高校一年 九月九日


夏休み明けの学校というのは実に憂鬱なものである。しかしそんなこともクラスの友人らの顔を見れば一瞬にして吹き飛ぶというもので、久々の再会に花を咲かせていた。

「うわっめっちゃ日焼けしてんじゃん!」
「実は親戚に海の家やってる人がいてさ、そこでバイトさせてもらってたんだ」

小麦色に染まった肌を見て彼女が大いに夏を満喫したことが伺える。もちろんバイトだけでなく海で泳いだりサーフィンを教えてもらったりもしたそうでとてもいい笑顔をしていた。

「そっちは夏休みどこか行ったりした?」
「中学の時の友達とフェスに行ったよ」

そして私も私で有意義な夏休みを過ごしていた。King Gnuを好きになったことで他のバンドの曲も聞くようになり、それを知った友人が八月のフェスに誘ってくれたのだ。King Gnuの出演こそなかったが気になっているアーティストの生演奏を聞くことができ、そして何より会場の雰囲気が最高でとてもいい思い出になった。

「いいなー!私も一度行ってみたいんだよね」
「じゃあ今度行こうよ!夏ほど大きくはないけどそういうイベント結構やってるし」

——と、盛り上がりかけたところで予鈴が鳴る。時計を見ればもう始業時刻だった。しょうがないので一度話を切り上げ自分の席へと戻る。すると同じタイミングで後ろの席の糸師くんも教室へと入ってきた。

「糸師くん、おはよー」
「はよ」
「あれ?なんか身長伸びた?」

夏休み前よりも若干目線が高い気がする。すでに一八〇はあった気がするのだがまだ伸びる気か。

「そうか?」

私が先に自分の席へと座り糸師くんが通り過ぎるのを待って通路側に脚を向けた。こうすることで半身を捻って後ろの席の糸師くんを見ることができる。

「そんな気がする」

そして荷物を机の横に掛け椅子に座った糸師くんを改めて見た。んん?でもおかしいぞ。この体勢だとそこまで身長が伸びた気がしない。もしや脚だけが順調に長くなっているのだろうか。

「なんだよ」
「座ったままだとそこまで目線変わんないなって思って。ほんと糸師くんってずるいよね」
「自分が伸びねぇからって逆恨みすんなよ」
「そんな心狭くないわ。ただ、あまりにも大きくなると顔見て話せなくなっちゃうからそれは嫌だなって思っただけ」

座った時ですら見下ろされるのも癪だしな——と言うのはあまりにも刺々しいのでオブラートに包んでおいた。私って優しい。

「朝礼始めるぞー」

担任が入って来たところで学級委員長が「起立」の号令をかける。そして「礼」と続けるのが常なのだが次の言葉がやってこない。その代わりに二つ後ろの席から委員長の必死な小声が聞こえて来た。

「おい糸師、寝てないで起きろって!」

後ろを確認すれば先ほどまで会話をしていた糸師くんが机に突っ伏していた。いくらなんでもおやすみ三秒すぎないか?寝る子は育つというがもう十分育ってるんだから起きなよ。

「糸師くん、起きて」

手までは届かない委員長に代わり、糸師くんの肩を揺すって声を掛ける。するとようやくのろのろと立ち上がってくれた。その顔はいつもより赤い。

「体調悪いの?」
「テメーのせいだタコ」
「はい?」
「二人とも前向いて!」

糸師くんの心配をしてたらとばっちりで私まで委員長に怒られた。夏休み明け初日から全くもってついていない。どうやら後期も糸師くんから理不尽な反感を買いながら学校生活を送ることになりそうだ。





誰もいなくなった教室を施錠して日誌を持って職員室へと向かう。まだまだ残暑が厳しい九月上旬、蒸し暑い廊下から職員室へと足を踏み入れれば冷たい風が頰を冷やした。この風に少しでも長く当たりたい一心でゆっくりと担任の席まで歩いて行く。

「高一の半ばでこの点数はなぁ」

しかし目的の場所へと辿り着く前に大きな背中に行手を阻まれた。それは同じクラスの糸師くんで先生にお叱りを受けているようだった。

「夏休みの課題をやっていればここまでの点数にはならないはずだが……」

あーこれは多分この前やったテストのことだな。出題範囲は夏休み期間に出された課題の中からそのまま出されるもので、そのためちゃんとやっていればそれなりの点数は取れる。

「全部提出しましたケド」
「答え写してないか?」
「…………参考程度にはした」
「ったく……あっ日直お疲れさん」

糸師くんの背後で様子を窺っていれば先生が気付いてくれた。そうなれば糸師くんも私に気付くわけで。やや気まずい思いをしながら先生に日誌と鍵を差し出す——が、受け取ってくれたのは日誌だけだった。

「教室の鍵は糸師に渡してくれ。コイツは今から居残りだから」
「は?なんで?」

先生は糸師くんに五教科分のテスト用紙を束で渡す。私はその様子を見つつ自分の手に残された鍵をどうしたもんかと頭を悩ませていた。だって糸師くんに受け取る気ないんだもの。

