りにして、各国々から優秀な人材と財を集めた。
まさか、内部で倫理という言葉さえ無い、非道な実験が行われているなどとは、知らなかったのだろう。
集められた研究者たちは、カモフラージュの布に過ぎなかったのだ。


「人の口に戸は立てられないってこと。
全く、大規模な口封じをしてくれるじゃない」

「それで、どう動くつもりだ……名前」

「……取り敢えず証拠集めよ。
国に乗り込んでも、どうせしらばっくれて終わりでしょう。
寧ろこっちが反逆で捕まっちゃうわ。
それなら……誰にだって文句を言わせなければ良い」

「やれやれ、……相変わらず厄介事に好かれるらしい」

「運がない男は、モテないわよ?」

「生憎だが、手一杯だよ」

「そう?物好きもいるものね」

「ああ……。本当に」


相当嫌な思い出しかないのだろう、瞳の温度を消して吐き捨てた男に、名前は愉快そうに笑った。
先程の戦いで、男が肩を並べて戦え得る力を持っている認識した彼名前は、気が楽になったのだ。
英霊という存在については説明をされたが、百聞は一見に如かずである。
相手を案じながら戦うことが、予期せぬトラブルに繋がるので、元々名前はあまり好きではない。
当然ながら、拮抗した、いやそれ以上の戦力が傍にいたほうが比べようが無いほどやりやすいのだ。


「まあ、運がないのは私も同じね。
折角休暇中だっていうのに……。とんだ仕事だわ」


満足な装備もないし、とぼやいた名前を男は視線だけを向ける。


「何を嘆く必要がある?……アンタには、俺がいるだろう」

「……そうねえ、それは幸運だと思うわ」


同じように男に視線を投げた名前は、目を伏せて穏やかに微笑んだ。


「行先は決まったわ。夜明けと共に出るわよ」

「仰せのままに、マスター」


椅子から立ち上がろうと足に力を入れると、横から手が差し出される。
筋肉に覆われた逞しい腕から伸びる手は、力強く名前の目に映った。
ふと息を吐いてその手を取ると、ぐいと強く引っ張られ、立たされた。


「もう、レディの扱いがなっていないわね」

「それは失礼。それに関しては経験不足なものでね」

「モテるって言ってたじゃない」

「ああ、不運にはな」

「……貴方、中々最低な男だわ」

「ふ…、聞き慣れたセリフだよ」


気障ったらしく片目を閉じた男に、呆れた顔をした名前の背後から、ぴろんという軽い音が上がった。
振り返ってモニターを確認すると、どうやら名前が出したメールに返信があったらしい。
そして、それを開いた名前は、思わずこう呟いたのだ。


「私、…不運と手を組んだってことかしら」

「なに、心配することはない。責任は取るさ、名前」

それにくつりと喉を鳴らして、愉快そうに笑った男は名前の言葉を否定することはなかった。





*終わり*
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