ぱしん。
乾いた音が耳に届いた。
朝の大広間は多くの生徒でごった返しているのに、その音だけクリアに聞こえた。それもそのはず。ここ最近よく聞く音だからだ。
食べ始めたばかりのシナモンシュガートーストから目線を外して、大広間の入口を見ると思った通り。泣きながら走り去っていくレイブンクローカラーのローブを身に纏った女の子と、黒髪のグリフィンドールカラーのローブの男子生徒。男子生徒は何事もなかったかのように、近くにいた女子生徒に声をかけている。女子生徒も一連の状況を分かっているはずなのに、笑顔で挨拶を交わしている。これだから顔面偏差値上位者は好きになれない。滅びてしまえ。
自分の武器を最大限利用しているのに、どうして毎回こうなるんだろう。とっても不思議で、もはや何がしたいのかさっぱりだ。新しくソーセージにかぶりつきながら最低だぞとジト目で訴えるも、当の本人には何も伝わらない。左のほっぺに赤い紅葉を貼りつけたまま、目が合うと「どうした腹痛いのか?」って、デリカシーなさすぎじゃない?
お決まりのように私の隣に座って、シュガートーストに手を伸ばす。すらりとした指先は細く骨張っているのにきれいな形をしている。上流貴族出身の彼は所作がとてもきれいだ。身についた習慣は無意識なのか、パンを食べるだけでも絵になる。そう言うと自分の生まれを恨んでひどい顔になるから言わないけど。
今日も今日とて、シリウス・ブラックは女の子に振られた。これでもう何度目だろう。最初の頃はジェームズ達と慰め会と言う名のお祭り騒ぎをマクゴナガル先生に見つからないように開催していたけど、最近ではスリザリンの生徒に悪質な悪戯をすることによって発散しているようだった。
女の子達もシリウスが“ブラック家の長男だから”“学生時代の思い出だから”と、そんな軽いノリで最初は付き合い始める。やっていることは最低だけど、シリウスは付き合った女の子にはとことん甘い。見ているこっちが砂糖を吐きそうなくらいグズグズに甘い。だから、女の子達は本当にシリウスのことが好きになる。好きになって、そこで初めて気がつく。グズグズに甘いくせに、こっちのことは本気で好きにはなってくれないんだと。結果、苦しくなって女の子達はシリウスを振るしかなくなるんだ。やっぱり、シリウスは最低だ。
「シリウス、また振られたのかい?」
丸い眼鏡にくしゃくしゃ頭のグリフィンドール生が、シリウスの後ろからひょっこり顔を出した。私がお皿に取り分けておいたソーセージを当たり前のように指でつまんでそのまま食べた。立ったままなんてお行儀悪いぞ。ソーセージ返して。
「よう、相棒。このままだと在学中、全女子生徒が俺の元カノになりそうだ」
「それは聞きづてならないな。リリーへのアプローチは勘弁してくれよ」
「安心しろジェームズ。エバンズは俺のタイプじゃない」
「それも聞きづてならないぞ! リリーは天使のように愛くるしくて女神の微笑みを携える完璧な女性だ! シリウスのタイプに当てはまらなくとも、魅力的な女性であることを否定してはくれまいな?!」
「わかった、わかったから落ち着け。エバンズは、俺から見ても良い女だ。ただ、俺のタイプじゃないだけだ」
「分かってくれたのならよかった!」
