365日後の告白

なんて事の無い平々凡々な日常に、私史上最大の転機が訪れた。

その日は夏休み前最後の登校日で、お昼はクラスの友達と食べてお互いにそろそろ部活へ行こうかと席を立った。
空っぽになった教室を施錠して、鍵は私が返しとくよと言って職員室へと向かった。

「今から部活?」

鍵を返し部室棟へと向かう時だった。
曲がり角から姿を現したクラスメイトに声を掛けられ、足を止める。アナウンサーのような癖のない滑らかな発音はこの学校にしては珍しい。

「そうだよ。そっちも?」
「そう」
「第三体育館きれいで羨ましいな。お互い頑張ろうね」

稲荷崎男子バレー部のために新設された第三体育館は照明も明るく、扉の建て付けもよくてギシギシいわないので羨ましい。全国大会常連の男バレとは裏腹に、近年結果を残せていない私達女バレは古い第二体育館を使うしか無いのだ。因みに第一体育館はバスケ部が使用している。

「ちょっといい?」
「うん?」

その場を去ろうとした足を踏み止め彼の言葉の続きを待つ。
この時の私は、夏休みの課題範囲の確認かなぁなんてお気楽な事を考えていた。

「俺あんたのこと好きなんだけど、付き合ってくれません?」
「……はい?」

付き合う、とは?という疑問が頭の中を駆け巡る。そしてフリーズしかけた頭に“好き”というパワーワードが押し寄せて、頭を殴られたようにその場に倒れそうになった。

「大丈夫?」
「あ、うん」

比喩ではなく、ぐらりと揺らいだ身体を二本足で支え私は改めて彼に向き合った。
好きって、付き合ってくださいって、本気で言ってるの?

「急にごめん。でもずっと前からいつ言おうか迷ってた」
「うん」
「返事、すぐじゃなくていいから欲しいんだけど」
「うん」
「………大丈夫?」

人生初めての告白を受け、私の語彙力は地に落ちた。いや、元々そこまで弁達者な方ではなかったけれど今の私には三歳児レベルの会話すら怪しい。

「迷惑だった?」
「い、いやそんなことはっ!というか寧ろ光栄というか何というか!あ、あの私でよければお願いします…!」

今思えば何故その場で付き合うという選択肢を選んだのか自分でも分からない。
でも、やっぱり待ってくださいなどという言葉を続けることは出来なくて。

「ほんと?じゃあ連絡先——」
「私部活行くから!じゃあ!」


居た堪れなくなり部室へと走り出す。


高校二年、七月某日———

私は角名倫太郎と付き合うことになった。





愛知県出身。
男子バレーボール部所属。
一、二年と同じクラスだった。

以上が私の知り得る角名君の情報の全てである。
何故告白されたのか、全くもって心当たりがない。

バレー部所属という共通点はあれど、互いに人付き合いが得意という訳でもなく交流関係は広くない。
同じクラスとて、会話をしたのは数回だけな気がする。それも事務的なことばかり。
あ、でも挨拶くらいはしてたかも。朝のおはようとか、今日は暑いねーとか、それこそ告白された時みたいなちょっとした会話。
でもそれくらいの接点で告白するまでに至るのだろうか。



「ねぇ、あんた最近様子おかしない?」

夏休み中の部活動、昼休憩に入ったタイミングでチームメイトに声を掛けられた。彼女は新体制になった女バレのキャプテンで私とは小学校からの付き合いになる。

「実は聞いて欲しい話がありまして」
「どうしたの?」

角名君の告白を受け三日が経った。しかし、夏休み期間とあってあの日以来彼と顔を合わせていない。あの出来事は幻なのかと思い初めていた頃だった。
ようやく心の整理がついた私は彼女へ告白された事を報告した。

「はぁ!?告白されたって、何でもっと早く言ってくれへんかったの!!」
「こ、声が大きい…!」

いや、本当はもっと早く言いたかったけど自分の中で整理できてなかったし。しかも彼女はキャプテンになったばかりで忙しそうだったから私事の相談に乗ってもらうのも申し訳なかった。
そう説明すれば「あんたはいっつもそう!」と怒りながら一つ溜息をついて私と向き合った。ネチネチと怒らないところを見ると彼女は私の事をよく分かっている。「何年、親友やっとる思ってんの」というのが彼女の口癖だ。

