宮兄弟とバレンタイン



春高にて三年生は引退し部活は現二年生が主体となる。キャプテンは北先輩から侑先輩へと代替わりをし、今日の部活で侑先輩は新しいユニホームを貰っていた。

「なぁ、マネージャー」

新体制になり数日が経過した。三年生がいなくなった分、体育館はどことなく広く感じる。今日は新レギュラーを決める為にも試合形式のゲームが何回も行われた。それをまとめる為に部活後も体育館の隅で部誌を書いていれば侑先輩に声を掛けられた。

「どうしましたか?」

体育館の床に直に座り込んでいた私の隣に侑先輩も腰を下ろす。
おおよそ書き終わっている部誌を先輩とは逆側の隣に置いて私は膝を抱え直した。

「ちょい話しあんねんけど」

力強いサーブが床を鳴らす。侑先輩にしては声が小さくて、その音にかき消されてしまうほどだった。いつもとは少し違った様子に首をかしげる。何か相談事だろうか?

そういえば先日、侑先輩と治先輩は大喧嘩をしたばかりだった。治先輩が高校でバレーを辞めると言ったことで取っ組み合いの喧嘩になったのだ。二人の仲を取り持った、とまでは言えないが私も二人の話を聞いたりした。喧嘩もその日のうちに収まったがもしかしてそのことだろうか。

「私でよければ聞きますよ」

侑先輩の表情は固く、私としても少し身構えた。お二人ともそこまで喧嘩を引きずるタイプでもなさそうなのだが喧嘩再発の可能性がないとは言い切れない。

「もうすぐバレンタインやんか」
「……はい?」

予想を大きく外れとてもファンシーな単語が出てきた。確かにあと一週間ほどでバレンタインというイベントがやってくる。大手百貨店でも有名なショコラティエが手掛けるチョコを売るのだと、テレビCMで見たばかりだった。

そこで私はあることを思い出す。
侑先輩達の誕生日の時、バレンタインにも何か送ると約束したんだった。そして侑先輩の場合は誕生日当日にプレゼントを渡せなかったので少し根にもたれている節もある。だから今回はしくじるわけにはいかなかった。

「侑先輩、安心してください。バレンタインにはちゃんと当日に渡しますよ。手作りでいいんですよね?何か食べたいものはありますか?」
「え…?あぁ、まぁそれはそうやねんけど……」

先手を打って聞いてみたが、どうにも先輩の歯切れが悪い。てっきり御所望のものでもあるかと思ったのだが違ったらしい。今日はよく当てが外れる。もう余計なことは言わない方がいいと思い、侑先輩からの言葉を待った。

「チョコはいらんからその日の放課後、時間くれへん?」

その日は平日だが部活が休みとなった日だった。しばらく大きな大会もないためメリハリは大事だと先生が休みにしたのだ。あと一部の先輩方が彼女と過ごしたいから休みにしてくれと頭を下げに行ったらしい。「部活以外で青春するのも大事やで」と黒須監督も笑っていた。

「私はいいですけど……」
「ほんま?」
「はい」
「忘れんといてな」
「はい。でも、」

なんで私なんですか?——その続きもすぐにその場から去った侑先輩には届かなかった。
どこか行きたい場所でもあるのだろうか。いやもしかしたらサーブ練に付き合わされるのかも…?侑先輩の意図が読めず頭の中には"?"が舞うばかりだ。

「マネージャー」
「うわぁ?!」

悶々と考えていたせいで不意の呼びかけに意外と大きな声が出てしまった。そして振り返ってみて先程と同じ顔がありもう一度びっくりする。でも今度は侑先輩ではなく治先輩の方だった。

「すまん、そんな驚かれるとは思わんかった」
「私こそすみません……どうしました?」
「もうすぐバレンタインやんか」

デジャヴかな?先程と同じやり取りに、自分だけがループしているのではないかと厨二思考が駆け巡る。

「そうですね」
「もしかして俺との約束忘れとる?」

先輩達の誕生日の時、治先輩には次はレアチーズケーキが食べたいと言われたんだった。
そのことかと思い聞き返せば合っていたらしい。ようやく当てがあたった、よかった。

「本当にレアチーズケーキでいいですか?」
「おん。楽しみにしとる」

ぽん、と治先輩は大きな手で私の頭をわしゃわしゃ撫でて体育館を出て行った。わざわざ伝えに来るとは相当食べたいらしい。そんな大層なものを作れる腕はないが期待されたらその分頑張らなければ。

何だか今年のバレンタインは忙しくなりそうだな。





二月十四日———

今日は可愛くラッピングされた紙袋や大荷物を持って登校している子が多かった。かく言う私もその一人で荷物はなかなかに多い。治先輩へのケーキはもちろん、クラスの友達に配るためのチョコも作ってきたからだ。

そういえば今日は部活もないわけで、ケーキはいつ治先輩に渡せばいいのだろうか。休み時間に会いに行ってもいいが二年生の教室に行くには勇気がいる。放課後は侑先輩との約束があるから校門で待つこともできない。侑先輩に渡してくれと頼むのも失礼な気がするしどうすればいいだろうか。

