歯がゆくてどうしようもないくらい、もどかしいほどの気持ちを抱いたことはあるだろうか。

そんなことがここ数年起きている。
未だに解消されることはない。

あと一歩、もう一歩が踏み出せなくて、僕は先に進めていない。


僕は、どうしようもないくらい、臆病者なんだ。





朝日がカーテンの隙間から差し込み、一日の始まりを眩しさで知る。


今日も憂鬱だが、起きなくては。

無理矢理体を起こし、ルームメイトを起こさないようにそっと部屋を出る。その内勝手に起きてくるから放っておいても問題はない。顔を洗い、もう一度部屋に戻って制服に着替え、一冊の本を手に取り談話室に向かう。最近気になっていた本が入荷したと両親からの手紙で知り、梟便で送ってもらったものだ。内容はミステリーで、なかなかに読みごたえがある。待っている時間がもったいないのと、早く読みたくてたまらなかったので、暖炉前のソファーでゆっくり読むとしよう。


どのくらい経っただろうか。ちらほらと生徒達が談話室に降りてきて賑わいをみせてきたので、持っていた懐中時計で時刻を確認すると、そろそろ大広間に向かわないと朝食を急いで食べる羽目になりそうだ。

談笑していた女生徒に声をかけ、待ち人を呼んでもらえないか頼んでみた。女生徒は毎度のことだと認識していたのか、快く引き受けてくれた。残念ながら男子は女子寮に入ることが出来ないため、僕は起こしに行くことが出来ない。度々頼んでしまっているので申し訳なく思う。

男子寮からドタバタと足音が聞こえてきた。機嫌が悪いのか、はたまた急いで大広間に向かおうとしているのか。足音は段々と大きくなり、僕の側で止まった。振り返ると、ブスッとした表情二名と、朝から疲れた表情一名がそこにいた。


「ちょっと、リーマス。先に起きていたのなら起こしてくれてもいいだろう?」
「そうだそうだ、俺達を置いて行くとは何事だ! ピーターが起こしてくれなかったら朝飯食いっぱぐれるところだったじゃねえか!」
「リーマス…ぼくだけじゃあ荷が重いよお…」
また始まった…。
朝からとっても元気なことだ。

二人を起こしていたであろうピーターはくたびれたのか、僕の隣に座り込んでしまった。

三人とも寝起きで顔がぐちゃぐちゃだ。杖を取り出し各々の顔面に向けて「アグアメンティ」と唱え、魔法で出したタオルを顔に向けて飛ばした。三人ともナイスキャッチで顔に押し当てるようにタオルを手に取り、濡れた顔を拭いている。

「リーマス!」
「目、覚めたでしょ?」
「そうじゃなくて!」
「リ、リーマス、ありがとう。あれ、そういえばまだ来てないの?」

ピーターはちょっとどこか抜けている。顔を洗いに行く手間が省けたと思ったのか、お礼まで言われるとは思わなかった。「今、呼んでもらっているんだ」

「そうだ! リーマス、リリーを見ていないかい?!」
「さあ? 本を読んでいたから見ていないよ」
「落ち着けジェームズ。一緒に来るんじゃねえの?」
「早くしないと僕のリリーがスニベルスとイチャコラしちゃうじゃないか!」
「だから落ち着けって。エバンズはまだかもしれないだろう」

朝からうるさい。どうやって静めようかと考えあぐねていると、女子寮から慌てたようにパタパタと足音が聞こえ「お待たせ」と、エバンズと先ほどの女生徒が一緒に下りてきた。

少し遅れて、彼女が下りてきた。朝が苦手な彼女はとても眠たそうにしていて、まだ半分寝ぼけている。片手で周りから見えないように欠伸をしていた。

「おはよう、リーマス」
「おはよう、なまえ。今日は一段と眠そうだね」
「リーマスから貸してもらった本が思いの外面白くって、つい夜更かししちゃったの」
「あら、夜更かしは美容の大敵なんだから程々にしなさいってあれほど言ったのに」
「リリー、ごめんって」
「それじゃ、次の新作は当分おあずけかな」
「ちょっとリーマス、そんなのあんまりよ! 今ので一気に目が覚めたわ」

彼女、なまえは本当に残念だというように朝からがっかりと肩を落とした。そんなにショックを受けなくてもいいのに。エバンズには聞こえないように「あとでこっそり新作渡すよ」と耳打ちすれば、嬉しかったのか頬を赤らめながら綺麗に笑ってみせた。

なまえは僕の幼馴染だ。小さい頃から一緒で、なまえの好きなジャンルを心得ている。


僕は一日中と言っていいほど、彼女のことを考えている。傍から見ればただの変人だ。それほど彼女のことが大切で大事にしたくて、どうすれば彼女が喜んでくれるのか無意識に考えてしまう。

自分でも重症なのではないかと思ってもいる。けれどそんな言葉を覆すほど、彼女はとても魅力的だ。現に、周りの生徒達も彼女の姿を見つけるとみんなして目で追っている。談話室がほんの一瞬だけ静かになるのだ。彼女はそんなことなど気付いていないらしく、いつものように「早く大広間に行こう」と僕らを急かす。なまえがなかなか起きなかったからこんな時間なんだけどね。