「で、相手は?」
「同じクラスの人。男バレの角名君」
「あー!レギュラーのミドルの人ね」

角名君ってミドルブロッカーだったんだ。
そんなことすら知らなかった私は益々告白された理由が分からない。

「“私のどこが好きなの?”って聞かへんかったの?」
「そんな余裕はなくて…しかもその発言って自分に自信のある人が言える台詞なのでは?」
「いや、あんたはもっと自分に自信持つべきや。いい女だって」

うーん、と二人で頭を抱えるが別に答えなど出るはずがない。
しかし親友のとある提案により私は一気に青ざめることになる。

「せや!今日も男バレ部活しとるやん!会いに行こうよ」
「はぁ?!いや、無理無理無理無理!」
「ここで話してたって答えは出えへん!今の時間なら向こうも昼休憩やって!早く!」

勢いよく腕を引かれ、たたらを踏みながら彼女に連れて行かれる。
私とて女子の中では高身長の部類だが、彼女は私よりもさらに数センチ高いので負ける。いや、身長関係なく彼女の決定事項にはいつも私では抗えないのだ。

あっという間に第三体育館に連れて行かれるが、残っている部員は僅かでありその中に角名君の姿はなかった。

「おらへんな。購買の方かな?」
「いないならもういいよ。私達もお昼ご飯食べようって」
「あっちょっと待って!銀島!ちょっとええー?」

親友が大声で叫び耳が痛い。
彼女が呼んだ人物は小走りでこちらまで来てくれた。銀色の短髪である彼はどうやら彼女と同じクラスらしい。

「なんや、どうかしたん?」
「角名って人おらん?この子が用あるんやって」
「えぇ?」

変な声を出した私と親友の顔を交互に見て、それから彼はぐるりと体育館を見まわした。改めていないことを確認すると「昼でも買いに行ったんちゃう?」と曖昧な返事を頂いた。
私としては少し安心してしまった。

「用あるなら伝えとくけど」
「いいえ、大丈夫です。ありがとうございま——」
「あっそんならその人の連絡先教えてよ」

何言ってんの!?
親友のコミュニケーション能力には毎度驚かされる。いやいや、普通に教えてくれないでしょ。というか私、ストーカーだと思われるのでは?

「別にえーよ」

いいんかい!!
いやいや、普通に個人情報漏洩でしょう!
スマホを出すか迷っていたら、親友が私のジャージのポケットに手を突っ込んでスマホを出してしまった。そしてディスプレイを私の目の前にかざす。

「はい、ロック解除。これでアプリ開いてー…角名君のID教えてもらってええ?」
「いや、ちょっと待ってって!本人に許可取ってないのによくないよ」
「俺からも言っとくし問題あらへん。それにあいつ知り合い少ないしええやろ」

銀島君も体育館端に置いてあったスマホを持ってきて、同じく操作する。私のスマホは未だに親友の手にあり、私は全てを諦め彼女に委ねた。

「知り合い少ないって、そいつぼっちやの?」
「ちょっと、言い方…!」
「あはは!そういうんやのうて、高校からこっち来たからっていう意味や」
「え、そうなの?」
「あいつバレー推薦で稲荷崎入ったからな」

愛知出身とは知っていたがまさか高校生になってから来ていたとは。というかこの学校からバレー推薦で呼んでもらえるのはかなりすごい。そういえば二年でレギュラーだしかなりの実力者なのではないだろうか。

「ほい!登録完了〜銀島ありがとね」
「あ、ありがとうございました!」
「別にええよ。ほなまたな」

画面を表示し、“新しい友達”に追加された名前を見て震える。
これからどうしたものかと考えていたら、食事もまともに喉を通らなかった。



家に帰り、改めてスマホのメッセージアプリを起動する。角名倫太郎の文字をタップしようとして指を近づけたり離したりしてみる。

銀島君が私から連絡があると角名君に伝えてくれているのならここで私からメッセージを送らなければ失礼だ。
そう自分を奮い立て、意を決して真っさらなトーク画面を開き文字を入力する。

『連絡先知らなかったのでバレー部の人に教えてもらいました』

そしてすぐにアプリを閉じ、布団の上へスマホを投げ捨てた。
よし、送信できた。私えらい。
しかしその達成感の後に押し寄せたのは連絡が返ってくるのかという不安だった。いやしかし、返ってきたとして「え?何勝手に聞いてんの。キモ」と言われたら私は死ぬ。でも一番辛いのは既読スルーかもしれない。