「おはよ!」
「あ、おはよう」

いつもより遅い時間だったためかクラスの友達に会う。その子は私よりも大荷物を抱えていた。すごい量だと驚いていれば部活の人全員にも作って来たらしい。

「先輩達の分も作ってきたらえらいことになってしもた」
「部活の人にまですごいね。私はクラスの友達の分で精一杯だったよ」
「ふーん…その割には本命っぽい物がありますけど?」

ちょっぴり意地悪な表情をした彼女の視線の先には大きめの紙袋があった。お弁当入れとも違うそれは治先輩に渡すケーキだ。誕生日の時は可愛げのない袋で渡してしまったが今回はラッピングにも少しこだわったのだ。やや光沢のある赤と黒のストライプ模様の紙袋に、手持ちのところにはゴールドのリボンが結ばれている。お店を三軒もはしごしてようやく決めたものだった。

「違うよ!」
「そんな手の込んだもの本命以外に渡さへんやろ!」

わーぎゃー騒ぎながら学校へと向かっていれば校門のところに人だかりができている。それにより私たちの小さな言い争いは終焉を迎えることとなった。

「何やあれ?」
「持ち物検査でもないよね?」

よくよく見ればその人だかりは全員女の子だった。そしてその輪の中心には金と銀の二つの頭が動いている。周りの子達よりも頭一つ分以上大きな背丈ではいやでも目に付いた。

「頑張って作ってきたんです。受け取ってください!」
「あつむ先輩が好きそうなチョコを作ってきたんです」
「これ限定二百個のお菓子なんだ。おさむ君に食べてほしくて買ってきたの」
「あの、中に連絡先も入っているのでよかったら……」

さすがは宮兄弟。二人の誕生日の時よりもすごい人ですごい量のプレゼントだ。
侑先輩も治先輩もにこやかにお礼を言いつつ受け取っている。出会った今こそが渡すチャンスだ、とも思うがあの子たちをかき分けて先輩に会いに行く度胸はない。それに、なんとなく自分があの子たちと同じように思われたくなかったのだ。

「あんたんとこの先輩、相変わらずすごいモテようやね」
「本当だね。人もすごいし早く行こう」

友達を急かし、足早に校舎へと逃げ込んだ。
せっかく作って来たけど、私のケーキは治先輩に渡す価値あるのかな。自分なりに良くできたとは思うけど、味は絶対に市販のプロの物には敵わないわけで。そう考えるとせっかく用意したラッピングもすごくチープなものに見えてしまった。





お昼休み、いつものメンバーで食事を取る。そしてその後は持ってきたチョコレートを交換し合った。せっかくだし並べたそれを写真に収めようとスマホを取り出すとメッセージが一件届いていることに気付く。カメラを立ち上げるより先にそれを確認すると治先輩からだった。『やくそく』とだけ簡潔に打たれている。でもその前に誤タップしたのか『ヤバイ』『違う』『や』と単語だけが連投されていた。

きっとケーキのことだ、と合点がいき『作ってきましたよ』と送る。続けていつなら時間が取れるか聞こうとすればすぐに既読がついてしまった。慌てて文字をタップするもそれより先にメッセージが届く。

「ごめん!私、ちょっと抜けるね」

写真を撮っていた友達に断りを入れ席を立つ。初めは驚いていた彼女達だったが私が例の紙袋を持って出ていったことにより冷やかしの野次が飛んだ。そんなんじゃないのにな。

『西棟への渡廊下集合』
治先輩からの文を思い出しながら私は目的の場所へと急いだ。



渡廊下に辿り着く。しかし治先輩はおろか人っ子一人いなかった。それもそうだ、西棟は実験室などの特別教室と資料保管庫くらいしかないので普段は人が少ないのだ。

「マネージャー!」
「あ、治先輩」

着いたことを知らせた方がいいだろうとスマホを取り出したところで声がかけられる。私が来た方向から治先輩が姿を現した。それにしても随分急いでいるようだ。というか走ってこちらまで来ている。そんなに急がなくてもいいのに。それと転んだりでもしたら危ない。

「早よこっち!」
「えぇ!?」

しかし一切のスピードを落とすことなくこちらまで来た先輩はそのまま私の手を掴んで引っ張った。たたらを踏みながらも転ばないよう体勢を立て直し引かれるまま治先輩に着いていく。
いくつかの教室が並ぶ廊下、その手前から二番目にあった教室に駆け込んだ。そして戸もすぐに閉められる。

「せんぱっ——」
「静かに!」

治先輩の大きな手で口を塞がれる。そしてまたも引っ張られたかと思えばそのまま抱き寄せられ、崩れ落ちるように床へとしゃがみ込んだ。

「あれ?こっちに行ったと思ったんやけど…」
「誰もおらへんよ」
「やっと一人の治君見つけた思ったんに!」

女の子の声に、二人分の足音が戸の外から聞こえた。しかし、それよりも私の心臓の音がはるかに煩い。
今の私の体勢はというと治先輩の足の間にすっぽりと収まって胸元に体を預けている状態である。口元は先輩の手で覆われて、動くなと言わんばかりに肩には手を回されている。そして先輩のセーターからだろうか、いい香りがした。部活の時は運動して汗もかくし、みんな同じような制汗剤を使うので気にも留めていなかったが治先輩からはお日様のようなやさしい香りがした。

