魔物と恐怖の追いかけっこから一週間が経ち、私の身体は完全に回復していた。あの狼のような魔物に噛み付かれた腕と、見た目が小鳥のくせに大きい鳥に嘴でつつかれた(いや、つつかれたなんて生易しいから正確には刺されたが正しいのかもしれない)傷口を見る限り、絶対痕が残ると思っていたのに綺麗さっぱり治っていた。
不思議に思ったけど、ユーリさんがくれた薬を朝晩で塗り続けた成果が出たのかな。だとしたら少しは感謝しないとね。嫌な男だけど。嫌な感じだけど。お礼くらいはきちんとしたい。
すっごく嫌だけどユーリさんに「ありがとう」と素直に伝えると、空を見上げながら「こりゃ明日は雨だな」なんて言うものだから、今度寝ている間に髪の毛を三つ編みにしてやる。朝起きた時ウェーブになっていて、後ろ姿で女性だと思われて男にナンパされればいいんだ。
あれ、なんか自分で言っていて虚しくなってきた。うん、やめよう。今は久々シャワーでさっぱりするんだ。
傷がある間はユーリさんに部屋を出て行ってもらって濡れタオルで身体を拭いていたけれど、髪の毛だけはどうにも出来なかった。ユーリさんには頼りたくないし本人もやりたくなさそうだったから何も言えなかった。それが今、ようやくさっぱりタイムなのだ。
シャワーだけだけど、最高だ。すっきり感がたまらない。やっぱり人間にお風呂というものは必要だね。しみじみ思うよ。
シャワーが済み、用意されていたバスタオルで身体を拭き、さっきまで着ていた服を取って………と、取れなくて。取れないと言うより、何処にもないが正しいんだけどさ。
「……なんでないの…」
確かにお風呂場の前に置いてあった籠の中に入れたはず、なんだけどな。なんでないんだろうなあ、おかしいなあ。私がシャワー浴びている間が暇過ぎてお散歩にでも行っちゃったかなあ。お散歩ってことはすぐ帰って来るかなあ。まだかなあ。
「って、んなわけあるかァアッ!!」
なんでないのよおかしいでしょうよ。
「風呂出たのか?」
脱衣所と部屋を仕切っている向こう側からユーリさんの声が聞こえた。え、ちょ、ヤバ。今私バスタオルしか装備してないよ!
「おい、入るぞ」
「バッ、ちょっ、待って開けないで開けるな開けんじゃねえ!!」
「……何なんだよ」
「置いておいた服、ないんだけど」
「洗濯中だ」
「は? その間バスタオル一枚で過ごせと?」
「別にそれでも俺は構わねえけどな」
「風邪引いたら移してやる」
「引くな移すな。着替え欲しいんだろ。興味ねえけど見ないようにしてやるよ」
一言余計だ馬鹿。
顔が見えなくてよかった。見えていたら殴っていたかもしれない。見えなくても殴りたくて仕方ないんだけども。
ユーリさんは脱衣所と部屋を仕切っているカーテンの隙間から、服を持った手だけ入れてきた。私はゆっくり近付いて、ユーリさんの手から素早く服を取ってカーテンから離れた。
興味もないし見ないってユーリさんは言ったけど、バスタオル一枚の状況は私にとって羞恥心の何物でもない。早々に手渡された(ぶんどったようだったけど気のせいなのだ)服を着て出ると、眉間に皺を寄せたユーリさんがいた。
「おい、ズボンあっただろ。穿け」
「穿いたけどずり落ちるしシャツが大きいからこれでいい。興味ないならいいでしょ」
「俺の目が腐る」
「私には関係ないね。逸そ腐って目玉なんて落ちてしまえばいいんだ」
「可愛気のない奴だな」
「ユーリさんに可愛さアピールしても意味ないからね」
そう言うと、ユーリさんはそのまま何も言わずにソファーに向かって身体を預けた。ユーリさんの「目が腐る」発言を思い出し、思わずむっとする。