だが、今さら考えたところでどうにもならない。
気を紛らわすために夏休みの課題に手を付けてみたり、雑誌を読んだりしてみたが何をしても一向に内容が頭に入らない。

返信を待つことに疲れたのでお風呂に入り、親友に一応報告しとこうかなと思いスマホを開く。
その時、ディスプレイに角名君の名前が表示され驚いてスマホを落としてしまった。

『銀から今日訪ねに来てくれたこと聞いた』
『俺も知りたかったからよかった』

絵文字も何もないシンプルなメッセージだけだったけれど、怒ってはいないようで安心した。その返信を読みながらゆっくりと文字をタップする。

『勝手に聞いてごめんね』

というか、送ったはいいが私はこの先の事を何も考えていなかった。
連絡先を聞いたという事は、私は角名君に用事があったと思われているのではないだろうか。
いや、特にそういうつもりはない。強いて言えばなぜ私に告白してきたのかを聞きたいところだがこのやり取りの中で聞くべきではないことは、恋愛経験皆無の私でも分かる。

親友に相談しようか迷っていると角名君から返信が来た。しかもトーク画面を開いたままだったからすでに既読が付いてしまった。
どうしようどうしようと思いながらその内容を確認すると、予想外の事が書かれていた。

『明日も部活?終わる時間同じくらいなら一緒に帰りたい』

一緒に帰る———すごく付き合ってるっぽい、と思ってしまったのは私の恋愛経験の無さからなのだろうか。
明日も丸一日部活であるし断る理由もない。もしかしたら男バレの方が終わる時間が遅いかもしれないが待つのは苦ではない。

『よろしくお願いします』

直接話しているわけでもないのに緊張して、絵文字もスタンプもない素っ気ない文章になってしまった。

角名君も画面を開いたままだったのかすぐに既読がつく。

『時間わかったらまた連絡する』

その文章の後に可愛らしいキツネのスタンプが添えられた。
私はそれが意外過ぎてまたスマホを落としてしまった。

角名君がこんな可愛いらしい絵文字を使うなんて。
教室では静かなイメージしかないからかなり驚いた。

私はまだまだ角名君のことをよく知らない。
だから明日、少しだけでも彼のことを知れたらいいなと思った。





朝早く部室へと来てくれた親友に昨日のことを報告すれば、私よりも興奮気味に喜んでいた。
角名君と一緒に帰ることに緊張しかしていなかったけれど、彼女の様子を見ていたら楽しみになってきた。

部活は基礎トレの走り込みから始まり、サーブ練、レシーブ練、そして試合形式と日が暮れるまで練習は続いた。
三年生は全員引退し、私達二年が主体となってからは少し練習量を増やした。インターハイの結果は無惨であったが、春高への気持ちの切り替えはもうできている。

いつもは練習が終わる頃には夕飯のことしか考えられなくなるのに今日は違う。
お気に入りのシーブリーズを使い、髪も整えて部室を出た。

スマホを開くと連絡が来ていて角名君も少し前に部活が終わったらしい。すでに待ち合わせ場所である校門にいるとの事だったので私は慌てて走り出した。

「待たせてごめんっ」
「そんなに待ってないよ。もしかして走ってきた?」
「ちょっとだけ…」
「急がなくていいよ」

走ってきたから、というよりは緊張で浅い呼吸しかできなかった。
なんとか息と気持ちを整える。
もう大丈夫だと伝えれば「行こっか」と角名君に声を掛けられた。お互い目的の方角は駅だったので、私はいまだに緊張しつつも彼の隣に並んで歩き出した。

「今日は部活終わるの早かったんだね。全国大会も近いし、いつも男バレは遅くまで練習してるから…」

無言が怖くて当たり障りのない言葉をかける。本当はほかに色々と聞きたいことはあったけれど、とてもじゃないがそこまで頭が回らない。

「どっかの馬鹿が下校時間後まで練習してたせいで今日は居残り禁止になった」
「どっかの……」
「双子」
「あ〜」

双子と言われれば該当する人物はこの学校に一組しかいない。宮兄弟だ。片割れの宮治とは同じクラスで、もう一人の宮侑ももちろん知っている。宮侑の方は私と同じセッターで、試合を見る度にそのプレイスタイルに感動する。彼のような美しいトスを上げたいというのが今ではちょっとした目標になっている。

「練習できないのは嫌だけど、あんたと話したかったからちょうどよかったのかも」

私よりも目線が上にある彼を見る。いつもは自分と同じかそれよりも背の低い人と話をすることが多いから見上げるという行為は新鮮であった。しかし、角名君と目が合ってしまえばそんなお気楽なことなど考える余裕もなくなり、視線を足元へと彷徨わせてしまった。

