春を謳う



また、この舞台に戻ってきた。


〈春の高校バレー全国大会!Cコート第二試合 勝利を勝ち取ったのは“最強の挑戦者” 稲荷崎高校!!!〉

実況席からのアナウンスに、吹奏楽部のファンファーレが重なる。
コート内の選手たちは初戦の勝利を喜び、片や負けたチームは肩を叩き涙を堪えていた。

「幸先は良し。悪くないスタートやったな」
「ですね」

隣に座っていた黒須監督の言葉に大きく頷く。
兵庫県代表の稲荷崎高校は今回で四年連続三十二回目の春高出場。今年のインターハイの結果は二位、そのためシード校として参戦した二日目の今日が初戦であった。しかし、その空気に飲まれることなく見事二セット先取で勝利を収めてみせた。

〈いやぁ〜今年も見せてくれましたね宮兄弟!〉

そして興奮冷めやらぬ実況席からは称賛の声が届けられる。
侑先輩をキャプテンに、オポジットは治先輩。MBには角名先輩と一年生の新レギュラーを置き、WSには銀島先輩と小作先輩でレギュラーを組んでいる。またリベロ、ピンチサーバーなどその他選手層も厚い。

「いい試合やった。お疲れさん」
「お疲れ様です」

戻ってきた選手に労いの言葉を向ける。
まだ春高は始まったばかり。ホテルに戻れば明日の対戦相手に対し作戦を練らねばいけないが一先ず勝利を喜んだ。

「なぁ今日の俺、ツムよりサーブ決まってへんかった?」
「ちょっ重い、重いですよ治先輩!」

応援席に挨拶をし、撤退のため荷物をまとめていたら治先輩に背後から圧し掛かられた。先輩はもう少し自分の体の大きさを自覚してほしい。私とて簡単に潰されるほど軟ではないが身長一八〇越えの筋肉質な男性を支えられるほどの体力はないのだ。

「どやった?」
「決められた本数は同じでしたよ!それより潰れちゃうので退いてください!」

叫ぶように訴えればようやく退いてくれた。全くもう、と思いながら治先輩を見上げれば「堪忍や〜」と反省してもいない言葉で返される。しかし、こちらが怒るに怒れないところが治先輩というキャラのずるいところである。だから私も、いいですよといつも笑って許すしかなくなってしまうのだ。まぁもう慣れてるからいいけれど。

「ほなこれ持ったるわ」

私が持っていこうとした荷物を治先輩が手に取る。中身はタオルや筆記用具、また救急セットくらいしか入っていないのでそんなに重くはない。しかし選手に持たせるものではないのだ。

「私が持ちますから大丈夫ですよ」
「これくらいやらして。いっつも俺等はマネージャーに迷惑かけ取るしな」

俺等、というのは片割れのことを含めて言っているのだろう。
偉大なる北先輩が卒業し、治先輩達が最高学年になった。しかし今でも事あるごとにバレー部名物双子乱闘は不規則にも定期的に行われていた。治先輩が試合でミスれば侑先輩が「高校でバレー辞めるからってなめとんのやろ!」と突っ掛かりそれに対し治先輩が「推薦の話来とるからって調子乗んな!」という流れが最近の光景である。

二、三年生達からすれば最早見慣れた光景でそんな二人を放っておいて練習を続ける。しかし耐性がついていない一年生からしたらまさに地獄なのだ。私も彼らの気持ちはよく分かる。そんな一年生の為に、そして双子乱闘を聞きつけた生徒が集まってこないようにと私が二人の止めに入ることが増えたというのがここ一年くらいの話だ。

「自覚があるなら喧嘩しないでくださいよ」
「先に突っ掛かってくるツムが悪い」

まぁ確かにそれは分かる。でも侑先輩も言い方はどうであれ嫌みだけで言っているわけではないのだ。バレーに真剣に取り組んでいるからこその言葉である。

「そうですね。でも侑先輩は出来ない人に対して一々言葉にしませんよ」

人に恨まれたり陰口を言われたりするのはしんどい。私は絶対に嫌だ。でも侑先輩はそういうのを全部飛ばして“勝利”を掴もうとする。それに着いて来られる人に対して事実を述べるのだ。

「えらいツムの肩持つなぁ」
「そういうわけじゃないですよ。ただ治先輩の方が周りを良く見えているので分かってもらえるかなと思って言いました」
「そういうところずるいわ」
「えぇ?」

横から伸びてきた大きな手に頭をかき混ぜられる。私は犬じゃないんだってば、と毎回思うし言っているのだがこちらの言葉は聞き入れてくれた試しがない。おかげで髪はボサボサだ。試合が終わったからといって、それをやっていいわけじゃないんですよ。

