足早に向かうのはオクタヴィネル寮。
それもそのはず、イリスはオクタヴィネル寮のモストロ・ラウンジの厨房でバイトをしているからである。
小遣い稼ぎでもあるが、アズール達に誘われたというのもあった。

「ごめん遅れた」
「遅いですイリスさん。ずっと待っていましたのに」
「あれ?ジェイド仕事は?」
「貴女がいないので、やる気になれなくて」
「いやそこは私居なくてもやらないと駄目でしょ」
「イリスさん、来て早々申し訳ないですがそこのジェイドをやる気にしてください!もう忙しくて猫の手も借りたいくらいなんです!」
「わお泣かないでママン…」

矢継ぎ早にそんな会話をするやいなやアズールは泣きそうになりながらイリスを厨房へ促した。
ママンと呼んだ一言にすらツッコミを入れる事もないくらい、困っているようだった。
ジェイドは不服そうにそれを見ている。

「ジェイド?」
「本当、イリスさんはアズールと仲が良いですよね。焼けます」
「や、そんなどストレートに言われても…」
「僕の気持ち知っているくせに、狡いですよ」
「狡いもなにもジェイドの方が狡いし…いやそうじゃなくて。お仕事!ジェイド、お仕事しましょ!」
「イリスさんがキスしてくれたら、やります」
「はい?」
「僕は本気です」

何を言うかこのウツボは、とイリスは若干引き気味に思う。
いつもの日常、アズールに追いかけられフロイドに気まぐれに弄られ、それからジェイドに求愛される。
求愛される…?
最早何故そう至ったのかまったくわからない。けれど仲良くなり始めてから徐々にジェイドの独占欲は強くなっている。
軽くあしらってはいるものの、どうやらジェイドは本気のようで上手く伝わらない。
というか話しを聞いてくれないのである。
少し屈んで、イリスの目線と合わせるジェイド。整ったお顔が目の前にある。
いてもたってもいられなくなるイリス。

「いい加減!ちゃんと!働きなさい!」
「それなら相応の対価を頂かなくてはなりません」
「なんで!ここ貴方達のお店でしょ!」

やりとりが一向に終わる気配がない。
アズールはまだ手伝いに来ないのかとやや慌てているようだった。
仕方ない。

「目瞑って」
「はい」

誰も唇に、なんて言ってない。
それなら―とイリスはジェイドの頬にキスをした。
これでも精一杯だし、恋人でもない人にそんな事するなんて顔から火が出そうだとイリスは顔を手で隠す。

「おや、照れ屋さんですね。唇でも良かったのに」
「何を言うかこのウツボは。良いからお店に出なさい」
「ふふ…わかりましたよ」

満足したのかジェイドはホールへ戻った。
イリスは紅くなる顔を必死に隠しながら厨房で仕事をした。
バイトが終わると速効で寮へ帰ろうと着替えて行こうとした瞬間、何かに視界を遮られた。

「…ジェイド」
「当たりです。ご褒美をあげなくてはいけませんね」
「要りません。私はこれから寮に帰るんです」
「おやおや。照れなくていいんですよ」
「いやいや照れてなんかないですよ」

これだから話しの通じないウツボは、とイリスは呆れていた。
しかし次の瞬間またも屈んでイリスと目線を合わせたジェイドはいつになく真剣な顔で話し始めた。

「イリスさん。僕は以前貴女に目立つなと言いましたよね?」
「…うん?……うーん…言ったような言わなかったような」
「言いましたよ。それなのに何です、あの入学式」
「あ…はは…こうほら、不可抗力といいますか…」
「貴女はここで唯一の女子生徒です。変な虫がついたら大変です」

最早変な虫、目の前にいますけど?と口に出そうとして口を噤んだ。
恋人でもないのに、何でこうもジェイドは自分に執着するのかと疑問でしかなかった。

「もう手遅れかもしれませんが、これ以上目立たないでくださいね」
「はーい…」
「僕は貴女が誰かに取られてしまうのではないかと気が気でないしいっそうちの寮に…僕の目の届くところに置いておきたいくらいなんです」
「わおそれ何て軟禁?」
「ですから、本当に気を付けてくださいね」
「分かった!分かったから!」

ぐいっと顔を近づけて言ってくるジェイドに再び顔を紅くするイリス。
このままではオクタヴィネルに軟禁されかねないしここは頷いておこうと全力で頷いた。
恋しい。我がオンボロ寮が懐かしい。

「では、気を付けて帰ってくださいね」
「うん。じゃーまたねージェイド」

これ以上何か言われては怖いので全力ダッシュでイリスは寮へ帰った。
ジェイドが満足そうに笑っているのには気がつかぬまま。

「ただいまユウくん」
「あ、お帰りなさい」
「どこ行ってたんだゾ?」

帰るや否や癒しボーイユウくんのお出迎えにイリスは安堵した。
グリムの問いには稼ぎにね、とだけ伝えておいた。

「お風呂入ったらもう寝るから、ユウくんたちも早めに休んでね」
「はい!おやすみなさい、イリスさん」
「おやすみ〜なんだゾ!」

可愛い可愛い後輩に癒されながらイリスは一日を終えた。
明日からの色々な騒動に巻き込まれることなんえ知る由もなく。


2020.06.02