ここあとしのぶの場合


春と夏の間。中途半端な季節だと言うのに天気は曇っていて、そして湿気ばかり高く感じる。
通学路でもある住宅街を行き交う人々は、もう半袖姿も多く見かけ、夏に備えているようだった。
その中で、約一名。季節感の無い少女は目を引いた。
たっぷりのフリルとリボンを寄せた丸襟の長袖ブラウスの上、パニエで思い切り膨らませたピンク色のジャンパースカートを被り、素肌を一切見えない白タイツを履いて、頭の上には大きなリボンを乗せている。
何処までも分厚く機能性のないロリィタファッションを披露している少女は、佐藤心愛と言った。さとうここあ。笑ってしまうほど甘ったるい、漫画のような名前も非現実的な格好にはとてもマッチしていて、本人は気に入っている。
「うわーすげー格好」
「コスプレ?」
時折小学生に指をさされ、心無い発言を受け止めながら、ここあは目当ての建物にたどり着いた。
六階立てだと言うのにエレベーターが無いその不便なマンションーーレンガの壁には蔦が這っておりおしゃれにも見えるが、寂れた雰囲気も醸し出している外観ーーを、此の厚着で上がりきるのは、毎回骨が折れる思いがした。
しかしこのマンションの、正に最上階にメゾンドクチュールがあるのだから仕方がない。フリルの付いたうさぎの絵が描いてある日傘をそっと畳んで、ここあは足を踏み出した。

メゾンドクチュールは個人が経営するセレクトショップだ。ゴシック、ロリィタ、モード系など青文字系ファッションのアイテムが取り扱われている。
有名ブランドはもちろんリーズナブルな海外製やアマチュアブランドの商品も並んでいるのだが、店長の目利きが良く、質のいいものしか置いていないことで、このファッション界隈では人気がある。とは言え、隠れ家的存在であるために、客はまばらだ。
長い階段を時間を掛けて登ったとしても『お仲間』とすれ違うことは稀だった。だからこそ、ここあは驚いた。
上から降りてくる厳かな足音に。
「あ、」
思わず声が漏れた。
目の前で、人形が動いているのかと思ったからだ。
ウィッグと見紛うほど、綺麗に巻かれた縦ロールヘア。これでもかと上がるつけまつげ。異常なほどウエストを締め上げるコルセットと、アシンメトリーなロングスカート。
頭のてっぺんからつま先まで黒づくめの少女は、無表情でここあを見た。
カラコンだろうか。眼が青くて、ガラスを連想させた。
ゴツゴツと太いヒールの音を立てて近づかれるたび、ここあの心臓は跳ねた。しかし、それだけだった。
黒づくめの彼女は何のリアクションも無く角を曲がって、更に遠ざかっていく気配がした。
ここあが振り返った時にはもう姿は見えなかった。声をかければ良かった!と、後悔しなかったのは、明らかに黒づくめの少女がメゾンドクチュールの客である事が分かっていたからかもしれない。

「あー、しのちゃんね。美人でしょう」
「多分!!そう!!凄いお人形さんみたいで見惚れちゃった、もろタイプ!」
ここあは黙っていれば可愛いと言われる見た目だが、口を開くと残念なただのオタクである。特に、女の子と恋愛するシュミレーションゲームとアイドルに弱い、美少女好き。
「ふふ、タイプねぇ」
魔女みたいに長い爪で自分の顎を撫でながら、メゾンドクチュールの店長のマチは話を聞いてくれた。見た目は髪を半分剃り上げていて日本人離れしているが、接客は優しい。
「今度ここあちゃんのこと言っておくよ。手紙でも用意してくれたら渡すし」
「えっそうする!お願いしてもいいですか?」
「もちろん」
その日ここあは手元にあるだけすべて散財して新作のスカートとヘッドドレスを購入した。
もしも、しのちゃんと言うらしいあの女の子と仲良くなれるのであれば、デート服にしようと思いながら。

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