それは何処かで、みたような光景であった。
地を這う炎が次々と火柱を上げて何もかもを焼き尽くす。
あがる悲鳴、吐き気を誘うにおい、肌を焼く熱…。
見慣れないはずのこの状況が、何かと重なり、重くなる頭で記憶を辿るが、正常ではない頭では何も思い出せなかった。
そんなことよりも、そもそも何故自分がこんなところにいるのだろうと、遠くなる意識が一番近い記憶を探り出す。
「カルデア」のレイシフト実験という名目で、そう確か自分はこの場所に来た。風邪を拗らせてこれなくなった友人の代わりで、渋々ではあったが…。それで…説明会の途中に何故か気分が悪くなり、こっそりと外に出て…そして、気が付けば、周りを炎に囲まれて、いた…。両側には説明会で見かけた少女たちが、頭から血を流して倒れこんでいた。どこぞの有名な魔術師の娘だと声高々に名乗りをあげていたので、その顔は記憶に残っている。
例え、どんなに高名な魔術師とはいえ、人の命を戻すのは不可能であろう。死は自然の流れなのだ。魔術ですら自然の理に従うもの…故に、もう地に伏せる者たちは二度とその意識を戻すことはない。
暫くその姿を見つめていた名前は、もぞりと体を動かしてみる。崩れてきた建物やガラスの破片で傷を負ってはいるが、歩けないほどではなかった。そのことを確認した彼女は、一歩一歩足を動かして、尚も燃え盛る建物を何とか自力で脱出することに成功した。
だが…脱出してからも、地獄は続く。いや、外の方が地獄であった。
視界に広がる空はまるで赤銅でも流し込んだように、赤い。燻る色々なものを混ぜ込んだようなにおいが、嗅覚が麻痺していても、熱風と共に脳を焼く。
何処か傷ついた体を休める場所はないかと、視線を四方に動かすと、少し遠くに、何かが積み重なっているような、塊をみた。再び何か予感のようなものが彼女に走り、思わずそれを凝視する…。そして、それに焦点が合い、酸素が欠乏した脳が、それがなにかを、理解しかけた、その時。
「グォォオオオオオッ!!!」
全身に響く、その声は、嘆き声にも鳴き声にも悲鳴にも聞こえて。
反射的に動いた体を傷ついた足では支えきれず、名前は焼けた地に倒れ込んだ。彼女がいた場所には、剣が突き刺さっており、その柄を黒い手が握っているのが見えて、また彼女の脳は、何かを思い出そうと動き出す。
黒い…、それは真っ黒の、人型の、何かであった。
こういうのを化け物と呼ぶのだろうか、と虚ろな、人ならざるものと一目でわかる、その目が名前を捉え、ゆっくりとした足取りで、近づいて来る。
ああ、この生き物は人を殺すものだ、とわかってはいた。そして先ほどの積み重なった山は、人間の死体の山であることを理解した。
だけれども、彼女の体は、動かない。
「………」
名前の唇が、その言葉を…その名を、紡いだその瞬間。
彼女の意識は完全に、闇に消えたのである。
「………、ねえ、さん…?」
意識を失った彼女を包み込むように吹き荒れた一陣の風と、彼女を囲むように現れた大きな円と文字…魔法陣と呼ばれるそれが弾けるような光を放った。
…光がゆっくりと弱まり、一人の男が姿を現す。
炎の光により照らし出される、剥き出しの黒い肌。
その肌を這う、黄色い亀裂。
虚ろなその金の瞳は、地に倒れる彼女の姿をぼんやりとみつめていたが、突如光を宿した。光を戻した瞳は見開かれ、絞り出すように掠れた声が、ぽつりと落とされた。
「あ、あああ…、ねえ、さん…っ、
名前…っ、名前!!!!」
地に膝をつけて、名前を抱き起したその男は、酷く震えるその手で、煤で黒ずんだ頬にそっと触れた。彼女の規則正しい吐息をやっと確認した男は、ガラス細工にでも触れるように、彼女の乱れた髪を撫で上げる。
不意に、その瞳が細められたかと思うと、ぱあんという高い音が1つ、響いた。
「グ…、」
「皆殺しだ…っ。…1匹残らず、な…」
赤黒いその銃剣を反転させ、銃口を己の後ろに向けた男は、その儘の体勢で続けて3発撃ちこむ。的確に放たれた銃弾は、魔力を感じて集まってきた黒い化け物たちを消滅させる。それにより作られた隙を突いて、名前の体を抱き上げた男は、空いている方の手に、銃を構えなおし、狙いを定めた。
その顔は、まさに鬼神の如く、怒りに歪んでいた。
*********
「…ん」
意識が浮上するのを感じて、名前は瞳を開けた。どうやら気を失っていたらしい、と気付いて、体を起こそうと力を入れると、横から伸びてきた黒い腕がそれを阻止した。突然現れた、筋立った太い腕に驚いた彼女が、慌てて腕の持ち主を見上げると…そこにいたのは、何処かで、見た顔で。