「本当にこっちに行ったん?」
「せや!私が好きな人を見間違うわけがあらへん!」
「ハイハイ。でもおらへんし、告白するのは放課後にしたら?」

今まで彼氏すらいたことがない私は当然男性に抱きしめられたこともない。だからこれは初めての経験で、私はすぐにでも解放されたかった。色々と想像してしまうし、変に意識してしまうから。

でも女の子達はまだ近くにいるのか声が聞こえる。治先輩にとっても私にとっても、彼女たちに見つかるわけにはいかなかった。だってこの状態を見られたら確実にあらぬ誤解を生む。そのため身動き一つできなかった。

「うちが告白する前に彼女出来たら嫌やろ?」
「あんたのこと好きなら他の子からの告白は受けへんよ」
「まぁ……でも放課後も女の子らに囲まれるやろ?」
「それは否定せんわ」
「もー本当にどこに行ってもうてんやろ」

早く立ち去ってくれと祈るような気持ちでいればようやく二人分の足音が遠のいていった。

「まだ動かんといて」

これで開放されるだろうと思っていたのに何故か先ほどよりも腕に力が籠められる。もちろん抵抗などできずに治先輩のセーターに顔が埋もれた。ちょっと待って、色々な意味で死にそうである。

私にとって治先輩は尊敬できる先輩だ。それはもちろん他の先輩方にも言えるけれど、治先輩の場合は自分の夢を見つけたときそれに真っすぐ進んでいける覚悟ができる人だ。その姿をかっこいいと思う。
私が辛いときには歩幅を合わせて歩いてくれて、頑張れば頭を撫でて褒めてくれる。先輩と言うよりはお兄ちゃんに近いのかもしれない。
でも、今このとき、それは違うのだということに気が付いてしまった。

「……もういったか?」
「〜〜!」
「あっすまへん!」

私の状態にようやく気付いたのか腕を緩めてくれた。そして口を覆っていた手も退けられ、肺に酸素を取り込むことが出来た。でも相変わらず心臓は煩い。

「はっ……!く、苦しかった」
「突然すまんかった。大丈夫か?」
「はい、——ッ」

パッと顔を上げると治先輩との距離の近さに言葉を失った。というか今、鼻がかすったような気がした。それくらい近かったのだ。
治先輩も驚いたのか見つめ合ったまま二人して固まってしまった。でも私の方が先に我に返り、逃げるようにお尻を着いたまま後退する。立ち上がっても動揺で上手く歩ける気がしなかったからだ。

「マネージャー顔真っ赤やで」
「こ、これは走って暑くなっただけです!そうだ、ちゃんと作ってきましたよ」

治先輩に指摘された顔を伏せ近くに落ちていた紙袋を引き寄せる。
生憎今の私では「先輩も顔が赤いですよ」、なんて軽口すら叩けなかった。

教室に駆け込んだ時に落としてしまった紙袋。でも倒れてはいなかったので中身は無事と信じたい。それを抱えて立ち上がれば治先輩も立ち上がった。

「レアチーズケーキです。どうぞ」

小鹿のようにぷるぷると震えた足に力をいれる。まだ顔が赤いことはなんとなく分かっていたのでそれがバレないよう紙袋で隠しながら渡した。まぁ立ち上がった先輩とは身長のせいで目線も違うため不審に思われることはなかった——と信じたい。

「おおきに。早速食べてもええ?」
「え?あ、はい」

まさかすぐに食べてくれるだなんて。
治先輩は換気のために窓を一つ開け、その近くにあった椅子に座りさっそく紙袋から箱を取り出している。「マネージャーも」と呼ばれたため私もそちらへ向かい、机を挟んでおかれていたもう一つの椅子に座った。

曰く、ここは落研の人たちが使っている部屋らしい。そんなサークルあったんだ、と思いつつ話を聞けば最後のメンバーである三年生が引退したことでつい最近空き教室になったとのこと。

「ここならマネージャーと二人きりになれる思ってん」

確かに先ほどの彼女たちの話を聞く限り、今日一日女の子達に囲まれていたようだ。だから治先輩が気を利かせてくれたことは有難かった。でも“二人きり”という言葉に、先ほど抱きしめられたことがフラッシュバックしまた心臓が煩くなり始めた。

「でもよかったんですか?治先輩を探していた人、告白したいようでしたけど」

自分の意識を他へ逸らすためにも話題転換をする。でも根本を辿れば転換できていないような……しかし気になったことは事実なので聞いてみた。

「誰だろうと断るつもりやねん」
「彼女さん欲しくないんですか?」
「好きでもない奴と付き合うか?おっ美味そうやん!なんか上に乗っとるん?」

箱を開けた先輩の興味はケーキへと移ってしまった。私から振った会話もここで打ちきりらしい。
大きな瞳をキラキラさせて尋ねられたので私も視線をケーキへと移した。

「レモンゼリーが乗っています。チョコばかり貰うと思ったのでさっぱりしたものの方がいいかと思いまして」

冬だから濃厚なものが良かったのかもしれない。でもさすがの治先輩でも胃もたれを起こすのではないかと思い、レモンを多めに使ったケーキを用意したのだ。そして保冷材も入れ冷やして持ってきた。