「やめてくださいよ」
「ええやん。あと数回くらいしかできひんし」

三年生の先輩方にとっては最後の大会。そして高校でバレーを辞める治先輩にとっては本当に最後の試合になる。

「急に寂しいこと言わないでください」
「なに?寂しがってくれるん?」
「当たり前じゃないですか」
「ずっるい」
「は?え、なんで!?」

収まったと思ったらまた髪をボサボサにされた。
寂しいってそういう意味じゃなかったのに。

その後やめてください、と何度言っても治先輩の手は中々離れてくれなかった。





片づけを終え軽いミーティングを済ませば、自由時間となった。
二日目の他の試合結果が気になった私は急いで掲示板のところまで向かう。背が高い男の人たちを搔き分け、背伸びしてようやく見えたトーナメント表にはすでに明日の対戦校が示されていた。

「再戦、だな」

懐かしい、と思うより先に聞き慣れた声だと思ったのは割と頻繁に連絡を取っていたからだろうか。メールは打つのが面倒くさいと言った彼とは月に何度か電話をするようになった。昨日も初戦は勝ったとの連絡を貰っていたのだ。そして二日目も勝ち進んだ私達は三日目の三回戦目に再戦を果たすことになる。

「やっと会えたね飛雄」

いつの間に来ていたのか、それとも知らないうちに私が隣に並んでいたのか。経緯はさておき、声の方へと視線を向ければ私の幼馴染が立っていた。この日をどれほど待ちわびたことか。

「おう。元気してたか?」
「うん。飛雄も日向君とは相変わらずって感じで元気そうだね」

春高一日目の昨日、稲荷崎の試合はなかったものの観客席から烏野高校の試合を見ていた。あの速攻は今も変わらず、いや前見た時よりも精度が上がっているように思えた。それでも日向君がミスれば飛雄は怒号を飛ばしていて、そこは [[rb:良い意味>、、、、]]で変わっていなくて安心した。

「まぁあいつはヘタクソだからな」
「でも強いよね」
「それは、……ぉぅ」

日向君はめげずに何度でも挑む強さがある。たくさん失敗して、たくさん経験して、それを一つ一つ消化して糧にできる彼は強い人なのだと思う。そしてぽつりと肯定した飛雄もまた口ではああ言いつつも認めているのだ。

「そういやさっきの試合見てたぞ。相変わらずスゲェな宮さん」
「侑先輩だけじゃないよ、他の選手もすごいんだから」

自分の事でもないのについつい自慢してしまう。だって [[rb:稲荷崎>うち]]の部員は常に上を目指す最高の選手たちなのだから。そして今回こそ頂点に立つために彼らは努力してきた。だからこそ、

「今年は勝つよ」

夏のインターハイ、宮城県の代表は伊達工業高校だった。その学校の名前を見たとき、うちの先輩方がどれほど悔しがっていたか飛雄は想像もつかないだろう。一年前の春高、稲荷崎の初戦を未知の古豪烏野高校が制した。その過去はとっくに消化した。そして再戦をずっと待ちわびていたのだ。

「それはこっちのセリフだ」
「マネージャーちょっとええか?」

互いに闘志を燃やしていれば理石君が慌てた様子で姿を現した。何かトラブルなのだろうか。理石君は私の隣にいる飛雄に気付くと「あ、話し中ならええわ」と急いで謝ってくれたがここで行かないという選択肢は私にはない。

「ごめん、私そろそろ行くね。じゃあね飛雄」
「また明日な」

ばいばい、と中学に戻った時のような挨拶をして飛雄と別れた。
理石君にはまた謝られてしまったが私は気にしていないので大丈夫だと伝える。そうして事情を聞けば小さな溜息をついて先ほどあった出来事を教えてくれた。

「葉色おるやろ?さっきの試合のことで侑さんに説教喰らってへこんどる」

[[rb:葉色宗親>はいろむねちか]]は一年生ながらMBとしてレギュラー入りをした部員である。黒須監督が推薦で声を掛けた人物で一九〇という高身長から入部当初から期待がかけられていた。インターハイでも何度か試合に出ており、春高でついにレギュラー入りを果たしていた。

「あぁ…最後のリベロ交代後のスパイク?」
「せや!よく分かったなぁ!」

コートに立てばコンディション、苦手なコース、経験の差も関係なく侑先輩は[[rb:使う>、、]]。葉色君もコートに戻ったばかりでサイドラインぎりぎりのスパイクを打たされるとは思ってもいなかったのだろう。点は決めたもののタイミングはややずれていた。

