心の灯火

「1番 ピッチャー 成宮くん」

それは、今までの人生で何度も聞いてきて、耳によくなじんだ言葉だった。ここ甲子園でも、俺がそう呼ばれるのは当たり前。でも、今日はなんだかいつもと響きが違う。
近くにいたカルロに問いかける。

「ねぇ、今日のウグイス嬢の人、読むの上手くない?」
「ハァ?…いつもと変わんねーだろ。」

次々に読み上げられていく名前に耳を傾けるが、カルロは何も思わなかったみたい。意味わかんない。耳どうかしてんじゃないの?
でも、その後雅さんに聞いても翼くんに聞いてもみんな「いつもと同じ」だの、「甲子園だからそう聞こえるだけ」だの、果ては浮かれてるだけだなんて失礼なことを言い出した。この違いが分からないなんて。みーんな、耳がポンコツだ。

マウンドに上がってから、心の中であの響きを反芻した。1番、ピッチャー、成宮くん。優しくて暖かい、それでいて芯の通った声。やるぞ!甲子園、なんて気合いはもう十分入れてきたつもりだったけど。もう一度気持ちが引き締まるような、頑張るぞという気持ちになるような、不思議な声だと思った。
雅さんのミットが、とりわけ大きく見える。大丈夫、去年のようなことにはならない。
さぁ、いくよ。全国の頂点の景色、見に行こう。

*****



甲子園。
そこは、私にとってもずっと憧れの場所だった。
子どもの頃から家族に連れられて来ていた甲子園。選手たちがたった一つの白球を追いかけて、毎日様々なドラマが生まれる。家族が野球好きだった事もあり、私も熱中していった。

そしてそんな私が思うことは一つ。パパ、私も野球出たい。目を輝かせて方法を聞いてみたけれど、どうやら女の私が選手としてそこでプレーをすることは、ちょっと難しいみたいだった。しょげきった私に、パパはこう言ったのだ。ウグイス嬢のお姉さんはどう?
うぐいす?ほーほけきょ?首を傾げる私に、パパは聞いてごらん、とアナウンスの声に注意を向けさせた。

「1番 ショート 藤本 背番号59」

美しい声でポジションと名前と背番号が読み上げられていく。そして試合が始まると、その美しい声は解説やその他様々なアナウンスで大活躍している。
野球選手にはなれないかもしれないけど、野球と関わるにはこういう方法もあるんだよ。あの日のパパは、私にそう教えてくれた。

ふぅ、とアナウンス席でため息をついた。そして今日、私はその夢の舞台に立っている。正直、楽な道のりではなかった。高校・大学の野球部でマネージャーとして試合のアナウンスをさせてもらう傍ら、通信でアナウンススクールにも通った。球団運営会社に入社しないとなれないという噂を聞いたところから血迷って、ミスコンに出てみたこともあった。紆余曲折を経て今日、ここ甲子園のウグイス嬢としてデビューの日を迎えたのである。

それにしても、甲子園でのウグイス嬢の初仕事が高校野球だとは思わなかった。なんだか懐かしい、と高校生の頃に思いを馳せながら、手元の名簿を手繰り寄せる。さすがに余裕がなくて、東京の学校の選手データまでは頭に入りきっていない。稲実クラスの強豪校なら、きちんと事前に情報収集をしておく必要があるな、反省。パラパラとページをめくった。あ、稲実は2年生の子がエースなんだ。きっと今頃緊張しているだろうなぁ。大丈夫、私もとっても緊張しているよ。一緒に頑張ろうね。

そんな気持ちを込めて、読み上げを始めた。

「1番 ピッチャー 成宮くん」

*****

その後、俺たち稲実は順調に勝ち進んだものの、決勝で惜しくも負けてしまった。
雅さんと野球できるのはこれが最後だったのに。勝ちたかった。涙が止まらない俺を、雅さんはただ撫でてくれた。

ひとしきり泣いて、目をこすりながら球場の出口へと向かう。球場にはもう観客も報道陣もとっくにいなくなって、人はまばらだった。夏は今日終わった、秋はとっくに始まるのだ。宿舎に一度戻って、荷物を纏めたらすぐに東京に戻る予定だ。
甲子園球場を出て、蔦に覆われた壁を眺める。絶対に、春にまたここに戻ってくるぞという気概を込めて。

そういえば。ずっとあのウグイス嬢は、決勝までずっと名前を呼んでくれていた。毎試合、彼女の声の美しい響きに勇気付けられていたことを思い出した。
一体、どんな人なんだろう?落ち着いた声だから、おばさんかもしれない。だったらやだなぁ。
そう思ったところで、すぐ横を追い抜いていく女性がいた。追い抜きざまに声をかけられる。

「お疲れ様、成宮くん。」

そのまま過ぎ去ろうとする背中に、つい声をかけた。その美しい響きには、聞き覚えがあった。

「ねえ!あんた、ウグイス嬢の人?」

歩みがとまる。

「あんたの読み方、好きだった…かも…。」

彼女はくるりと振り返った。お姉さんはニコリと笑って、ありがとうと照れた表情になる。

「また、甲子園で待ってるからね。」

そう言うと彼女は今度こそ、帰り道を歩き出した。
あぁ、俺ってばこんな時に素直になれないんだから。もっと言いたい言葉があったのに。勇気付けられた、ありがとう、もっと聴いていたい声だった…

でも、俺が野球を続けていれば、必ずまたどこかで会える。だから、その言葉は次回のために飲み込んでおこう。そう決めて、宿舎への帰路を辿ることにした。


数年後、プロ野球選手になった俺が、甲子園球場での試合のたびにウグイス嬢の彼女を口説くことになるっていうのは、また別のお話。






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