「そ、そうなの?」
「俺が告白した後、連絡先聞こうとしたらどっか行くし」
「そうだったの!?」
「気付いてなかったんだ」
「ごめん。あの時はびっくりしちゃって……あ、あのさ角名君」
「なに?」

今なら聞ける気がする。なぜ私に告白してくれたのかを。
頑張って顔を起こし、視線を上げると角名君と目が合った。
あぁ、やっぱり緊張する。人と話すのが特段苦手というわけではないが男子と話す機会がないので苦手意識が拭えない。加えて、それが名目上“彼氏”という人物であれば尚更だ。

「なんで私に告白してくれたの?」
「好きだから」

瞬時に顔を伏せる。
今の私はあり得ないくらい顔が赤いに違いない。恥ずかし死にする。
その“好き”の理由を聞きたかったわけだが、ストレートに好きと言われて照れない訳がないし、嬉しくないわけじゃない。

頭上からはくっくっと喉を鳴らす小さな笑い声が聞こえた。
僅かに視線だけを動かして、前髪の隙間から角名君を見ると口元に手を当てて彼は笑っていた。

その時、私は角名君が笑うところを初めて見た。
クラスでも彼は大人しい方で、いつも一歩下がって周囲を見ているようなそんな人だった。感情の揺れ幅も小さくて、訛りのない言葉遣いが尚更彼を大人びてみせる。
そんな印象があったというのに、彼は思いのほか高校生らしく笑ったのだ。

「そ、そうじゃなくて!あんまり角名君と話したことなかったし、どうして私なのかなって……今まではただのクラスメイトだったわけで…」
「へぇ。よく分からないけど俺と付き合ってみようって思ったんだ?」

ひゅっと息を吸い込み、背筋に冷汗が伝った。
確かに、勢いとはいえ付き合うことになったが私は角名君のことが好きというわけではない。この状態でのお付き合いというのは角名君にとって失礼に当たるのではないだろうか。
告白されてからは自分のことでいっぱいいっぱいで、彼の気持ちなど私は全く考えられていなかった。

「正直、勢いだけで返事しました。ごめんなさい……」
「別にそれはいいよ。俺には関係ないし」

どういう意味なのだろうと再び顔を上げると角名君と目が合った。

「これから好きになってよ」
「……うん」
「返事するんだ」
「えっ、あ、いや、なんかまた勢いに任せて…!ごめん」
「ゆっくりでいいよ」

角名君はまた笑う。余裕がない私とは大違いだ。
結局、私の疑問は何一つ解決されていないがお付き合いをするということは変わらないらしい。こんな状態の私でいいのだろうかと思ったが、これ以上聞けば私が恥ずかしいと思えるような言葉しか返ってこなさそうだったので静かに口をつぐんだ。

「そういえばもう一つ聞きたかったんだけど」

ようやく目的の駅に着いた。いつもよりも長く遠い道のりだったと思う。
別れ際に角名君と向き合えば、感情の読み取れない表情で私をじっと見た。

「俺の告白、悪戯だとかは思わなかった?」

何を言われるのかと思えば、聞かれた内容はとてもシンプルだった。
ただでさえ、私の頭はパニック状態なのにここでさらに追い打ちをかけられでもしたらまた走って逃げだしていたかもしれない。

「角名君は人を揶揄って笑ったりするような人じゃないよ」

角名君とはただのクラスメイトで知らないことばかりだけど、ひとつ確信していることがある。彼は人を傷つけるような人じゃないってこと。当たり前のようでいて、でも年頃の男子ならしでかすようなしょうもないことを彼はやらないと何となく感覚でわかった。

「…そうゆうところ」
「……?」
「また連絡する。気を付けてね」
「ありがとう。ばいばい」
「うん」


途中の彼の言葉は駅の雑踏に飲まれて消え、私は結局彼のことが何一つ分からぬまま家へ帰ることになった。

ただ一つはっきりしたことと言えば、私は正式に角名君の彼女になったということだ。





男バレの全国大会が近くなれば自然と練習やミーティングの量は増え、あの日以来、角名君と一緒に帰ることはなかった。
でも彼は意外にもマメな性格で、毎日朝と夜に数回のメッセージをくれるような人だった。簡単な、短い文章だけれど私はそのやり取りが日に日に楽しみになっていった。

