月蝕の丘

*原作改変
*ぐだ子が出ますが今回は守られ役なので凛々しい彼女はいません。
*どこかの話にも書きましたが、エミヤオルタに関する設定に捏造ありです。
キアラを殺すためにヒロインが自分ごと屋上から転落。その姿を見ていたエミヤが発狂し…という設定。






ヒトは死を恐れるのだろうか。
この世に生まれたものがいずれ迎える死に、理由を求める必要があるとすれば、それはヒトだけの問題ではないのかもしれない。動物にだって植物にだって、それはあると提議するべきであろう。

ヒトは生を恐れるのだろうか。
一粒の細胞が幾重にも分裂していきやがて、命の箱を作り上げる過程は、遺伝子という絵図を基にした神の工作に過ぎないもので、そこに宿る魂の意思は反映されない。なんの感情もなく、生み出されるのだ。

それならば何故、ヒトという高等動物は生と死に理由を求めるのだろう。
それはきっと、ヒトの中の自分という存在を定義するために、無意識に行う防衛反応なのかもしれない。


結局のところ、ヒトは生も死も恐れてはいないのだ。
何故ならば、生けるものが、一番に恐れるものは生と死に付随する『苦痛』なのだから。それが肉体的であっても精神的であっても、痛みや苦しみは厭うものだ。だからヒトはそれを乗り越えるために『苦痛』の先に『神』をみる。





「あ、…ああ、」


「名前っ!!、ックソ…ッ!!」


「早くそいつを殺せ!!撤退だ!」


「名前!!しっかりしろ、名前!!」


「カルデアの医療班に告ぐ!!マスター名前負傷!!傷は深い!すぐに帰還する!」





深淵を覗く時、深淵もまた此方をみているという。
混沌とする意識の中で、遠い昔小さい頃に見た、とある宗教系の絵画が浮かび上がってきた。美しい女神達が描かれた絵であった。絵を見ている筈なのに、女神の神々しさや美しさが瞳を焼くようで、とても眩しい絵であったように記憶している。だが嫋やかに佇むその女神達の、隅には黒くて醜いあれは確か悪魔であったか、そのようなものが描かれており、ぎょろりとした目が此方を見ていた。絵という媒体を通じて、彼らもまた此方を覗いているのだと、今なら気が付けるのだろうか。


ああ、あの目が…昏い、冥い、目が此方を見る。
体の熱が、口から洩れる微かな息吹が、吸い取られるような、冷たい目が。


じくじくと焼けるような痛みが脳を壊すようだ。
痛い、痛い、痛い。この痛みが消えるならば、さっさと息の根を止めてはくれないか。ああ、苦痛だ。無様だと笑われるかもしれないが、辛うじてでも生きているこの瞬間が酷く苦痛だ。


この痛みを消してくれるのならば、それが神でも仏でも…悪魔でさえも、構わないと確かにこの時、女は思ったのだ。







***************








誰に非があった訳ではない。これは事故であった。

レイシフト先は安全なものばかりではない。カルデアの高度な情報収集システムにより、高精度の情報を得ることはできるが、それは絶対のものではない。如何なる天才であっても確定した未来を計算することは出来ないのと同時に、如何なる高性能なコンピューターであっても、計算式のない問題の解を叩き出すのは不可能である。よって、レイシフトは万全の態勢を以て挑まなくてはならないのだ。

人類最後の2人のマスターによって人理修復がなされた後、今まで眠りについていたマスターの資格を持つものたちも任務に加わり始めたが、彼らは頭でっかちな上に高いプライドと根底にある自分本位な考えのために、使えないと判断された。だがカルデアという組織を新に構築していく上では、何とかバランスを取らなければならない。
そのようなこともあって、彼らには模擬の英霊が与えられており、それを伴って任務へと向かっている。

故に人は増えたが、重大な任務には相変わらず2人のマスターが赴き奮闘していた。
今回の任務は人理修復以来の大掛かりなもので、人理修復という大義を終えた2人が同じ地にレイシフトすることになったのだ。


だが、2人が渡された情報とは、真逆の、敵がそこにいた。
それぞれの英霊が持つタイプには相性がある。出来るだけその相性に合わせて編成を組むのだが…。想定外の敵の群れが、いたのだ。





「リツカ…こっちへ」


「う…うん、」





幾度の戦闘を経験した少女であっても、とんでもない衝撃であった。絶体絶命を何度も突破した彼女でも、この先を見ることができなかった。

古いつくりの街並みを2人で駆ける。複雑に入り組んだ通りを利用して逃げれば大型の敵は、追って来れなくなる。2人の英霊はマスターを逃がす為に混戦中であり、1人また1人と名前たちの傍を離れて足止めに向かった。
青ざめた顔をした少女、リツカの手を引いて只管駆ける。
最悪なことにカルデアとの連絡は途切れていたので、通信が繋ぎ直されるまで時間を稼がなければならない。

