クィディッチのシーズン中、ホグワーツは比較的平和だ。悪戯仕掛け人であるジェームズがチェイサーとしてチームに参加しているので、マクゴナガル先生の目も少しは柔らかく感じる。打倒スリザリンを密かに掲げているマクゴナガル先生は、グリフィンドールとスリザリンの試合中によく「そこですポッター! 打ちのめすのです!」と、普段の様子からは考えられないくらいはっちゃけている。先生も息抜き必要だもんねえ。
相棒がクィディッチの練習で汗水流して頑張っている間、シリウスはというと、この前気になっていたハッフルパフの女子生徒と仲良くなっていた。付き合っているのかと聞いてみたが、片思い中の駆け引きを楽しんでいるらしい。恋は付き合う前が一番楽しいとグリフィンドールの先輩が話していたから、そうなのだろう。知らんけど。
私の将来的に必須科目の魔法史―という名の睡眠学習―の授業を終えて、今日のコマは終了だ。夕食前に一眠りしたいところだけど、変身術のレポートを終わらせないといけない。羊皮紙3メートル分の宿題って何よ。魔法史とマグル学もそれぞれ2メートル分のレポートを書かなくてはならない。…今日眠れるかな。
とりあえず、図書室に行こう。約束しているわけじゃないけど、夕食前は図書室に集まってリリーと宿題をやっつけている。最近は毎日鬼のように宿題が出るので、自然とそうなるのだ。
一度寮に戻ってレポート用の羊皮紙と、甘いものを取ってこよう。糖分ないと私の脳みそがやってられない。夕食まであまり時間がないので、早歩きで寮がある階段を目指す。本当は走りたいけど、こんなことで減点されたくない。次の角を曲がれば気まぐれな階段がある場所なのに、聞こえてきた金切り声に思わず足を止める。こんな時に喧嘩してるおばかさんはどこの誰なのよ。遭遇したくないなあ。
「あんたのせいで、あの子酷いことになってるんだからね!? 散々人のこと弄んでおいてなんとも思わないわけ!?」
聞き覚えのある声に、息を呑む。見つからないように廊下の角から覗くと、見知ったハッフルパフカラーと、グリフィンドールカラーに長い黒髪。友達以上、恋人未満のお二人さんだった。
ハッフルパフの子の言葉に、シリウスは答えない。何も言わないことに腹を立てたのか、彼女はシリウスに杖を向ける。隠れて見ている私も思わず杖を抜いてしまった。何かあったら止めないと、と変な使命感が出てきてしまった。魔法の扱いが上手いか下手かはこの際関係ない。気持ちの問題だ。
「あなた、何がしたいの…?」
「俺はただ、いいなと思ったから声をかけてるだけだ」
「嘘つかないで! あの子のことも、私のことも、好きでもなんともないくせに…!」
友達のことを思い出しているのか、彼女は涙声でそう叫んだ。好きでも嫌いでもない。好きならどんなにいいことだろう。嫌いにもなってくれないなんて、意識していないのと同じだから、本当になんとも思われてはいない。どうでもいいとも思わない。いいなと思って声をかけられても、シリウスの心は一度だってこっちに向いてはくれない。女たらしのイケメンは、真剣に恋をする女の子の敵でしかないのだ。
「石になれ」
音もなく直立不動になったシリウスは顔面から倒れ込む。それを目の前で見ていた彼女は小さな悲鳴を上げ、向こうの廊下へ走り去ってしまった。あらま、びっくりさせちゃったかな。
廊下の角から顔を出し、わざと靴音を響かせながらゆっくりと近づく。石になってしまっているので、顔も目も動かすことはできない。視界の隅にチラッと見えるかもしれないけど、きっと誰だか分からない。私がやったなんて、シリウスは思わないだろう。私のことだって、シリウスからしてみれば“友達の枠に入っている”だけなのだから。
声を出せば私だと分かってしまう。このまま素通りするはずだった。石になっているシリウスを目の前に、立ち止まる必要はなかった。足を止めてしまったのは、私が愚かだからだ。
「あの子はやめときなって言ったじゃん」
杖を一振し、無言呪文で呪文よ終われをかける。体の自由が利くなり私の胸ぐらを掴み、比較的壁に近かったのでそのまま背中を叩きつけられた。壁がぽふっとやわらかく変形したのを見て、シリウスは舌打ちをする。無言呪文で壁をクッションにしたのがお気に召さなかったらしい。
無言呪文を習得するのに結構がんばったのに。これがジェームズだったら話が逸れて石にしちゃったのごめんねで済んだのに、やっぱりシリウスはそうならない。
「シリウスどうしたの? 珍しく怒ってるね。おこなの?」
「…言わなくてもわかるだろ」
「いやいやー、言わないと分からないよ。私ちゃんと忠告したでしょう? 少しは人の話聞きなって」
胸ぐらをつかんだまま、シリウスは俯いてしまった。何を思っているのか、表情から読み取る方法を取らせてはくれないようだ。シリウスはたまに、私から顔を背ける。無意識なのか意識的になのか、読み取りたい時に限って顔を隠す。読み取るったってそんな本格的にじゃなくて、シリウスは顔に出やすいから案外わかり易い。ずっと近くで見てきたから、尚更だ。
「さっきさ、わざと怒らせたでしょ?」
「っんなことしてねえよ」
「そうかなあ。シリウスさ、知ってて声かけたでしょ」
「何をだよ」
「えー、何って…色々と? 私の忠告無視したのだって、あの子に、」
