レギュラスはいつになく急いでいた。

舌打ちをし、誰も見ていない廊下で自身のイライラを隠すこともなく早歩きで目的地へと急ぐ。このイライラも、急がなければいけない原因も、すべてあのアホンダラ(兄)のせいである。先程兄と交わした会話を思い出し、無意識の内に眉間に皺が寄ってイライラが増す。へらへらとして落ち着きのない兄を見るのは大嫌いだ。

幼い頃、公の場で兄は緊張も不安も見せつけずに堂々としていてレギュラスの尊敬する人だった。あんなに頼りになる人が、自分の兄であると誇らしく思っていた。それが今や悪戯仕掛人などと言う異名をホグワーツ内で轟かせている。

兄はもう、レギュラスを見てはいなかった。家を捨て、弟であるレギュラスを捨て、仲間と共にいる兄など、自分の目指していたものではない。悪戯をして明け暮れる日々など、なんて堕落した人生を送っているのだろうか。とても頼れる兄の姿ではない。そのことに関しても、レギュラスの苛立ちは募る一方なのである。

ホグワーツに来る前までは、兄を尊敬していた。何をするにしても完璧な兄はレギュラスの自慢だった。何でも知っている兄のようになりたくて、必死に努力してきた。そうすれば、きっと兄のように母も僕を見てくれるだろうと信じていた。

けれど結果は変わらない。
どんなに努力しても兄には一歩も及ばず、母から向けられるのは冷たい眼差し。父も兄ばかり見ているような気がした。

そんな矢先に兄がとうとう家を出て行った。その要因は兄が組み分けの儀式の際、スリザリンではなくグリフィンドールに選ばれたからである。

レギュラスは当然、兄はスリザリンに選ばれるであろうと思っていた。なんたって名家のブラック家なのである。あの兄だってそんな間違いを犯すはずはないと、レギュラスは信じていた。相変わらず母と兄は不仲ではあったが、そこまでのことをするはずはないと。だがしかし、レギュラスは結果、兄に裏切られる形となった。


そんな兄に、偶然にも久し振りに廊下でばったりと遭遇してしまったのだ。レギュラスはへらへらとする兄に対し、ギロっと睨み付けた。が、兄はそんなレギュラスの睨みなど気にしていないと言うように、普通に世間話をしてきた。弟が兄に対してどんな風に思っているかなど、気にもしていないと言うように。

別に兄の会話に答えなくてもよかったのだが、何故かこの時の兄はとてもしつこかった。レギュラスは適当に話を聞いていたのだが、ふと懐中時計で時刻を確認するや否、目を見開いた。こんな兄に関わっていたせいで、授業開始時間が迫っていたのを気付くことが出来なかったのだ。急がなければ間に合わない。次は飛行術の授業だ。

迅速に、且つ誰にも見られないように隠密に。そうしないと、今まで築き上げてきたイメージが音を立てて崩れていってしまう。兄とは違い優等生として頑張って来た自分が、授業ギリギリに行くなど在ってはならないことだからだ。

軽く舌打ちし、レギュラスは歩く速度を速めた。関わりたくはなかったが、後で兄には嫌がらせの一つや二つを仕掛けておこう。それくらいなら、許されるであろう。

今まで兄のせいで何度もレギュラスは尻拭いをさせられてきたのである。当然の報いだ。そう思いながら、レギュラスは校庭へと向かった。



授業には辛うじて間に合った。

が、ここからが問題だ。
授業には間に合った。

今日も難なく飛び回り、授業は終了のはずだったのに、今レギュラスの目の前にいるレイブンクロー色のローブを着た女子生徒は一体誰なのか。否、正確には目の前にいるのではなく、床に倒れている。長い髪を無造作に床に散らばらせ、女子生徒はピクリともしない。

プラチナブロンドかと思いきや、よくよく見てみれば彼女の髪は真っ白だった。まるでダンブルドア校長のように真っ白だが、生憎彼女はそこまで老いてはいない。老化が原因でなければ、もしかして彼女はアルビノだろうか。肌も何処となく白に近い状態で、まつげも白い。本人が起きないことをいいことに、レギュラスはまじまじと観察をしていた。

この人は果たして生きているのだろうか。このまま知らずに通り過ぎると言うのもレギュラスは後味が悪いと思い(ただ単に夢見が悪かったら嫌だと思ったので)、ピクリとも動かないその体を確かめるべく、レギュラスは試しに声をかけてみる。


「……生きてますか…?」
「………」

返事がない、ただの屍のようだ。
こういうのは放っておくに限る。もうすぐで夕食なのでさっさと大広間に行こう。

こんな所で倒れていた原因も気にはなる。しかし兄達がやらかしてきた悪戯の数々の出来事を振り返り、面倒事に巻き込まれたくないレギュラスは踵を返した。

他の生徒が全く見当たらないが、もしかしたら倒れているこの人間に巻き込まれたくないというレギュラスと同じなのかもしれない。懐中時計を確認し、もうすぐ夕食の時間だ。レギュラスは大広間に向かうことにした。


「…んー?」

不意に後ろから声が聞こえた。
もしかして、先程の人物が起きたのだろうか。

レギュラスは何となく、女子生徒が気になり立ち止まった。興味が湧いたとでも言うのだろうか。否、違う。夢見が悪くなるかもしれないと言うのも理由の一つだが、ただ単に、レギュラスは少々人が良過ぎると言うのも理由の一つである。幼い頃から女性の対して紳士であれと大人達に言われ育ったレギュラスは、倒れていた女子生徒のことを少なからず心配していた。

こんな冷たい廊下で寝る変人だと思いながらも、一応気にはしていたのだ。「こんな所で寝ていたら風邪を引きますよ」くらいは言ってから夕食に向かうかと、レギュラスは女子生徒に告げようと振り向いた。

その瞬間、まるで呼吸を忘れたかのように、レギュラスは動くことが出来なかった。見る者を吸い込むかのように他人の目を引き付ける、紅い瞳がレギュラスをじっと見つめていた。人形のように整った顔立ちをした女子生徒はレギュラスを見つめた後、キョロキョロと辺りを見回しながら「今度は廊下か」などと呟いていた。再び女子生徒と目が合ったレギュラスはようやく動くことが出来た。あの感覚は一体何だったのか。


「そこの美少年、今何時か分かるか? 懐中時計を持って来るのを忘れてしまってね」
「……………………………はい…?」
「君のことだ美少年」
「……………僕、ですか?」
「見たところ、君以外に人はいないが?」
「………丁度、夕食前です…」
「なるほど、ありがとう。また会えることを祈ろう。では失礼」

その人は鼻唄を歌いながら、スキップして行った。きっと夕食を食べに大広間に向かったのだろう。「アップルパーイ、アップルパーイ」と言う変な歌が先程の女子生徒が去った方向から聞こえてきた。レギュラスは呆気に取られ、その場に立ち尽くすしかなかった。まるで嵐が過ぎ去った後のようで、その余韻がまだ残っている。


「………なんですか、今の…」



ALICE+