最後のウギョル side.H
前の仕事が押して、ウギョルの仕事に遅刻しそうな僕は慌てていた。
最後のウギョルだと言うのに、まさか仕事が押すなんて…。
10分ほど遅れてマネージャーに連れて来られたのは、結婚式なんかで使われているとある教会。
結婚してるわけじゃないのに教会なんて使うんだ、とびっくりした。
ということは、今回のウギョルはそんなに不評では無かったのかな。
すみません、と監督に何度も謝ると、大丈夫だから、と許してくれた。
ウギョルに少し遅刻する、というのは申し訳ないけどいつものことで。
これが無くなると思うとそれは同様になまえにも会えなくなる、ということだから、寂しくも思えた。
「なまえ?どうしたの?」
「オッパ…。」
「浮かない顔してるけど…。あ、もしかしてウギョルが終わるの寂しい?」
スタッフさんたち全員に謝罪を終えてなまえの元に行くと、浮かない表情を浮かべていることに気付く。
無意味な期待を抱きつつも冗談ぽく、ウギョルが終わるの寂しい?、と訊けばなまえは、ふい、と顔を逸らした。
そんな少しの動作に、え、と思わず声が溢れてしまう。
照れたように顔を逸らされて、しかも耳が赤く染まっているなんて。
目の前に居るなまえを抱き締めたくて堪らなかったけど、そんな大胆めいなことが出来るほど僕には余裕も無かったし勇気を持ち合わせていなかった。
多少の気まずさを抱いていると、スタッフさんから収録を始めるのだと声を掛けられる。
その呼び掛けに安心したような表情を浮かべて反応したなまえを見ると、なんだか胸が苦しくなった。
そうだ、彼女にはレオくんが居る…。
「…期待させるようなこと、言わないでほしいよ…。」
僕の悲痛めいた呟きは、なまえの耳に届くことは無かった。
今回のウギョルは、振り返りがメインらしい。
初めて会ったときや遊園地デートなんかが流れて、懐かしい気持ちに包まれながらもなまえを冷やかす。
こうした一面を見てなまえのことが好きになったって言ったら、なまえはびっくりするのだろうか…。
なまえとレオくんが喧嘩をしていたであろう時期と仲直りしたであろう時期なんかを比べてみると、全体的になまえの雰囲気が違うように見えた。
些細なことでなまえの表情や雰囲気を簡単に変えてしまうことが出来るレオくんが、なんだかとても羨ましい。
僕には絶対、無理なことだから。
それにしても、こうして客観視してみると、いろんなことも見えてくる。
なまえのことも然りだけど、僕もなかなか…解りやすい態度を取っているようにも思えた。
まあ、気付いているとしてもウチのメンバーだけなんだろうけど。
「あ、ミッションカード…。」
「最後のミッションカードかな。なまえ読む?」
「ううん、ヒョンスニオッパが読んで良いよ。」
水族館デートまで観て多少の会話をしていると、予想外にもスタッフさんからミッションカードを手渡された。
恐らくは、これが最後のミッションカードなんだろう。
むしろ最後の最後にまでミッションカードがあるとは予想していなかった。
読む?、となまえに訊いたけど、読んで良いよ、と言われたから僕が読むことになった。
最後のミッションカードと思ったらタイムリミットが近いんだという現実を突き付けられているようで、胸がギュッと苦しくなってくる。
だけど仕事には変わりないから。
変に下手を打てば空気もおかしくなるだろうし、僕は声が震えないように気を張りながらも内容を読み上げた。
「この教会でお別れになります。お互いの気持ちを告げてキスをしてお別れしましょう。キスの場所はおふたりにお任せします。…だって。」
「お別れ…。なんか、寂しいね…。」