どうやらレイシフト先は、とうに忘れられた街であった。
人の手から離れたぼろぼろの空き家と、もしかしたらこの街が生きていた頃はシンボルであったのかもしれない高い時計台が、落ちゆく陽の光に照らされて不気味な影を街に落としている。

ばさばさと、敵の羽音が聞こえる。
どうやら狭い通路でも自在に動ける鳥形のそれが、探し回っているようだ。
名前は震える少女を胸に抱いて、低く腰を落とすと、冷えた頭で思考を動かした。
いつもならば、隣で強いその瞳を輝かせて、共闘するのだが、今回は様子が違うようだと名前は少女を見て思う。そういえばレイシフト前の様子も、何か違っていた気がするが…。それは後で聞くことにしよう。





「え…。うそ」





唖然と漏れた声に、名前もそれを感じ取る。少女の英霊の1人が力尽き、魔力が消えたのを感じたのだ。
カルデアに帰れば呼び戻すことは可能であるが、勿論このレイシフト先では不可能で。令呪を全て使用すれば復活も出来るが、今はまだその時ではないだろうと、少女は歯を食いしばる。




「名前姉さん…、わたし、」


「…っ、みつかったわ」





戸惑うような色をみせて、何かを言おうとした少女の言葉を聞きたかったが、ふいに名前たちの頭の上に影が落ちたかと思うと凄まじい悲鳴のような鳴き声が響き渡る。どうやら場所を周りの仲間に知らせたらしいと判断した名前は、再び彼女の手を引いて走り出した。

崩れた舗装に足を取られないように、石畳の道を走る。
遠くで、近くで、戦いの音が聞こえ、高い剣戟の、そして銃声がけたたましく街に響いていた。

マスターからあまり離れてしまうと魔力供給が上手くいかなくなるのだが、そうも言ってられない。完全に街に閉じ込められた名前たちが助かる道は、一度撤退するしか最早ない。





「仕方ない、あの時計台へ!」





体ごと突っ込んでくる敵を避けながら所持していた短剣で切りつける。名前1人ならば戦闘も可能だろうが、何せ数が多い。今は走るしかないと、後ろの少女を気にしつつ細い道を抜けて、大通りに出る。
すると、ヘラクレスよりも大きいであろう、巨大な黒い塊が時計台に至る唯一の道を塞いでいるのが見えて、彼女たちは足を止めた。その黒い塊には、ぎょろぎょろとした目が全身に飾りのようについていて、いつかの魔柱を髣髴とさせた。

それを見た名前の頭は、その先を決めていた。





「っ、リツカ…っ、先に、時計台の中へ!」


「い、いやだ!!…私だけなんて、いや!!…名前姉さんと一緒に…」


「すぐに行くから。大丈夫。
今までの細道をまた回って撒けばいける。
このままじゃ、2人ともダメになるから…リツカ、お願い。行って」





ぎゅ、と名前に抱き着いた少女の頭を撫でて、優しく引き離した名前はふわりと笑う。
少女だってわかっているのだ。だから決断をさせなければならない。
名前は身に着けていたルーンを彼女の首にかけると、短い呪文を唱える。それは姿隠しの呪で、少しの時間だが透明人間になれる魔法であった。途端に少女の姿が消える。唱えたものである名前にしか見えなくなった少女は、じわりと浮かぶ涙を堪え、唇を噛みしめたかと思うと、時計台の方へと走り出した。

その姿をみて、名前はふと息をつく。
自分の英霊は近くにはいるが、とても呼び戻せる状況ではない。足止めしていた敵がもし時計台の方へ向かってしまった場合を考えると、簡単には戻せなかった。





「さて、偶には自分でなんとかしないとね」





軽い言葉を紡ぎ、乾いた唇を舐めた名前は、巨大な黒い塊に大きめな石を投げつけた。それは意識を名前に向けるためであり、命がけの鬼ごっこが始まる合図でもあったのだ。







来た道を、1人走る。
息などとうに上がり切っており、肺が焼けるように痛い。
最近運動不足だったからなと、事務仕事ばかりしていた自分を恨んでも、遅かった。
どうやら連れてきた英霊は半分ほどカルデアに強制送還されたらしい。ということは、こちらの状況が向こうにも伝わっているのだろう。これは早急に通信を繋ぎ直してくれているなと考えると、希望は見えた。

