高校一年 初冬


ここ最近の日本の夏は異常だ。梅雨が明けたと思ったらあっという間に三十度越え。朝方と言えども涼しいとは感じずに四十度越えという言葉も珍しくはなくなった。そして十月になっても暑いと感じる日が多く紅葉だって来やしない。ただ、秋が短い代わりに冬への移り変わりは一瞬だった。

「寒い!今日めっちゃ寒くない?!」
「ブレザー着たらいいじゃん」
「忘れたんだよ!」

今日も昨日と同じくらいの気温だろうと思って長袖ワイシャツの上にベストを着て登校したのだがそれが間違いだった。午前の授業を終えても気温は上がらずに私は寒い思いをしていた。なんで一気に五度も下がるかな。

「今日から冷えるって散々ニュースでやってたじゃん」
「だってそれは東京に限った話だと思って……」
「東京も鎌倉もそこまで気温変わらないよ」

お昼を食べ終え自分の席で身震いをしている私を友人が笑う。体育の授業でもあればジャージを持ってきていた可能性もあったのだが幸か不幸か今日は座学ばかりだった。しかもこのくらいの気温では教室の暖房は付けてくれない。だから私は残りの授業も身震いしながら耐えるしかなかった。

「明日は絶対にブレザー持ってくる!なんなら中にセーターも着て来る!」
「今のうちからそんなに着込んだら真冬に着るものなくなるよ」
「今凍え死ぬよりマシ!」

そんな話をだらだらとしていれば予鈴が鳴った。友人も自分の席へと戻りクラスメイトも教室に戻ってきた。頼むから最後の人はちゃんと扉を閉めてくれよな。先日席替えをして真ん中の一番後ろの席になったから扉が開いてると隙間風がひどいんだよね。

「お前はなに寝てんだ?」

机に倒れこむような体勢で身を丸くしていたところで後ろから声を掛けられる。顔だけで持ち上げて確認すればその人物はやはり糸師くん。席替えを得て彼の席は私の後ろではなく窓側の一番前になっていた。だから自分の席へ戻るついでに私に声を掛けたのだろう。

「今寝たら死ぬから寝れない」
「は?」
「寒すぎて死ぬ……」

糸師くんは天気予報をちゃんと見るタイプなのか、しっかりと学ランにも似た学校指定のブレザーを着て来ていた。温かそうでいいな。

「寒いなら上着着りゃいいだろ」
「忘れたんだよ……」

それができたら今こんなにも凍えてないんだわ。
そしてついに本鈴が鳴り教科担当の先生が教室に入ってきた。そうすれば糸師くんも自分の席に戻るしかなくなる。私は凍えながらその背を見送った。



さて、ようやく授業も終わり家に帰ることができる。まだ日が出ている時間帯とはいえ初冬のこの時間帯はどことなくもの淋しく感じる。だからかやはり肌寒かった。

「おい、」

早々に家に帰って毛布に包まろう。そう考えながら足早に教室を後にしたところで声を掛けられた。振り返れば糸師くんがその長い脚を有意義に活用してこちらに向かってきていた。

「なに?」
「これ貸してやる」
「えっ?」

そして手に持っていたブレザーを差し出された。糸師くんの恰好が白のワイシャツであることからそれは先ほどまで彼が着ていたものであろう。つまり糸師くんのブレザーなわけで……そんなの絶対借りれないって。

「ン、」
「いや、でもそれじゃあ帰るときに糸師くんが寒いじゃん」
「俺はジャージ着て帰るからいい」

その気遣いは嬉しいがそのブレザーを着る勇気が私にはないんだけどな。相手が善意で申し出てくれている手前、中々に断りづらい。どうしたもんかと断り文句を考えていたところで差し出されたブレザーがぶん投げられた。

「ぶっ?!」
「明日には返せよ」
「……っ、ちょっと糸師くん?!」

顔面にかかったブレザーをはぎ取るも本人はさっさと階段を下りてしまっていた。えっどうしよう。これマジで着て帰んの?羽織るにしても些か恥ずかしすぎる。あっでも両手で抱えるように持つと腕が隠れてちょっと温かいかも。
糸師くんの親切心に感謝して帰路を辿った。





十九時過ぎともなればとっぷりと日が暮れて家々の明かりが目立って見えるようになる。私は数時間前に歩いた道を戻るようにして再び学校に戻ってきていた。今はベストの上に自分のブレザーを着込み、おまけにマフラーまで巻いてきた。防寒しすぎてちょっと暑いくらいだ。

「もうすぐ地区大会とか早ぇよなぁ」
「だな。まぁ全国大会までは余裕っしょ、糸師もいるし」
「やっぱアイツのワントップになんのかな」
「まだ背番号言われてないケド練習内容見る限りそうだよな」

すれ違った男子生徒二人の会話からサッカー部の練習が終わったことを察する。おそらく糸師くんは居残り練をしているだろうからもう少し待っていれば来るだろう。
そう思い、校門の近くで待つことにした。