ミッションカードの内容は、お互いの気持ちを告げてキスをしてお別れ、というもの。
お別れ、という言葉が、胸に酷く突き刺さってくる。
それにしても、キス、か…。
きっと番組的には唇にした方が良いんだろうな。
スタッフさんの案内で、普通ならばこれから夫婦になる人たちが愛を違うために使う場所へと連れて行かれる。
ここで別れるって…あんまりよろしくないような気はするけど、キスをする場としたら絵的には綺麗なんだろう。
「僕は最初、ウギョルって面倒だなぁって思ってた。」
多分、なまえは自分からは言わない。
ウギョルを通して数ヶ月接していたから、そこはなんとなく解った。
…それに、なんだろう。
理性のあるうちに早く言っておかなければ、要らないことまで言いそうな気がしたから…。
だから、最初に言うことにしたんだ。
「でも、なまえはテレビが苦手でクールなのに、僕にいろんなところを見せてくれて、それが嬉しかったしウギョルもすごく楽しめた。僕の恋人になってくれてありがとう。僕はなまえのことが本当に大好きだったよ。」
そう言ってから、なまえを正面からギュッと優しく抱き締めた。
ああ、理性があるうちに、と思っていたけれど…。
僕には理性というものが、ほとんど残されていなかったみたいだ。
残っていたのなら、抱き締めたりしないだろうから。
本当に大好き"だった"よ。
口にするのなら、過去形にしなくちゃいけない。
"だった"なんかじゃない、今でも僕はなまえが好きなんだ。
これが伝わってくれていたら嬉しい。
けどキミは、気付いてくれないんだろうなぁ…。
「…わたしも最初はウギョルがすごく嫌だった。だけどヒョンスニオッパは少しのことも気を遣ってくれて、放送事故になりそうなことも全部防いでくれてすごく嬉しかったし、わたしもウギョルが楽しかった…。あんまり…話すことも得意じゃないけど、本当にありがとう。オッパが大好きでした。」
ゆっくりとなまえが話し出す。
そして、ほろり、と頬を伝う涙。
なまえには僕と同じような気持ちが無いとは解っているけど、そんな動作でやっぱり期待してしまう。
無理だって解っているのに望んでしまう僕は、ただの馬鹿だ。
なまえの腕が僕の背中に回る。
とくん、と跳ねる胸がなまえのことを欲していた。
けれど、我慢しなくちゃいけない。
泣いているなまえに、泣かないで、と言いながらなまえの髪の毛にキスをひとつプレゼント。
なまえがふと顔を上げると、やっぱりなんだか愛しくて堪らなくて。
こんな罰当たりな場所で別れたくなんかない、という気持ちが動いていた。
僕はなまえを横抱きにして、なまえに向かってニコリと微笑む。
え?え?、と慌てているなまえを無視して、こんなところで泣いたら神様に怒られちゃうから、と言って外へと全力で走り出した。
ごめんね、なまえ。
ちょっと我慢しててね。
「なまえ、僕たちはもう恋人じゃなくなるけど、これからもずっと友だちだし、愛しているから。」
僕が立ち止まったのは教会の前。
なまえを横抱きにしているから、なまえを下から覗き込むようにこれからも愛しているのだと告げる。
愛しているから。
僕はずっと、この先良い人が現れるまではきっとなまえしか愛することが出来ないんだろう。
その気持ちも込めたら、なまえが動揺したのか戸惑っているのを感じた。
なまえが戸惑っているのをカメラに見せるわけにはいかない。
だからカメラから隠すようになまえを降ろして、額にキスをひとつ落とす。
これが約束のキスね。
そう呟くとなまえは一瞬驚いていたけれど、へにゃっと、今まで見た中で一番気を抜いた笑顔を見せた。
ねぇ、なまえ知ってる?