だがあれだけ鍛えられ強化された英霊が、あっさりやられていくのだ。
相性というのは本当に恐ろしいと名前は、後ろから地響きを立てて追って来る巨体を確認しつつ、ため息を吐いた。

これ以上味方を減らされるのは不味いと判断した名前はとある場所へと、巨体を誘導するべく細い道を走る。
脆い家屋が巨体により倒され、埃や塵が舞う。時折黒い塊が放つ投擲物を躱しながら、街の隅にある広場へと辿り着いた。





「…は、…はっ、は…。帰ったら、体力づくり…から、ね」





くるりと振り返った先には、息を上げるどころか、血眼で名前を捉える黒い塊の姿があった。













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「……残り…、1つ、か……。きっついわ…」






砕かれた宝石は、彼女が遠い昔親友に教わった魔術を使った印であった。
所持していた名前の力が込められた宝石で、目玉を潰し、彼女が祈りを込めた短剣を脳天に突き刺すことで、黒い塊の息の根を止めたのだ。言葉にすれば簡単なことだが、実際には名前の体には打撃痕が無数あり、罅が入っているか折れているかわからないほどの痛みが体中に走った。

黒いそれに殴られ、壁に叩きつけられた痕なのだが、それにも構わずに名前は時計台へと向かう。どんなに痛みがあろうとも、少女のことを考えればなんてことはなかったのだ。





「…っああ、…いたい、な」





名前は回復の術を持っていた。魔力を消費すれば令呪を使わずに傷を塞ぐことはできる。だけれどもカルデアに帰還出来るのがいつになるかわからない今、悪戯に魔力を消費するわけにはいかない。
時計台に至る道へと戻った彼女は周りに敵がいないことを確認すると、今度こそ時計台の中へと足を踏み入れたのだ。


だが、彼女はその内部を見て冷や汗をかくことになる。

そう…目の前には何百段あるか、というほどの螺旋階段が、時計台の上まで続いていたのだから。






「ほんと…っ、厄日…っ!!」





英霊がいれば英霊に運んでもらうのに、と浮かんだ思考を消す。いつの間にか彼らに頼りきりになってしまった自分に気が付いたからである。足の骨はなんとか無事らしい。あちこち痛みはあるけれど、上がれないほどではなかった。
あとは只管少女の後を追うだけである。恐らく彼女はもう上まで上がりきってしまったのだろう、と重くなっていく体に鞭を打ち、魔術礼装を翻しながら、駆け上がった。


半分を過ぎ、あともう少しというところまで、名前が辿り着いたとき。

どおん!!という轟音が聞こえ、時計台が大きく揺れた。
ぱらぱらと時計台に積もっていた埃やら、脆くなっていた部分が落ちていくのを横目に、彼女は残りの段数を駆け上がり、中へと繋がる扉を開け放つと、そこには。





「リツカ…っ!!」


「きゃぁ…!!!名前姉さん…っ!!」





どうやら、巨大な鳥の姿を模した敵が、時計台の時計の部分を突き破り中へと入ったようで、時計の残骸が散らばっていた。そしてその少女を勢いのままに押し倒し、鋭い嘴を振り落とそうとしていた、その間に入った名前は、次の瞬間。自分の肉が千切れる音を遠くで聞いたのだ。

心臓を潰されたのかと思うほどの、血が零れぼたぼたと落ちる。
目を見開き悲痛な叫びを上げる少女を潰さないように、彼女の横に倒れこんだ名前は、痛みを通り越したそれに何とか意識を保つと、黒い巨大なその鳥が羽を広げて、大きく鳴いたかと思うと、再び少女に襲い掛かったのだ。





「ああああ…っ、ちょっと、離してよ!!!」





太い、人間の男の腕ほどありそうな鳥の足が、少女の体を掴む。どうやらその鋭い爪が体に食い込むことは避けたらしい。が、名前はその鳥が何をしようとしているのかわかってしまった。その瞬間、痛みが、消えたのだ。

鳥が時計台から飛び立つ、その直前に、名前は少女の体に飛びついた。
勿論、外を見る余裕などない。空高く伸びる時計台の最上階から落ちたらどうなるか、それにすら思考を回す余裕などなかったのだ。






「名前姉さん…っ」





仰ぎ見た、空。
太陽がその身を隠し、薄らと山の向こうに見える光が世界を儚く彩る。
侵食する夜の闇と、消えゆく光が織り成すその空は、何よりも美しく名前の目に映った。