「あっ来た!」
「……お前、こんなとこで何してんだ?」
「糸師くんを待ってた」

三十分後、ついに糸師くんが姿を現した。まさかこんなに待つことになるなんて。マフラーを巻いてきて本当に良かった。
ジャージ姿の糸師くんに駆け寄って目の前に紙袋を差し出す。その中には先ほど貸してくれたブレザーが折り畳まれて入っていた。

「これありがとう」
「わざわざ持ってきたのかよ」
「うん。だってないと明日の朝寒いでしょ?」

大会の近いサッカー部エースに風邪をひかすわけにはいかない。
糸師くんは私と紙袋を交互に見て、私の手から紙袋を取っていった。

「まぁな。つーか待ってたんなら連絡くらいしろよ」
「あーその発想はなかったわ。それに糸師くんは毎日居残り練してるからここにいれば絶対会えると思ったし」
「寒ぃだろうが」
「これでも体は丈夫な方だから滅多に風邪は引かないん、……ふぇっくしゅ!」

そうドヤ顔しかけたところで思いっきりくしゃみが出てしまった。いやはや実にお恥ずかしい。鼻をすすった私の頭上で糸師くんは呆れ顔でこちらを見下ろしていた。

「さっさと帰んぞ」

エナメルのスポーツバッグを揺らしながら糸師くんは歩きだす。私はその後を追いかけつつも名誉挽回とばかりにビニール袋を糸師くんの前に掲げた。ここに来る前にコンビニで買ってきたものである。

「今度はなんだ」
「肉まんとあんまんどっちがいい?」
「は?」
「あっ因みにあんまんは粒あんだからね」

すっかり冷めてしまったと思ったがビニール袋から出してみればほんのりと温かいことがわかる。
改めて糸師くんにどちらがいいかと聞けば「肉まん」とぽつりと答えた。

「じゃあこっちね。どうぞ」

右手に持っていた方を渡し、自分は左手に持っていたあんまんのテープをはがした。すると丸いフォルムが出てきて皮のいい香りを周囲にまき散らした。二つ一緒に入れていたから案外冷めていないのかもしれない。待ちきれなくなった私は、いただきますと言って早速口を付けた。

「んーっちょっと冷めちゃったけど美味しい!」
「久しぶりに食うと美味いな」
「だよね。私もこの冬初のあんまん」
「あ?まだ冬じゃねぇだろ」
「寒いからもう冬だよ」

最寄り駅までの道のりをだらだらと話しながら歩く。糸師くんはよほどお腹が空いていたのか五口くらいで肉まんを食べきってしまった。

「なにぬりぃコト言ってんだ。まだ肌寒いくらいだろーが」

暑すぎるのも嫌だが寒いのも苦手。朝起きるのは億劫になるし外に出る気力もなくなる。同じ気温でも徐々に暖かくなっていく春とは違い、寒くなっていくだけのこの季節はあまり好きではなかった。

「じゃあ寒いってことじゃん。寒がりの人間には堪えるの。糸師くんは寒くないの?」
「寒くないワケじゃねぇケドこんぐらいがちょうどいい」

しかし糸師くんは寧ろこの季節が好きという。星も見えない真っ暗な空を見つめながら話す姿はどことなく遠い人のように感じた。どうしよう、急にセンチメンタルになってしまったようだ。
私は食べ終えたあんまんのゴミをビニール袋にまとめ一歩糸師くんの後ろに下がる。そして狙いを定めその首筋に手を伸ばした。

「……冷てっ?!」

あんまんを食べたもののさすがに指先までは温まらなかったらしい。私の冷えた手が糸師くんの首に触れた瞬間、当の本人はキュウリを見た猫のように跳ねた。

「おい、テメーなにすんだ!」
「だって寒いのが好きって言うから」
「好きだなんて言ってねーだろうがっ…!」

そう言った瞬間、糸師くんがハッとなり怒鳴るのをやめた。そしてよくよく見れば鼻先と頬が赤い。私の手が冷たすぎてそこまで糸師くんのことを凍えさせてしまったのだろうか。それはちょっと悪いことをしてしまったな。

「ごめんて」

糸師くんは舌打ち一つして大人しくなった。どうやらセンチメンタル気分は脱出できたらしい。そして再び私が糸師くんの隣へと並んだところで不意に手を掴まれた。

「……お前の手、冷たすぎんだよ」

そしてその手はジャージのポケットへと仕舞われる。その中は温かい。しかしそれはポケットのおかげではなく私の手を包む糸師くんの手が温かかったからだ。

「え、いや、なぜ…?」
「肉まんの礼」
「お礼……」

それで私の手を温めてくれていると?それはちょっと、リアクションに困る。

「あとお前がこれ以上変なコトしねぇように」

ああそっか。そっちが本音ってわけね。でも糸師くんがいつもの調子に戻ったのならもういたずらもするつもりはないんだけどな。

「もうしないって」
「信用ならねぇ」
「じゃあこのまま糸師くんに温めてもらおっと」

ただ、今この手を放してしまうのはなんとなく惜しいので余計なことは言わないでおいた。