街が夕暮れに染まって何もかもがオレンジ色になったころ、なまえはすっかり日課になった地下ライブハウスへと足を運んだ。他に行く所のない学生や、ただ刺激が欲しい女の子、出会いを求める男の子、色々な人達がそこにはいる。なまえもその中の一人だった。
地下へと続く薄暗い階段を慣れた様子で降りて行くと、この場所を取り仕切っている金髪の男、薫がライブハウスの入り口で座り込んでいた。うつむくその表情は影になっていてよく見えない。

「薫くん、どうかした?」
「ん〜……あれぇ、なまえちゃん」

いらっしゃ〜い、と顔を上げた薫の顔を見て、なまえは少しだけ違和感を覚える。なんだか目つきがぼぉっとして、なまえを見ているはずのに目が合わなかった。

「今日はライブはな〜んにもやってないよ。居るやつらは好き勝手しゃべったり飲んだりしてるだけ」
「うん、別にいいよ。薫くんは中に入らないの?」
「俺はなまえちゃんのこと待ってたんだ」

へらへらと笑う薫の隣に、なまえは腰を下ろした。ライブハウスの床は少し汚れているけれど、今更そんなことは気にならなかった。制服のスカートから下着が見えないように、財布とお菓子とスマホ以外何も入ってないスカスカの鞄で太腿を隠す。

「薫くん今日なんかあったの?ふわふわしてる」
「そぉかな?いつも通り、父親と言い合っただけだよ」
「ふ〜ん……」

それにしてはやけに上機嫌な気がするけどなぁ、と考えながらも、なまえはそれ以上は聞かなかった。
指先で髪の毛をいじくるなまえを、薫はじいっと見つめて笑いかける。さわやかな、女の子がみんな好きになってしまうような素敵な笑顔だ。

「なまえちゃんってさぁ、猫みたいだよね〜。なんか耳と尻尾も見えるかも」
「なにそれ、薫くんヘンなの」
「ほ〜ら猫じゃらしだよ〜」

相変わらず顔の緩んだ薫はなまえの目の前にパタパタと空っぽの煙草の箱を振って見せた。少しひしゃげた煙草の箱からは、カラカラと何か小さなものが転がる音がする。
やはりどこかおかしな様子の薫になまえは首をかしげて問いかけた。

「薫くん、飲み過ぎ?」
「ぜ〜んぜん。一錠しか飲んでないよ〜」
「一錠?」

お酒のつもりで聞いたなまえはなんのことだかわからなかった。薫は手の中の煙草の箱から小さな錠剤を取り出すと、なまえにそれを見せてけたけたと笑う。

「なまえちゃんにもあげるね。猫なれるクスリだよ〜」

それは小さな錠剤で、少しいびつな猫のマークが彫られていた。そこでようやくなまえは気がつく。ドラッグだった。

「ね。俺さみしいんだ。なまえちゃんこれ飲んで、俺の猫ちゃんになってくれる?」

今までの上機嫌とは打って変わって、眉を下げてなまえの顔を覗き込む薫に、なまえはゆっくりうなずいた。さみしい、さみしいのはなまえも一緒なのだ。
ありがとう、と笑う薫はどこか苦しそうに笑うと、錠剤を口に放り込んでなまえの口にかぶりついた。薫となまえの初めてのキスは、苦い薬の味だった。



20170911
錦戸さんより「ほ〜ら猫じゃらしだよ〜」