バンギャの恋





ドラムのシンバルが静寂を切り裂いて、演奏は始まった。
ボーカルの止まない煽り。
ステージいっぱい走り回るギターとベース。
目に痛いほど色とりどりのライトの柱が降り注ぐ大きなステージに、数えきれないファンの腕が、救いを求めるように伸ばされている。

ずっとずっと見たかった光景が、目の前にある。

三年間、CDを買って追い掛けていたバンドに、今日初めて会いに来た。
一人だから、浮くんじゃないかとか、ノリ方分かんないんじゃないかとか。たくさん不安を抱えていたけれど実際ライブが始まったら、いてもたっても居られずに頭振って。
アンコールの後、メンバーが満足そうな笑顔で袖口にはけてくのを見届けながら僕は、感極まって泣いていた。
観客の暴れっぷりを目の当たりにしたメンバーが楽しそうで、本当にきて良かったって。とてつもない幸福に喉の渇きも忘れていた。

公演の終わりをまざまざと告げるようにほの暗く点灯していくライブハウス内。
周りの人たちが友達と話したり、泣いたりするのを横目に僕はただただ放心状態で。出口に向かおうとする人の波に、半ば背中を押されるように歩みを進めた刹那――ぐらり、と身体が揺れた。

目の前がチカチカと点滅している。まるでテレビの砂嵐だ。
初めての感覚。
込み上げる吐き気に僕はテンパっていた。口元を掌で覆いどうにかこうにか近くの壁に寄りかかって、ずるずるとしゃがみこむ。
すぐ隣を大勢の人が通り過ぎていくのに、周囲の音が遠く聴こえた。
止まらない涙が呼吸を乱していく。まともに息が吸えなくて床に這いつくばる。

なにこれ。苦しい。死んじゃうのかな。メンバーに迷惑かかっちゃう…。

纏まらない思考がぐるぐると回る中、
背中にそ、と添え当てられる体温を感じた。

「ちょお、大丈夫ですか?」

頭上から聞こえるのは、ライブで叫び尽くしたんだろう枯れた声。関西の訛りが入った、独特のイントネーションだった。
僕はまともな言葉も返せなくて、頷くばかり。
頬に冷たいなにかが触れる。

「飲んでください。ゆっくり、息して」

顔をずらして冷たいそれに口付ける。ペットボトルだった。生温いミネラルウォーターが、体内に伝い落ちていくのが分かる。
僕は必死に喉を鳴らして飲み込んでいた。
症状が落ち着くまで、優しく背中をさすってくれる腕と声かけに、安堵しながら。


「やっぱスタッフ呼んで来ましょうか?」

すっかりペットボトルを空にした頃、背中に置かれた掌はゆっくり離れていった。

「い、いえ…大丈夫です、ありがとう…」

僕は壁伝いに立ち上がって、お礼をしなければと声のする方を振り返る。
そして、息を飲んだ。
思ったより距離が近かった事もあるけど、……僕が一番好きなメンバーと全く同じ外見をしている。
派手なヘアメイクも、衣装も完璧で。中性的。
命の恩人は心配そうに顔を覗き込んでくる。

「い、」
「ん?」
「池様ですね…!」

考えるより先に言葉は出ていた。
真っ黒なアイラインに囲われた青い目が見開かれる。次いで、命の恩人は腹を抱えて笑い始めた。

「いやいやいや!とんでもないっすよ!元気なったみたいで安心しましたー」

くしゃりとメイクを歪ませて破顔する命の恩人は、意外と人当たり良い雰囲気が表れていた。
僕は空のペットボトルを握り締める。
何故か心音が早い。雑誌やテレビ越しでメンバーを見ている時の、ときめきに似ている。


「あの、お礼をしたいので連絡先教えてくれませんか」

これは、もしかすると、初めての恋かもしれない。

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