「[[rb:二年>俺等]]で励ましてんけどあかんくて…マネージャーからも声かけてくれへん?」
「それはいいけど私で大丈夫かなぁ」

生憎人を励ますことに特化した人間ではない。それにそこまで弁達者なわけでもないのだ。しかし、日ごろお世話になっている理石君からのお願いと大切な後輩の為だとあらば力にはなりたい。

「ほらあそこ」

案内された場所にはベンチでひとり背中を丸める葉色君の姿があった。彼自身そこまでメンタルが弱い方ではないとは思うけれど今日は大分堪えているらしい。
彼のことは私に任せてもらうことにして理石君には観客席の方に行ってもらった。彼だって他の学校の試合を見ておきたいはずだ。理石君は最後にもう一度私に謝り、来た道を戻っていった。

「葉色君お疲れ様」
「先輩……?」

顔を上げたその表情は泣いてこそいないが硬く険しいものだった。理石君達が心配するのも頷ける。
私は彼に断りを入れ隣に座った。

「侑先輩の事、怖い?」

もうある程度の話はしているのだろう。そう思ったので直球に聞いた。私がいくら励ましたところできっと今の彼には届かない。だから、愚痴を言う方がすっきりするならその話を聞いてあげた方がいいと思ったのだ。

「それは…その……」
「私はね入部した時めちゃくちゃ怖かった」
「えっ先輩でも?!」

今の私は双子乱闘のときにもビビらず先輩方の間に割って入ることが出来る。その姿しか知らない一年生からしたら驚くべき事実なのかもしれない。

「機嫌が悪いときはあからさまに空気乱すし、大声で暴言吐くし、治先輩には口より先に手が出るし……ほんと怖いよね」

まだ仮入部の時、ボールの片づけをしていたら突然肩を掴まれたことは今でもよく覚えている。あの不機嫌そうな侑先輩の顔と言ったら…今でこそ笑い話であるがしばらくの間はビクビクしながら接してたっけ。

「昔は侑先輩のこと苦手だったんですか?」
「そうだね」

何かあればすぐに北先輩を呼んでいたし、他の先輩方を盾にしていた。

「でも今はすごく仲いいですよね?」

すごく、なのかは分からないが確かに仲は悪くない。
それも共に過ごすうちに“宮侑”がどういう人間なのか理解できるようになったからだ。

「侑先輩はね誰よりもバレーボールに真剣なんだ。セッターって基本はスパイカーにボールを上げて自分で点を決めることはあんまりないでしょう?だから先輩は自分のトスに責任を持ってスパイカーに届けるの」

侑先輩を“優秀”や“天才”の一言で片づけないで欲しい。どんなに苦しい状況でもスパイカーに最高のトスを上げる。それを決めて点を取るのはもちろん自分ではないし、拍手を貰うのはスパイカーだ。それでも侑先輩はスパイカーに対し誰よりも真摯で献身的。

「侑先輩の気持ちに応えてあげて。葉色君にはそれができると思ってるから先輩も怒るんだよ」

侑先輩はよく「俺のセットで打てへんやつはただのポンコツや」と言う。しかし今の彼にその言葉をそのまま投げかける勇気はない。だから私なりの解釈で伝えた。

「責任…そうですよね。トスをもらえたんならそれに応えないと」

高身長の葉色君は掌も大きい。その皮の厚さは今までの努力の証であろう。それに爪の手入れだって怠っていない。彼もまた、バレーボールに真剣に向き合っている選手だ。

「それと侑先輩は過去を引きずるような人じゃないから明日の試合も葉色君にトスを上げるよ」

侑先輩からすれば数時間前の試合も最早過去だ。
だからどうか、君も過去を引きずらないで欲しい。

「俺、次は絶対に完璧なスパイク決めてみせます」

ありがとうございました!と頭を下げて会場へと戻っていった葉色君を見送る。彼ならきっともう大丈夫であろう。マネージャーとして少しでも選手のコンディションを整えられたのであればよかった。

「あのまま俺の愚痴大会でも始まったらどないしよか思たわ」
「は?え、ちょっ重い、重いです!」

背後から圧し掛かられ潰されそうになるのも本日二度目。肩に乗せられた腕を叩き抗議をする。その相手は顔を見なくても誰だかわかる。全くもって、この双子は私への対応がガサツで困ったものである。

