けの



なぜこうなる。

目の前で大きなバケツをひっくり返したような土砂降りの雨に、ただただ空を見上げるしかなかった。先ほどまで晴天だったとは到底思えず、無意識に舌打ちをして睨みつけてしまう。

今朝見た天気予報では「降水確率は0%! おでかけ日和ですよ!」可愛いお天気アナウンサーの女性がそう言っていたはずだ。上空からの様子では雲一つない空模様だったのに、現時点では土砂降りの雨。畜生、ゲリラ豪雨か。

それも予測していて欲しいと言うのは些か我が儘がすぎるだろうけれど、滝のような雨を目にするとそう思ってしまう。

溜まりに溜まった雨はしばらく待てば止むだろうと、かれこれ三十分くらい雨宿りをしている。恨むように空を見上げるも、一向に止む気配はない。手持無沙汰で先ほどから弄っている携帯端末で天気予報を確認するも、雨は今日いっぱい降るとのこと。場所によっては雷が落ちているらしい。

これはとってもまずいのではないだろうか…?


「………はあ、行くしかないか…」

三十分も無駄にしてしまったと小さなため息をついたあと、豪雨とも呼べる雨の中を駆ける。ここから家までそう遠くはない。けれど近くもない。

微妙な位置に再び舌打ちをしてしまう。ガラが悪いからやめようと思っていても、人の癖なんてそう簡単には直らないんだなこれが。


近所の公園を横切った時、ふと奇妙な塊が一瞬だけ視界に入った。急いでいるにも関わらず、好奇心がうずうずと顔を出す。

気にはなるものの、急いでいるのだから足を止めてまで見に行く必要はない。そうは思っていても人の好奇心とは恐ろしいもので、気になり出したら頭の中でたくさんの想像をしてしまう。きっとこのまま家に着いたとしても、あの奇妙な塊のことを考えて睡眠時間を無駄にしてしまうかもしれない。

もうずぶ濡れなんだから家に帰るのが数分遅れたっていいか。私の思考は一時の好奇心に見事に敗れた。

来た道を戻って公園に目を向ける。先ほどの奇妙な塊はやはり奇怪で、雨に当たらない遊具の下で時折もぞもぞと動いていた。あれはなんだ。人間や犬にしてはやけに大きすぎる。

ここからではよく見えない。
確かめるべく、その塊に近づいてみる。よく見ると塊は毛布か何かで、なんだと落胆していたら微かに動いた。少し怖い気もするけれど、念には念をと毛布に手を伸ばしてひっぺがしてみる。


もふっ。

ちょっと待て。これは毛布じゃない。
この手触りもそうだけど、あたたかいって、もしかして…。

改めて全体をよく見る。猫だ。まごうことなき、猫である。猫科にしてはだいぶ大きすぎるけれど、どう見ても猫にしか見えない。こんなに大きな猫が世界にいただろうか。それはもはや猫ではなく、猫と同類のライオンとかそこらへんの動物だ。

成人した人間が背中に乗れるんじゃないかと言うくらい大きな猫は目も開けず、ゆっくりと呼吸をしている。寝ている、のだろうか。

時折生暖かい空気が吹いてくる。んん?

大変なことに気がついた。私が今いる場所って、大きな猫の口許ですね…?


「………私が見えるのか…?」

喋った。
何がって、この大きな猫が。

びっくりした私は動くことが出来ない。大きな猫はそんなことなど知るかと言うようにゆっくりと身体を動かし、そこで初めて顔を合わせた。大きな猫は大きな瞳で私を見つめる。とても綺麗な瞳だ。緑がかったその瞳は光に反射するとほんの少し黄色く映る。大きな猫が瞬きをするたびに、瞳の中がわずかに動き、まるで万華鏡を覗き込んでいるような、そんな感覚だった。

「……綺麗…」

思わず言葉をこぼす。
目の前の猫みたいな生き物がキョトンとしている。うん、私もなんで言ったのか分からないんですよ。だからそんなに見つめないでください穴が開いちゃうんで。実際開きはしないけれど気持ちの問題だ。