そして稲荷崎男子バレーボール部はインターハイにおいて全国二位という成績を収めた。

県外だったので会場に応援に行くことはできなかったが、私はその中継をパソコンを通じて見守った。
いつもはどうしてもセッターに目が行きがちだけど、今回は角名君をずっと目で追って彼のプレイを見た。不安定な体勢、けれど軸がブレず勢いを落すことのないスパイク。ブロックのタイミング、相手の見方、チームメイトとの位置どり。コート全体がよく見えている動きだった。

全国二位といえば十分すごい結果である。
でもそれに対して「おめでとう」という言葉はなんだか違う気がして、「お疲れ様」というメッセージを角名君に送った。

きっと今日は疲れているから返事はこないだろう。そう思っていたらスマホが鳴った。
ディスプレイに表示された文字を見て、慌てて通話ボタンをタップする。

『夜遅くにごめん。声聞きたくなった』

初めて電話越しに聞いた彼の声は少し低くて、耳がこそばゆくなった。

「私は平気。もうこっちに戻ってきたの?」
『いや、今日はホテル泊まって明日帰る』
「そっか。試合すごかったね、お疲れ様」
『ありがとう』

彼の声色は少し疲れているように思えた。
センターコートで五セットもの試合をやれば、肉体的にも精神的にも相当に疲れるだろう。しかし、何よりもしんどいのは“二位”という結果なのかもしれない。

『俺、どうだった?』

角名君は外で電話をしているのか、時折風の音と車の走る音がわずかに聞こえた。
私は角名君になんて言葉をかければいいのか必死に考えて、車が一台通り過ぎた音を聞いて口を開いた。

「三セット目終盤の相手のブロック二枚抜いて決めたときはすごかった。あと、Aパスが綺麗に上がってて、そこからセッターのセットアップまで完璧だった。それと四セット目で点の取り合いになった時、向こうの七番の選手と———」
『ふははっ思ったよりガチ見してる』

一生懸命試合時のことを振り返って話していれば笑われてしまった。どうにも緊張すると周りが見えずに言葉ばかりが先に飛び出してしまう。

『他にはなんかない?』
「ええっと、二セット目の後半でこっちに余裕が出てきた時のブロックが甘かったとか……?」
『いや、ダメ出ししてほしかったわけじゃないんだけど』

空気読めなかった…
でも、角名君が思ったよりも落ち込んでいなくてよかった。

「ご、ごめん…」
『もっと、一言で、シンプルになんかない?』
「えーっと…なんだろう………」
『それ、考えとくの宿題ね』

角名君は不思議な人だ。表情は読み取りにくいし、何を考えているか分からない。でもそれは決して彼の悪いところではなく、寧ろ私はもっと彼のことを知りたいなという気持ちになっていった。


角名君からの宿題の答えは分からないまま。
でもインターハイ後にどうしても一目会いたくなって、私にしては珍しく連絡もせずに第三体育館を訪れた。しばらく部活動は休みで自主練だけだと聞いていたがおそらく彼ならいるだろう。

第三体育館前の廊下、そこでちょうど出てきた角名君と会うことができた。彼は珍しく驚いた顔をしていて、私は少しその顔に嬉しくなった。

「ごめん、急に来ちゃって…」
「別にいいけど。どうしたの?」
「これ、渡したくて」

私は紙袋に入れたままラッピングされた袋を渡す。
たぶん角名君にとっては、というか男バレにおいてインターハイの結果などすでに過去の出来事に昇華されているのだろう。“思い出なんかいらん”という横断幕のメッセージがその証拠だ。でも私はどうしても何か形に残したくて角名君に贈り物を用意した。

「開けていい?」
「どうぞ」

でも形として残すことを角名君はきっと望まない。この贈り物はおそらく私の自己満足。だからインターハイお疲れ様という意味で、実用的なタオルを送ることにした。多分これなら迷惑にならないはず。

「ありがとう。大切に使う」
「よかっ——」
「角名!今、サムと銀の四人で二対二のゲームすることになった!角名は俺と同じチームで……え?」

目的を果たせたら早めにここを去ろうと思っていたのに、それはある男子生徒のおかげで叶わなくなる。
体育館から顔を出したのは宮侑だった。高校ナンバーワンセッターだとインターハイ実況者に何回も言われていたが、テレビで受ける印象よりも実際の彼は幼いように思える。
無邪気に体育館から顔をのぞかせた宮君は私と角名君を交互に見て「えっ、は?どうゆうこと?」と同じ言葉を何回も繰り返していた。