ぎゅうと、少女の体を抱き締める。
名前から漏れ出る血液が少女の服すらも、赤く染め上げていて、朦朧とする意識を維持できているのが奇跡のような状態であったのだ。彼女にはまだもう1つやることがあったから。

このまま落ちては少女も無傷では済まないだろう。
ならば、衝撃を衝撃で殺せば良いのだ。
細い息を漏らした彼女は、近づいてきた地面を感じて、最後の集中をする。
そうして…放たれた最後の宝石があげた、爆発に少女たちは意識を失ったのである。











****************







「…うう…、あれ、生きてる…」




少女、リツカはもうもうと砂埃が上がる中その身を起こした。
混濁した記憶を探りつつ、こんなにも英霊の力を借りないで走り回ったのは初めてだと、対して役に立たなかった自分に対して深いため息と、罪悪感に蝕まれた瞬間。




「名前…姉さん?、姉さん、…ねえ、大丈夫?」




ぱっと己の身を守り落ちた名前を思い出して、飛ぶように彼女の姿を探す。
すると…点々と、落ちた赤い血のその先に、彼女は、倒れていた。彼女に飛びついて、その体に触れたリツカは思わず体を硬直させた。それは一目でわかるほどの絶望的な、傷であった。腕や足に刻まれた打撲痕は青を通り越して黒く大きい、だが何よりも、胸から吹き上がるように次々と零れる血が、まるで名前の命のようで。リツカは血に塗れるのも関わらず、ぎゅうと傷口を塞ぐ。

頭の中は、真っ白であった。
漏れる嗚咽、落ちる涙…。人理修復という長い道のりを共に歩んできた最愛の、姉のような存在が、消えてしまうことは、彼女にとって一番の恐怖であったから。






「ねえ、さん…、ねえさん!!いやだ…、やめて、うそ…」


「名前!!!」





これだけの、傷をどうすれば良いのかわからなくて、縋りつくように名前に叫んでいたリツカの背後から、慣れた気配がいくつも近づいてきた。消えゆく魔力を感じ取ったらしい、焦りを滲ませて駆け寄ってくる英霊たちの中でも、その英霊は、真っ先に彼女の体に触れたのだ。








*********************







「名前…」





ぴ、ぴと規則的なリズムを刻むモニターの音が、冷たいくらい静かな部屋に虚しく響く。


今回のレイシフトは、失敗に終わった。
あの後すぐに回復した通信で帰還できた名前たちを待っていたのは、1つの冷酷な真実である。
『改竄された情報』が流されていて、それにより今回のような事態が起きたのだと。普段のクールな表情を崩した名探偵が、吐き捨てるように、話し始めた。どうやらこれは仕組まれた罠であったらしい。

人理修復の際に冷凍保存されていたマスターたちが、2人を妬んだのだ。
魔術師という人間は血筋や家柄に赴きを置く。だがこのカルデアでは、経験も豊富で、多くの英霊を従える2人を主として動いているために、そのようなことは重視されない。
簡単にいえば、家柄も実力もあり教育も受けた魔術師が雑用のような任務しか与えられないのに、何故何もない一般人が、大事にされているのか。という思いが、彼らを負の方向へと走らせたのだろう。

7つの大罪としても掲げられている嫉妬という、人間の欲を全て否定することはできない。
だが、彼らは確実に間違えたのだ。



白いベッドに横たわる名前の頬を撫で、青白い顔を覗き込む影が1つそこにあった。
重傷を通り越して致命傷を負った彼女は、鬼の形相をした看護婦により一命を取り留めたものの、任務から一週間経過したというのに、意識は戻っていなかったのだ。
毎日英霊たちがこの病室を訪れ、もう1人のマスターは時間があればずっとベッドサイドに備えた椅子に座り、ずっと付きっきりの状態であった。しかしこのままではリツカも倒れてしまうと、婦長に追い出され、今は自分の部屋で休んでいるのだろう。

伸ばされた浅黒い腕には、黄色にオレンジ色を混ぜたような痛々しい色をした傷がいくつも走っている。この英霊…エミヤオルタは、元々壊れた状態で名前に召喚された。それを時間をかけて彼女が癒し、彼は失っていたものを取り戻したのだ。
だが、どうしてもその維持には彼女の魔力が必要であった。故に5日以上彼女からの魔力供給を受けられないと、徐々にまた崩れていく。

しかし、彼にはもう…失われる記憶や、味覚などどうでもよかった。
何もかもを無くした男を、救い上げた名前の、その存在がないのであれば、己の存在に意味は為さないのだから。





