金の銃剣

その男は、不器用だったのだ。
苦しみに喘ぐ弱者を救いたい、守るものを救いたいと、その胸に宿した正義を貫こうとした。
だがそもそも正義というものは、立場を変えれば悪へと変わる、不安定なもの。
己を押し通すためには、時に救いたいものの手を振り解かねばならないのだ。

男は、それが出来なかった。
蜘蛛の糸の話を知っているだろう。御仏が蜘蛛を助けたことのある男が地獄で苦しんでいるのを見て、御哀れみになった。そして蓮の葉に掛かっていたうつくしい銀の糸を、地獄へと御下されになられたのだ。
蜘蛛の糸を掴んだもの達の群れ。地獄から救われたいと思うものは、数えきれない程で、それも地獄に落ちただけの理由のあるものたち。それら全てに理由を付けて、救うことなど、御仏でもしなかったのだ。何故人間の身でそれが成し得よう。

救われたいと、しがみつくものたちを振り払うことが出来なかった男は、やがてその身を堕としていく。
だが…その時。そんな愚かな男に差し伸べられた手が、あった。

それは蜘蛛の糸のように、うつくしい、1つの手。
男が見上げた先には…蓮の花の如く、微笑む1人の女がいた。




「……師匠、…師匠、起きてくれ…そろそろ朝食の時間だぞ」


「…………ああ…、エミヤ、か」




開かれた瞳は、まだ夢幻を彷徨う。
ぼんやりとしたそれにため息を吐いた英霊…エミヤは、仕方ないと言わんばかりに眉を下ろして笑った。
師匠と呼んだその女性(ヒト)は、朝に滅法弱いため自分が起こさなければ、ベッドから降りるのはきっと昼間になろう。自分の役目というには些か小さなものであるが、慕う女性の1日の幕開けを成せるのは、自分だけに許された『特権』なのだと思うと、心が躍った。

酷く緩慢な動きで起き上がった名前に、エミヤは温かな濡れタオルを差し出し、手にしていた櫛で寝癖の残る髪を梳き始める。絶妙な力加減で梳いた髪は、さらさらと砂のように落ちていく。そうしていると、段々と覚醒してきた名前は、寝間着から魔術礼装に服を変える。その間にエミヤは彼女の髪を結い上げると、準備はほぼ出来たようなもので。ベッドに腰掛けた名前の前に、膝を落としたエミヤは、部分的に付けている甲冑を、彼女の細い足やらに付けていった。




「…おはよう、エミヤ」


「おはよう、師匠。トレーニングルームは予約済みだ」


「そう」




やっと焦点の合い始めた瞳が、エミヤの灰と重なり、柔らかに細められる。
すると、その時、自室の扉が開かれたかと思うと、名前の目の前の英霊と似たような顔立ちの、黒い男が入ってきた。




「おはよう、オルタ。今日はどう?」


「ああ…師匠、良い朝だな。問題ないよ」




相変わらずカルデアの空は分厚い雲に覆われ吹雪いている。だがそれを良い朝と言った英霊…オルタは、その金の瞳を和らげた。そうして手に持ったカップを名前に差し出すと、傍らの英霊を一瞥した。




「記憶を欠いても、朝の訓練を忘れないとは…我ながら勤勉なものだ」


「…言っただろう?
何度記憶を失おうとも、腐っていない自分を見ることほど…疎ましいものはないのだよ。
それを合理的に始末できるなんて、理想だとは思わないかね」


「ほう…。お前に、俺が勝てるとでも?」


「未熟な自分にすら負けた男が、何を吠える」


「両側で喧嘩はしないで頂戴。そろそろ行くわよ」




オルタの吐き捨てるように告げた言葉に、目を吊り上げたエミヤに空となったカップを押し付けた名前は、静かに立ち上がった。この英霊はいつも己を嫌っていると、在りし日の少年と青年が、脳裏に浮かぶ。
自室を出た名前の後ろを追う、2人の男の気配に、それが重なるのはきっと彼女の夢見が悪かった。ただ…きっと、それだけなのだろう。