言葉は続くはずだったのに、胸元が楽になりシリウスの手が離れたのだと遅れて気づいた。これ以上話したくないのか話す気はないのか、何も言わずに立ち去ろうとするので、慌てて追いかけて腕を掴む。振り払われた勢いで倒れそうになるのを、変なステップを踏むことで堪えた。私の腕を振り払った一瞬、シリウスが眉間にシワを寄せたのを見逃せるはずがなかった。
「ああもう、どこ?」
「何がだよ」
「怪我、してんでしょ? さっきの子にしてやられた?」
「…うっせ」
「ちょっとそこのイケメンさん、顔に傷つくってやしないよね?」
「この前引っ叩かれたとこ治してくんなかったのにそういう事言うか?」
「振られた時の傷は治しませーん。そうじゃない時はいっつも薬塗ってるでしょ?」
身ぐるみを剥がす勢いで、どこが痛いのかシリウスに迫ってみる。こうでもしないと医務室にだって行きゃしない。おそらくマダム・ポンフリーに会いたくないんだと思う。人の傷治しといてなんだが私もだ。
廊下だけど四の五の言ってられないので、その場にシリウスを座らせる。ローブのポケットから試験管を何本か取り出し、傷に合った薬を選ぶ。“今回”は裂傷だ。私が見ている間はそんなこと起こらなかったので、来る前にいざこざがあったらしい。シリウスは何も喋らないけど、状況と傷を見てそう判断した。
有無を言わさずローブを脱がすと、右腕の二の腕辺りのワイシャツは血で滲み、傷口がぱっくりと開いている。ワイシャツがこれなのにローブがなんともなかったので、気づくのが遅れてしまった。おそらくきちんと着ていなかったが故にそうなったのだろう。全く、強がったところで傷が化膿して更に悪くなるだけだと言うのにこの男は。
痛くないように邪魔なワイシャツは魔法で切り落とし、試験管のコルクを引き抜いて傷にかける。相当染みるのか、声を上げないように悶絶している。消毒と傷を癒やすための薬なので致し方あるまい。まあ、自業自得なので耐えてくれ。
「いってえなレティ!」
「我慢しなよ。これはシリウスが作った傷だよ」
「もう少しマシな傷薬なかったのかよ」
「マダム・ポンフリーのところに行けばもっと痛い塗り薬と、にっがーい飲み薬がもらえるよ」
「レティサンキュ」
「素直なシリウス怖いんだけど。中身ガリ勉トロールと入れ替わった?」
「地の果てまで追いかけ回して羊皮紙10メートルの闇の魔術に対する防衛術の宿題出すぞ」
「なんって恐ろしい宿題出すの! リアルにありそうな数字出さないでよ!」
そんなん出されたら徹夜どころではない。他の生徒と抗議デモを起こしてやる。もちろん筆頭はシリウス・ブラックただ一人。私はいつでも逃げられるポジションから高みの見物をしていたい。マクゴナガル先生の雷落とし怖いんだもん。できれば逃げ切りたい。
「魔法薬学が得意だからって、毎回あてにしないでよね」
「レティのおかげでいつも助かってるぜ」
「私のこの知識はシリウスのためじゃないんだって分かってる?」
「俺のために腕を上げてくれよ、アスター先生?」
ニヤリと笑うシリウス。私のことを先生とからかってるけど、バカにしているわけではないみたい。イケメンって大体のことは許されるけど、これは罪深いぞ。
包帯を取り出し、ちょっとキツ目に巻けと呪文をかけると案の定、怒ったシリウスに追いかけ回される羽目になった。
ゴゥンと、鐘が鳴り響く。
そっか、もう夕食の時間か。早くしないとリリー怒るか、な……。
サアッと血の気が引いていく。約束をしているわけじゃない。でもいつも一緒に宿題を片付けていたから、どれだけ待たすのかと怒っているかもしれない。素直に謝るのが前提だけど、どうしよう。こういう時、笑顔のリリーはとっても怖いのだ。
「リリーと約束あるから、追いかけっこはまた今度ねー」
「ああ? レティてめえ待ちやがれ!」
「追いかけてこないでよー! リリーは怒らせると怖いんだからあっち行ってよー!」
「っは! 俺がエバンズを怖がるわけねえだろ! あんな女、」
「あんな女がなんですって?」
あ、この感じ身に覚えがある。つい最近やったな。自然と足は止まり、冷や汗がダラダラと垂れてくる。いつもなら羽のようにふんわりとしている赤毛がまるでメデューサのように波打っていて―いや、そう感じるだけなのだがシリウスも見えているようだった―、石にされてしまったかのように動けない。
にこにこ笑顔で近づいてくるリリーは先日のリーマスに酷似していて、監督生になったらみんなそんな顔になってしまうのかと呑気に考えていたら、リリーに睨まれてしまった。まさか開心術使われた?
「レティ、私は別に開心術なんて使っていないから安心してちょうだい」
「そっか、それならよかっ…た…」
「レティの表情はとっても読みやすいのよ」
「そうなんだね、あはは」
「で、ブラック。あんな女が一体なんですって? もう一度言ってごらんなさい」
ズイズイっとシリウスに迫るリリーは本気だ。目線でやられる。私じゃなくてよかった…。「レティはあとでね」はい。
「あんな女、俺の敵じゃねえっつったんだよ」
シリウスは即座に退き、いつの間に手にしていたのか杖を手に持ちアクシオした箒に飛び乗り、颯爽と飛んでいった。ずるい私も連れて行ってほしかった。
「…ブラックは後回しにするとして、レティ! 遅いじゃない! 心配するでしょう!」
「ごめんなさい!」
後日談として、シリウスは見事にリリーにこってりしぼられた。廊下に倒れている屍は見なかったことにしよう。