クロウの枕って本当にすごいかも。
あれから夢を見ることもなく、ぐっすりと寝てしまった。私の枕になっている間、暇を持て余したクロウは本を読んでいたようだ。起きた時に彼は本から目を逸らさずに(とは言っても相変わらず目が見えているのか不思議だ)朝の挨拶を交わした。

「おはようスミレ」
「おはようクロウ」
「ボクの枕、すっごく良かったデショ?」
「おかげでいい朝を迎えられたわ。ありがとう」
「これカラもボクを枕にしていいからネ?」
「……ありがと…」

すっかりご機嫌なクロウを部屋の外に追い出し、新しく用意されていた服に着替える。昨日もそうだったけど、もう少しシンプルな洋服ってないのかな。フリフリのレースがついていたりするからちょっと恥ずかしいんだよね。ティーシャツにジーンズとか、そこらへんでいいんだけど。


「クロウ、終わったから入ってもいいよ」
「ウン、わかったヨ」

間髪ガチャリと開く扉。
着替えながら言っていたらどうなっていたか考えるのはやめよう。
当然のようにクロウは櫛を手に取り、私の髪を梳かしはじめた。昨日と同じように真ん中で二つに分けて黙々と三つ編みに編んでいく。

「ねえ、クロウ」
「どうしたノ、スミレ」
「もしかしてさ、今やってくれている三つ編みって、誰かにやってあげたことある?」
「ウン、あるヨ」
「それって、ドロシーって人?」
「そうダヨ。ドロシーの髪はネ、金色でとってもキレイなんダヨ。だからネ、もっとキレイにしたくテ、ボク頑張って覚えたんダ」

嬉しそうにそう言うクロウは当時のことを思い出しているのか、楽しそうに鼻唄まで歌い出した。

どうして私の心は痛みを訴えているのだろうか。
クロウがドロシーのことをとても大切そうに話していたから?
それとも、疎外感を覚えたから?

こんなことを考えるだけでおこがましい。知っている気がするだけで、私はクロウのことを何も知らない。
懐かしいと思うだけで、それが本当にあったことなのか分からないのだから。

「ウン、出来たヨー」

「スミレの髪もキレイだカラ、とっても満足ダヨ」と、自分のことのように誇らしげに言うものだから、思わず笑ってしまった。

「ありがと、クロウ」
「ドウいたしましてー」
「あ、そうだ。鏡ってないかな? せっかく綺麗にしてくれたんだから、見てみたいな!」
「見てくれるノ嬉しいナ! チョット待ってテ!」

ルンルン気分で部屋を後にするクロウはまるで無邪気な子どもみたいで、思い出すだけでふふっと笑ってしまう。
レオンもクロウと同じ年くらいに思えるし、ジャックはロボットだけども紳士な青年って感じがする。ロボットだから、擬人化とかじゃなくて、そんな気がするだけだ。


オズは、私のことを知っている。
初めて会った時に隠すこともなく驚いた表情をしていたし、“お前も”という言葉が引っ掛かる。私の他にも、同じことを考えた人がいた。それってつまり、彼らがいつも言うあの子なんじゃないかって思っている。

私を見て、時折懐かしむように、残念がるように、悲しむように、彼らは私とその子を重ねる。
ちょっとだけ、ドロシーって子に嫉妬を抱いてしまう。だって、なんかさびしい。


コンコンッ、ガチャ。
「スミレ、鏡持ってきたヨ!」
「クロウ…扉を開ける前にノックをするのはいいよ。そこまではよかったけど、次からは私がいいよって言うまで開けないでね」か「なんデ?」
「なんでも!」
「そっかア、色々と大変なんダネ」

コンコンッ。
「入ってもイイ?」
「…いいよ」

全くもう、と、ため息を吐きながらクロウの手元を見るが、そこには目的の物がなかった。「ねえ、クロウ。鏡は?」

「あ、ウン、鏡ネ。チョット大きかっタから、運ぶの大変だったンダ」
「そうなの? なんだか悪かったわね」
「仕方ないヨ。ボクはカカシだから、とっても軽いからネ」

ああ、そうか。
軽い人は重いもの運ぶの大変だもんね。なんだか悪いことしちゃったなあ。

「余がここまで案内してやったのだ。大いに褒め称えるが良い!」
「うわあ?!」

突然現れた真っ白な毛むくじゃら、基レオンの登場に心底びっくりした。音もなく現れないでほしい。

「スミレお嬢様、大丈夫ですか?」
「え? あ、ジャック。ありがとう、大丈夫だよ」

どうやらジャックまでついてきていたようで、側まで来て心配してくれた。手となるアームの部分が伸びてきた。掴まれってことかな。そっと手を出してアームの部分に掴まる。間違いが指摘されないので、どうやら当たっていたらしい。立ち上がるのに踏ん張らさせてもらう。
スカートについた汚れをパタパタと落としている間、ジャックはレオンにお説教をしていた。