カルデアには数多の英霊が召喚されており、武闘派の英霊も数多くいる。だからいくらトレーニングルームが広くとも、常に使用中であり、当日予約は取れないことが多い。だから早朝の、比較的空いている時間を3人は毎日2から3時間ほど独占して使用している。
偶に…というか毎回のように、誰かしらが乱入してくることがあるが、それすらも名前にとっては楽しみの1つであった。

訓練といっても、名前はもう教えられることは全て教えてきた。
なので繰り広げられるのは3つ巴の戦いで、日によっては弓が使用禁止だったり、剣が使用禁止だったりと、ルールは名前の気まぐれで決まる。
この日は特にそんな気分でもなかったので、『なんでもあり』のルールで行うことにした彼女は、手にした双剣を構えた。名前は武器に拘るが、武器の種類に拘ることはない。『何でも屋』になれと、とある少年に教えた彼女もまた、何でも屋なのだ。

放たれた銃声が、始まりの合図を告げる。

飛んで来る矢を交わし追撃を避ける、振り下ろされた長い足を飛び退いて回避し、一瞬の隙に手にした剣を振り下ろすと、名前の頬を裂いた銃弾が床に突き刺さった。




「妬けるな…師匠。俺の方がアンタを満たせるというのに」


「ふふ、ならお相手願おうかしら」




床を蹴ったオルタは、名前の懐に入るように接近し、銃剣を振るうが、動きを読み取っていた彼女の剣に弾かれる。後ろへと飛んだ彼の足元に、飛んで来た一本の剣が刺さったかと思うと、音を立ててそれが爆ぜた。




「そんな動きで、随分大口を叩くじゃないか」




ぱりぱりと雷にも似た光を剣に纏わせたエミヤは、挑発的な笑みを口元に刻む。
それを無機質な金の目が睨み返すと、2人の剣がぶつかり合った。
鋭い音を立ててぶつかる剣と剣…それを見た名前はその視線を横に滑らせると、強く床を蹴り飛び上がった。
そのほんの数秒後、名前のいた場所に、『朱色の槍』が突き刺さったのが見えて、彼女は乱入者の気配にゆるりと笑う。




「ふふ…お見事、というべきだろうな。
このスカサハの一番槍を、こうも華麗に躱すとは…」




ふわりと、濃い紫の髪が舞い上がると、名前の着地を待たずに、その身を飛び込ませた英霊がもう一本の槍を振り上げた。反射的に翳した手で防御の術を唱えた名前は、何とか乱入者の一撃を受け止める。
好戦的に爛々と光る緋色の瞳が、ぐと名前の顔に近づくと、酷く愉しげに細められた。




「あーあ…あんな顔ちゃって、お前らの師匠、ウチの師匠に喰われちまうかもしれねぇぜ?」


「貴様は自分の身を案じるんだな、クー・フーリン。
今日こそ座に送り返してやろう」


「いいぜ、やれるモンならなァ!!」


「……やれやれ、今日は棘の王まで連れているのか?
まあ、良い…。殺すことには何も変わりないさ」


「さて…殺すか。精々足掻くと良いさ」




乱入者は3人、だが共闘となることはない。名前が決めたルールに、それは許されていなかった。
だからこそ…あのスカサハまでがこの場に参加しているのだろう。
クー・フーリンの師匠である彼女は、名前と戦う中でその可能性を見出した。己の望みを叶えるものとなる、資格があるといえよう。授けた槍を持たないものであっても、どんな状況でもその瞳を揺らすことを知らない名前の、その鋭い切先が己の胸を突き破る瞬間を想像しただけで、スカサハの体は震える。それは歓喜であり、悦びであった。

蕩けるような恍惚のそれを浮かべる、自分の師匠に、弟子である英霊は小さくため息を零す。こうなってしまうと止まらないし、止めるために犠牲になるのはきっと己の身なのだろう。だがそれ以上嘆いている余裕を、赤い弓兵は許してはくれない。