ハッとしてゆっくり目線を逸らす。「いや、目なんて合ってない合ってない。うん、絶対に合ってない」そう自分に言い聞かせる。


「綺麗、か」
「……あ、あの、化け猫、様、ですかね?」
「そんなものと一緒にするな」

すみませんごめんなさい全力で謝りますだからそんなに怖い顔しないでください。って言うか私まさか食べられちゃうんじゃなかろうか。それだけは勘弁して欲しい。

不意に街頭ではない光る何かが視界に映った。大きな猫の身体だ。所々、なぜか発光している。すっかり気を許してしまっている私はそんな大きな猫を見て慌てふためく。

よく分からない存在だけど、嫌な予感しかしない。だって、苦しそうに呻いている。私が見ている範囲では怪我をしているところなんてどこにもないのに、大きな猫は顔を歪めている。


だめだ、だめだ、嫌だ、これじゃ、このままじゃ……。

「…まだ、まだだめだよ、死んじゃ、死なないで……お願い………ッ」


だめだ、まだ逝ってはいけない。
“あの時の約束”を、私はまだ果たしていないのだから。


“あの時の約束”って、なんだっけ…?



「……そんなに願うなら、私と一緒に来るか…?」

来るかって、どこに…? もしやお腹の中?
でも一緒だから違う、んだよ、ね?

て言うか、え?

「離してください」
「離したら逃げるだろ」
「そうですね」

可愛く言ってみたけれど、効果がないのは相手がおじさんとかじゃないからなんだろう。

もっふりとした手(前足)から覗く鋭い爪が、いつの間にかに私のブラウスに突き刺さっていた。げっ! 待って、これ大きな穴空いちゃってるじゃん! このブラウス可愛くてお気に入りだったのに!

無理矢理外そうにも怖くて爪には触れず、ましてや後退ろうにも服が千切れそうでブラウスなしに家に帰るなんてそんな羞恥満載なことできるか。チラリと猫の表情を窺うも、私と目があった瞬間にニヤリと笑ってみせた。まずいこの猫本気だ!!


「覚悟を決めて大人しくしていれば一瞬で終わる」
「それ聞いて誰が大人しくするかっつーのッ!!」

なんだこの猫。
いや、猫じゃないけど猫みたいな生き物。
全力で逃げなければ私の命が危ない。

この猫みたいなのももうじき天に召されるわけなんだけど、なんで私まで召されなきゃいけないんだ。心中なんて真っ平ごめんだ、よそでやって欲しい。

頭の中でごちゃごちゃ考えていると、淡く光っていた猫の身体が突然強く光り、私の視界は猫の言う通り一瞬にして真っ白に塗り潰された。

ああ、死んだのかな。
まだ意識みたいなのはあるけれど、死んじゃったのかな。何とも呆気ない人生だ。

今更だけどあの猫は機械で動いていて、ただ単に爆発しただけなんだろうね。私って馬鹿だな。今更だし、考えても仕方ないんだけどね。



「おい、そこで何してんだ?」
「………え…?」

男の人の声がした。
今まで目を閉じていたと気付き、おそるおそる目を開けば目の前には知らない男の人が不思議そうに私を見ている。一定の距離からじっと見てくるその瞳は、怪訝な表情だ。

「…イケメン……チッ」
「はあ?」

また悪い癖で言葉と舌打ちが出てしまった。目の前のイケメンは舌打ちされたことに対し「初対面で舌打ちはないだろ」と眉をひそめている。ですよね、私もやられたら「ああ?(濁点付きで)」ってガン飛ばすもの。

天国だからイケメンがいるの?
ここはあの世だから突然死んだ人のために救済処置(天国良いところだよー的な感じ)でイケメンがいるのかな。本当のあの世に詳しい人なんているわけないだろうけれど、生きていた頃とほとんど変わらないような環境なのだろうか。頬を撫でる風が優しいのはそのせい?