私は、きっとこれは角名君にとってもよくない状況だろうと思い一秒でも早くその場を去ろうと足を引いた。
角名君に一言断りを入れてから帰ろうと思ったのに、そんな隙もないまま私よりも早く彼は口を開いた。

「侑、邪魔。いま彼女と話してるからどっか行って」

たっぷり三秒、時が止まった。
その場にいた誰もが指一本動かさず、瞬き一つしなくて。風も吹かなければ鳥一羽のさえずりもなかった。

そして四秒の時間が経過しようとした時、

「サムーーー!!!角名に彼女ができてんけど!!!???」

第三体育館に天地を揺るがす大声が響いた。


夏休み最後の日。
私が角名君の彼女である事が公になった。





夏休みが終わり、また学校が始まった。

とある男子生徒Aのおかげで男子バレー部の中では角名君に彼女ができたという話題でしばらくの間は持ちきりだったらしい。
廊下で見ず知らずの男子生徒とすれ違った後に「あの人だよ」とひそひそと会話され、なんとも居た堪れない気持ちになったのは両手では足りないほどだ。

クラスでも少し話題になったが、まぁそこは私も角名君も特別目立つタイプじゃなかったから大きな騒ぎにもならずに私としては安心した。

角名君とは学校が始まってから何度かまた一緒に帰っている。
彼の練習が終わるまでは私も体育館で居残り練習をする。今までは三年生が部活後も駄弁っていたりして使いづらかったが、引退した今では伸び伸びと練習できて嬉しい。

角名君との会話は、やっぱりバレー関係の話題が多い。初めのうちは緊張もあり私の方がたくさん喋っていたけれど、最近では彼の方が色々な話をしてくれる。練習方法とか試合のこととか、男バレは実力があるから私としては為になる。

そして偶に部員の話が入るのが面白い。よく話題になるのは宮兄弟で、今日はサーブ練習で宮治の打ったボールが休憩中の宮侑の後頭部に直撃し大喧嘩になったらしい。私はボールが頭にぶつかって大丈夫かと心配になったが角名君は「馬鹿はこれ以上、馬鹿にはならないから大丈夫」と言っていた。そういう問題ではないと思う。

駅までの道のりはあっという間で最近では別れるのが少し名残惜しくなる。こういう感情になるのは私が角名君を好きになっている証拠なのだろうか。まだ確信は持てないので彼には言わないけれど。

「明日、第二体育館も耐震工事ある?」

別れ際にそんなことを聞かれた。
そういえば明日の放課後は体育館に業者が入るから部活が休みになったんだった。
一つ頷けばどうやら第三体育館も使えないらしい。向こうは新しい体育館だから工事はないと思ってた。

「明日、用事ないなら出掛けない?デートしよ」

初めて自分に向けられた横文字の単語に顔が熱くなる。
角名君は黙って返事を待っていた。私はこんなにも頭の中がパニックに陥っているのに角名君はいつも通りの表情でずるい。彼は余裕があり過ぎる。

「よ、よろしくお願いします」
「よかった。どっか行きたいとこある?」
「考えとく」
「わかった。明日楽しみにしてる」
「私も」

ばいばい、と手を振って改札に向かう。

デートという単語に顔のにやけが収まらない。
私にようやく“角名君の彼女”だという自覚が湧いてきた。





部活がないと言っても、授業は六限目まであるわけで一緒にいられる時間が特別長くなったわけではない。

それでも、いつものように日が暮れてから顔を合わすのではなく、明るいうちに二人並んで歩くという行為だけでも私は特別なことのように感じた。

「で、スマホケースを買いたいんだっけ?」
「うん。割れちゃって……」

正確には割ったのだけれど。
角名君とのメッセージのやり取りに一喜一憂する私はここ最近スマホを落としまくっていた。そのせいでついにケースの角が割れたのだ。まだ使えなくもないが、元々スマホを買い替えたときにショップで買った可愛げのないものだったからこの機会に新しいものにしたい。

「駅の近くにたくさん種類があるお店があるからそこに行きたいかなって。付き合わせてごめんね」
「いいよ。ケースなら俺も買おうかな」

ポケットから取り出した彼のスマホはケースに何も入っていなく、剥き出しの状態であった。

「よくそのまま使えるね。それ新しい機種だよね、怖くないの?」
「んーあんま考えたことない。それにそんな落とさないでしょ」

なんだか格の違いを見せられたようで悔しくなってしまった。
それが顔に出ていたのか角名君が小さく笑った。

「俺はどこかのお天馬さんと違うんで」
「わ、私にも色々と事情があるの!」
「丈夫なケースがあるといいな」

少しムッとした私はどこか楽しそうな角名君を連れて店へと入った。
狭い店内の壁沿いに様々なケースが掛かっている。角名君とは機種自体は同じで、ケースのサイズも一緒だったから同じコーナーを見て回った。