「……あなたは…」
「…………アンタが呼んだ、男さ」
「……、なの…?」
「……その名は、記憶にないな」
彼女の発したそれを、否定する言葉とは裏腹に男の顔は堪えるように歪む。それを見て、何度か唇を動かし言葉を続けようとしたが、どれも失敗に終わった。ずきりと走った痛みが、妨げたのだ。
痛みを放った頭を押さえ込んだ名前は、ぱっと何かが開けたような感覚に襲われる。直後、目覚めたように動き始めた脳がとある記憶を、流し始めた。津波の如く怒涛の勢いで。
『生前の記憶』らしいものがあることに、気が付いたのは、物心ついて直ぐのことであった。知らない土地、知らない家、知らない人間…。何気ない時に浮かんでくるそれらに、妙な懐かしさを感じて、記憶を探るように空想に耽った。空想は人に受け入れられるものではないことを、何となく感じ取っていた彼女は、それを人に話すことをしない代わりに、ノートに全て綴った。
途切れることを知らなかったそれが、少しずつ薄れていったのは、何時のことであろう。正義の味方に憧れた少年が、姉と慕う1人の少女に導かれて、数々の人を救っていく。少年の人生には、ただ一度の賛美はなかった、何故ならば皆少年を知ることはなかったからである。だが1人。少年を導いたその少女が、全てを記憶した。
そして記憶のもとに綴られた物語は、救導師と名ばかりの妙な女に人質に取られた少女が、その身を投げ捨て、少年を救うという話で、終わっている。
…そう、まだ少年の物語は終わっていないのだ。
「…っ、名前、名前…!
どうした?…痛むのか?」
「………」
これは、残酷な…開幕だと、薄れていく痛みに大きく息を吐いた彼女は、目を閉じる。流れてきた記憶の波を受け止めた彼女は、目の前の男が誰なのか、そして何が起きたのか、わかっていた。そして今自分がこの場所にいる理由にも、合点がいった。
しゃがみ込んだ名前を、心底心配するように覗き込む男に、大丈夫だと告げた…が。ぎゅと抱き締めるように、その胸に顔を埋めさせられ、背中に回る腕に身動きが取れなくなった。そうすると嫌でも聞こえてくる心音と、堪えるような吐息に、抵抗など考えられなかった。微かに伝わる震えは、きっと自分の所為であろうことは、彼女にはわかったから。
「ばかな、ひとね…。私のために、そんな姿になること、なかったのに…」
「…弱い男だった。たった1人の、女がいなければ、立っていられなかったのだよ」
静かな、低い声が…名前には泣いているように、聞こえて。
頬に触れるしっとしとした男の肌の、その奥から聞こえる心音に、再びその瞳を閉じる。触れ合う肌から流れる彼女の魔力が体を回り、非常に緩慢ではあるが、痛々しい肌の裂け目が小さくなっていくのが男にはわかった。
召喚されてから…、いや厳密には、その少女を失ってから…。
男の記憶は非常に曖昧であった。一日前のことすら、気が付けば思い出せなくなっていて。でも、それすらどうでも良いことであったのだ。
少女のいない、世界など…記憶することでもないと、そう思って。男はただ戦場を駆け殺戮を尽くす。殺した相手が偶々『悪い人間』であっただけ。それだけのこと。
身体も、脳も、溶け始めた。記憶も、欠落していく。
その中で…少女の声と、姿だけが…男の脳に、残り続けたのだ。
そして、今この時。
男は失ったものを、取り戻した。
身体を巡るのは…何よりも求め、恋焦がれた少女の…いや女の、魔力。
それにより鮮明になる五感が、名前を、確かめるように長い時を埋めるように、求め始める。脳に刻まれる彼女の、温かな体温が、血色の良い唇や頬が、ゆっくりと瞬く瞳が、そして自分を呼ぶ声が、ああ…なんといとおしいものか。
「もう、俺の前から消えてくれるなよ…。二度は、耐えられん」
「……ええ。その代わり、守ってくれるわよね?」
「愚問だな。…だが頼むから大人しくしてくれよ…。
下らない正義感で死ぬのは、俺だけで充分だ」
「それは約束できないわ。
やるべきことをやらずに、見ているのは性に合わないの。
知っているでしょ?」
再び彼女の柔らかな頬に触れ、その大きな手で包み込むと、生に輝く瞳をじいと覗き込む。灰色のそれではなく落ち着いた金を宿す瞳に、何も言わずに名前は微笑んだ。守られるだけの女ではないのは、わかっていたが、とふと上がる口角と緩やかに細められる瞳。それらに、重なる面影を払うように、少女は立ち上がる。