ガヤガヤと賑やかな音が耳に届く。
その瞬間、まるでスローモーションのようにイケメンの背景に色がついた。

どこかの外国のような、日本ではない建物が見える。見上げた先にあるはずの高層ビルは見当たらない。一つだけ、遠くに塔のようなものが見えた。剣の形をした珍しい建物だ。その建物を中心に、白い円、淡い色の膜のようなものが頭上を覆っている。なにこれ、何かのドーム?

空が広く感じる。電柱も電線も見当たらない。私が知っている洋服を着ている人が、ほとんどいない。スーツを着ている人なんて一人もいない。ジャケット関係を誰も着ていないなんてとっても不思議。

風はとても気持ちいいのに嫌な汗をじっとりかいているせいで気持ち悪い。

目の前の光景が信じられなくて、思わず頬をつねった。お願い待って。痛いだなんてそんな、嘘でしょ……?


「…夢じゃ、ないの……ッ?」


よし、落ち着いて状況を整理してみよう。
これは夢でもないし死んでもいないし私は生きている…? 本当に?

何度頬をつねろうが周りの建物に近づいて触ったりしてみても、痛いし感触はあるし、どうなっているのかさっぱり分からない。

そもそも、この目の前にいるイケメンはどこから沸いてきたんだ。未だに私を怪しい人物と思っているのか、どこかに行ってくれない。
いっそのこと放っておいてくれないだろうか。そうすれば自由に歩き回ってこの辺りを探索することだって出来る。

先ほどのことは気にせずなかったことにして、素通りしてしまえばいいんだけどね。それが出来れば苦労はしないさ。私気にしいだから実行すること難しいんだよね。


「お前どっから出て来た?」
「えっ? いや、うん、その……」

どこから。それが分かれば淡々と答えられる。私にだってさっぱりすぎるからどうしようもない。ここがどこだかも分からないから適当なことも言えない。

答えようとしない私を逃がさないとでも言うように、ガン見してくる。イケメンはこういう時ずるい。だって、どんな時でさえイケメンだ。ガン見したってイケメンだ。あ、でもくしゃみの時だけはイケメンじゃなくなるって前にテレビでやっていたっけ。

ああ、今はそんなことを考えている場合じゃない。現実逃避はやめよう。とにかく今は情報収集。

「………ここ、どこですか?」
「どこって、帝都ザーフィアスの下町だろ」

ごめん、何それ知らないよ私。
ええと…ていと、テイト……ああ、帝都かな?

日本に帝都ざー何とかって言うところはないはず、たぶん。いや、あるわけない。だって聞いたこともないし、そもそも帝都の下町って、なんだそれ。

早速外国案がひょっこり顔を出してきた。けれど大事なことを一つ忘れてはいけない。私は今、日本語で話している。ここが海外だとするならば、このイケメンは高確率で日本語を知っている人物だと言うことだ。それも流暢に喋ることが出来ると言う特典もついている。

外国人からしたら日本語は難しいって聞くけど、ここまでしっかりした日本語なんて私が接してきた中で今まで聞いたことないよ。何あなたもしかして日本に住んでいたとかそういうことなの?

目の前のイケメンは絶対私のことを怪しいって思っているし、私から見れば、黒髪で長髪なイケメンも怪しいと思う。そんなに伸ばす意味が分かんないし、日本にそんな男の人は少ないし、第一そんなに綺麗な髪の人なんて、女の人でもそういない。お前それヅラか何かだろと疑いたくなる。

正直に言うとイケメンのキューティクルに嫉妬している。畜生。


「おい、お前(頭)大丈夫か?」
()の中の声しっかり聞こえましたけど!?
伏せただろうけど顔にはっきり書いてあったからね!?

このイケメンいきなり失礼だ。いや、待てよ?
「(頭)大丈夫か」と言う言葉はスルーしておいて、それは案外使えるかもしれない。よし、今日から私は記憶喪失と言うことにしておこう。何かと今の状況は便利かもしれないし、怪しまれることもないんじゃなかろうか。

いやだって、今の状況自分でもよく分からないしここがどこだかも分からないしパスポートも持っていないし、ね?


