pussycat



男が、私の指を絡め取りながら言った。

「ねえ最後にチューしてくれない?」

この客はいつもそうだ。
別にひとりでは出入りできないシステムのホテルでもないし、15分の余裕もあるのに、常に私と一緒に帰りたがり、甘えてくる。
下の処理だけではなくて、恋人気分で終わらせたいタイプって言ったらわかりやすいかもしれない。

「えー部屋でいっぱいしてあげたのに!甘えん坊なんだから」
「離れたくないんだよ」

腰に腕が回された。
ゆっくり抱き寄せられて唇が近付いてくる。いやいや追加料金とるぞこのやろう。口には出さず毒付いたその時、エレベーターが開く。
「仕事場」としては激狭な部屋とボロボロのシャワールームで最悪、と思ってた古いタイプのラブホテルも、良いとこはある。
フロントが思い切り対面式なので、男がいちゃつくのを止めてくれるのだ。
しかも、そのフロントにいる店員は、女の子だった。それも、珍しく若い子。
ぱ、と離れた客に安心する。

「また、会おうね」
「もちろん。呼んでください」

ホテルの出口に向かい、フロントを横切る。ハァトがつきそうなくらい媚びた声で返したら、はっと鼻で笑われた気配がした。
お客さんの肩越しにあの若い店員が見えた。私を見て、笑っていた。
冷たい目で。いかにも、馬鹿にした風に。



『デリバリーヘルスとは派遣型のファッションヘルスのこと。略してデリヘル。出張ヘルスとも呼ばれる。店舗がなく、客のいる自宅やホテルなどに女性を派遣し性的サービスを行う業態で、サービス内容はファッションヘルスとほとんど変わらない』
ーー以上引用、Wikipedia様。

私は所詮そんなデリヘル嬢として生きている。
なんでこの仕事を選んだかと聞かれても、ワルい男に捕まってヤれと言われたとか、セックスが好きだったとか、単純に生活のためとか。そんなこんなで全部だから、明確に答えることは出来ない。
二十代の頃はそこそこ売れていたし天職なんじゃないかと思っていた。ナンバーにも入っていた、けれど、最近は徐々に指名が落ちている。
もちろん太客はいてくれる。歳を食ってるだけご奉仕は得意だし豊富で、飽きさせない自信もある。
でも気付けばもう大台を超えている。私の旬は終わっていた。
元々年齢層の低い店だ。仕方がない。店を変えればいいだけなのかもしれないけれど、ついこの前若い新人から「陽香さん、行けるとしたら熟女専なんじゃないですかー」とケラケラ笑われたので、辞められなくなってしまった。いま辞めたら、その生意気な発言を肯定したようで嫌だった。
お水だって、なけなしのプライドはあって、それを守ろうと思った。
そんな矢先だ。
新規のお客さんが、また例の安っぽいホテルで待っているという。
受付にいたのは、あの女店員だった。
ぱっつん前髪の下から覗く、ツンとした印象の瞳が、私を捕らえる。
今日も笑われるんだろうか。ババアがよくヤるよ、って?
……最近年下に嘲られるのが恐怖になっているのかもしれない。
無意識に背筋が伸びた。

「402号室に入りたいんですけど」
「どうぞ。エレベーターで上がってください」

呆気にとられた。
今度は関心もなさそうに無表情のまま、事務的な対応をされたからだ。
いや、これが当たり前なのに、何故だかむかむかした。
この前の失礼な態度はなんだったの!
詰め寄りたい気もしたけれど、私はミュール独特の軽快な足音を立てながら踵を返す他なかった。


「こんばんは!陽香です」

いつも通り部屋をドアが開いたのを確認した私は、相手に営業スマイルで挨拶した、その瞬間。

「チェンジ」

バン!とすごい勢いでドアがしめられた。まともに顔を見てもないんじゃないかってくらい早かった。
実は、チェンジなんて初めてだ。なんたってうちの店は、チェンジ有料。
金払ってもチェンジしたいって、どんだけよ。

「ね、サービスしますからお願いします」

このまま帰ったらバックが冷たい対応なのは分かっている。気付けばドアを叩いていた。必死だ。
ただ、ドアの向こうから聞こえたのは「写真加工し過ぎだろババアじゃねえか!高校生を指名したのに!」だった。

バッカじゃねえの、ロリコン!高校生は風俗で働けねえんだよ!!

内心で湧き上がる罵声とは反対に、私の目からは涙がポロポロ流れてた。
くやしい。
もうだめかも。
私の体は、自覚していたよりもっと前から、価値を失っていたに違いない。天職じゃなかった。若くてかわいくてシマりさえ良ければ誰でも良いのだ。

結局お客さんがドアを開けてくれることなく、みじめに泣きながらロビーに舞い戻った。私はカツカツカツと早足で出口に向かおうとした。あの店員に見られたくなかった。
それなのに、またあの「は」と見下した笑い方に立ち止まってしまった。
勢いよくフロントの彼女を睨みつける。

「なんなんですか、この前から。明らかに私を笑ってますよね」
「えらく早いなあって。チェンジですか?」
「そうよ、文句あるんですか」
「いいえ。自分の体を汚してかわいそうだなと思っただけですよ。私、風俗嬢嫌いなんです」

かわいそう?
体を汚して?
なんて他人を見下した言葉だろう。カーッと頭に血が昇るのがわかった。

「まだ若い貴女に御説教される筋合いはないわ、こんなやっすいホテルのスタッフなんかやってる貴女には。そんな性格じゃどうせモテないでしょ、処女なんじゃないの!?もう、上の人呼んでよ」

年甲斐もなくヒステリックに怒鳴り散らす私にも、彼女は驚くことはなく。小首を傾げてフロントの台に頬杖をついた。

「カレシいないですね、彼女なら欲しいですけど」
「……は?」
「レズビアンなんで、私。このホテルは叔父が経営してて手伝ってるだけです。本当はラブホなんて一番嫌いですよ、男女のいちゃいちゃを近くで感じて好きでもないのにセックスしてんの察するわけじゃないですか。汚いし拷問です」

なんてこと告白されてるんだ。
そしてクールそうに見えるくせに案外よく喋る子みたいだ。
反応にこまり果て、ぽかんと口をあけて固まった私に彼女は華奢な腕を伸ばしてきた。

「でもね、貴女のことタイプなんです。だから、男に媚び売って安い金で股開いてんのかと思うと悲しくて、挑発しちゃった」

好きな子に意地悪しちゃう子供と同じ理由です、と弧を描いた唇が囁く。

「今日のお客さんに無駄にされた時間、私が買います。お金払うんだから、断る理由、ないですよね?」

なんだかよくわからないけれど、私はふらふらとその腕に誘われていた。
今ならこの生意気な彼女が無価値な私に価値をくれるのかもしれないと思った。
そして何より、料金外の時間の口付けも嫌ではなく、同性だからという違和感すら吹き飛んでるのだから、やっぱり私に断る理由は無いようだった。

ALICE+