空色氷菓子
※呪専時代
梅雨明け間近の7月、夜になってもなかなか下がらない湿度は毎年の事とはいえ不快感でしかない。こんな日は絶対アイスだろ、と冷凍庫からアイスキャンデーを取り出す。
ソーダ味の氷をガリガリ齧りながら自室に戻ろうと歩いてると黒くデカい後ろ姿を見つけた。
「何してんの?」
「やぁ、悟か。短冊を書いてるんだよ」
「短冊ぅ?」
「そう、1枚余ってるから君も書いたらどうだい?他の皆も書いてるみたいだから」
ほら、と傑が指さした方には笹の葉が飾られていた。高専の共用スペースに鎮座しているソレにはカラフルな短冊が散らばっていて、生徒だけでなくセンセーや補助監督も願い事を書いては飾っているようだった。
「ほーん…短冊な。ほかの奴どんな事書いてんの?」
「覗き見るなんて失礼だろ、止めた方がいい」
「うげっ出たよ、いい子ちゃん。失礼も何もこんな所に飾ってるんだから見られたって文句言えねーだろ」
口煩い傑を横目に一番最初に目に入った短冊に触れる。名前は聞いた事あるような無いような…、まぁ補助監とかだろ。願い事は…《長期休暇が貰えますように》……いや、無理だろ今なんて特に忙しい時期だっつーのに。
その他もわざわざ短冊に書くような事か?って内容ばかりだった。そもそもこんなペラッペラの紙に書いた所で叶う願いもクソもあるかよ。
「おっ、硝子の発見。どれどれ…『タバコくれ』ってこれ願い事か?」
「硝子らしいじゃないか」
「そーだけどよ。あとの奴はー……」
もっと面白いものが無いかと視線を下げていくと水色の短冊が目に入った。笹の葉に隠すよう飾られていた短冊を引き出す。少し小さくて丸みのある文字には見覚えがあり、名前こそ書かれていないがそれはどっからどう見てもアイツのものだった。
「っは、やっぱアイツ可愛げねーの」
《健康第一》と書かれたそれは同い年の女子が書く内容とは程遠い。そういう所だぞ、もっと可愛いこと書けよ、とアイスの棒で短冊を弾く。
「ん?…あぁ、名前のか。……そういえば君たちまだ喧嘩してるのかい?今回は随分長引いてるようだけど」
「うるっせーな」
「原因は知らないが愛想尽かされる前に仲直りする事だね。まぁ悟が名前を手放すって言うなら私が貰うけど?」
「あ゛?お前まだ名前のこと諦めてねーのかよ!ぜってー渡さねぇよ!」
「ならさっさと仲直りする事。……案外、彼女もそれを願ってるかもしてないし」
視線を下げた傑に吊られて手元に目を落とす。
ふと、何気なく。なんとなく短冊を裏返すとそこに綴られていた文字に衝動が湧き上がってくる。
気付いた時には水色の短冊を握りしめ廊下を駆け出していた。
◇◇◇◇
もう何分走ったか分からない。1分か、それとも5分以上か。ひたすら床を踏み締めたどり着いた扉を叩こうとして、俺の手は硬い板に触れることなく空ぶった。
「……え、悟?何してんの!?」
開いた扉の先にはこの部屋の住人が驚いたように目を丸めて立っていた。
「お前、こんなのわざわざ短冊に書く必要ねーだろ」
「短冊…?……って、それ!!」
一瞬キョトンとすると俺が持ってた短冊が見えたのか慌てて伸びてくる手。その手を掴みそのまま部屋の中に押し入って扉を閉めた。
「ちょっ…!」
「うるせーな、大人しくしてろって」
久しく触れていなかった小さな身体を抱きしめる。
ぐいぐいと押し返そうとする手の平はもはや抵抗にすらなっていない。
「こんな時間にこっちいたらヤバいでしょ!誰かに見つかったらどうするの!?」
「名前が静かにしてればバレねーよ」
「そういう事じゃなくて…。ってかなんでそれ持ってるの…」
「見つけた」
誰にも見つからないようにしてたのに…と呟く名前は今の俺たちの状況を思い出したのかどこか気まずそうに顔をそらす。
「……それ、もしかして読んだ?」
「読んだ。だからここに来たんだろーが」
ほんとは気付いたらに走りだしていたけど。
でもそれは内緒にして、未だにこちらを見ようとしない名前の顎を持ち上げ目線を合わせる。それでも逸らそうとするから「こっち見ろ」と声をかけると漸く栗色の瞳と視線が絡んだ。
「で、どっちがお前のほんとの願いなわけ?」
「どっちって…」
「こっちならすぐ叶えられると思うけど?つーか、こんなの俺しか叶えてやれねぇだろ」
「……!」
「な、どっち?答えるまでここから動かねぇからな」
顔を近づけじっと見つめる。一瞬瞳が揺れハッ、と息を吐き出すと名前はゆっくり口を開いた。
「わたしの、お願い事は……」
短冊に綴られた言葉を呟くと泣きそうな顔になりぐっと下唇を噛みしめている。それ唇切れるからやめとけって言うのにこれだけは治らないらしい。
「……俺も、悪かった。よくよく考えたら原因俺だしな」
「ううん、わたしも意地になってごめん。そこまで怒ることじゃなかったなって思ってる」
「じゃあ、まーお互い様ってことで」
「そう言われるとちょっと癪に障るけどなぁ」
「うるせぇ」
まぁいいけど、と表情の緩んだ名前の頭を自分の胸元に寄せるともう一度「ごめん」と聞こえ背中に腕が回る。
漸く自分の腕の中で落ち着いた名前にあーやっぱりコイツしかいねぇんだなとひとり納得した。
しっくりくる温もりにこのまま帰るのが惜しくなり、指通りのいい髪を梳きながら耳元に唇を寄せる。肩がピクっと震えこちらを見上げる瞳に吸い寄せられるように額へ唇を押し付ける。
「なぁ、今日こっち泊まってっていい?何もしねぇから」
「悟の何もしないはアテにならないんだけど」
「まじで何もしねーって。いいだろ、な?」
コツン、額を合わせ見つめるとうっ…と息を漏らし観念したように首を縦に振る。どうも名前はこれをされると弱いらしい。
「よし、じゃあさっさとベッド行きましょうね〜」
「えっ!?」
ひょいっと身体を抱き上げ数歩先のベッドに転がし隣に横たわる。俺には小さいベッド。その中で名前を抱き寄せると暑い、と嫌がる癖にTシャツを握る手は離そうとしない。
「もっとこっち来いって。そっち落ちるぞ」
「悟がもっとそっち行ってよ。これシングルベッドなんだよ?」
「わーったって。ほら、電気消すぞ」
伸ばした手で部屋の電気を消すとさっきまでの喧騒が暗闇に飲み込まれる。衣擦れの音と体温が近付き細い腰に手を回す。
「悟」
「ん?」
「来てくれてありがとう」
「おう」
「悟」
「なに」
「アイス食べられただけで怒ってごめん」
「俺も勝手に食って悪かった」
「悟」
「んだよ」
「……キスしてほしい」
──あぁ、もうコイツは。何もしねぇって言っただろうが。
急に返事をしなくなった俺に「え、寝た?」って焦る名前の顔を引き寄せ唇を重ねる。
……先に言ったのはそっちだからな。
「前言撤回。やっぱ何もしねぇとかムリだわ」
両手をベッドに縫い付け覆いかぶさり、焦燥が滲む声で静止を促す口を塞ぐ様にもう一度唇を重ねた。
おまけ
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