リリーのことになると目の色が変わるジェームズは、シリウスが女の子をグズグズに甘やかす時と重なる。私に対しては塩対応なのに、リリーを見つけると瞳をハートにして口説き落とそうといつも必死だ。塩対応で全然問題ないんだけど、それを見てリリーが目くじらを立てていることにジェームズが気づく日は来るのかな。
「やあコレット、いたんだね」
「はあい、ジェームズ。リリーなら他の監督生達と後から来ると思うよ」
「その情報もっと早くくれないかい?」
「同室の監督生さんから教えてもらえばいいでしょ?」
「それがリーマスったら何も教えてくれないんだ! 僕がどこにいるのか分かったら悪戯し放題だろう?ってね。なんて酷いんだ!」
「ジェームズと違ってリーマスは真面目だもんねえ」
「真面目すぎるがゆえに、ぼくのこと朝イチで起こしてくれたよ」
ふあっと眠そうに口元を隠しながらあくびをするピーター。今までどこにいたのか聞くと、両親へ手紙を出すため梟小屋にいたらしい。相変わらずマイペースだなあ。一緒にいるかと思えば、結構ふらっと一人でどこへでも行ってしまう。その身軽さがちょっと羨ましかったりする。
食事を再開すると、女の子に振られたばかりだと言うのに悪戯話に花を咲かせる問題児二名。ピーターは何も聞いていない風を装いつつ左手にジャムパンを、右手に羽根ペンを持ち、いつ用意したのか羊皮紙に悪戯内容を書き記している。全くこの三人は…。
注意すべきだろうかと思った矢先に見知った顔が大広間に入ってきた。私が今止めなくてもこっぴどく叱ってくれるだろう。真面目で優秀な監督生さんに。
「そのへんの虫を変身呪文で我らが獅子の姿に変えてから、のがいいんじゃないか?」
「いやいや、それだと面白味に欠けるよ。どうせならボガートみたいに相手の嫌なものに変える方が何倍も楽しめそうだよ」
「それだと調べなきゃならないだろ? 面倒くせえ」
「何を調べるつもりなんだい?」
ぴしっと文字通り、三人が石のように固まった。ジェームズとシリウスはもちろんのこと、ピーターまでも書き記していた手を止めて羊皮紙にインクが滲んでいく。証拠が読めなくなってしまうが、私が手を出してはいけない。雪山でも背負っているんじゃないかってくらい、ここら一帯が冷え冷えとしている。気持ち的に。
恐る恐る目線だけ動かすと、それはそれは眩しすぎるほどのにっこり笑顔のリーマスさんがいらっしゃいました。思わず自分が取り分けていた皿ごと避難した。私は関係ない。悪戯話に加担してなんていませんよー。「レティ」
「おはよ、リーマス」
「おはよう。ねえレティ。君は知っているかな?」
「何を?」
「見て見ぬふりをするのも罰せられるんだよ」
「この人達悪戯計画立ててました私聞きましたこの目で見ました!」
「レティてめえ裏切りやがったな!」
「ひどいよコレット! 僕らは一蓮托生だろう?!」
「リーマス違うんだよ。ぼくはやらされただけなんだ、本当だよ!」
だからこの三人の近くは嫌なんだ。絶対に巻き添えを食らう。自白させるためとはいえ私を利用しないでくれ。頼む、誰か助けて。
ジェームズはリーマスに泣き落としにかかっているし、シリウスに至っては私の胸ぐらをつかんで揺さぶってくる。揺れすぎて気持ち悪いからそろそろやめてほしい。ピーターはいつものようにもういない。逃げ隠れするの上手すぎない?