確かにシャツが大きいからと言ってワンピースのように着るのは間違っているかもしれないけど、尻尾があるせいで履けなかった、が正しい。いつものようにズボンを履いたはいいが、そういえばしっぽがあるのだと忘れていた。
シャワー中も何度か自分のしっぽや耳にびっくりした。もとからあった耳の部分を洗おうとして、もう存在しないことに焦って探したり、いつものように頭を洗っていたら新しく出来た耳(と言っていいのか微妙だけれど)に水が入ったりと、慣れないことだらけで正直疲れた。
再度確認したけれど、耳としっぽは自分の意思で動かすことが出来るようだ。もう少し意識して動かすことにしてみよう。
そもそも、私が着る服がないのに何故洗濯したんだ。洗ってくれているのは嬉しいけど、これたぶんユーリさんの服だし何だかちょっと申し訳ない気もする。ちょっとだけね、少しだけ。
そして下着だ。下着ってユーリさんが持っていたとかそう言うのじゃないよね。まさか彼女のとか言わないよね。でも何気にサイズが大体合っているのはなんでなんだろう。
あ、この前の女将さんって人が用意してくれたのかな。きっとそうだよね、うん、そうだよ。じゃないと私ユーリさんと顔合わせていられない。恥ずかしさで。
この世界にもドライヤーと似たようなものがあって、それで髪を乾かし終わった後、ユーリさんは唐突に「買い物行くぞ」と出かける準備をはじめた。
買い物って、今日のお昼御飯の買い出しかな。怪我も治ったし荷物持ちくらいしろってことなんだろうか。お世話になったんだしそれくらいはするけど、何かムカつく。
「シャツだけだと風邪引く、これ着てけ」
そう言いながら投げ渡されたのは、フード付きの上着と紐で止めるタイプの長ズボンだった。私が耳としっぽを少し気にしていたのが分かっていたのかな。それともただ単に風邪引くからってだけなのかな。どちらにせよ、ユーリさんの珍しい気遣いに「どうも」と感謝を述べた。
上着も長ズボンもユーリさんのらしく、私にとっては大きいけれど上着はこのままでいいとして、長ズボンは裾を折って穿けば問題ない。しっぽの根本部分がぼわっとしてしまうけど、上着のおかげで上手い具合に隠れた。
最後にフードを深く被れば、耳もしっぽも見えなくなった。耳としっぽの部分は少し膨らんでしまっているけど、そこまでの問題でもない。
着替えた私を見て、ユーリさんは「少しはマシになったな」と意地悪く笑う。はいはいそうですね。胸元チラリズムの人にとってはそうなんでしょうね。程よい筋肉がいいですね。……見えてしまうのだから仕方ないでしょ。あれは見せる為にわざとやっているんだろうし、見られたくなきゃ隠せばいい話だ、うん。私悪くない。
「コウ、傷の具合はどうだ?」
「完治した」
「……そうか」
「他に何か聞きたいことあるでしょ」
「お前のスリーサイズはどうでもいい」
「誰が言うか! 誰が!」
「ワフ!」
「ほら、さっさと行くぞ」
喧嘩が始まる前にラピードに制され、ユーリさんはラピードと一緒に先に部屋を出てしまった。私も急いで追いかけようとして、ふと立ち止まる。「はぐらかされた……」
自分から聞いておいて問い質されなかっただけマシか。スリーサイズは絶対教えてやらないけど。
専門的な知識はないけれど、殺意を持って深く噛み付かれた傷や嘴が突き刺さった傷が綺麗に完治するのに、最低でも一カ月くらい時間が必要なはずだ。一週間なんて以ての外。絶対安静のはずなのに、今の私はピンピンしている。身体のどこにも不調は見受けられない。
「これも、私が……」
人ならざる異質なもの、だから……?