どれにしようか迷っていると一つ良さそうなものが見つかった。
ホワイトベースで下にいくほどピンクのグラデーションが濃くなるデザインだった。傾けるとラメがキラキラと光る。ケースも丈夫そうだしこれにしようかな。

「決まった?」
「これにしようかなって」
「いいんじゃない」
「角名君はどうするの?」
「うーん………」

すると彼は私が取ったケースの隣に置かれていたものに手を伸ばす。
ブラックベースで下にいくほどブルーのグラデーションが濃くなるデザインだった。彼がケースを傾けるとラメがキラキラと光る。

「一緒のにしたいって言ったら怒る?」
「え……?」
「ごめん、調子乗った。俺はやめ——」
「待って!」

棚に戻し掛けた彼の腕を掴んで止める。

「同じでいいです」
「……マジ?」
「マジです」
「嫌じゃない?」
「嫌じゃない」
「じゃあ買う」
「うん」

私が手を離すと角名君はレジへとすぐ向かってしまった。彼はどんな顔をしていたのだろうか。表情を見れなかったのが少し残念だった。

二人揃って店を出る。角名君はいつも通りの表情で、私に他に行きたいところはあるかと聞いてきた。

「特にないかな。角名君はどこかある?あ、でもここら辺のことあんまり知らないよね」
「部活の人らと来たことあるけどいつも同じとこしか行かないかな」
「どこ?」
「ラーメン屋かマック」
「マクドじゃないんだ」
「それ、よく言われる」

つい話が逸れてしまった。
でもやはり運動部というか、角名君も結構食べる方なのだろうか。それならこれから行くところはきっと何か食べられるところがいい。

「嫌いな食べ物ある?」
「クセがないものならまぁ」
「たい焼き好き?この近くにね友達とよく行く美味しいお店があるんだ」
「へぇー」

去年の冬に親友と見つけたそのお店。冬休み期間は毎日部活帰りに通ってお店のおじさんに顔を覚えられたものだ。

角名君もいいといったので商店街のほうへと歩き出す。この時間は私たちのような学生や夕飯の食料を買いに来た人たちで賑わっていた。
商店街へと抜ける曲がり角にあるそのお店は平日でも人気がある。今日も二、三人ほどが並んでいた。

「ここだよ」
「色々種類があるんだな」

あんこにカスタード、抹茶にチーズなんてものもある。私はカスタードを、角名君はあんこを購入した。ここのたい焼きは回りにパリパリの羽根付きの衣がついていてそれが好きだと伝えれば、愛知にも似たようなものがあると教えてくれた。

「どうかな?」
「美味しいよ」

甘いもので大丈夫だったのだろうかと少し不安であったが、角名君はすでに三口ほど食べ進めていた。
彼の様子に安心して私もひと口頬張る。中のクリームが熱くて火傷しそうになった。でもやはり羽根の香ばしさも相まって美味しい。また今年の冬も親友共々お世話になりそうだ。

「ついてるよ」

その言葉と彼の指が口元に触れたのはほぼ同時で。フリーズした私が再起動をするまでに三秒ほどの時間を要した。

「うそ!?」
「嘘」
「え…?」
「ついてないよ」

彼の指先には何もついていない。自分の手の甲で口元を拭うがそこには何もついていなかった。
どういうことだと彼を見れば、また余裕そうな笑みを浮かべていた。

「どんな顔するかなって思って」
「揶揄わないでよ…!」
「つい、」
「つい?」
「可愛い顔見れるかなって」

なぜこの人はこんなにもスラスラと恥ずかしい言葉が言えてしまうのか。彼が愛知のどこで育ったのかは知らないが、都会の人はこういうセリフを日常茶飯事に言い合うのだろうか。都会人おそるべし。

