シネマ・ロマンティック
真っ暗なスクリーンに流れる白い文字を眺めながら涙ぐんだ目元をハンカチで拭う。エンドロールが終わり館内の明かりが付いていくと1人、また1人と席を立ち出口に向かっていく。
そんな中わたしは余韻から抜けられずほぅ、と息を吐き出した。
すっっっっっごくよかった!!!
声を大にして叫びたいのを我慢して小さく天を仰ぐ。今日は高校生の頃からの推し、虎杖悠仁くんの初出演映画の公開日だった。
初めて悠仁くんを見たのはユニットアイドルとして音楽番組に出演していた時。緊張しながらも全力でパフォーマンスをする姿にこの人を応援したい!と強く思いどんどんのめり込んで行った。
ライブを開けばニコニコの笑顔でステージの上を駆け回り、会場の上から下まで一人ひとりに向けファンサービスをしてくれる。元気で明るいイメージが強いが時たま歌い上げるバラードやダンスナンバーはいつもと違う表情が見えとにかく魅力満載。その反面、筋肉質な肉体はグラビア映もしてギャップにやられるという人も多い。
リア恋製造機とはまさに彼の事を言うんだと思う。
そんな彼が初めて俳優業に挑戦したのがこの映画だった。原作は恋愛漫画。悠仁くんはヒロインの幼馴染役で子供の頃からヒロインの事が好きなのになかなか素直に気持ちを伝えられない。そんな中、ヒロインから好きな人が出来たと報告を受けショックを受けつつ話を聞くとなんと相手は自分の親友。1度は諦めようとするけど……と話が進んでいく。
紆余曲折を経てヒロインと結ばれる展開は恋愛漫画の王道とはいえ涙を誘いキュンキュンが止まらなかった。
公開前は『まともに演技をした事ない奴が出来るわけない』など言われていたが、実際は初めての演技と思えないほど自然だった。特に親友とヒロインが楽しそうに話しているところを遠くから眺めてるシーンは表情が切なく胸が締め付けられた。
推しの新しい一面にこれは今後ドラマのお仕事も増えるんだろうなぁと更なる活躍に期待も膨らんでいく。
ほんとに良かった……今日原作買って帰ろう、と思いながら席を立ち出口に向かった。
「うっわ、ひどい……」
立ち寄ったお手洗いで鏡に映った自分の顔に苦笑いが浮かぶ。涙のせいでアイメイクは崩れファンデも少しヨレている。今日はもう家に帰るだけだが、こんな顔で電車に乗れる訳もなくメイクポーチからコンシーラーとファンデを取り出し肌に乗せた。
なんとか外に出られる位にはお直しし、入場前に買ったパンフレットとアクスタを抱え駅までの道を歩く。
電車に乗る前に本屋さんへ行かなきゃと考えていると後ろから『すみません』と声を掛けられた。
振り向いた先には品の良さそうなスーツに身を包み毛先に少しパーマの掛かった黒髪の男の人が立っていた。
「はい?」
『突然すみません。わたくしこういう者です。今街の方にアンケートを取っているんですが、お時間があればご協力いただけないかなと思いまして』
男は慣れた手つきで名刺を差し出してきた。シンプルな名刺には聞いた事のない社名と男のものと思われる名前が印字されていてチラリと男を見る。
人当たりのよさそうな笑みを浮かべているが全身から醸し出す雰囲気が怪しく胡散臭さを感じる。変な宗教団体への勧誘でもされるんじゃと思うくらいには。
『あっ!急に言われても怪しんじゃいますよね……?お姉さんは普段ファッション雑誌とか読まれますか?』
「まぁ……はい」
『やっぱり!今日もとてもお洒落ですもんね!弊社ではこういた雑誌で特集を組む際、該当する方にアンケートを取ってるんです』
男は持っていたタブレットを操作すると画面を見せてきた。そこにはよく知ってる雑誌から大手ニュースサイトの名前まで連なり、今日はファッション誌からの依頼で20代〜30代の女性を対象に美容に関するアンケートを取っていたらしい。