「さっすがマネージャー!ありがとう」
「喜んでもらえてよかったです」

付属として持ってきたプラスチックのスプーンの包装を開け、治先輩はさっそくケーキをひと口頬張った。すぐに食べてくれるならカットして来ればよかったと少し後悔する。でも治先輩が想像以上に美味しいと褒めてくれたのでそんなことはすぐにどうでもよくなった。

「今まで食べた中で一番美味いレアチーズケーキや」
「大袈裟ですよ」
「ほんまやで。ほら、マネージャーも」
「え?」

ひと口分が乗せられたフォークが目の前に差し出される。
これは治先輩に作ったもので、ワンホールで渡したのだから私はこのケーキの味見はできていない。だから確かに味は気になるところではあるけれど、そのフォークは今まさに治先輩が口を付けたものである。私は潔癖症ではない。事実、女の子同士ならペットボトルの回し飲みもする。しかし、それとこれとは別である。男の人と、しかも治先輩とだ。いや、知らない人よりは全然いいのだがもう意識せずにはいられなかった。

「あ、その、えっと……」
「ほれ、あーん」
「あ…?ぇ、むぐっ!?」

半開きだった口にそのままフォークが突っ込まれた。そうしたら当然食べる外ない。
口に含んだケーキはひんやりしていて舌の上であっという間に溶けてしまった。

「美味いやろ?」
「ですね…」

正直味なんてほぼ分からなかった。それでもわずかに残ったレモンの酸味だけは感じることが出来る。まぁさっぱりしたものという点においてはこのケーキは合格点を得られたのだと思う。

「はい、二口目」
「私はもういいですよ」
「そうか」

そういってフォークに乗せられたケーキが治先輩の口へと運ばれた。私が使ったやつだった。
こんなことを気にする私は子供なのだろうか。仲がいい男の子であれば女の子同士と同じようなことをしても平然としていられるのだろうか。私に男友達は多くいないのでよくわからない。でも、唯一仲の良い男の幼馴染とだってこういうことをした記憶はなかった。

「残りは家で食うわ」

気付けばケーキは四分の一ほどに減っていた。ワンホールと言えどもそこまで大きくはない。しかしお昼ご飯後によくこれだけ食べられたものである。

「マネージャーはいま好きな奴おんの?」
「えっ!?」

先輩はケーキを箱に戻し、さらに袋に入れながらそう聞いてきた。

「いませんけど…急にどうしたんですか?」
「さっき俺に彼女欲しいか聞いてきてんから自分にはそういう人がおるのかと思て」

そういう意味かと安堵する自分がいた。
好きな人は本当にいない。………気になってしまった人はいるけど。

「私はそういうのに疎いというか…興味がないわけではないんですけど誰かと付き合うみたいなのが想像できないんですよね」
「ふぅん」
「治先輩は好きな人いるんですか?あっでも彼女はいらないんでしたっけ」
「好きな人おるよ」
「えぇ!?」

大きな声を出したらクツクツと喉を鳴らして笑われた。
治先輩はケーキの袋を隣の机に置き、自身の上半身を机につけた。そうして寝そべるような楽な姿勢になると、頬杖をついて私を見上げた。

「気になるん?」
「少しだけ……」

本当はめちゃくちゃ気になった。好きな人でないなら付き合わないとはこういう意味だったのか。しかし、治先輩並みのイケメンを好きにさせる女性とはどういう人なのだろう。そしてその興味と同時に、先ほど私の心の中に生まれた小さな蕾は一気に萎んでしまったように思えた。

「その子な、めっちゃ頑張り屋さんやねん。誰かに褒められたいんやなくて人のために行動できる優しい子やねん。でもな、よぉ見てあげんとひとりで全部抱え込んでまうねん。せやからほっとけん。俺がその子のこと支えてやるなんて大層なことは言えへんけど頑張ったらたくさん褒めてあげたいし辛いときは傍にいてあげたい思うねん」
「そうなんですね」

喉がカラカラで淡白な返事しかできなかった。でもなぜだか手はやたら汗ばんでいる。
私の表情をじっと見てくる大きな瞳から顔を背ける。でも先輩が私を見上げているせいでそれは叶わない。先輩の方が背が高いから先ほどまではごまかせていたのにこれでは視線から逃げることもできなかった。

「なんでさっきから俺のこと見てくれへんの?」
「いや、なんだか私が恥ずかしくなってしまって…でもその子は幸せ者ですね、治先輩にそんなに想ってもらえ——」

頬に手が触れて顔を持ち上げられた。いつもは私の頭を撫でる大きな先輩の手が私の頬を包む。触れられている左の頬だけが熱を帯びていく。そして一度目が合ってしまえばそれはもう逸らせなかった。