振り下ろされた朱槍を、2丁の銃剣が弾く
薙ぎ払うその一対の剣を、朱槍が穿つ
空を舞う2つの朱槍を、双剣が受け止めた

こうして、今日も今日とてカルデアのトレーニングルームから鳴り響く轟音が、朝のモーニングコールとなるのだ。







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「ししょー…だから、私、言いましたよね?
朝からドンパッチするのやめて下さいってぇぇ」


「可愛い弟子の期待は裏切れないわ」


「都合の良い時だけ、師匠面するのやめてくださいよぉぉぉ!!
ほらぁ!!あなたの弟子たちがときめいてる!!」


「失礼な。私はちゃんと、師匠をしてきたつもりよ?
…あら、リツカ…大丈夫?唇があれているけど」


「ああ、なんか最近口の端が荒れてきちゃった…じゃなくてえええ!」


「エミヤ、」


「ああ、わかっているさ師匠」


「リツカ、ちょっとおとなしくなさい」


「な…っ!!そ、そんな…近い…っ、きれいな顔が…ぁぁぁ!!」




艶々とした彼女たちの顔を見た、人類最後のマスターであるリツカは、今日もまた朝から青筋を立てた。
目覚ましが爆音だなんて、心臓に悪い以外のなにがあるだろうか。いや、ないだろう。それにその音は、爆発音だったり、弟子たちの悲鳴であったりと、微妙にバリエーションが日替わりとなっているので、慣れることができず、まだ早朝にもほどがある時間に叩き起こされることになるのだ。

完璧な防音機能を備えているというのに、その高度な技術も、彼女たちの規格外の力にすれば、脆く崩れ去るしかないのだろうか。と遠い目をしたリツカは、伸ばされた細い指先に目を瞬かせた。
そして、執事のように名前の言葉に従い、リップクリームなるものを懐から取り出したエミヤを、リツカは3度見した。この男は何を目指しているのだろう。そしてこの師匠は彼をどのように育て上げるつもりなのだろう。朝から怒涛の勢いで回る自分の頭に眩暈がした。

思わず固まったリツカの、唇にあてがわれたリップクリームは、なんとも優しい力加減で塗り広げられていく。




「献立の変更が必要だわ。これは口角炎ね」


「口角炎、か。それならビタミンB2、B6、B12、ナイアシン、Aが原因だな」


「ビタミンB2の欠乏が特に原因となる。
ふむ…時に、マスター。レバーはお嫌いかな?」


「え…ええ…べ、別に、普通だけど…」


「ふふ…いいコね」


「師匠、血抜き用のナイフは此処にある」


「ええ、わかったわ。なら行きましょうか」


「ちょ、…ちょっと待って!!ど、どこに…」


「「「狩りに」」」


「え…ええええ!!ちょ、ちょっとなんで…。
この師弟思考回路繋がりすぎてもう私ついてけない…っ!!」




古い言い方をすれば、ツーとカーで通じる関係。阿吽の呼吸というものなのかもしれないが、ノンストップでテンポ良く会話されては、突っ込むに突っ込めない。
だが己の身を案じてくれていることはわかっているので、下手に止められないのが、彼女の良いところであり悪いところである。

そして、この日…おそらくリツカの運は最悪であったのだろう。




「なんだ、狩りにいくのか?」


「ええ…肝を狩りに」


「そりゃ良いな!最近腕が鈍って仕方ねぇと思ってたんだ」


「ふん、…熊の方が良い相手になりそうだ」


「………あああ…揃っちゃった…っ」




師弟合わせて6名。この組み合わせはある意味最強の編成チームであり、最悪のメンバーなのだ。マスターであるリツカにとって。主に話を聞いてくれないという意味でだが。
謎のやる気に満ち溢れつつ管理室へと向かっていく後ろ姿は、非常に凛々しくかっこいい。円卓の騎士たちと似たような雰囲気もある。なのでこのメンバーをリツカは好んでいた…のだ。
よって、弓と槍という、狩猟にもってこいな武器を携えた6名の後ろ姿を、リツカは遠い目で見送るしかもう、できなかった。

その日の夕食は、いつもよりも豪華であった。とだけ書き記しておくことにする。






*終わり*