「ずっと聞いてたんですか?侑先輩」
「偶々通りかかっただけやし」

葉色君が先ほどまで座っていた場所に侑先輩は腰を下ろした。口ではそういうものの侑先輩も少しは心配して来てくれたのだろう。お調子者で好戦的ではあるけれど、先輩はこの強豪校の主将なのだ。その自覚はきっと周りが思っているよりもあるのだと思う。

「私は侑先輩に対してそこまでの愚痴はないですよ」
「そこまでって、あるやないか」
「早く帰れっていうのに自分だけ居残り練習するとことか、ドリンクボトル勝手に持っていくとことか、試合中の喧嘩や一年生相手にいきなり新しいこと試そうとすることくらいですって」
「めちゃくちゃあるやないか…」

がっくりと肩を落とした侑先輩には少しは反省してほしい。[[rb:稲荷崎>ここ]]の部員でなければ嫌気がさして辞めていくレベルの話なのだ。侑先輩は周りに恵まれている。それを少しは分かってほしいという私の、ほんの少しの嫌みだった。

「まぁ…でも私は葉色君にも少し“愚痴”があります」

どういうこと?と聞かれなくても侑先輩の顔を見れば言いたいことは分かった。だから私は言葉を続ける。

「最高のトスには最大限の力で応えるのがスパイカーの義務だと私は思うんです」

バレーボールには選手それぞれに役割がある。リベロである私はスパイカーたちが前を向いて試合ができるよう背中を守っていた。そんな私からしたらセッターに繋いだボールはスパイカーに決めて欲しいと思うのだ。リベロは点を取れないのだから。

「葉色君は恵まれています。周りにはお手本になる先輩方がたくさんいて、そして侑先輩にトスを上げてもらえる。これほど贅沢な環境にいるんだから彼自身にも成長してもらわないと」

この春高が終われば先輩方は引退だ。そうなったとき稲荷崎が弱くなってはいけない。一年生でレギュラーだからこそ彼には次代に先輩達から得たものを繋いでほしい。これは私のエゴに近いけれど、事実でもある。

「マネージャー!」
「えっなに!?っていったぁ!?」

叫んだと思ったら肩に頭突きを喰らってしまった。なぜ座っていたのにいきなり私の肩にもたれ掛かってくるのか。それと頭で肩をぐりぐりするのはやめて欲しいです。地味に痛い。侑先輩の新しいスキンシップなのだろうか。とはいえ私は適応能力というものに欠けるので突然の奇行はやめて頂きたい。

「何なんですか……」
「惚れてまうやろ」
「えぇっとそのギャグ誰のでしたっけ?最近テレビはあまり見てなくて……」
「ギャグちゃうわ」

肩が軽くなり侑先輩が起き上がってくれたのが分かった。どうやら関西特有のボケではなかったらしい。ではどう返したらよかったのか。角名先輩なら分かったのかなぁ。でも角名先輩の場合は面倒くさくなったら“無視する”という選択肢を取るのであまり参考にはならないな、と自己完結させた。

「マネージャーは本当マネージャーでマネージャーやな」
「マネージャーという単語がゲシュタルト崩壊を起こしているのですがこの場合の返しは何が正解なんですか?」
「とりあえず俺が言うことには『はい』で応えといてくれたらええよ」
「はい?」

当然の如く頭を撫でられるが会話の意味は全く理解できていない。そして侑先輩が頭を撫でる理由もよく分からない。しかしいつものことでもあるのでそれ以上は突っ込まないでおいた。

「明日は絶対勝つで」
「はい」
「飛雄くん泣かせても恨まんといてな」
「恨みませんよ。それに飛雄は負けても人前では泣きません」

侑先輩も人前では泣かないでしょう?私の幼馴染も同じなんですよ。

「ほなそろそろ行こか。俺、鴎台の試合見たいねん」
「星海選手ですか?」
「おん、それと昼神な。マネージャーも付きおうて」
「はい。では行きましょうか」

立ち上がり侑先輩の隣を歩く。

明日の試合後も、こんな他愛のない会話ができるといいな。





春高 三日目——

朝一から試合がある私達は会場が開くより先に着いたのだが、そこにはすでに懐かしい人物が立っていた。

「みんな久しゅう。初戦突破おめでとう」
「北先輩!」
「「「「北さん!!!!」」」」

前キャプテンであった北先輩が私たちを迎えてくれた。そしてその傍には他の先輩方の姿も。夏のインターハイの時にも応援に来てくれたのだが、半年ぶりに会った今でも懐かしいと思ってしまう。それはやはり先輩方の背中が大きかった証拠なのだろうか。“思い出なんかいらん”と言うけれど、先輩方との思い出は忘れられるものではない。