「なぁ、俺がその子に告白したら上手くいく思う?」
「私に聞かれても困ります」
「マネージャーやったら何て返事する?」

その聞き方はずるい。
もしも私だったら……先ほど萎れた蕾が再び大きくなっていくのを感じた。でも心の中に咲きかけたこの花に名前を付けるには少し早いようにも思える。

「あ、の、」

喉から声を絞り出したところで教室にチャイムが響いた。五限目の予鈴であった。

「私、次は移動教室なので失礼します!」

椅子から立ち上がって大慌てで廊下へと飛び出した。
移動教室というのは嘘だった。次の授業は古典で自分の教室だ。でも私はその場からすぐにでも逃げ出したくてしょうもない嘘をついたのだ。

「……逃げられた」


まだこの花に名前なんてなくていい。
私はその蕾を心の底にしまい込んで走り出したのだ。





午後の授業を終える頃には幾分か冷静さを取り戻した自分がいた。
帰りのHRを終えたところでスマホにメッセージが届く。侑先輩からだった。内容はシンプルに『校門に待ち合わせでええ?』だった。だから私も『OK』のスタンプを送って校門に向かうことにした。

侑先輩がキャプテンになってからは個人的なやり取りをする機会が増えた。やり取りというよりは先輩がメモ帳代わりに私に連絡を送ってくるのだ。だからなのか、他の先輩方よりはメッセージのやり取りもフランクになり返事もスタンプ一つで済ますこともザラだった。

校門の前まで辿り着いたが侑先輩はまだ来ていなかった。もしや女の子に捕まっているのだろうか。放課後ならばチョコを渡して告白する子も多そうである。

「すまん!遅なったわ!」

十五分ほど経った頃だろうか。侑先輩が息を切らして現れた。事情を聞けばやはり女の子に捕まっていたらしい。侑先輩にはものすごく謝られたが私としてはそこまで気にしていない。二月にしては今日の気温は高く、お日様の日差しが気持ちいいくらいだったので。

「少し休んでから行きます?」
「いや、早よ行こ」
「侑くん、ちょっとええかな?」

侑先輩の体で姿は見えないが女の子の声が聞こえた。少し体をずらすと可愛らしい女の子の姿がある。髪は日の日差しを受けて亜麻色に艶めいていてコテで丁寧に巻かれている。ぷっくりとした唇には桜色が乗せられていて風に運ばれた彼女の匂いはロリポップのように甘かった。

「すまんけど今忙しいねん」
「そうなん?」

その人は侑先輩ではなく私に確認を取ってきた。
放課後は侑先輩に付き合う約束をしていて、侑先輩からしたら確かに忙しいのかもしれない。でも侑先輩のことを「侑くん」呼びしていたこの人は二年生か三年生だ。となれば自分よりも先輩になるわけで、大丈夫ですの返事しか私にはできなかった。

「ええって。侑くんちょおこっち来て」
「おい」

その人が侑先輩の腕に自分の腕を絡ませる。そうして引っ張られたものの先輩はその場から一歩も動かなかった。その上、ドスの聞いた声を発せられれば私も彼女も驚いて固まってしまった。

「この後用事あんねん。あんたいつも試合のとき差し入れ持ってきてくれる子やろ、それならバレー部が久しぶりの休みだって分かるよなぁ?だから時間取られたくないねん、分かってくれるよな?」

侑先輩はにこやかだった。怖いくらいに笑顔だった。
それは侑先輩の得意技、爽やかな嫌みでもあった。

「いや、でもうちは——」
「いつも差し入れありがとうな。でも今日の分はいらへんよ」
「そんな、」
「一ファンとして感謝しとるで、これからもよろしゅう。ほれ、早よ行くで」

侑先輩に背を押され否応なしに前へと歩かされる。侑先輩の口ぶりに彼女も自分の気持ちは届かないのだと気付いたらしい。それ以上、彼女が呼び止めることはなかった。

「よかったんですか?」
「なにがや」
「さっきの人ですよ。ちゃんと話を聞いてあげた方が良かったんじゃないですか?」

侑先輩は私の背中を押すのを止め隣に並んだ。見上げて様子を伺うもやや不機嫌そうな顔をしている。余計なおせっかいだったのだろうか。事実そうだったのかもしれない。でも先ほどの人はピンクのリボンが結ばれた可愛らしい袋を持っていたのだ。きっとそれを渡して侑先輩に告白するつもりだったのだろう。

「聞いたところで俺の返事は変わらへんし」
「彼女さん欲しくないんですか?」

治先輩と似たようなことを言ったので、治先輩にした質問と同じことを聞いてしまった。

「好きでもない奴と付き合うほど暇じゃないねん。そんな時間あったらバレーするわ」

実に侑先輩らしい答えである。それに妙に納得してしまった。

「そういえば荷物少なくないですか?」
「そうか?」
「女の子からチョコレート貰わなかったんですか?」

スクールバック一つの先輩は身軽だった。まぁチョコを配り終えた私もスクールバック一つなので人のことは言えないが。因みに友達からもらったお菓子はバックの中に入っている。教科書類は学校に置いてきて、余裕が出来たから移したのだ。