「やっぱり最初の挨拶はリーマスだねえ」
「っくそ、なんで毎日変わらないんだ」
「また僕らのことで賭け事かい?」
「本当に飽きないよねえ」

ジェームズとシリウスは最近僕らのことで賭け事をしているようだ。幼馴染として、最初の挨拶は誰にも譲りたくはない。まあ、女子寮で挨拶を交わすことがあるだろうとは思うけど。せめて、異性として最初の挨拶は僕がいいだなんて彼女が聞いたら呆れるだろうか。


談話室から大広間に着き、グリフィンドールの席へと向かう。他の生徒達は談話室の時と同じように、彼女が席に座るまで見つめてから再び雑談に戻るのだが、話題は決まって彼女の話だ。男子生徒はもちろんのこと、女子生徒も彼女と話をしたくて隙あらば狙ってくる。話をしたいだけじゃない気がするのは、決して気のせいではない。

そんな彼女を守るべく、幼馴染の僕がいる。この十六年共に過ごしてきた幼馴染であり、良き友である。彼女の両親と僕の両親が元々親しかったため、僕のような人狼でも彼女は笑顔を絶やすことはなかった。僕が「実は人狼なんだ」と打ち明けても、彼女も彼女の両親も僕への態度が変わることはなかった。「リーマスが優しいってちゃんと知ってるよ」と、幼い頃に言ってくれた彼女の言葉を思い出す。

彼女はとても優しい。
どんな人間に対しても、屋敷下僕妖精に対しても。


そんな彼女に対して、僕が恋心を抱くのは必然的だったのではないかと思う。同じようにホグワーツから手紙をもらいグリフィンドールに選ばれ同じような教科を選び、どこへ行くのにも何をするにも常に僕らは一緒だった。まるで兄妹のような関係にジェームズが「羨ましい」と愚痴を零していた。

彼も「早くリリーと肩を並べて歩きたい!」と毎日のように僕ら悪戯仕掛人に言うのだ。そのたびにジェームズはシリウスに宥められ、悪戯の考案に思考を切り替えさせようとするのだから大変だ。何だかんだでシリウスはジェームズの世話をしっかりしている。

僕はこの関係を「羨ましい」などとは到底思えなかった。兄妹のようだと言われると、そこでこの関係は動かなくなってしまう。兄妹だと思われてしまうと僕らの間に壁が現れ、越えることが出来なくなる。幼馴染も同じだ。周りが幼馴染なのだと認識すると、それ以上でもそれ以下でもなくなる。一度そこに嵌まってしまうと、抜け出すことは難しい。

分かっているのに、僕はそのままでいることにした。彼女の幼馴染として、それ以上でもそれ以下でもない“ただの幼馴染”として振る舞うことにしたのだ。臆病な僕はそうすることでしか、彼女の隣にいることが出来なかった。


今日も彼女、なまえは僕の隣に座った。
これはホグワーツに来てから、ずっと変わらない。ずっとずっと変わらない、幼馴染としての特権だ。この右隣だけは、誰にも座らせるつもりは毛頭ない。

「リリー、何が食べたい? 僕が取ってあげるよ」
「そんなことより、ポッター。さっきの話だけどなまえで賭けるのはやめなさい」
「ああ、いいねえ。怒っているリリーも可愛いよ」
「うっ、うるさいわよ! 気安く名前で呼ばないでちょうだい!」

相変わらずエバンズはジェームズを毛嫌いしている。一年前の出来事があってから、もっと嫌いになったみたいだ。しかし今はそんなことはどうでもいい。今はワンホールのまま手つかずのアップルパイをカットするのに忙しい。いつも通りカットしたアップルパイをお皿に乗せ、なまえが座るテーブルの前に置く。

「ありがと、リーマス」
「どう致しまして」

これはいつもの光景。
何も変わることはなく、卒業するまで変わらないのだろう。ほんの少しの至福を感じながら、僕は自分の元にもアップルパイを取り分ける。

「サラダも食うんだろ?」
「ええそうよ」
「いつも食べてるからな。ほら」
「ありがとう、ブラック」
「いつまでもそっちで呼ぶなよ」
「いつまでもそっちで呼ぶわ」
「いつか名前で呼ぶ時が来るからな」
「来るといいわね」

これも、いつもの光景だ。
何も変わることはなく、卒業するまでこのまま何も変わらないでいて欲しい。

この気持ちを打ち明けられなくても。なまえが幸せそうならそれでいいと思った。なまえが笑顔でいてくれるのなら、僕はそれだけで十分なのだ。例えなまえの気持ちが彼に向いていなくても、この“幼馴染”と言う枠から抜け出すことは出来ないのだ。


朝からなまえが幸せそうで良かった。

胸にほんの少しの痛みを感じながらも、君が笑顔でいてくれるなら、僕はどうなったっていいんだ。







隣で楽しそうに話す二人を見て、僕は偽りの笑顔をし続ける。





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