「おい。本当に大丈夫か?」
「ああ、たぶんだめですね」
「はあ?」
「帝都ざー何とかって場所、私は知りません」
「ザーフィアスな。本当に知らないのか?」

知っていて当然だろみたいな顔をされても、知らないものは知らないのだから、そんな顔をされても困るのはこっちだ。

「えと、ここはどこの国ですか?」
「国も何もここ、帝都ザーフィアスにある帝国しかねえだろ。それともギルドのこと言ってんのか?」

国は一つ。ていこく。ぎるど。聞き慣れない言葉にめまいがし、冷汗が再び噴き出てきた。周りの音が急に遠ざかった気がして、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。

嫌な予感しかしない。
聞いたら駄目だと分かっているのに、確かめたくて、喉で詰まっていた言葉が外に飛び出す。

「……ここは…地球、ですか…?」
「どこだそりゃ。テルカ・リュミレース。こんなことも知らないのかよ。お前本当にどっから来たんだ?」
「…私、は…」

どこだって、そんなのこっちが聞きたい。
ものすごく一般的な、知らない人はいないと思う問いかけをしたはずなのに、このイケメンには何一つ伝わっていない。寧ろ、イケメンにとって一般常識の範囲であることを知らない私を怪しんでさえいる。

ここは日本ではないし、イギリスでもフランスでもイタリアでもない。ましてや地球という一つの惑星でもない。ここは何。私は火星にでも不時着したっていうのか。

私の欲しい回答を、このイケメンは持っていない。きっと、ここにいる誰も地球なんて知らないんだ。ドッキリ大成功!とかそういうことでもない。ここは私の知っている世界じゃない。

頭が混乱してきてわけが分からない。わけ分かんないついでに「夢でした」みたいな夢落ちとかなんないかな。なるわけないよね。

ここが外国でさえもないなんて。たったそれだけなのに、どうしてこんなにも心細くて怖いのだろう。


「……お前、何者だ?」

うーん、なんて答えればいいかな。おふざけで「人間です」って言ったらどうなるこれ。いや、たぶんどうにもならないんだろうけど、確実に引かれること間違いない。でも他に答えようがないし、ああもうどうしよう。

「一般人ですね」
「その耳としっぽで一般人、か」
「………え?」
「どう考えてもお前のその外見からして一般人って、ほど遠いだろ。お前のように普通についてる人間がいたらお目にかかりたいね」
「…耳? しっぽって……?」
「惚ける気か? それとも、そいつはただの飾りなのか?」

いやいやいやいやいやいや。
うん、ないわ。色々とないわ。妄想男子とかそういう設定要らないから。あなたもしかしてオタクですか? コ●ケ行っていたりしますか?

普通の人に耳とかしっぽなんて生えているわけないじゃん。このイケメン目が悪いんじゃないかな。とか思いつつも半信半疑で、若干冷や汗をかいている私。だって、いつもよりも周りの音がものすごくうるさい。

ここが日本じゃないってことはもう認めざるを得ないから、日本じゃないからうるさいんだとずっと思っていた。

ああどうしたんだろう。もふもふとした萌え道具の一つである猫耳らしきものと、ふさふさとした長いしっぽを身につけているなんて。いや、私はつけた覚えなんてない。じゃあ、これって……。


「本物──────ッ??!!」

「お前、うっせ」
「だ、だって、耳、しっぽ……ッ!!」
「今更何驚いてんだよ」

「何事だ!!」

ガシャガシャと五月蝿い音が割と近くで聞こえてきた。何の音だろうか。すると、向こうから駆けてくる鉄の塊のようなものが見えてきた。え、あれもしかしてもしかすると、鎧的な何か?

「なんだお前は?! その耳、尻尾まで。怪しい奴め、来い!」
「え、ちょ、待って」
「帝都を守るのが私達の役目だ。観念しろ」

有無を言わさず連行された。

イケメン?
そんなもんとっくのとうにいなくなってたわ。畜生。






万華鏡の中に潜む空箱

再度周りを見渡しても、あの猫も何処にもいなかった。

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