罪人懺悔
*男主人公
*『砂丘の約束』と同じ設定
*ヤンデレ要素あり
ざあざあと降り続く雨が、強く大地を打つ。
どうやら今回のレイシフト先は雨の多い場所らしく、此処についてから晴れた空を一度も見ていなかった。そして最悪なことに、任務の中心地は山の中であるので、辛うじて山小屋は見つけたが、夜の冷え込みが激しく、満足な装備も揃っていなかった。
雨に追われるように、見つけたその山小屋へと飛び込んだ名前たちは、小屋の中を見回した。木造の山小屋は、それなりの大きさはあるが、殆ど使われていないのだろう。それほど汚いわけではなく、人のいた形跡が全くないのだ。そのことに疑問を感じながらも、埃の積もった小屋の中を、何か使える道具などがないかチェックしながら、できる限り掃除をしていく。
「オルタ、ちょっと来い」
袋に入れられたままの未使用らしい真っ白なタオルが、ぼろぼろの段ボールに詰められているのを発見した名前は、部屋の隅に置かれた薪ストーブに火を灯していた英霊の名を呼んだ。
素直にそれに応じて己のマスターに近付いた英霊は、あれだけ雨に打たれれば当然だろう、体中から水滴を滴らせていた。風邪を引くだろう、と名前は、浅黒い肌を伝う透明な雫を、開封したタオルで拭いていく。
「いくら英霊が暑さ寒さに強いとはいえ、見てる俺が寒いんだ」
「…言うと思ったさ、にいさん」
「ほら、服を脱ぎな」
ずぶ濡れなのはお互い様なのだが、昔から名前という過保護な義兄はまず先に弟のことを済ませないと、自分のことをしないのだ。そして…エミヤオルタという英霊を、弟ではないと否定しながらも、英霊が彼をにいさんと呼ぶのを止めたことはないし、こうやって世話を焼きたがる。カルデアには数多の英霊がおり、この黒い英霊とよく似た赤い英霊もいるが、名前が無意識ながらも特に気に掛けるのは、この壊れた英霊のことであった。それは『こうなってしまった原因』が自分にあるという罪悪感から来る、ものであったが、その罪をこの英霊は否定することはなかったのだ。
纏っていた黒い礼装を外した英霊は、下着のみの姿となり、薪ストーブの前へと連れられた。しっとりと濡れた黒い肌に浮かぶ水滴を拭き取り、髪も軽く拭く。英霊の後ろに回った名前は、その広い背中にタオルを当てながら、肌に走る黄色の亀裂にそっと目を細めた。
痛々しく男の肌を割く、その傷跡は、名前の罪の証と同義。だがこの一輪の花のように真っ直ぐな男は、自分の罪から目を逸らすことが出来ない性質であった。だからこそ…名前は、自分の心を削ってでも、その傷に触れるのだ。
「よし…良いぞ。礼装は濡れてしまっているから、シーツでも羽織っておけ」
元は、登山客の宿泊所として使用されていたのかもしれない。奥の部屋には、簡易ベッドが1台置かれていて、清潔なシーツもいくつか揃っていた。通常登山客用の山小屋は雑魚寝をするため、ベッドは置いていない。故に寝袋などを装備してくる客が殆どである。山小屋のオーナーなどが使用していたのかもしれないな、と英霊の肩に白いシーツを被せながら名前は考えた。
「にいさん、それを寄越せ。俺が拭いてやる」
自分用に開けたタオルを手にした名前にそう言った英霊は、同じように礼装を外した彼を見てその瞳を細めた。薄暗い山小屋には、薪に灯る不安定な光だけが揺れている。その限定的な光に、照らし出された名前の均整の取れた肉体は、酷く艶めかしく、英霊の目に映ったのだ。
どくどくと脈打つ胸が、熱く苦しい。それを堪えて彼の体を拭いた英霊は、名前の腕を掴むと自分の方へと引き寄せた。そうして薪ストーブの前に胡坐をかいた英霊は、その上に名前を乗せると、先ほどのシーツを羽織り、名前ごと包み込む。