額へのキスの意味。
「わたしも…愛しています。」
きっと解っていないんだろうな。
だけどなまえからもキスしてくれたことが、僕からしてみたら満足で。
にっこりと微笑んでから、またなまえのことを抱き締めた。
僕の腕に対して、なまえは戸惑っている様子を見せない。
なまえが僕を抱き締め返すと、そのまま収録は終了した。
ーーーああ、終わったんだ。
終了の言葉を訊いて、なまえからゆっくりと身体を離す。
ここからはもう、ウギョルで演じていた"恋人同士のビーストヒョンスン、シークレットリン"じゃなくて、"同期のビーストヒョンスン、シークレットリン"になるんだ。
またいつか仕事でね。
なまえにそう微笑んだとき、不思議と心からの笑顔を向けることが出来た。
ウギョルが終わったとは言えど、まだ少し仕事が残っている。
これからまたマネージャーが迎えに来るけど、マネージャーにはまだ終わったと連絡していない。
今しかもう、残されていないから。
キョロキョロと周りを見渡すと、目的の人物を発見する。
そしてポンッと肩を叩くと、目的の人物であるなまえは驚いたように僕の方を振り向いた。
「なまえ、ちょっと良い?」
驚いていることには触れず、ちょっと良い?、と言ってなまえに近くのベンチに座るように促す。
楽しかったね、とか、最後に泣くとか反則でしょ、など…。
最初は今日の感想をつらつらと話す。
そうでもして覚悟を決めないと、僕が駄目になりそうだったから。
だから最初は適当なことを話して、言わなければ、と自分を決める。
だんだんと固くなっていったのが解ったのか、なまえが僕に対して何かを言い掛けていた。
けれど僕はそれに被せるように言葉を並べていく。
言いたかったことを…。
「僕、本当になまえが大好きだったんだ。愛しているから、っていうのも嘘とか番組向けのコメントじゃない。」
「え…?」
「僕はなまえが本当に好きです。本当の恋人になりたいくらい。」
困らせるって、解っていた。
なまえは優しいから、どう断ったら良いのかと考えているんだろう。
キョロキョロと定まりのない視線。
あ、とか、えと、とか言葉を詰まらせながらも一生懸命考えていて。
安心させるためにも、なまえの頭を優しく撫でた。
"大丈夫、安心して。"
"レオくんのことは知っているから。"
そんな意味も含めて。
「あともうひとつ。黙っていたけど、なまえがレオくんと付き合ってること知ってたんだ。」
「え…っ、あの、それ…っ。」
「知ってて告白してごめんね。でも言いたくて。あ、レオくんとの関係は秘密にしておくし、僕以外は誰も知らないから安心してね。」
すべてを知っていたのに、告白した僕はただの馬鹿なのだろうか。
断られることが…振られることが怖くて仕方がなくて、バーッと言葉を並べていく。
レオくんとの関係は秘密にしておくし僕以外は誰も知らないから安心して、と言うとホッとするなまえ。
いろんなことで困らせて、振り回して申し訳ないな、と思うけど、やっぱりなんだか苦しい。
「困らせてごめん。これが最後。本当にありがとう。」
本当に、ありがとう。
「愛してたよ。」
好きになれて、良かった。
愛してたよ、と告げたけど、僕の声は情けなくも震えていて。
同情のようにも見える視線がなまえから向けられることが、今の僕からしてみたら一番辛いことだった。
なまえの身体が動きそうになった瞬間に震えた、なまえの携帯。
それはどうやらマネージャーさんからだったみたいで、迎えが来たのなら行きなよ、と帰るよう促した。
だって今、泣きそうだから。
泣く姿を好きな女の子に見られるだなんて、恥ずかしいでしょ?
早く帰った方が良いよ、とあくまでも自然を装いながら手を振る。
やっとなまえが行こうとしたとき、なまえはくるりと振り返って綺麗な笑みを浮かべながら僕の名前を呼んだ。
「ごめんなさい。気持ちには応えられないけど…こんなわたしを好きになってくれて、本当にありがとう。」
そう言ってから、なまえはマネージャーさんのところへと向かった。
その瞬間に流れ出す涙。
押し殺したい嗚咽も、情けなくも出て来てしまう。
我慢した思いが涙となって、すべて流れているようだった。
僕はキミが好きでした。
だけどキミには、愛する人がいて。
僕にはどうすることも出来なかった。
今まであんな普通のことで好きになることなんて、一度も無かった僕。
トラブルメーカーを組んでいるヒョナにでさえ、こんな特別な感情を抱くことなんて無かったのに。
ねぇ、なまえ。
額へのキスの意味はね…祝福っていう意味があるんだよ。
これからレオくんとなまえが幸せになれるように、っていう祝福の意味。
「僕も…幸せに、なりたいな。」
流れる涙をそのままに、僕は空に向かって呟いた。
(ヒョンスナ?)
(言ってきた。好きだって。)
(うん。)
(解ってたけど…悲しい。)
(うん。)
(本当に、好きだった…っ。)
(よく頑張ったね。)
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