「相変わらず侑は有名人やな」
「昨日は見に来れんで悪かったなぁ」
「でもネットで見とったで!」

尾白先輩、大耳先輩、赤木先輩も輪に加わり再会を喜ぶ。でもいつまでものんびりはしてられない。もうすぐ会場が開く時間。そうしたら試合開始までは時間との勝負なのだ。もたもたしていたらアップの時間が少なくなる。

「マネージャー」

皆の輪から外れて時間を確認していれば北先輩に声を掛けられた。
その声が懐かしくて、だからなのか少しだけ切なくなってしまったのは私だけの秘密だ。

「お久しぶりです」
「元気しとったか?それとあいつらが迷惑かけて嫌気さしてないか?」

そのあまりの物言いについ笑ってしまう。北先輩達がいなくなってからは試合中無法地帯のような状況にはなることもあるけれど、それでも上手くまとまっている。詰まるところ、それは侑先輩に主将としての器があったからなのだろう。そうでなければインハイ二位という結果は残せていない。

「大丈夫です。今の三年生も頼もしいですよ」
「そうか。それと俺のジャージも使うてくれとるんやね」

ややだぼついた袖を捲り上げる。私が着ているジャージは北先輩から引退時に貰ったものだ。部活中には着ないものの大会等の大切な試合の時は験担ぎとして着るようにしている。私には大きいけれどこのジャージを着ると背筋が伸びるのだ。それと先輩方が私の言うことをよく聞くようになる。

「はい!私の勝負服です!」
「それはえろう大層な代物になったもんやな」

北先輩は笑っているけれど元々大層な代物だったんですよ。このジャージを私にくれるとき一悶着あったじゃないですか。みんなが北先輩のジャージを欲しがるのだから、交換しろとばかりに他の先輩方のジャージを羽織らされた記憶がある。

「今も私の大切なものです」
「ありがとうなぁ」

OBの先輩方に見送られ会場内に足を踏み入れた。
一日二試合行われる“魔の三日目”と呼ばれる今日、コートのみならず観客席を含めた試合会場全体が熱気に包まれていた。一月にも関わらず会場が熱いくらいだ。これは体感温度ではなく、事実人が多くて室温が高いのだ。

「おっいた」
「あ、飛雄!」

そんな会場のど真ん中、コート上で荷物を運び入れていたら先に私の名前を呼ばれた。男の子で私の下の名前を呼び捨てにする人なんて一人しかいない。
その幼馴染の名前を呼び返し、私は急いで駆けていった。

「いよいよだな」
「だね。飛雄は緊張してる?」
「そんなもんしねーよ」
「だよね」
「お前は?」
「実はしてる。私は試合に出ないのにね」

マネージャーとしてもうすぐ二年が経つ。ベンチにいるだけといえばそれまでなのだが、妙に緊張してしまうのだ。選手としてコートに立っていた時にはそんなことあまり感じたことはなかったんだけどな。可笑しいよね、と笑えば飛雄は何故か首をかしげていた。

「別に可笑しくねぇだろ?お前も部員の一人なんだから」

部員、か。
そうか、そうだよね。

「飛雄くん元気しとったー?」
「い゛っ」

左肩に重みを感じ重心が揺らぐ。踏み留まる前にその人物が私のことを支えてくれたが、お礼は言わないですからね侑先輩。私は肘掛けでもなければ頭を撫でられるセラピー犬でもないんだから。

「お久しぶりです宮さん」
「いやぁインハイで見いひんかったから心配しとってんで?」

あぁ…笑顔だけれど毎度の如く言葉の裏の棘が痛い。爽やかな表情で言えば嫌みも許されるのだからイケメンとは中々に役得である。

「そうですか、ご心配ありがとうございます。でも次 [[rb:も>、]]俺等が勝つんで」
「へぇ。今の烏野は守備が薄いように思えるんやけど大丈夫なん?」
「宮さんのところは五本指エースがいなくなって攻撃が薄くなったんじゃないですか?」

と、飛雄?!
飛雄は無自覚かもしれないが嫌みを嫌みで返すという地獄のラリーが始まってしまった。
静かに、しかし確実に空気はヒリつき始める。

どうしよう…と思っていたら飛雄の後ろから顔を出した彼と目が合った。日向君だ。日向君とは残念ながら直接話したことはないけれど私が誰かは分かったらしい。「チワッス!」と声は出さなかったが口パクで挨拶してくれた。

「そういえば宮城でベストサーバー賞もらったんですよ。サービスエースも期待しててください」
「さすがやね飛雄くん。スパイクサーブ [[rb:だけ>、、]]でどこまでできるか楽しみにしとるわ」