「おい、コウ早くしろよ」
「え? あ、今行く!」
そうだ、今はこんな考え事したって答えは見つからない。ユーリさんの言う買い物に付き合うことにしよう。そういえば、何買うんだろ。
部屋を出て階段を降りると、ユーリさんは私をチラリと横目で見て歩き出した。その隣にいたラピードに「迷子になるなよ」と言われる。い、犬の癖に。迷子になんてなるもんか。みんなこれをフラグと言うが、決してそんなんじゃない。うん、ならないならない私方向音痴じゃない。
この前は必死だったからあんまり周りなんて見る暇なかったけれど、似たような建物が並んでいるせいで迷子フラグがひょっこり顔を出す。考え事に集中しないで周りをよく見よう。
「コウ、何してんだ」
「フラグへし折ってた」
「は? 何意味分かんねえこと言ってんだ」
「分からないならそれでいいよ」
「相変わらず変な奴だな」
「ワフ」
「ラピードがお互い様だって」
「ラピード…」
「早く行こう」
「俺のセリフだっての」
半分呆れ顔のラピードの隣を歩きながら、ユーリさんのため息を後ろで聞き流した。だって、相変わらず変な奴だって言うからいけないんだ。相変わらずって、ユーリさんと出会ってまだそんなに日は経っていないのに、昔から知っているかのように変な奴と言うからだ。そんなに何回も変な奴なんて言われたくない。
ねえラピード。駄目だ……ラピードも私の相手が面倒みたいで無視している。私さびしい!
空を見上げれば、白くて高い塔のようなものが見える。高い塔を中心に、不思議な光で包まれているのが私達がいる帝都ザーフィアス。
帝都は貴族街、市民街、下町と分かれていて、今いる場所が帝都の端っこに位置する下町だ。ガラの悪い連中もいるけれど、大半は助け合いの精神で暮らしているという。何だかどこかの江戸っ子を思い出す。
ユーリさんはこの下町で育ったとのことで、少々お節介なのは育ちのせいなのだろう。良い意味で、だ。けれど素直に助けてやるとは言わない面倒くさい人。「今何か言ったか?」
「何も言ってないけど、思春期?」
「そうかもなあ。コウが悪態吐いてる時の顔に見えたもんでな」
感の鋭い奴め。
今日は市民街までは行かないらしい。
買い物は大体下町で済ますと言うし、市民街は下町と比べてほんの少し物価が高いと言う。その代わりに、当たり前だけどいいものは置いている。
ここは、この帝都は格差社会が上手く出来ている。だからこそ、胸糞悪い連中なんて腐るほどいるんだろうなあ。嫌になるくらいに。
「ほら、着いたぞ」
いつの間にか前を歩いていたユーリさんを見上げると、面倒くさそうな顔をしていた。もう、何なんだよ。大の大人が女の子に対してそんな顔しちゃいけません。母さんそんな子に育てた覚えはありません。本当にないからいいんだけどさ。
あれ、ユーリさんって今おいくつなんだろう。着いたって、文字全く読めないや。文字は分からなくても外から店内はよく見える。可愛い洋服がたくさん並んでいて、ユーリさんが着ている和服のようなものもちらほらあった。
でも、なんで洋服屋さんなんだろう。ああ、もしかして私に洋服貸しているから、シャツとか足りなくなって買いに来たのかな。私が服を買うと言う選択肢はお金がないからまずないとして、やっぱりユーリさんが洋服を買いに来たのだろう。それともラピードのおめかし用の服とか? いや、ラピードは着ないな。今だって着ていないし、洋服とか犬にとってはウザったいだろうし。
客観的視点からならとても着せたいけれど、もし自分が犬で服を着せられるとなるとやめて欲しいな。羞恥心とかは体毛あるから平気、かな。きっと。
目線をお店からユーリさんに戻すと、顎で入れと訴えてくる。眉間に皺を寄せて無言で拒否する。服買うなら一人で入って来てくださいよ。なんで私まで入らなきゃいけないんだ。此処でラピードと待っているから早くしなさいな。
「お前の服を買いに来たんだよ」
「は?」
「早く入れアホ」
「え、ちょ、お金ないから」
「俺が出すから問題ねえよ」
「いやいや、返すあてないから」
「返さなくていい」
「服貸してるのが嫌だから?」
「そうじゃねえよ」
「それならこのままでいい。無駄にお金かける必要ないから、」
「いいから入れ」
ユーリさんに強引に押しやられる形で店内に入る。お金を使わせることが嫌なので、急いで外に出ようとするが、ラピードが扉の前でお座りをして私の邪魔をする。どいてと頼むものの、ラピードは牙を向けながら「観念してさっさと決めろ」