「全部サムに預けてきた」
「えっ全部ですか?!」
「おん」

治先輩だって自分の分も貰ったはずだから相当な量になっていることだろう。預けたのでなく押し付けたのでは?という疑問は残ったがそれ以上は触れないでおいた。そのチョコの行方よりもこれからどこへ向かうのかの方が気になったので。

「この後、どこに行くんですか?」
「んーどこやと思う?」

侑先輩に視線を投げられ、考える。
私としては考えられる場所は二か所だ。まず一つは市民体育館、こちらだと侑先輩の練習に付き合うことが予想される。もう一つはスポーツ用品店、新しいシューズが欲しいと先日治先輩と話していたからだ。

「マネージャーはよぉ話し聞いとんな」
「偶々ですよ。でもどちらにしろバレー関係の何かではないかと」
「自分、どんだけバレー馬鹿やねん」
「侑先輩には言われたくはないですね」
「アァン??」

先輩の大きな手で頭を鷲掴まれた。そのまま力を籠められ普通に痛い。バレーボールにボールを掴むという行為はないのにどうして先輩の握力はこうも強いのか。

「わぁ!?すみません、ごめんなさい!」
「反省してますかぁ?」
「してますしてます!」
「ほな許したる」

ようやく放してもらいこめかみを抑える。そこをぐりぐりと揉んで血流を良くした。
私の頭は握力を鍛えるための道具ではないのだ。これでも先輩に会う前にちゃんと髪だって整えてきたのにひどい扱われ方だ。

「正解はここでした」

心の中でぶつぶつ文句を垂れていれば先輩が足を止める。
私の予想とは大きく外れ、辿り着いた場所はゲームセンターだった。学校の近くにこんな場所があったのか。家とは反対方向だったため全く知らない場所であった。まぁ私は兵庫に引っ越してきて一年ほどしか経っていないので知らない場所も多いのだが。

「初めて来ました」
「だと思った。行くで」

ショッピングモールにあるゲーセンには行ったことがあったがこういった場所は初めてだ。入って直ぐに様々なタイプのクレーンゲームが目についた。景品はお菓子だったりぬいぐるみだったり、タオルやフィギュアなんてものもある。奥には格闘ゲームやコインを使ったスロット、太鼓のリズムゲーやダンレボまで完備していた。そして中は意外と広い。

「楽しそうですね」
「ん?なんて言うた?」
「え、」

侑先輩を見上げたつもりだった。でもその目線は私と同じ高さにあり、吐息が耳に掛かるほどの近さに顔があったのだ。

「周りの音が煩くて聞こえんねん」

確かに店内にはBGM代わりにアニメの主題歌が流れていて、そこに店内アナウンスも重なる。メダルが落ちる音に太鼓の音、クレーンゲームの電子音も混ざり確かに声は聞こえづらかった。でもこれは完全な不意打ちだった。

「先輩は何かやりたいものありますか?」

なんとか平常心を保つ。私は目の前のクレーンゲームに視線を向けて答えた。別にその景品に興味があったわけではないが侑先輩を意識しないための行動だった。

「せっかくなら二人でやれるもんがええな」

やりたいゲームでもあるのか侑先輩は奥の方へと進んでいく。ようやく距離が離れたことにほっとしてその背中を追いかけた。

そうして辿り着いた場所にはプリクラ機のような個室の黒い箱があった。その表にはガスマスクを付け銃を持った人と銃弾を受けて苦しむゾンビの絵が描かれている。おそらくこれはゾンビを倒していくタイプのガンシューティングゲームだ。

え、絶対無理。入りたくない。
ホラー物は苦手だ。テレビでも映画でもそういうものは今まで避けて生きてきた。最近になってようやく、世にも奇妙な話が語られる特番を見られるまでに成長できたのである。ゲームであっても自分がゾンビに襲われるだなんてそれだけで無理だ。

「これとかどや?」

声はよく聞こえなかったが侑先輩が機械を指さしていたのでそう言ったのだと判断した。
私はぐいぐいと先輩の腕を引っ張った。無理、絶対に無理だ。その意思表示をしなければと私はやや焦っていた。だから首を横に振るだけでなくちゃんと声に出さなければと思ったのだ。

「ちょ、マネージャー、っ」
「絶っ対に無理です!怖いの苦手なんです!」

強制的に先輩を屈ませて耳を口元まで引き寄せた。大変失礼な行動でもあるが先輩が合わせてくれないと声が届かないのである。
はっきりと無理なことを伝えた。でも先輩は固まったままである。私の声が届かなかったのだろうかと自分も少しだけ背伸びして距離を詰めた。しかしそこで何かが胸に当たっていることに気が付いた。

「あ、」

私の胸が先輩の腕に当たっていた。というか侑先輩の腕を軽くホールドしていたので知らぬ間に自分から押し当てていたのだ。全くそんなつもりはなかったのに。これは大分恥ずかしい。そして侑先輩にも不快な思いをさせてしまった。

「す、すみません!」
「いや、俺もすまへんかった…」

パッと離れ、ひと一人分の距離を取る。今ばかりはこの騒音に助けられる。無音のままでは気まずすぎてしょうがなかった。いや、でもこの騒音のせいで今の事故が発生したのだから感謝するのもおかしいのかもしれない。

