正義執行
*現代パロ
*殺し屋ならぬ『解決屋』的な感じをイメージ
*男主人公(蟲毒の王と同じ設定)



目を隠した女神は右手に剣を持ち、左手で天秤を掲げる。
正義の女神と謳われるギリシア神話の女神、テミス。
ヒトが持つ権力や財力などに影響されず、ただ人を人として見つめる隠された眼差しは、法のもとではすべての人間は平等であることを象徴しており、天秤は正邪を測る正義を、剣は力を象徴している。
これらは、剣なき天秤は無力を示し、天秤なき剣は暴力を示しているのだ。

力こそ正義ではない、正義は力ではない。
それは人間が人間として在るための理であり、積み上げられてきた歴史がそれを証明していた。

レンガ造りの城と見紛う建物の前に建てられた女神の像を、名前は抑揚のない瞳で見上げる。
力無き人間を虐げるものを裁くのは、一体誰なのであろう。
人が生きる上で他者との衝突は免れない。そうして人間は自分本位の生き方を捨てて、他者を思い遣れるようになっていく。だがそれはあくまでも正しい人間同士がぶつかり合った時の話で、現実はそうではない場合も多い。

法が適応される事件までに発展してしまえば、そこにも問題は多くあれど、取り合えず他者を挟んで話し合いにまで持っていくことができるのだ。だが……そこに至らない事件を多く抱えるのがこの国である。


「兄さん」


体温を根こそぎ奪うかのように冷え切った風が吹き付ける中、暗めのベージュ色をしたトレンチコートをきっちりと着た男が、名前にそう呼びかけた。兄さんと呼ばれた名前は視線だけを向けて、それに応える。


「……仕事だ、エミヤ」

「ああ。わかっているさ」


黒い革靴がレンガを弾く音が名前に近づく。
灰色にも見える白い髪を風に揺らしてその長身を名前に近づけ、彼の耳元に己の唇を宛がうと、ぼそりと何かを呟いた。


「正義の女神サマに仕える僕が……裁くモンを間違えちゃいけねえわな」

「愚かしいことだな。欲に濡れた人間であるほど、その目を塞ぐことはできないのだろう」

「なら、塞いでやれば良い。そうだろ?」

「ああ。……だが、兄さんの手を煩わせるまでもないさ」


灰の瞳が、兄と呼ぶ名前に向けられ穏やかに細められる。そして伸ばされた黒革の手袋に包まれた手が名前の手を握ると、その表情が歪んだ。


「こんなに冷えて……。すまない、もう少し早く来れば良かった」

「問題ない。手袋を忘れた俺が悪いんだから」


エミヤという血の繋がらない弟が、こうして名前の世話を焼きたがるのは今に始まったことではない。なので苦笑いを零した名前は、褐色の頬に触れさせられ、じんわりとしたぬくもりが伝う自分の手を、好きにさせた。


「大丈夫だ。……それよりもそろそろ行くぞ。長いするような場所でもない」

「ああ。わかったよ、兄さん。帰ったらちゃんとあたためるからな」


己の手袋を貸そうと外しかけたそれを止めた名前は、裾を翻して正義の女神に背を向けた。
すぐにエミヤは女神に一瞥もくれずに、その背中を追う。彼にとっての正義の象徴は、神ではない。届きそうで届かない、目の前の背中。それがエミヤの正義なのだ。

名前は、以前警察官であり、司法の人間であった。
その志を抱いたのは、幼少の頃だっただろうか。随分ありきたりな理由だった気がするが、もう覚えてはいないし、語るに値しないことだ。
名前は他の追随を許さぬほど優秀であった。数多くの人間が彼に注目した。その中には政治や芸能関係者も多くいて、誰もがその権力と財力を振り翳して名前を囲おうとした。それ程までに名前は優秀であり、高潔なうつくしさを持っていたのだ。しかし、名前が頷くことはなかった。寧ろ、そうされる度に心には失望という二文字が刻まれていく。

そうして、正義の平等を象徴する胸のバッジさえも疎ましくなって来た頃、名前はとある少年に出会う。
ニュースや新聞でも大々的に取り上げられるほどの、凄惨な事件の唯一の生き残りであり証人である彼に、名前は最初いつも通りに接した。今思うと、当たり障りない非常に事務的な態度であったと思う。まさに『誰もがやっている、マニュアル化されたもの』である。