嫌だラピードちょっと怖い。
「金のことはいいからさっさと決めてくれ」
「洋服いいんで」
「強情な奴だな」
「野郎じゃないから奴って言わないでくれない?」
「はいはい、強情なお転婆娘だな」
腹立つ言い方だなオイ。
「ユーリさん、私本当にいらないから」
「んじゃ今後は洋服貸さねえ。今すぐ脱げ」
「追い剥ぎ?!」
「洋服返せ。んでさっさと新しい服決めろ」
ニヤリとユーリさんが笑う。
ここで格好良くスパーンと脱いでみせたらいいんだけど、生憎そんな根性は持ち合わせていないので、観念して店内を物色。
お店の奥から女の店員さんが出て来て、ユーリさんと親しげに会話を始めてしまった。話の内容からして、洋服のことじゃなくて「今度暇なんで、空いた時間にお食事とか行きませんか?」と言う、謂わばデートのお誘いだ。なんでこんな男がモテるのか分からない。世も末だ。
さっきから放置プレイとか、私にそんなことしていいと思っているのか。この女ったらしが。疎外感が否めなくて居心地の悪さに少し俯くと、フード越しに感じた頭を撫でる感触。何だと思えばユーリさんで、ムカつくから睨むとパッと手が離れた。何だってんだ本当に。
「そろそろ頼むぜ」
「お任せあれ!」
私の知らない間に何を話していたのか、女の店員さんは笑顔でこっちに来て「それじゃ、試着室に移動しようか」と私の腕を引く。
どうすればいいか分からず、だからと言って店員さんの手を振り払うのも抵抗があって、たまらずユーリさんを見ると何故か笑っている。
これから何が始まるのかなんて分かっているけど、もしかしてもしかすると店員さんは何か勘違いをしているんじゃなかろうか。明らかに子ども扱いをしているような対応に、私はため息を吐いた。
まるで着せ替え人形のように店員さんが持ってくる服を見ながら、あれは嫌だこれは嫌だと子どものように駄々を捏ね格闘すること数分。「これが一番いいわね!」と言う店員さんの言葉の後、無理矢理更衣室から押し出された。ちょ、私まだ納得していないし、鏡でちゃんと確認していないんですけど。
そう思うものの更衣室のすぐ近くで待ってくれていたユーリさんと目が合ってしまい、気まずくてラピードを見てしまう。
ラピードは「いいんじゃないか」と、フンと鼻を鳴らした。それってつまり馬鹿にされたんだろうか。犬のくせに。ラピードってファッションセンスとかあるのかな。いやいや、ないか。
新しい洋服はラピード的に良い感じらしい。白を基調とした丈の短いチューブトップワンピースに、胸元や裾に花とも羽とも見える黄色い細かな模様が入っている。上着は袖がやたら長く、丈がやたら短いフード付きを着用。
裾や袖の模様、色合いがチューブトップワンピースと似ていたから無難に選んだけれど、この組み合わせは好きだし可愛いポイントだ。
下は黒い短パン(ホットパンツくらいの短さで正直恥ずかしい)に、淡い茶色のニーハイブーツから、黒いニーハイがチラリズム。ブーツには可愛らしい紅色のリボンが付いていて、こういったアクセントは結構好きだ。
白を着るのは初めてなので、ユーリさんの反応が少し気になる。ラピードは変とは言わなかったけど、一応人間の意見も聞きたい。店員さんは一番いいって言ってくれたけどさ。
「……馬子にも衣装、だな」
「どうもありがとうございますー」
「棒読みで感謝されてもな」
「もとからこう言う口調なんでー」
「はいはい、そうかよ」
馬子にも衣装って、もっと他にも言い方があるじゃないか。ラピードみたいなのでもいいんだし。って、そんなことどうでもいいじゃん。なんで気にする必要があるんだ。別に褒めてもらいたかったわけじゃない。うん、違う違う。
「ほら、さっさと行くぞコウ」
会計を済ませたユーリさんが出入り口で待っていた。私は耳が見えないようにフードを深く被り、ユーリさんの後を追いかける。
「……洋服、ありがとう…」
「何か言ったか?」
「別に。何も言ってない」
「そうかよ」
その時、ユーリさんが嬉しそうに笑ったのを私は知らない。
目の前が見えなければ、ほら、怖くない
ラピードに「怪しい」って言われた…。
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