またたくアルタイル
人が恋に落ちる瞬間を見たのは、それが人生で初めてだった。
名前は、産まれてすぐの頃からずっと一緒にいるーーーありきたりな言葉で表現するなら、幼馴染だった。
夏生まれのくせに、三月生まれの俺よりずっととろくさくて、だいたいのことは名前よりも俺の方が先にできるようになった。キャッチボールなんか、あいつは今に至るまでずっと下手くそだ。幼稚園のときも小学校の時も、いつも俺の後ろに隠れて様子を伺っていた。高学年にもなるとそれをからかう男子が現れたけれど、あいつはいつもどうしたらいいんだろうと困った顔をして、俺の後ろで体を小さく縮めて、その場をやり過ごすことしかできなかった。しょうがないからうるせえ男子どもを蹴散らしてーーーついでに名前にも一喝いれて、そうやって過ごしてきた。この情けない幼馴染を守っていくのはこれまでも、そしてこれからも自分だと思っていた。
転機を迎えたのは、中学1年生の時だった。
シニアに上がって初めての先発試合の日、久しぶりに名前は試合を見にきた。最初は、ちょっと渋々だったのだ。両親ともに用事があってシニアの練習の付き添いに来られない日に限って、俺が弁当を忘れるという失態を犯した。だから、あいつがチャリで届けにきた。先発試合、午後からだから見ていけと声をかけたら、私がいないと力が出ないって〜?なんて生意気な口を叩くから、そのよく伸びるほっぺたをぐいと引っ張って喋れないようにしてやった。
いひゃい、やめて、と間抜け面する名前にまんぞくして、ちょっとだけ飲みかけたスポドリのペットボトルを渡した。それを飲み切ったら帰ってもいいなんて残る理由をこじつけてから、シニア初めての先発のマウンドに上がった。ここから、向井太陽の伝説が幕開ける。
はずだった。相手ピッチャーがあんなに投げられる奴だなんて、知らなかったのだ。
中学上がってそこそこ、どうせまだ覚えたばっかのくせによくキレるスライダー。球速のある、よく伸びるストレート。意志の強そうな、我儘そうな青い瞳。はっきり言って、俺たちはボッコボコに負けた。悔しい気持ちと同時に、シニアおもしれーじゃん、と気持ちが浮き足立つのを感じた。名前が見てるのも忘れて、試合に夢中になっていた。俺も早く変化球投げれるようになりたい。
ありがとうございました、と礼をする。マウンドで王様のように振舞っていた彼は、マウンドを降りても王様のままだった。ピッチャーとしてはすげーやつだって思ったけど、絶対チームメイトにはなりたくない。
今日の練習はこの試合で終わりだった。片付けに入る。ふとフェンスの方に目を向けると、名前がまだいるのを見つけた。なんだあいつ、試合ずっと見てたのか?俺の登板終わったら帰ればいいのに。相変わらず、とろくさいやつ。しょうがないから、声かけてやろう。
「名前、いつまでいんの。」
あいつの指が、フェンスの金網をきゅっとつかんでいた。俯いたうなじが見える。意外と、名前との身長差は開かない。夜中のウイイレとかを止めて、嫌いな椎茸を食べれば伸びるって母が言うのは、本当だろうか。
「たいよう、」
小さな声で、あの人なんて名前なの。と呟く。あの人?
「どの人のこと?」
「あの、相手チームのピッチャーの、」
ああ、と嘆息した。逡巡するまでもない。
「成宮さんだって。成宮 鳴。」
野球には関わりのない名前でも、成宮さんの凄さは分かるんだ、と感心した。リトルの頃から、1つ上の学年のやばいピッチャーって噂は聞いてたけど、俺もピッチングを見るのは今日が初めてだった。1つ上だろうがなんだろうが、負けてられない。
でも、その名前を聞いて顔を上げた名前の表情は、口から漏れた響きは、ただ名前を復唱しているだけではない含みがあった。
「なるみや、さん。」
そう言ってふわっと笑う。そんな顔、見たことないんだけど。
「何?もしかして成宮さんのこと好きになった?」
軽い気持ちで、からかうつもりで聞いてみた。なにそれ、そんなわけないじゃん、といつもの顔に戻ると思っていた。
のに。
あいつの顔は瞬く間に真っ赤になった。漫画だったらぶわっ、なんて効果音が付くに違いない。口をパクパクさせている。待って、その表情も見たことないんだけど。
同時に、胸がギリッと音立てて軋んだ。この感覚、知ってる。この間ドキメモやった時、プレイヤーキャラクターがフられた時、そんな表現をしていた。どんな感覚だよ、ってあの時笑ってたけど、まさに今その感覚を味わっている。
瞬間、気がついた。
名前が、成宮鳴のことを好きになったこと。
俺が、名前のことを好きだったこと。
ーーー俺が、速攻で失恋したこと。
人が初めて恋に落ちる瞬間を見た日はそのまま、俺の失恋記念日になってしまった。