「ふふ、…お前は、相変わらずあたたかいね」
「にいさんは、相変わらずつめたいな…」
普段の皮肉やら毒を吐くその口から出るのは、慕う兄だけに紡がれる穏やかな言葉。
人気のない山の、誰もいない小屋の中で、英霊はやっと、この名前という最愛を独占することができた。それが例えほんの一時的なものであっても、英霊にとってはこれほど愛おしい時間はない。
「なあ…にいさん」
「ん?」
「…人理修復が終わったら、2人で旅に出ないか」
「…………」
「カルデアという組織が存続したとしても、今のような環境は保たれん。
にいさんがいいように使われるのは目に見えている。そんな場所に、アンタを置いておくことは出来ないのでね」
「……オルタ」
形の良い名前の耳の直ぐ傍で、薄い唇が滑らかに動く。
この英霊が先を語るなんて、と皆は言うだろう。しかし退廃的で現実主義の英霊は、先を見ているわけではなかった。きっと名前の手を引く英霊は山ほどいるのだろう。それでも英霊には1つの確信があった。この義兄は、弟と重ねている俺を置いてはいかないだろう、という特権。特権という名の優越感は、とても甘美な感情を英霊に与えていた。
だけれども、名前は違った。
元々彼はもう『死んでいる』筈の人間であった。幾度も聖杯戦争のもとに生と死を繰り返して来た。多くの次元を生きて、死んだ彼にとって、衛宮士郎の義兄であった時は一瞬のこと。何よりも大事な弟であることに変わりはないが、この先を共に生きれるとは思っていなかったのだ。
人理修復を終えて、いざこざを片付けたら…。今のカルデアをそのまま存続させることが出来たら、名前の役目は終わるのだろう。だからこそ、先を語ることが出来ないのは…名前の方なのだ。
「……にい、さん…?」
「…あ、…ああ、そうだな。…何処に行こうか」
「にいさん、何を案じている?…大丈夫だ。俺がいるさ。
やっと…やっとだ。アンタを守れる力を手に入れた。今度こそ…死なせはしない。
例え名前…アンタ以外の、全てを切り捨てたとしても…二度と、離さない。
だから…俺を独りに、しないでくれ…っ。頼むにいさん…。俺はアンタがいないと、ダメなんだ…っ」
「おる…た、」
じわり、と英霊の体を這う傷跡が広がっていくのが名前にはわかった。
鍛え抜かれた固い胸板に凭れ、その顔を見上げると、そこに泣きそうに歪んだそれがあって。名前の体に回された腕にぎゅうと力が入っていく。金の瞳が悲しげに曇る。英霊は気付いていた。きっとまた己はこの最愛を失うのだと。またあの地獄のような孤独を味わうのだと。
英霊は常に孤独であった、それで良いと納得していた。だが1つ。その1つを大事に大事に抱え込んでいたつもりであった。しかしそれは呆気なく…腕から零れ落ちていったのだ。
人間の身でありながら正義の味方として、鋼のような精神と肉体を持っていた、とある男は…その瞬間、壊れた。それほどまでに耐え難き喪失だった。認めることなんてできなかった。
男の慟哭は屍を積み上げ、絶望の末自分を自分たらしめていた正義をかなぐり捨てた、その結果…黒い肌と、金の瞳の英霊は生まれたのだ。そうしてとある町で名前を見つけた時、その奇跡に喉を鳴らすと共に、その存在に近づけば近づく程体が腐り落ちていくのがわかった。
体が朽ちようが、腐ろうが、もうどうでも良かった。
だが…己をこんなにも乱しておいて、月下美人の花の如く現れて消える、愛おしくも憎たらしいその存在が、己の崩壊と共にうつくしい顔を泣きそうに歪めるのだ。そうしてエミヤオルタという英霊を1人にすることを嫌うようになって、あの赤い弓兵よりも、己の身を案ずるようになっていった。この時の、快楽は忘れられないものだ。じんわりと虚構の胸に満ちたその感情。それは英霊を満たし、枯渇させ、飢えさせた。