……少年は、涙に濡れた大きな瞳を、輝かせて名前を真っ直ぐ見つめた。
そして『正義の味方』と、名前を呼んだ。

ただの可哀そうな被害者が言った、たった一つの言葉。
それが名前の目を覚ました。

剣と天秤を両手に携えた名前は、やっと瞳を隠して生きる術を得たのだ。
そしてその結果が、都心の一等地に建てたビルであった。


「あー、あの場所に行くと肩が凝ってしかたない」


厳重なセキュリティーをパスして最上階まで上がった名前は、着ていた上着をエミヤに預けて、滑らかな黒革の椅子へと身を預けた。名前が拘って特注した重厚なつくりの椅子は、軋むことなくすっぽりと迎え入れる。

都心に聳え立つビルの群れが一望出来るこの部屋が名前の仕事場であり、住処の1つであった。
広々とした部屋は数多くの調度品が飾られており、歴史的な価値の大きいものばかりが並んでいる。これについては、名前を慕う『仲間』からの贈り物である。とだけ言っておこう。
武器倉庫からキッチンまで、全て揃ったこのビルには最新鋭の設備が揃っており、中で生活するメンバーは色々と謎が多いのだ。


「ふ…っ、兄さんの古巣だろう?」

「嫌な記憶がたっぷりつまった、な」

「それなら、いっその事……消してしまえば良いさ」

「ふふ、オルタと同じことをお前もいうのか」


名前の好む紅茶が淹れられたカップが置かれ、凝ったつくりの洋菓子が並んだ。
先ほどまで、スーツの上にトレンチコートをきっちりと纏い、何処かの俳優かと見間違われるほどの恰好をしていたエミヤは、ニットのセーターにエプロンといったラフな服装に変わっていた。これが彼のいつもの服装である。


「兄さん……今日の予定だが、これで良いかね」

「お前に任せるよ」


差し出された書類に軽く目を通しつつも、信頼していると言外に告げた名前は、銀のフォークを手にすると洋菓子を切り分けて、その一つを口にする。その様子を僅かに緊張を滲ませるエミヤは、名前の表情の変化を逃さないように注視した。


「前の方が良いな。バターがしつこい」

「…っ、そう…か。すまない。別のものを持って来よう」

「いや、これはこれで良いさ。好みの問題だから」

「……」


とろりと溶ける食感は非常に好ましいが、使用しているバターが良くない。表情を緩めてそうはっきり言った名前に、エミヤは焦りと衝撃を浮かべた。

名前の気まぐれにより事業の一つとして採用された、レストランがあった。
それはこのエミヤが中心となって経営されており、和菓子や洋菓子の販売も行われているのだ。全国各地から買いに訪れる客が絶えず、完売という文字が並ばない日がないくらいの有名店となっていた。……商品に負けず劣らずの人気ぶりを売り手たちも、誇っていたりする。

だがこうして名前に出されるのは、完全にエミヤのオリジナル商品であった。
彼が名前のためだけにつくりあげるそれは、常に最高のものをと、文字通り愛を籠めてつくられている。だがエミヤの舌を鍛えた名前が手放しに喜ぶようなものを、未だつくれていなかった。
故に周りからどれだけ賛美され、どれだけ賞をもらえても、エミヤは納得しないのだ。


「お前も真面目な男だね。……良いかい。
味覚は人の経験にも左右されるものだ。俺一人の意見など参考にもならない。
数多くの声を聴いて、平均を取った方が効率的だぞ」

「……これはビジネスではないのだよ、兄さん。あなたに対する、挑戦さ」

「ほう、それは面白い」


形の良い唇をあげて挑発的な笑みを浮かべたエミヤに、くつりと喉を鳴らす。


「それなら……お前が、俺を満足させられるか……たのしみにしているよ」


椅子に座る名前が愉快そうに笑うと、エミヤはその長身を曲げて、長い指を伸ばす。
名前のネクタイに触れた指先が、器用にそれをしゅるりと解いた。
解かれたそれに手を伸ばして受け取ると、名前はエミヤの首にそれを巻き付けてリボン状に結ぶ。


「あとは成功報酬だ、エミヤ。
いいコに出来たら……お前にあたためさせてやる」


先ほどまで冷え切っていた指先はもう温度を取り戻していた。
しかしそれを希うかのように切なげに細められた瞳が一度閉ざされると、ゆっくりとその体が名残惜しげに名前から離れていく。それと同時に、部屋の扉からノック音が響いた。





*続く?*

補足:正義を謳う警察及び司法組織を見限った名前は、独立組織を創設。表では様々な業界で活躍を見せるが、その本質は裏にある。『声亡き助け』を叫ぶ者たちへ救いをもたらすため、根源を排除する。
その方法は依頼者の意思を尊重する。
ざっくりいうと、精神的や肉体的に苦しめられた人たちが、その原因となったものに対して、正当な報いを受けるように、裏から働く。依頼方法などは追々。
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