「なんでってテストの点が悪いからに決まってるだろ。教科書見ながらでいいから同じ問題解いてこい」

反発的な態度を見せるが先生もこれ以上、取り合う気はないらしい。ただ、補講ではなく同じテストを解かせるだけでいいなんてかなり譲歩してくれた方だと思う。

「めんどくせぇ」

不貞腐れた糸師くんと一緒に職員室を後にする。おそらくすぐにでもサッカーをしに行きたいのだろう。しかし学生の本分は勉強であるのでやることはやらないと。

「はい、これ教室の鍵」

そして学生の勤めを果たした私はとっとと帰らせてもらおう。しかし糸師くんの前に鍵を差し出すも一瞥しただけで受け取ろうとはしない。

「お前が持ってろ」
「いや私はもう帰るし……って勝手に行かないでよ!」

長い脚をこれでもかと活用し廊下を一人で進んでいく。歩幅が違いすぎて早足で追い掛けるのがやっとである。本当に、これ以上身長を伸ばさないでほしい。



「そうそう。この問題も同じ公式に当てはめて……普通に解けてるじゃん」

二人で教室まで戻ったのだが、結局私も糸師くんに付き合う形で居残っている。本当は鍵を開けた時点ですぐに帰るつもりだったのだが糸師くんの無言の圧に負け勉強を教えることになってしまった。だってこの人目力強いんだもの。

「こんなん公式さえ覚えりゃ余裕だろ」

じゃあ初めからそうしなよ、というのは最早野暮な話である。地頭がいいんだから授業をちゃんと聞いてれば家で勉強しなくてもそれなりの点数は取れるだろうに。神は二物も与えなかったんだな。

「それで終わり?」
「おう」

数学の最後の問題を解き終え糸師くんはシャープペンを机に置いた。これで先生に出された課題は全て終えた。私もようやく帰れそうだ。

「やっと終わったぁ……あ、糸師くん名前書いてないよ!」

ほっとしたのも束の間、よく見たら答案用紙の氏名欄が空白になっていた。そしてその横にある出席番号も未記入。担任はかなり細かい性格なのでこういうところも見てたりする。

「チッめんどくせぇな」

シャープペンを持ち直し再び用紙にペンを走らせる。そこでふと、糸師くんの出席番号である九≠フ数字が目についた。うちのクラスはどういうわけか『あ』と『い』から始まる苗字の生徒が多いため『糸師』ですら後ろの方なのだ。しかしそんなことよりも九≠ニいう数字に引っ掛かりを覚えた。

「あれ?もしかして今日って九月九日?」

奇しくも今日はその九≠ェ並ぶ日付である。日直のくせに認識が曖昧であったが糸師くんの字を見て今日という日を自覚した。

「もしかしなくても九月九日だわ」
「なら糸師くんの誕生日じゃない?」

以前、ゾロ目はエンジェルナンバーって言って縁起がいいから同じ数字が並ぶ日は何やっても上手くいくらしいよ〜とテレビで身につけた雑学を糸師くんに披露したことがあった。その時に「そうでもねぇわ」と言われたので、なんで?と聞いたら誕生日だと教えてくれた。

「まぁ……そうだケド」
「うわっごめん気付かなくて!誕生日おめでとう!」

なぜ自分の生まれた日に対してそんな言い方をするのかは全くもって意味不明だがめでたい日なのは確かである。もう半日以上過ぎてしまったが私は手を叩いて糸師くんの誕生日を祝った。

「よく覚えてたな」

糸師くんは筆記用具をペンケースへと仕舞いながら人事のようにそんなことを言った。あまり自分の誕生日に関心がないらしい。

「覚えてるよ。といっても思い出したのは今さっきだけど」
「そうかよ」

でもやっぱり誕生日は年に一度の特別な日だし、思い出したからこそ何か渡したい気持ちはある。なんかお菓子とか持ってたっけかな……そう思いながら自分のスクバへと手をかけた時、キーホルダーがカチャリと音を立てた。あっこれならありかな。

「ねぇ糸師くん」
「なんだ?」

バッグのフックにはフェスに行った時に買ったキーホルダーが揺れていた。イベントお馴染みのロゴキーホルダーを買ったのだが色が選びきれず、結局二種類買って二つとも括り付けていたのだ。

「これどっちかいる?」

キーホルダーがよく見えるように自分のバッグを軽く持ち上げる。開封済みのこんなもので申し訳ないが今渡せるものはこれくらいしか持っていない。

「は?なんでだよ」
「私からの誕生日プレゼント。夏フェスの時のグッズなんだけど二つあるから」

色違いのキーホルダーをじっと見つめる糸師くん。あっでも糸師くんって別にこういった系統の音楽が好きってわけじゃないか。しかもグッズとか興味なさそう……そして冷静に考えて人のバッグについてるキーホルダーなんてもらっても嬉しくないよね。

「ごめん、やっぱ……」
「こっち」
「え?」
「青い方」

糸師くんはトリコロールカラーのキーホルダーを指さしていた。もう一つがパステルカラーのものだったからそちらを選ぶのはなんとなく想像はできた。でも本当にいいのかな。

「こんなものでいいの?」
「あ?お前が聞いてきたんじゃねーか」
「まぁそうなんだけど……」

決して冗談で言っている雰囲気でもない。それならばと私も納得しバッグからキーホルダーを外して糸師くんに差し出した。

「じゃあ改めてお誕生日おめでとう」
「おう」

糸師くんは余程珍しいのかそれをしばらくじっと見つめていた。そしてペンケースと共にバッグの中へ——仕舞うかと思いきや私と同じくフックのとこに付け出した。

「えっ付けるの?」
「あ?お前だって付けてんだろーが」

いや確かにそうなんだけど……でもそれだとお揃いみたいになっちゃうじゃん。気にならないのかな。

「別に真似しなくてもいいよ?」
「ここくらいしか付けるとこねぇだろ」

しかし本人は気にしないタチらしい。となると私ばかりが意識するのも逆に馬鹿馬鹿しく思えてきた。きっと深い意味はないのだろう。

「確かにね」
「行くぞ」

荷物を持って立ち上がった糸師くんを追いかける。
私たちのバッグには色違いのキーホルダーが揺れていた。
それをこの三年間、互いに外さなかったことだけは未来の私たちが知っている。