「ねえ、私と生きてくれる?」
「ああ…勿論だ」
ゆるりと立ち上がった男を見上げて満足げに笑う、
虚無であった己をポンコツだと嗤う男を繋ぎ留め続けた『少女』。
正義の名のもとにその魂を切り売りした挙句、その身を腐らせた男は、ただ1つ、残ったその光を選んだ。捨て去った正義、舞い戻った少女。
それは男にとって、最高の…いや理想の、物語の始まりであったのだ。
********
白亜の壁に囲まれた施設カルデアに、同じように生き残ったマスター候補である1人の少女と、何とか無事に辿り着いたのは、彼女の英霊がいたからであろう。
あの後、暫く炎上を続ける冬木を歩き回っていた。
実は、昔から保持する魔力が化け物以上と称されていた名前。身を守る魔術や体術も体得していたが、そこは彼女の英霊が活躍したのである。なので、次々と堕ちた英霊が湧き出る地獄のような場所を、平然と探索することができたというわけだ。
探索を続ける中で出会ったのは、青い髪を持つ英霊で。よく知った顔の男であった。相性があまり良くない英霊2人を引き連れて、歩くのは非常に大変であったと言っておこう。名前にちょっかいを出す青い髪の男に、銃をぶっ放す彼女の英霊。そんなやり取りをしつつ、更に生き残りの少女と、デミ・サーヴァント、そして所長と呼ばれた1人の女を発見し、色々あったが合流した。
デミ・サーヴァントになりたての、少女に力の扱いを教えたのは…名前の英霊ではなく、同じように冬木を正気を持ってうろついていた青い髪を持つ英霊で。
3人の英霊の力を以て、特異点を何とか切り抜けて、カルデアへと行き着いた…。これが大まかな経緯である。
「少し、休むといい」
「そうね」
何故、何の代償も無しに英霊の召喚ができたのか。
カルデアに着いた名前は、興味津々といった顔をした職員たちに質問攻めにあった。そういえば、と考え込んだ彼女にフォローを入れたのは、冬木からずっと彼女を守り続けた英霊で。解放された彼女は真っ先に部屋に備えてあるシャワーを浴びたのである。
こびり付いた、炎のにおいも、それに混じるにおいも洗い流した彼女は、やっと息ができると、柔らかな石鹸のにおいのする服に着替えると、近付いてきた英霊にシャワーを浴びるように告げてその背を押した。
人間の頃と変わらない、その扱いに思わず素直に従った男が浴室に消えると、名前は何気なくもらってきてしまった、新品のノートをテーブルの上に置く。
「日記なんて、続いた試しはないんだけどね…」
なんとなく、書いてみたいと思ったから。
途切れた…物語の続きを。
それが例え、少年とは同じで違う存在であっても。
静かな、まだ生活感の無い、がらんどうな部屋。
耳を打つシャワーの音が、彼女には心地良かった。
その音を聞きながら走らせるペンは、さらさらと紙の上を往復し、白いページはあっという間に文字で飾られる。これは自分の記録であってそうではない。不器用な正義の味方を綴った、ただ1つの英雄記なのである。
「…髪ぐらい、拭いたらどうかね」
「っ…!び、…くりした」
呆れを混じらせたため息と共に、かけられた声に思わずその細い体が跳ね上がる。丁度ペンを置こうとしていた所であったので、タイミングを計って声が掛かったことに気付いたが、連動して跳ね上がった心臓は中々治まらなかった。
腰布は外されており黒いズボンだけ身に着けた男は、名前の後ろに回ると手にしていたタオルで水気の残る髪を拭き始める。その優しい力加減は、彼女の記憶に残るものと、何一つ変わっていない。だから、しんと静まり返る部屋も、心地の良いものと変わるのだ。
「貴方も、書いてみれば?」
「…ふん。…大の男が、したためるようなものでもあるまい」
「そうかしら?案外貴方の性分に合っている気がするけれど…」
「それに、…俺を記憶するのは、アンタの役目だろう。
人の仕事を奪うのは、俺の性分ではないさ」
「…そういわれると、何も言えないってわかっているでしょ…」
「さあな」
細い、絹のような糸を手で掬うと、そっとその薄い唇を落とす。
後ろを向いている名前からは勿論、それは見えない。ある程度乾いたその髪を、なんとなく離し難くて、男はくるりとその手に絹を絡めた。
艶やかな髪が、柔らかくでもしっかりと絡む、その手にも…男を蝕んでいた黄色はもう、見当たらなかった。
*終わり*