『もちろんタダとは言いません!ご協力して頂いた方にはお礼としてささやかですが粗品をプレゼントさせて頂きますので』
「あー……でも今日は時間も無いので……」
『そんなにお時間は頂かないので、是非あちらの方で……』
理由は最もだが、やはり最初に感じた怪しさは拭いきれない。どうしよう、と対応に迷っているとハッキリ言わないのを肯定と捉えたのか男は手を伸ばす。
「あ、こんな所にいた。見当たらないから探したよ」
わたしの腕を掴もうとした手は虚しく宙を掻いた。
「え……?」
声が聞こえ自分の肩に手が触れたと思ったら後ろに引き寄せられ温かい壁に当たった。なんだ、と混乱しつつ声がした方を見上げる。
「スグルさん……?」
「遅れてすまない。でも待ち合わせ場所から動くなら一言連絡くれればよかったのに」
「え?あ、ごめんなさい……?」
「で、こちらは?君の知り合い?」
映画の主人公如く突然現れたスグルさんに驚いていると後ろから軽く抱きしめられる。目線を男の方に向け落ち着いた、でもいつもより圧のある声色で問われ妙な緊張感が走った。
「いや、知り合いじゃなくて……アンケートに協力してくれませんかって言われてて……」
「そう、アンケート」
口の中で確かめるように「アンケート、ね」と呟くとスっと目を細めわたしを背に隠すように前に立ち男に詰め寄る。
あまりの体格差に圧倒されたのか顔に張り付いていた胡散臭い笑みは消え引き頬が攣っているように見えた。
「彼女は私の連れなんだが、どういった内容のアンケートで?」
『え、あ、び、美容関係のアンケートなんですが……』
「美容ねぇ。確かに肌も綺麗だし触り心地もいいから声掛けたくなるのは分かる。だが……」
前を向いたまま伸びてきた手がわたしの手首を掴み引き寄せられる。片腕の中に抱かれ顔が傾きお互いの頬が近付く。急な接近にドキッと胸が高鳴り横顔を見上げるとスグルさんは余裕そうな笑みを浮かべ口を開いた。
「今から彼女とデートなんだ。悪いが邪魔しないでくれるかい?」
『えっ、あっ、し、失礼しました!』
すっかりビビってしまった男は慌てた様子で翻しどこかに走り去っていった。あんなにしつこかったのにあれだけで撒いてしまうなんてすごい……。
「……あれはAVのスカウトだね」
「え!?ぶい、ですか……?」
小さくなっていく背中を眺めていると聞こえてきたまさかのワードに驚きの声を上げてしまった。AVって、あの、あれだよね……?
「アンケートとか街角インタビューと偽って個室へ誘い出した女の子に謝礼を積むからと色んな事させて最後までスる。素人物によくあるやつだ」
「そ、うなんですね……」
シャレイ?シロウトモノ?
頭の中に知らない情報が一気に流れ込み処理が追いつかない。つまりわたしはあのまま連れられていたらAVに出てたかもしれないと言う事?ただの大学生なのに?
「変な事されてないかい?」
「大、丈夫です、助けてくれてありがとうございます」
呆然としていると向き合うように肩を抱かれ心配そうに顔を覗き込まれる。特に触られたとか、何かを言われた訳でもないが今更になってじわじわと"怖かった"という感情が顔を見せる。スグルさんが助けてくれなかったらどうなっていた事やら。
「……あれ、そういえばスグルさん何でここに?」
「え?あぁ……待ち合わせしてたんだが時間になっても来なくて。仕方ないから帰ろうとしてた時にナマエちゃんを見かけたんだ」
"待ち合わせ"という言葉にチクリと胸が痛む。
ラフなパンツのポケットから覗くん黒い紐。見覚えのあるそれは初めて会った時付けていた黒いマスクに酷似していて、女の人と待ち合わせをしていたんだと予想がついた。
……どんな人だったんだろう、今までも関係を持ってた人?それとも新しい人だろうか?
