マルキドサドに敬礼


俗に言うアングラ系の世界が好きな友人に連れられて、あるイベントに参加した。
気軽に見るフェテイッシュショー。小さなライブハウスで行われる其れは、敷居が低いせいだろうか。お客さんも普通の格好の人が多い。その上、友人が場違いなほどいつも通りの雑談をふってくるものだから、私の緊張はすっかりほぐれていた。開幕を告げるようにライトが暗転した瞬間、前の方へと歩み寄るくらいには。
ボンデージ衣装で人間家具になりきりながらブラックジョークをかます芸人、悲恋の物語を語りながら切腹を真似て血糊を被り倒れこむ白塗りの女性、半裸の人間に筆を走らせる絵師…。
反戦歌をバックに、ころころと変わる演者は、思いもよらぬパフォーマンスを仕出かしてくれる。観客からくすくすと笑いが零れていた。

「なんだ、千波も楽しんでるんじゃん」

500円のハイボール片手にした友人がこそこそと声をかけてくる。

「うん。来て良かった」

私は肩を竦めて微笑んだ。
最初に誘われたとき、危なそうなイベントだなと思って断ってしまったことに、罪悪感さえ感じた。
ふと、BGMが途絶えた。
ステージと観客席を区切るようにカーテンが下ろされる。演者が変わる合図だ。

「次で最後みたいよ」
「何て人?」
「艶屋さんって人」

聞き覚えがある。
このイベントの主催者の名前。

「楽しみー」

本音だった。
しかし、この二時間たちっぱなしだ。足が痛い。
片足を軽くあげてみたり、パンプスの爪先をこんこんと床にぶつけて、違和感を誤魔化そうとする。
どのくらい待っただろう。
艶屋さんは、出てくるまでの準備時間が今日一番長い気がした。ショーのトリだから、こんなものなのかもしれない。
次第にライトが真っ赤に変わり、ライブハウスは毒々しい色に染まった。今まで、ショーが始まれば必ずかかっていた反戦歌は流れてこない。ただ、

(……お香?)

独特の香りが充満していくのが分かった。
明らかに、違う。異様な空気に観客も自然と言葉を無くしていた。
徐々にカーテンが開かれステージが垣間見えるに釣れて、何故か私の心臓はドクドク跳ね上がっていく。

完全なる幕開け――。

コツン、コツン、と高圧的なピンヒールの靴音を響かせて現れたのは、黒いロングワンピースを着た女性だった。
過剰な装飾を施されたヴェネチアンマスクで、顔の半分を覆ってはいるものの、きっと美人なんだろうなあと思わせる雰囲気があった。何より、スリットから覗く白い素足が、スタイルの良さを強調している。
彼女は、一言の挨拶もなく首を大きく回し、観客席を舐め回すように見渡したあとで、形の良い真っ赤な唇を歪ませる。サディスティックな笑みだ。

「えっ」

不意に、彼女の華奢な指が、私を指差した。
釣られて、周囲の人たちが一気に此方を向く。
私、何かおかしな事をした? ……不安で汗が吹き出す。
助けを求めるべく友人を見たが、駆け寄ってきたスタッフに肩を捕まれて、観客席から引きずり出される。反論する余裕もなかった。途中、段差にヒールが引っ掛かって転けそうになってもお構いなしだ。
不格好によろけながら、ステージの中央に立たされた私に、全員の視線が集まった。今すぐ逃げ出したい衝動にかられたけれど、スタッフが両脇でスタンバイしていて、身動きがとれない。
艶屋さんは太い麻縄を持って、私の両手を背後で括り始めた。
手際よく縄の輪っかが首にかけられる。声も出なかった。まるで罪人にでもなった気分だ。

「…ぅ、…っあ……」

胸の上で数多の縄が行き交い、結び目を作られ、身体が本当に動けなくなっていく。
規則的に締め上げられる縄が、膚に擦れ、食い込んで……。あまりの息苦しさに喉奥から呻き声が漏れた。立ちっぱなしの足の痛みなんか吹き飛んでいた。
両脚の間から床に落ちた縄が、スカートごと股ぐらをくびり上げる。
ごくん。
何処からともなく、生唾を飲む音が聞こえた。薄目を開けば、前列にいる男性の股間が膨らんでいる。
友人は、顔を背けて震えている。

――恥ずかしい……。

今の私は、友人が見ていられないほどに情けなく、不埒な姿を晒しているんだろうか。
途端に羞恥心が込み上げて、頭を垂れた。
俯く私の頬を、冷たい指先が優しく撫でる。艶屋さんの指だ。
そっと顎を持ち上げられる。顔を隠すことは許さない、とでも言いたげな仕草だった。

「や、……やめて、ください」

艶屋さんを見詰めると、仮面越しにでも、目を細めたのが分かった。
赤い唇が、耳元に寄せられる。

「貴女、素質あるんじゃない」

吹き込まれた侮辱は、私だけに聴こえる程度の声量で。つう、と太ももに愛液が伝い落ちた。


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