何かがすっと頭の中を過ぎ去った。
一瞬の出来事だったので過ぎ去るそれが一体何だったのか、レンには確認することが出来なかった。何かが頭の中から抜けて行ったのは分かるのだがやはり思い出せず、抜けてしまったのだからどうでもいいものだったのだろうと勝手に解釈をする。

けれど、とても大切なものであったような気がしたのだと、微睡みながらレンは思うのであった。


今まで何をしていただろうかと目を開くと、何故か床に倒れていた。倒れていたと言うことは倒れる前に何か遭ったのか、それともただ単にまた睡魔に負けてベッドではないが寝てしまったのか。徐に起き上がり此処は何処だろうかと辺りを見回せば、近くに自分の杖が転がっていて目の前には誰かが立っていた。

目線を上に向ければ、知らない美少年が自分を見下ろしている。灰色の瞳に黒髪の美少年はスリザリンカラーのネクタイを締めている。何処かで見たような顔付きであった。似たような人物が頭の中の検索で引っ掛かったが、彼奴はグリフィンドールだったと記憶する。彼奴よりほんの少し幼い美少年はもしかすると親族なのかもしれないが、彼奴以外とは会ったことがないので確証はない。

その美少年の表情は険しく、その瞳は悲しげに揺れていて、極僅かであるが美少年の頬には涙が伝った跡があった。目の前の美少年に転がった杖、倒れている自分。

一体此処で何をしていたのか、記憶の糸を辿るが答えは見つからない。頭からすっぽりと消え去っているのだと、レンは気付いたのであった。もしや“また”やってしまったのだろうかと、思う他なかった。


「……レン…」

消えてしまいそうな声で、美少年はレンを呼んだ。だがレンはそれを聞かなかったことにして杖を手にして立ち上がり、ローブや髪に付いた埃を魔法で取り去った。

“また”と言うことは、この美少年とはもう会わない方がいいと言うことである。会えば自分は苦しい思いをし、美少年は嫌な思いをするだけなのだ。と言っても今の自分は忘れてしまっているのだから関係ないかとレンは他人事のように思うのであった。


そのまま無言で立ち去ろうとしたが、左腕をぐっと美少年に掴まれ引き留められた。何故引き留めるのか、美少年と関わった記憶を忘れてしまったレンには知る由もない。だが自分自身に忘却呪文をかけたと言うことは、余程のことが起きたのだろうと推測する。

何故レンは忘れているのにまるで覚えているような気配をちらつかせるのか。それは前にも似たようなことがあったからである。この忘れてしまった後の感覚は何処となく似ており、状況もあの時と似通っているとレンは昔の記憶と重なる。

嫌な思いをしたのなら自分のことなど放っておけばいいのにと、忘れてしまったレンはそう思うしかなかった。さっさと記憶から抹消すればいいのである。嫌な記憶など、自分の記憶など残しておく価値も何もないのだ。


それなのに何故この美少年は泣きそうな顔をしているのだろうか。そして何故その手を振り払うことが出来ないのだろうと、レンは疑問を抱く。それほど強く掴まれている訳でもないのだから振り払おうと思えば簡単に振り払えるのだ。けれどそれが出来ないと言うことは、もしかして頭では忘れていても身体の方が何かを覚えているからなのだろうか。この美少年とあった様々な出来事を忘れたくはなかったのに、無理矢理にでも忘れようと忘却呪文をかけたのとでも言うのだろうか。

しかし何が遭ったのかは知らない。
現にレンは忘れてしまっているのだから。


「…離してくれるか美少年」
「ッ……嫌です」

ようやく口にした言葉はばっさり切られた。
美少年の表情は泣き顔から段々怒った表情へと変わっていく。美少年はどんな顔をしていても美少年だが、背後のどす黒いものが至極恐ろしい。これが怒りながらではなく笑いながらだと考えたらもっと恐ろしい。笑顔でどす黒いものを背負っていると言うのが頭に引っ掛かったが、これも忘れてしまったものなのだろうとレンは考えることを放棄した。


「どうすれば離してくれるのだ美少年よ」
「……僕は、僕はレンが好きでした…ッ!」

「………ん? すまない。今何と発言したのか聞き取れなかった。もう一度言ってくれるか?」
「僕はレンが好きだったんです。けれど、今のレンは好きでも何でもありません。人の話を聞かないで一方的に忘れてしまうレンを、僕は許すことが出来ません。忘れたことは思い出さなくてもいいです。今度は、僕がレンの隣にいる番ですから」

「ではまた明日」と美少年はそう言って、勝ち誇った笑みを浮かべて去って行った。去り際に聞こえた言葉はたぶん空耳でも何でもないのだろう。やはり、美少年は何をしても美少年なのだと腹が立った。

けれど記憶を忘れてしまう前の私よ、一つ聞きたいことがある。一体何をやらかしてくれたんだと、レンは先程の美少年の言葉の意味に戸惑うのであった。



ALICE+