「ちょっとブラック! レティに乱暴しないで!」
女神のお言葉が聞こえた気がした。揺れが収まり気持ち悪さで蹲る。背中を擦ってくれる優しい手はきっといつもの彼女だ。
「愛しのリリー! 今日も最高に可愛いし世界一美しいよ!」
「お褒めの言葉ありがとう、ポッター。またレティを巻き込んだわね? いい加減にしてちょうだい!」
「それは誤解だよ。コレットから近づいてきたんだよ」
違うよね。そっちから声かけてきたよね。まだ揺れているような感覚がして口元を押さえる。シリウスめ、今度仕返ししてやる。
リリーは私が答えるよりも先に真っ向から否定してくれた。いつものことだから二人の言葉を信じるなんてリリーには到底無理な話だ。素直に言えばいいのに。
「ブラック! レティも女の子なのよ? 他の子に優しくできるのに、どうしてレティはポッター達と同じ扱いなのよ!」
リリーが珍しく本気で怒っている。シリウスに掴みかかりそうな勢いで噛みつくリリーを見て、不覚にも嬉しくて笑ってしまう。
「リリーありがとう。私は大丈夫だよ」
「でも、こんなのってないわ!」
リリーに睨まれているシリウスはバツが悪そうにそっぽを向いている。すぐに悪かったと、一言謝ってくれたのでリリーの怒りはちょっと収まった。ジェームズが「怒った顔もそそられるね」なんて場違いにもほどがある言葉を発してしまったので、リリーは真っ赤な顔をして大広間を出て行ってしまった。後を追いかけるようにジェームズも行ってしまい、リーマスも「悪戯はほどほどにね?」と怖いくらい満面の笑みを浮かべ、ジェームズを追いかけるのか大広間から出て行ってしまった。
「…さっきはマジで悪かった」
「どしたの。今日もしかしてディメンターでも降ってくるのかな」
「レティって、たまに怖えことサラッと平気で言うよな」
「褒めても何も出ないよ?」
「そりゃ残念。なら俺から詫びの印に蛙チョコやるよ」
「お詫びの品もらったから許す」
一つかと思えば、拡張呪文が施されているポケットから十個くらい出して全部くれるらしい。太っ腹すぎない? 珍しいこともあるなと、せっかくなので全部いただく。返せって言われても返さないからね。
「さっきの女の子、どうして振られたの?」
楽しみにしていた苺のタルトのデザートを手に取り、口に頬張る。んー、この苺めちゃくちゃ甘い。当たり苺だラッキー。
「さあな。俺にも分かんねえ」
食後のコーヒーを啜りながら、シリウスはなんでだろうなと苦笑する。たくさんの女の子達と付き合っては別れてを繰り返すシリウスが何を考えているのか、私には分からない。もう何度目かにもなる振られた理由でさえ、教えてもらえない。
「付き合う子みんな甘やかしすぎじゃない?」
「彼女ってそういうもんだろ」
「んー、恋人ってそういうもんなの?」
「それが分からないんじゃ、レティにゃまだ早いな」
「何それー。万年振られ男に言われたくないんですけどー」
「今のは耳に痛えなあ」
「もっとさ、大事にしなよ」
相手のことも、自分のことも。
分かっているのかいないのか、シリウスは答えない。代わりにハッフルパフにいる女の子を見て「あの子かわいいな」なんて、次の彼女候補を見つけている。やっぱ最低だ。
「あの子はやめときなよ」
「…マジか。俺揺さぶりすぎたか?」
「頭おかしくなってないから変に心配しなくていいよ」
「珍しく止めるもんだから…もしかして変なもん食ったか?」
「あのねえ、シリウスは最低だけど友達だから忠告してるの。あの子はやめときな」
「レティ今最低って言ったか?」
「言ったよ。自分でも自覚あるでしょ?」
「レティに言われると心が痛えな」
「嘘ばっか。私の言葉で傷ついてんなら、今頃振られてなんかいないでしょ?」
少しだけ長い、黒髪の奥に見える灰色の瞳をじっと見つめる。目が合っていたのは一瞬で、すぐに逸らされた。近づいても、すぐにひらりと躱されてしまう。だから私は掠る程度でしか接することができない。瞬きをしている間に、いなくなってしまうから。
「レティが忠告するくらいなら、俄然彼女にしたくなった」
「どうなっても知らないよ?」
「引っ叩かれすぎて面の皮厚くなってっから平気だろ」
「わお、それ自分で言っちゃう?」
「万年振られ男なもんでな」
あらいやだ。根に持っていらっしゃる。今度から言葉選びはもう少し慎重にしよっと。
早速声をかけるのか、残っていたコーヒーを飲み干してじゃあなと一言。もっとちゃんと止めたらよかったかな。あの子の友達がシリウスの元カノで、相談を受けていたからひどい目に遭わないといいけど…。いや、あのタイプは一回くらい痛い目見た方がいいよね。
友達だからと気にしすぎて頭ハゲそうだから、あまり考えないようにしておこっと。
目からビームが出そうなくらいリリーがシリウスを睨んでいた時、見てはいけないものを見てしまった。床に座り込んで低い位置にいたから、きっと見えていたのは私だけだ。
怒られていたはずなのに、私には、シリウスの口元が微かに笑っているように見えた気がした。