「怖いの無理ならマリカにしよ、な」
「それがいいですね!」

二人して顔を合わせないようにしながらカートゲームのところへと歩いていった。
その後はマリカやエアホッケーをしたりとホラー物は避けて遊んだ。それにしても侑先輩は器用だった。バスケのシュートゲームでも高得点を叩き出していたのだ。バレーより先にバスケに出会っていたら侑先輩はすごいバスケ選手に成れていたのかもしれない。そう言ってみたら「そうかもしれんけど、やっぱり俺はトス上げる方が好きやわ」と笑っていた。

「すみません、カップルの方ですか?」

その後も店内を歩いていたら女性の定員さんに声を掛けられた。
確かに今日という日に男女が二人でいればそう見えるのかもしれない。でも私たちは当然カップルではない。部活の先輩と後輩というそれだけの関係だ。せっかく声を掛けてくれた店員さんには申し訳ないがここははっきりと言った方がいいだろう。

「違いま——」
「そうですー」

するりと掌が撫でられたと思えばそのまま指を絡めとられぎゅっと握られた。そしてそのまま一緒に持ち上げられ、先輩は恋人つなぎをした手を店員さんに見せつけたのだ。

「仲が良くていいですね!今カップルの方限定でクレーンゲームの無料券を配ってるんです。もしよければ使ってください」
「おおきに」

侑先輩は店員さんからチケットを受け取っていた。そういえば壁にそのようなことが書かれたポスターが貼られていたっけ。そのための偽装カップルだったというわけか。ほっとしたような、でもどこか淋しいような感覚になる。

「もらってもよかったんですかね」
「カップルに見えたんなら問題あらへんやろ」
「でも先輩は嫌じゃなかったですか?私が彼女だと思われて…」

最後の方はもごもごと歯切れの悪い言い方になってしまった。だって私じゃ先輩に釣り合わないもの。何もかも普通でとくに着飾ってもいない。校門で侑先輩を呼び止めたあの人の方がきっと絵になったのだと思う。

「俺は嫌じゃなかってんけど」

この店内では最後まで私の声など聞こえなかっただろう——そう思っていたのに先輩はわざわざ私の身長まで屈んでそう言った。

「マネージャーは嫌だったん?」
「嫌じゃなかったです」
「ほなええやろ」

そう笑った先輩の表情を見て、私は自分がどういう顔をすればいいのか分からなくなってしまった。
確かにそれはきっと嬉しいことで。でも嬉しいと感じてしまったら部活の先輩と後輩という関係性が崩れてしまうと思ったのだ。だったら次は何て名前の関係になるのか。それを想像して固まってしまった。

「このチケット何に使うか。せや、さっき自分動物のキーホルダー見とったな。それでもやるか」

固まってしまった私ではあったが侑先輩に手を引かれたことで簡単に動き出せた。
いつも先輩はこうやって私も前に進ませてくれる。

侑先輩は強い人なのだと思う。それはバレーの話だけではなくて人として強いのだ。周りにどう思われようとも自分の信じた道を進んでいける勇気がある人。それを自己中心的だと思う人もいるかもしれないけれど自分にないそれを持っている先輩をかっこいいと思う。
私が辛いときには鼓舞するように背中を押してくれて、頑張ればめいっぱい褒めてくれる。先輩と言うよりは幼馴染の男の子に近いのかもしれない。
でも、今このとき、それは違うのだということに気が付いてしまった。

「ほれ、取れたで」

無料チケットを使い、一回で取れたそれを手渡される。別に欲しくて見ていたわけではなかったけれどいざ渡された狐のキーホルダーは可愛かった。据わり目で金の毛を持つ狐はどこか侑先輩に似ているように思える。私のために取ってくれて、それも嬉しかったけれど私がこのクレーンゲームを見ていたことに気付いていたというのもまた嬉しかった。

「ありがとうございます」
「おん。——もうこないな時間か、そろそろ出るか」

さっそく貰ったキーホルダーをバックに付ける。揺れる狐に満足していたら再び手を握られた。

なんで?もうカップルでいる必要なんてないのに。
店内からではない、ある音がやけに煩いように思えた。私以外には聞こえない心臓の音はこの店内の何よりも煩く動いていたのだ。

「先輩!あの、手が……」
「ん〜なんか言うた?」

本当は分かってるんでしょう?
でも金の髪からわずかに覗く耳はほんのり赤くて。それに気付いてしまった私も赤面するほかない。なんだこれ。どうしてこうなったんだ。

私は先輩の手を握り返した。
そうしたら先輩もまた、小さく握り返してくれた。



店の外に出ると日が暮れかけていた。そうなれば意外と寒かった。
「寒いなぁ」って侑先輩が息を吐き出して。私も「そうですね」と息を重ねた。
繋がれた手はそのまま侑先輩のポケットへ。何も聞かれぬまま入れられたけど、手袋もないし…と自分に言い訳をしてそれを受け入れた。

繋がれた手以外はいつも通り。部活の話をしながら帰路を辿った。
でもふっと会話が途切れポケットの中で繋がれた手がわずかに握られたのだ。私の勘違いであったのかもしれないけれど、そう考えるにはひどくタイミングがよすぎたのだ。