もう限界だ。それは日向君も感じ取ったらしい。
そしてこの時、私達の気持ちは通じ合い二人同時に地獄の狭間に飛び込んだ。

「影山!トスくれ!!」
「侑先輩!行きますよ!!」

日向君は飛雄の体を百八十度回転させて背中を押す。
対して私は侑先輩の腕を両手を使って引っ張った。

「オイ!こら日向ボケェ!」
「ハイハイ影山クン落ち着いてー!」
「はぁ!?何でそんな引っ張んねん!」
「キャプテンがいつまでも油売ってるわけにはいかないんですよ!」

さすがは飛雄の相棒だ。いつかちゃんと挨拶したいものである。
お互い苦労するね、と思いながら振り返ると日向君と目が合って大きく手を振られた。

「じゃあまた!侑さんの彼女さん!」

うん、それは違うかな!?
これは近いうちにも日向君とはちゃんと話した方がいいかもしれない。って急に侑先輩が静かになった。もしや日向君は天才なのだろうか。もしこの手の人たちを静かにさせる方法を知っているなら是非とも教えていただきたいところである。

「侑先輩、試合後はインタビューもあるんですからしっかりしてくださいね!」
「わ、分かっとるわ!」
「あれ、先輩なんか顔赤くないですか?もしかして知恵熱?」
「ちゃうわ!」
「熱計りましょう。体調悪いならすぐ監督に言って——」
「喧し!」
「えぇ?侑先輩には言われたくないんですけど……」

念のため無理やり熱を測ったが特に問題はなかった。その様子を見ていた他の先輩方には「また侑がやらかした」なんて笑われていて軽い言い合いが勃発した。観客席にいるOB方にも笑われていることに気付いて欲しい。

———激戦前の、一時の日常だった。





春の高校バレー三回戦 
Bコート第三試合
稲荷崎高校(兵庫)VS烏野高校(宮城)


一セット目は烏野に先取され、今は二セット目終盤。
十二対十九と稲荷崎リードで流れは悪くない。しかしサーブ権が烏野に移ったことから二十点に乗せる前に、黒須監督はタイムアウトを取った。

「油断したらあかんで。ここも一つの山場や」

ベンチを譲り少しでも選手たちに休んでもらう。黒須監督も指示を出すよりは選手たちを休ませたかったらしく多くは語らなかった。

「葉色、次に向こうの坊主が飛んだらストレートしめて」
「分かりました!」

角名先輩の指示を聞く葉色君の姿を見て安心する。
そして角名先輩の頼もしさと言ったら言葉では何とも言い表せられなかった。

大変失礼な言い方になるが先輩達が“先輩”をしている姿はいつ見ても感動してしまう。昨年まで北先輩に尾白先輩、大耳先輩、赤木先輩に頼ってばかりだったというのに今では後輩の指導までしているのだ。北先輩達、観客席から見てくれてるかなぁ。

「マネージャー」
「はいっ」

そんなことを考えていたためか、急に声を掛けられ驚いてしまった。
汗をタオルで拭った侑先輩に手招きされ小走りで近づいていく。

「飛雄くん、次は何をやってくると思う?」

その言葉を聞き、合図が鳴ったと思った。
先輩は試合中、プツンと集中力が途切れるときがある。それを自分でも分かっているのか休憩中に意図的に“切る”ことがあるのだ。それが最近では私とのお喋り。客観的な意見しか言えないが、少しでも気晴らしになるならと声を掛けられれば私は付き合うようにしている。

「そうですね…侑先輩達の双子速攻に影響されて日向君を使ってくる可能性もありますし、田中さんがノッているのでそのまま押し込んでくる気もします」
「せやな」
「あ、でも次は月島さんも攻撃に参加してくるかも…」

烏野で最も背が高いMBの月島さん。去年は数えるほどしか打っていなかったが、春高の予選も含め攻撃に参加する回数は増えていた。もう一回ローテを回せば月島さんが出てくる。タイミング的にも奇襲を狙って打たせてくるかもしれない。