「…名前…」





うわ言のように、己が主の名を何度も呼ぶ。
どんなに卑劣に練られた罠とはいえ、守れなかった事実は何も変わらない。
『また』失って、しまう。『また』己の手から、零れ落ちる。
足元が崩れ落ちるような絶望とは、このようなことを言うのだろう。
じわじわと胸を穿つ、暗い闇を彼は良く知っていた。





「名前…死ぬのか、また…俺の、前で」





抑揚のない低い声は、唸るようなそれにも似て。
段々と記憶を蝕む侵食の足音が、彼の耳には聞こえていた。
彼は恐れた。名前の記憶が崩れ去るのを。彼女に関するものは何一つ失いたくなかった。

考えるだけで、心の臓が冷え上がり、目の奥が眩む。
だからこそ、エミヤオルタは、その手に自らの武器を持ったのだ。





「名前…。俺は「俺はアンタの居ない世界で生きるつもりはない。とでも言う気かね」


「…っ、何をしに来た」


「ふん。名前はキミだけの主ではない。様子を見に来るくらい当然だろう。
それに偶に…いや頻繁に病床の姫君に悪戯をしようとする不届き者がいるものでね」


「番犬の真似事か?似合わん真似はよせ」


「どこぞの狂犬と一緒にしないでくれたまえ」





ゆっくりと銃口を上げようと力を込めたその時、首筋に突き立てられた1つの劔。
エミヤオルタの手にした銃剣に似たデザインのそれは、今にも彼の首を切り裂こうと力が込められていた。
正常な思考を失いつつあった彼は、後ろから忍び寄って来た気配に気付くのが一拍遅れ、忌々しげに後ろの気配を睨み付ける。





「別にキミが誰と心中しようと勝手だがね。
しかし、その相手が…名前だというのならば、私も本気でキミを殺さなければならないのだが…」


「……彼女は、俺のすべてだ。アンタならわかるだろう」


「ああ。痛い程わかるさ。それは私も同じことだ」


「時計台から落ちていく名前をみたとき…最悪の記憶が、戻ってきたんだ…。
俺という腐った存在が生まれる原因となった、あの…忌まわしい、記憶が…」


「…最愛の女を、義姉をあの女に絡め捕られた…あの時のこと、か」


「あの時の、絶望を、苦しみを、痛みを!!!覚えているだろう!?
俺はもうあんな思いは御免だ、失うぐらいなら…殺す!」


「ならば、私が相手になろう。
私だって、名前を失うのも…他の男に掠め取られるのも、御免なのでね」





怒りに見開かれた瞳。その怒りは守り切れなかった自分に向けられたものなのだろう。ぎりりと噛み締められた歯に、震える腕、漏れる息が、痛々しかった。

エミヤオルタに剣を突きつけた赤い外套の英霊もまた、彼と同じ目をしていた。
そう元々はその英霊…エミヤの、姉でありそして、彼が一番彼女を見て来たのだ。それは自惚れではなく、事実であり、それがエミヤという英霊の、いや人間の矜持であったのだ。それがこの場所に来てから一転した。
ずっと守って来た名前は、己のものではなくなってしまった。
そうはっきりと感じたのは、このエミヤオルタという自分であって自分ではない存在が、召喚されてからのことで。
一度抱いた、暗い感情は消えることなく、ずっと彼の胸を燻っていたのだ。





「ああ、うっかり殺してしまっても…文句は言わないでくれたまえ。
私はどうも手加減は苦手でね」


「…それは俺の台詞だよ。
そうだな、自分であって自分でない存在を、消してしまうのは実に愉快なことだろう」


「キミはいつか、私に言っただろう?
腐っている自分を見るのは殺したいほど悍ましいだろう、と。
それは違うさ。腐っている自分自体を否定しようとは思ってはいなかった。

…だがね。キミは…私から、大事な存在を奪ったのだよ…エミヤオルタ」


「なるほど。道理で異常に殺気立っていたわけだ…。
名前にとって、アンタはただの弟であった。ただそれだけの話だろうに」


「っ!…そうであったとしても、私は…」


「ああ、疎ましいね。そもそも名前のことを語るのは、俺だけで充分なのだよ」





ぐ、と喉元に這わされた剣を握り締めたエミヤオルタは、ぷつりと切れた掌から血を流しながら低く唸る。
名前という存在を求める同じ存在は、必要ない。それはお互いに一致した意見であった。

剣を押し返し、後ろの赤き英霊に向き合う。
金と灰の瞳が交わり、静かにその瞳に宿る炎は…怒りと何かが複雑に混ざり合っていた。








未だに夢に眠る名前の瞳は、開かない。








*終わり*