「名前…。アンタの運命に、俺も加えてくれ」
重なる肌と肌。伝わる体温。名前の背中から響く鼓動。英霊の歪ながらもある意味では真っ直ぐな、その想いを、名前は良く感じ取っていた。
「………オルタ」
強く抱き締められた体を動かしてみたが、その拘束が強くなるだけで。肩に埋められた顔を見ることすら許してはくれないらしいと、名前はそっとその瞳を閉じた。
そもそも何故自分が聖杯戦争のもとに、生と死を繰り返しているのか、彼自身も理解していなかったのだ。故に英霊の望む約束をすることは不可能である。できない約束はしたくはなかった。その場凌ぎの約束など、この英霊はそれこそ許さないであろう。だから何も言わずに、名前はその体を、預けるだけで、それ以上それに関する言葉を発することはしなかったのである。
「……オルタ」
「………」
「今日は、一緒に寝よう。寒い夜になりそうだから」
「…………にい、…さん」
柔らかなその声の、なんとも愛おしいことか。
英霊の腕の拘束をそっと解いた名前は、その手を差し出して、微笑んだ。
酷く緩慢な動きでその手を取った英霊は、立ち上がると、彼の後を追うように奥の部屋へと向かった。
奥の部屋はそれ程広くはない。ガタイの良い英霊もいるので、更に狭く感じてしまう。けれどその狭さが…彼には丁度良かった。1人用のベッドに寝転んだ名前は用意していた分厚い毛布を広げる。そして英霊を手招くと、同じように横になった彼の上にもふわふわとした毛布を被せた。
足は充分に伸ばせるサイズであるので、少しきついが問題なく眠れるだろう。
「にいさん、…もっと寄ってくれ。寒いんだ」
「大丈夫か?」
「ああ、もっと…もっとだ。寒くて…仕方がない」
苦しげに訴える英霊を心配そうに見た名前は、腕を回してその体を抱き締めた。
それでも寒いと呻く英霊が、彼の体に顔を埋めて縋り付いた。
「にいさん…」
「どうした、…苦しいのか」
「傷が…痛むんだ、全身が裂けるように…痛い…」
「オルタ…。少し待て、今魔力を…」
「それだけじゃ、足りない。…にいさん、わかるだろう」
「…っ、だが…」
「にいさん、…頼む。傷が痛むんだ」
今この英霊が何を望んでいるのか名前は察していた。しかしそれを素直に行うことは出来ない。目の前の英霊は…弟であって弟ではない…存在なのだ。苦しそうに喘ぐ英霊を放っておくことはできない、でもそれを行ってはならない。そんな彼の葛藤に気付いている英霊は、懇願するように強請る。
名前の胸に埋められた、その顔。
彼からは隠されたその唇は、歪に歪んでいて…確かに笑みが、刻まれていたなんて…。名前は考えもしていなかったのである。
「なあ、にいさん…。アンタの熱を…与えてくれないか」
「……」
「なあに、明日の朝には、きっと…忘れているさ」
名前の首筋を、太い男の指先が這う。娼婦の如く誘う指先は、視線は、どうしようもなく彼を煽った。
壊れた英霊であるエミヤオルタの記憶は欠落が激しい…が、最愛に関する記憶は忘れることはない。薄々ではあるが、名前もそれを察していた。
それでも頑なに誘いに乗ろうとしない名前を、愉快そうに笑った英霊は、ゆるりと体を起こすと、彼の上に覆い被さる。
金の瞳が煌々と闇に浮かび、歪な三日月のように、名前を見下げた。
「…熱いんだ、名前…。熱くて…寒い」
埋まることのない胸を、唯一満たせる存在。それをとろりと溶けた瞳が、見つめる。
その英霊は、身に付けている最後の布を脱ぎ捨てると、熱を帯びて堪らなくなった体を、名前に重ねたのだ。
*終わり*
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