「あーあの眼鏡か。確かにそろそろ警戒しといた方がええな」
「まぁあくまで私個人の意見なので……」
「なに急に自信なくしとんねん」
「わっ、ひどい」

やや俯けばスコンと上から手刀が落ちてきた。痛くはないものの情けない声が出る。

「頼りにしとるんやから自信持ち」

侑先輩の言葉は真っすぐに私の元まで届く。

タイムアウトの終りが知らされ選手たちがコートへと戻っていった。
背番号の『1』がこれほど頼もしく見えたことはない。
私は大きく頷いて、稲荷崎の勝利を信じた。





「またこの展開か……」

黒須監督の額にも汗が滲む。

二セット目を死守し、試合は最終セットへ。
そして三セット目終盤にして得点は三十対三十。

去年の記憶が蘇る——三十点越えの長い戦いを制したのは烏野高校だった。その時の出来事が一瞬脳裏をよぎる。でも所詮それは“過去”のこと。それはもう一年前に消化した。

〈ここに来てなお長いラリーが続きます!〉
〈いつ仕掛けるか両者セッターの腕に掛かってますね。おっと、ここで烏野が攻撃態勢に入ります!〉

全員が攻撃モーションに入るシンクロ攻撃。昨年までは苦手としていたこの攻撃も対策は練ってきた。現に今回の試合でも何回かは止めている。でも半分は点を決められていたのだから飛雄は大きな勝負に出たのかもしれない。

「侑さん!」

烏野の田中さんのスパイクをリベロがギリギリのところで繋ぐ。しかしそのレシーブは乱れネットから離れたサイドへ返った。侑先輩が追いつくがあの場所からではスパイカーの選択肢は限られる。

〈セッターの宮侑!なんとオポジットの宮治へと繋ぎます!〉

でも侑先輩にボールが渡った時点で選択肢はコート上にいる全スパイカーになる。
試合終盤、体力集中力ともにいつ途切れてもおかしくはない状態。特にセッターは試合メイクのために一番脳を使う。でも侑先輩のパスは的確に、そして治先輩の最高到達点に合わせてセットされた。

「ワンチ!!」

でも烏野高校も負けていない。月島さんが手が触れ、威力が弱まったボールを後方の選手が上げた。角名先輩が言うように月島さんは常に冷静だ。囮で銀島先輩も攻撃モーションに入っていたのに釣られることなく治先輩についていた。

〈もう一度烏野が仕掛ける!〉

レフトの田中さんか…いや、違う。
外から見ていると分かりやすいがコート内の平面からでは相手の動きは分かりづらい。その相手が低身長であるなら尚更だ。

〈烏野の速攻!日向翔陽がいます!〉

日向君の速攻を銀島先輩が上げる。銀島先輩は去年、自分の目の前で落ちたボールのことを悔やんでいた。それはきっと、銀島先輩でなくても取れなかったと思う。しかし、あの悔しさを味わった先輩だからこそ日向君への対応が速かった。

銀島先輩が繋いだ完璧なAパス。烏野の場は大きく乱れている。後衛には隙も多い。最大のチャンス。

〈さぁここで宮侑は誰を——…っと、まさかのツーです!!〉

最終局面、これほどのスパイカーがいてそして場が整えられた状況において誰一人として使わない贅沢。そして失敗すれば流れとしても悪くなるこの場面において侑先輩は“ツー”を選んだ。飛雄が後方を警戒したことを見逃さなかったのだ。

「あと、一点……」
「流れは悪ない。去年の惜敗晴らしたりぃ!」

黒須監督の声にも熱が籠る。
あと一点、という言葉を今日の試合で何度言ったかは分からない。それは向こうも同じであろう。負けていい試合なんか一つもない。でも、この試合は絶対に負けたくない。去年の無念も、引退した先輩方の想いも、ここまで来た努力も、全部消化してここにいる。

その結果を[[rb:稲荷崎>私達]]は証明しなければならない。

サーブが向こうのリベロに上げられる。さすがは西谷さん、綺麗なAパスだ。その光景に冷や汗が伝う。稲荷崎はローテーションによりリベロ不在。誰かがレシーブで上げて攻めるしかない。

烏野のスパイクを治先輩が拾い侑先輩から角名先輩へと繋ぐ。が、月島さんによりコースが絞られたことで角名先輩のスパイクが日向君に拾われる。でもそれなら攻撃には移れな———

「影山ァアァァ!!!」

という一般法則が通じないのが日向君なわけで。
彼は助走をつけてネット際に突っ込んでくる。でもこれは囮の可能性が十分にある。日向君自身、ボールが来ると信じてはいるが飛雄が使わないという選択肢もあるのだ。そして先ほどの侑先輩の“ツー”により飛雄が触発されて同じ行動をする場合もある。