「マネージャーに相談があんねんけど」
「私でよければ」
「おおきに。俺な好きな子がおんねん。で、その相談」

横断歩道で立ち止まり信号の赤を私はじっと見つめた。
頭の中がごちゃごちゃでどう反応すればいいのか分からない。でも最低ラインである“部活の後輩”という肩書きを失いたくなくて私は良い子ちゃん≠轤オく「はい」と頷いた。

「どんな子なんですか?」
「その子な、めっちゃ真面目やねん。人が見落としがちなちっさいことにもよく気が付いて自慢もせずにそれをさらっとやってまうねん。でもな、よぉ見てあげんとひとりで全部抱え込んでまうねん。せやからほっとけん。俺はその子が重いモン持っとったら一緒に持ってあげたいし助けて言われる前に力になってあげたい思うねん」

侑先輩がどういう顔でそう言ったのかは分からない。でもその声は真剣に想っている人に対しての声色だった。

「素敵な考えですね」

信号が青になり揃って歩き出す。ここを渡りきればすぐに私の家である。でもまだ着くには早すぎる。

「俺に勝算はあるやろか?」
「…ある、かもしれませんね」
「ほんまに?」

ゆっくり歩いたつもりだったのに家についてしまった。
私はするりと侑先輩のポケットから手を引き抜いた。外の空気は冷たくて、先輩からもらった熱が失われていくようで寂しく感じる。

「これ、チョコレートです」

バックの中から一つだけ残しておいた箱を取り出した。これは友達からもらったものではない。私が侑先輩に作ったものだった。

「作ってきてくれたん?」
「はい。いらないと言われましたが私が渡したかったので」

迷惑だったのかもしれない。だって侑先輩は他の人からたくさんチョコレートを貰っているわけで、もううんざりしているのかもしれない。だからこのチョコは私の単なるエゴだ。受け取ってくれなかったとしても文句はない。

「今日貰ったチョコの中で一番うれしいわ。ありがとお」

しかしどうだろうか。侑先輩は頬をわずかに染めてそれを受け取ってくれたのだ。
社交辞令であったとしてもその言葉は嬉しい。頬が赤いのは夕日のせいだったのかもしれない。それでも私の心を浮かれさせるには十分すぎる要素だったのだ。

「よかったです」
「あのな、マネージャー」

心臓の音が加速する。ひとつ吐き出した息はやっぱり白い。その先にある侑先輩と目が合って、私は呼吸するのも忘れるくらい見入ってしまった。逸らせなかったのだ。

「はい」
「ずっと言いたかってんけど、俺——」
「このクソツムがぁぁあ!!!」

イノシシが突進でもしてきたのかと思った。それくらいの勢いだったのだ。
一度の瞬きの間に目の前にいた侑先輩はいなくなっていて、代わりに大量の紙袋を引っ提げた治先輩が立っていた。

「なにすんねん!!??」
「それはこっちのセリフや!自分の荷物を俺の机の上に全部乗っけて帰りやがって!しかもマネージャー連れまわして二人して仲良う遊びよって!!」

やはり荷物は預けたのではなく押し付けたんだな。そして言わずもがな目の前で繰り広げられるのはバレー部名物の双子乱闘。悪いがここは私の家の前なので早急にやめて頂きたい。

「ちんたらしとるサムが悪いやん!先にのんびりしとる俺が悪い言うたのはサムやからな!」
「だからって妨害することないやろ!クソブタが!!」
「あのっ!近所迷惑になりますので!!」

私がそう叫べば途端と静かになった。そして二人ともすぐに頭を下げて謝ってくれた。これ以上大事にならなくてよかった。

「すごい荷物ですね。持つの手伝いましょうか?」
「ええよ、ツムに全部持たすから」
「アァ!?自分の分くらい持てや!」
「ここまで運んでやっただけ有難く思え!」

喧嘩の第二波が来そうになるがじっと二人の顔を見ていたら静かになった。引退した北先輩に、「無言の圧力は効果的やで」と教えてもらったのだがその力をついに身に付けられたらしい。やりましたよ、北先輩。

「喧嘩しないで帰ってくださいね」
「マネージャーが言うならしゃーないな」
「ツムはどの口が言うねん。でも、せやな」

荷物は結局侑先輩が全て持っていた。意外と先輩はこういうところが律儀である。
念のため二人が穏やかに帰れるか見守っていたら数メートル進んだ治先輩が足を止めた。それに気付いた侑先輩も足を止める。二人で何やら話し合っていて、何事かと首をかしげていたら二人してこちらを振り返った。

「「マネージャ―、ホワイトデーは期待して待っとき」」

別にお返しなんていらなかった。
でも今日、治先輩と過ごした時間も侑先輩と過ごした時間も楽しかった。そして今まで気づかなかったある感情に気付いてしまった自分がいる。その答えを見つけるためにも私はひとつ頷いた。

「楽しみにしています」


気付くには遅すぎたその蕾は想像以上に膨らんでしまった。

この花が咲く日も近いかもしれない。



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