「余は前が見えないクロウをここまで案内したのだぞ。何が悪いのだ」
「レオン、あなたが突然現れたら大抵の人は驚いてしまいます。音もなく近付くのは危ないですよ」
「余が何をしたというのだ。八つ当たりも程々にせよ」

「余は何もしておらんぞ」と文字通りぷりぷりしながら怒っている。いや、怒っているのではなく、あれは拗ねているんだ。怒られたことに対してしょんぼりしているのと、ジャックに言われたことに対してほんの少しの申し訳なさを感じて気まずくて、どうしたらいいのか分からないっていう小さい子みたいだ。

「ねえレオン」
「…なんだ」
「あのね、レオンくらい大きなライオンは初めてだから、突然だとびっくりしちゃうの。だから、もし出来たらでいいんだけど、側に来る前に名前を呼んでほしい、かな」

「王様にお願いするの、失礼かもしれないけど」俯き、ボソボソと独り言のように呟く。
レオンは自分のことを百獣の王のライオン(本当はマンティコアだけど、レオン的には百獣の王だという)で、とっても偉いと本当に思っているから、こんなお願いをされても断られてしまうかもしれない。

私自身、ライオンなんて透明な壁越しにしか見たことがない。だからこそ、間近で見る迫力にとてもびっくりするし、正直に言えば少し怖かったりもする。
何度も言うが、食べられることはないのだろうけど、怖いものは怖い。

私の小さなお願いが聞こえたのか、頭上から「そこまで言うのなら考えてやらんでもない」と照れ隠しのようにそっぽを向きながらレオンはそう答えた。
何この可愛い生き物。もふもふしてもいいですか?

「ありがとう」と感謝の言葉を述べると共に、我慢出来なくて思わずもっふりとした胸元にダイブした。焦る声が聞こえたけれど、気のせいだ。怒っている様子はないのでこのまま堪能させてもらおう。


「(この短時間でレオンの扱いが上手くなるとは、スミレお嬢様は一体…)」
「お、おい、いい加減にするのだ。余の毛並みが乱れてしまうではないか」
「そうなったら私がブラッシングしてあげるね」
「スミレ自らそういうのであれば、特別に許可してやろうぞ」
「やった! ありがとう!」

「よく分からないケド、仲直りしたんダネ」
「スミレお嬢様、鏡はもうよろしいのでしょうか?」

背後からそんな声が聞こえ、そういえばと当初の目的を思い出した。
「ボクはね、鏡を持っていただけなんだ」
「え? 運んできたんだよね?」
「鏡を運ぼうとしたクロウを偶然お見掛けしましたので、事情を聞いて私が運んでまいりました」
「え、ジャックが? それじゃ、クロウが運んできたわけじゃないんだ」
「はい。私では力加減が上手くいかず鏡を割ってしまいそうだったので、鏡を持っているクロウを掴んで運びました」

え、それって、クロウの中身は潰れなかったの…?
思わずクロウに目線を向けるけれど、当の本人は痛みを訴えたり見た感じ藁の偏りや凹みもなく、これっぽっちも気にしている様子はない。そういえば、触った時に藁ではない感触がしたけれど、あれは気のせいではないのかもしれない。

クロウ達によって鏡を部屋の前まで運んできたはいいものの、ノックしなくちゃ駄目だと思ったそうだ。うん、偉いよクロウ。怒ったりしてごめんね。
運ぶ途中だった鏡を先程と同じ方法で運んでもらい、ようやく自分の顔と対面出来るようになった。
私の予想が外れていなければ、恐らくきっと……。

鏡には、不安げな表情を浮かべている少女がこちらを見ていた。クロウが結ってくれた三つ編みに、フリルがふんだんに使われた可愛いワンピースを着ている。靴は踵の部分が特殊なあのブーツを履いている。
目の前の少女は目を見開き、驚いた表情をしている。黒い髪に金の瞳。
私はこんな見た目をしていただろうか。自分のことなのに、どうしてこんなことを思うのか。これは私であって、私ではない。

だって、私はこんなにも……。
「…小さい……」





閉じた目蓋の向こう、在る残光。
これが嘘でないのであれば、私は幼い子どもなのだろう。

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