ボールがセッターへと渡る数秒の間に多くの心理戦と駆け引きがなされる。
その中から最善を選ぶのがどれほど難しいことか。

「下がり!!」

しかし誰よりも先に判断したのは侑先輩だった。
キャプテンの一声で、ボールの軌道が定まる前に部員が動く。

〈烏野高校 縁下のスパイクを宮侑がファーストタッチ!〉

あの状態で自分が全責任を負うなど、侑先輩の考えにはいつも驚かされる。しかし、レシーブからセットまでの流れを全て侑先輩が行ったことによりコート上にいる全員が攻撃のモーションへと移ることが出来た。烏野のシンクロ攻撃ほどの精度はないが、終盤において十分すぎるほどの奇襲だ。

〈宮侑は誰を使う?!〉

三セット目で一番点を決めている銀島先輩か、それとも角名先輩でブロックを抜かせるか。三年WSである小作先輩にも警戒するべきだし、なにより昨年の結果を考えれば治先輩で決める可能性が一番高い——烏野はそう考えているのかもしれない。でも稲荷崎は型にはまらない。


昨日を守って明日何になれる?
今日、いま、この瞬間————

昨日を消化した彼は、飛んだ


〈センターからのバックアタックが決まる!!最後に点を決めたのは稲荷崎一年 葉色宗親です!!!〉

「よっしゃぁ!!」

吹奏楽部のファンファーレが鳴り響く。
でもその音はすごく遠くに聞こえて、隣の黒須監督の歓喜の声すら二階席からの声に思えた。

目の前の光景が見られるとずっと信じて来たのに、いざ目の前にすれば信じられなくて私は瞬き一つせずに固まった。

「よぉ見てみ!勝ったで!」

黒須監督に肩を叩かれ目が覚めたように実感が混み上がる。
私は立ち上がって今度こそ喜びを嚙みしめて監督とハイタッチをした。

まだ春高三日目、稲荷崎としては二戦目の試合。
それでもこの勝利がどれほど大きく、意味のあるものだったかはきっと私達にしか分からない。


どや、俺の仲間すごいやろってもっと言いたかったわ——


春高に向かう移動中、昨年の烏野戦後に北先輩がそう言っていたのだと侑先輩から聞いた。
北先輩、貴方の仲間はすごいですよ。ちゃんと去年の惜敗を晴らしてみせました。

「「マネージャー!!」」

まだ優勝もしていない、センターコートにも立っていない。それだというのに目頭が熱くなる。
しかしその零れ落ちそうになった涙も勢いよくベンチへと走ってきた二人を見て驚きで引っ込んでしまった。

「早う行くで!」
「捕まっとってな!」
「は?え、ちょっと、待っ…うわぁ!?」

治先輩に腕を引っ張られたと思ったらそのまま肩に担がれた。脳みそが一回転して、視界にはユニフォームの背番号と板の床しか見えなかった。そんな私の叫びもこの広い会場と吹奏楽部の演奏ではすぐにかき消される。
そうしてようやく地に足着ければ、試合後の選手たちに囲まれていた。

「先輩、俺今日はちゃんと決められましたよ!」

葉色君が元気に答える。

「去年の分、取り返せたな」
「マネージャーももっと喜び!」

小作先輩に続き銀島先輩が笑う。

「もしかしてマネージャー泣いてるの?」

普段表情が分かりづらい角名先輩でさえ喜んでいるのが分かる。

「勝ったで!」
「これでメダルにまた近づいたな!」

治先輩と侑先輩が痛いくらいに私の背を叩く。

「はいっ!皆さん烏野戦勝利おめでとうございます!!」

皆が感動的な空気を醸し出すせいで本当に涙が零れた。そしたら「泣き虫やなぁ」と笑われて、苦しいほどに揉みくちゃにされた。一八〇以上の人の群れに紛れ込んだ私は、ゾウの群れに紛れ込んだウサギのようなものだった。

「優勝したらセンターコートで胴上げしたるからな!」
「いえ、私なんかが恐れ多いです」
「あっ今『私なんか』って言うた」
「それやめや言うたやろ!」
「今から予行練習な。ツムやったって」
「えっ嘘ですよね!?侑せんぱっ——あの、無理!!」

胴上げは免れたもののコートの中心で侑先輩に抱き上げられるという洗礼を受けさせられた。ほんと、やめてほしい。みんな見てるじゃないですか。これが夕方のニュース番組で流れたら私は一生外を歩けないかもしれない。

怖くも恥ずかしくも薄目を開ければ、一八三センチの視界が目の前に広がっていた。

今日の午後にもまだ試合はある。
勝てば明日の準決勝、そして明後日の決勝へと駒を進めることが出来る。

頂から見た景色は今よりも眺めは良いのだろうか。

でもその答えはきっと、

「最終日は胴上げされる準備しとき」
「一番眩しいメダル取って来たるからな!」
「はいっ!!」


近い未来に分かるはずだ。




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