偶然会えて嬉しいはずなのにそんな事が気になってしまう。
「ナマエちゃんは?買い物?」
「いえ、映画見てたんですよ。今日から公開された作品なんですけど……」
ほら、と手に持っていたオレンジ色の袋を持ち上げて見せる。
「へぇ、どんな?面白かった?」
「面白かったです!本当は推し目的で見に行ったんですけど、ストーリーが良くて最後泣いちゃったんですよね」
「オシ?」
キョトンと目を丸めるスグルさんに持ってた袋からパンフレットとアクスタを取り出して見せた。アクスタと言えばアニメのグッツってイメージが強かったのに、最近は映画やドラマのグッツにもアクスタが出ててファンとしては購買意欲が刺激されて仕方ない。
「虎杖悠仁くんって知ってます?」
「あぁ……確か昨日バラエティー番組に出てたような」
「そう!その子です!わたし高校生の頃から悠仁くんの事好きで!今までアイドル活動がメインだったんですけど今回初めての演技、しかも映画出演なので初日は絶対見に行かなきゃって思って……!」
スグルさんが悠仁くんの事を知ってた事が嬉しくて、気付いたら興奮気味に話していた。推しの事を語り出すと口が止まらなくなってしまうのはファンの常だが「ふぅん」と冷めた声にハッとなり現実に引き戻される。
表情こそ変わらないが機嫌の悪そうな雰囲気がヒシヒシと伝わりやってしまったと口元を手で覆う。
「あ、ごめんなさい、こんな話興味ないですよね……!」
「そんな事ないさ。でも、」
ワザとらしいくらいにこやかな笑みを浮かべ片手を取られる。1本1本確かめるように指を絡め触れた所からじわじわと伝わる熱にドキドキしていると、腰を屈めスグルさんの整った顔が近付いてきた。
咄嗟に目を閉じると小さく鼻で笑われ「ナマエちゃん」と名前を呼ばれる。
「君の為にも1つ教えてあげよう。自分の目の前で楽しそうに他の男の話をされて何とも思わない男はいないよ」
「……え?」
耳に入ってきた言葉が理解し切れず目を開けるといつも通りの優しい表情で「じゃあ、行こうか」と手を引かれる。さっきのはどういう意味だろう。と、言うより行こうかってどこに?
「あの、スグルさん行くってどこに……?」
「どこって、さっきの男にも言っただろう?今からデートするから邪魔するなって」
「あれはあの人を追い払う為に言ったんじゃ……」
「そのためだけならもっと別の方法を取ったよ。それともこの後用事ある?」
足を止めこちらを振り返りじっと見つめられる。
この後の予定は特にない、終電だってまだまだ先だ。ふるふると首を横に振ると「じゃあ、いいよね」と再び歩きだした。
いつもより半ば強引なスグルさんに戸惑いながら着いていくと彼のポケットに入っていたスマホが着信を知らせる。ディスプレイを確認し一瞬険しい顔を見せると「ちょっと待ってて」とスマホを耳に当てた。
「サトル?今どこにいるってそれはこっちのセリフだ。私はもうそこから移動している。……え?もう戻らないよ、また次回にしよう。…………そんなに行きたいなら君1人で行けばいいだろう?」
友達……だろうか?言い方は突き放しているようにも聞こえるが表情は柔らかい。
「とにかく、私は大事な用が入ったから忙しいんだ。…………ん?大事な用ってそりゃ……」
こちらを見下ろしてくる琥珀色の瞳と視線が絡む。その瞳がやけに熱く見えドキッと胸が高鳴る。繋いだ手を引かれそのまま彼の腕にくっつく形で寄り添う。
「今からとても可愛い子とデートなんだ、待たせてるから切るよ。……まったく相変わらず遅刻癖直らないな」
電話を切りボソッと呟くとスマホをポケットに戻す。
「すまない、友人からだ。今日買い物に行くから付き合えって言いだしたくせに遅刻するから困ったもんだよ」
「え、じゃあさっき言ってた待ち合わせって……」
「さっきの電話の奴だよ。まぁ、昔から責めるほどでもない遅刻はよくしてたから私も慣れてしまったけど」
「いい大人なんだから勘弁してほしいよ」と言いつつ楽し気な姿にきっとすごく仲のいい友達なんだな、と頬が緩む。何より、待ち合わせ相手が女の人ではなかった事が分かり胸を刺していた棘はぽろりと落ちた。
こんな単純な事で傷ついたり、喜んだり。スグルさんの傍にいるといつも感情がジェットコースターみたいに上がったり下がったりしていることを彼は知らない。
「それより、どこか行きたい所とかある?お腹空いてるなら食事でもいいし」
「じゃあ……あの焼き鳥屋さん。美味しかったんでもう1回行ってみたいです」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。じゃあそこ行こうか」
でも、知らない方がいいかもしれないと最近は思うようになった。叶わない想いを抱き続けるのはしんどいけど、気持ちを伝えて気まづくなってそれでスグルさんに会えなくなる方がきっともっとしんどいと思うから。
繋がれた手をぎゅっと握り返し道を歩いていく。頬を撫でる風はひんやりと冷たく少しずつ冬が近づいてきているのを感じた。
おまけ
「あ、そういえば」
「うん?」
「スグルさんって見たことあるんですか?」
「……見たことあるって、何を?」
「その、さっき言ってた……シロウトモノ?のやつ」
「……それはご想像にお任せするよ」
「あるんだぁ……」
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