「変なこと言わないでよ…」
「事実、見れたからいいかなって」

もうたい焼きの味なんて分からない。
無我夢中で食べたら口の中が火傷でヒリヒリと痛くなった。全部角名君のせいだ。



『たい焼き、今度は俺もカスタードにしようかな』

その夜、角名君からそんな感想が送られてきた。しばらくはたい焼きを食べる度に今日のことが思い出されそうで正直行きづらい。

『今度もちゃんと取ってあげるね』

そんな私の考えまで見透かされていたように追加のメッセージが送られてくる。ついでにキツネのスタンプも添えて。

なんともむず痒い気持ちになり、スマホを放り投げそうになったが踏み止まる。
今日買ったばかりのケースが手の中できらりと光った。そのことにまた何とも居た堪れなくなり私はスマホを胸に抱いたままベッドへとダイブした。





私ばかり角名君に振り回されているようで、ちょっと悔しい。
それに、一緒にいる時間も増え話す機会も増えたというのに私は未だに彼のことをよく知らない。

見返すというのも違うかもしれないが、私はひとつ行動を起こしてみることにした。

二限目終わりの休憩時間、私は前の席で早弁ならぬ早おにぎりをきめている男子生徒の背中を見る。正直彼とは全く喋ったことがない。でもきっと角名君のことはこのクラスで誰よりも知っているはずだ。角名君も教室にいないし、今がチャンスに違いない。

話しかけようか、どうしようか。穴が空きそうになるほどに彼の背中を見つめて、おにぎりを食べ終わったであろうタイミングで声を掛けた。

「なんや?」
「宮君、食事中にごめんね。角名君のことでちょっと聞きたいんだけど」
「別にええけど、食べながらでもええ?」
「どうぞ」

宮君はバックの中から二つ目の大きなおにぎりを取り出して、体を横へずらした。
横向きに座り、一口頬張って私の顔を見た。

「で、なに知りたいん?」
「角名君のことなんでもいいから教えてほしいの。好きな音楽とか、バレー意外の趣味とか」
「そんなん知らんよ」
「えっ二人は同じ部活でしょう?」
「それゆうなら彼女のあんたの方が知っとるでしょ」

うっ、ぐうの音もでない。
彼女なら知っていて当たり前のことを私は知らないのだ。しかも、その彼女という肩書きすらよく分からぬまま背負っているというのに。

「それが実は全然知らなくて……宮君が知ってること何でもいいから教えて欲しい」
「そう言われても……あ、でも好きな食いもんなら知っとる、チューペット」
「チューペット」

なんだそれ、と思いスマホを取り出しネット検索する。あぁ、半分に折って食べるアイスのやつか。私の家ではポッキンアイスと呼んでいたが正式名称はチューペットというんだな。
確かに彼の事は知れたが、この答えでは試合の時の差し入れとかあまりためにはなりそうにない。いや、意外な物が好物だったと知れただけでも大きな進歩だけど。

「一緒なんやな」
「何が?」
「スマホケース、角名のと一緒」

宮君の視線の先は私のスマホケースへと注がれており、慌ててスマホを机に置いて手で隠す。

「それどっちがお揃いにしましょう言うたん?」

二つ目のおにぎりもペロリと平らげた宮君は興味深そうに聞いてきた。揶揄い半分の表情ではあるが、彼の性格上、必要以上には絡んで来なそうなので嫌な気はしなかった。
それにしてもよく気付いたものだ。お揃いといっても元がシンプルなデザインだから一見すると分かりづらい。今まで私も角名君も教室でスマホを触ることはあったけれど誰かに指摘されたのは初めてのことだった。

「私かな?あ、でも先に言ったのは角名君だったかも……」
「へぇ〜」
「よく一緒のだって気付いたね」
「角名にしては洒落たもん使うてるな思て。あいつの持ち物ほとんど無地だし。あ、でも最近使うてるタオルもあいつらしくないな」

それ、多分私があげたやつだ……
そうかシンプルなデザインが好きだったのか。タオルもスマホケースも完全に私の好みが混ざっている。今となって無理に押し付けてしまったのだろうかと申し訳なく思えてくる。

「なぁ、二人でおるとき角名ってどんな感じなん?」
「普段とあんまり変わらないと思うよ。バレーの話したり、寝る前に連絡取り合ったり。たまにちょっかい掛けられたりするけど……」
「へえぇ〜!」
「………宮君のその顔はなに?」
「別に。あと、宮君って呼び方やめてくれへん?呼び慣れてなくてむず痒いわ」
「そっか。じゃあ治君でいい?」
「ええよ。で、角名にかけられるちょっかいゆうんは——」
「なに話してんの?」

気配がなさ過ぎて治君と驚いて視線を上げる。
相変わらず表情が読めない角名君がいてじっと私たちを見ていた。隠れてこそこそと角名君のことを聞いていましたなんて言えることなく、私は平然を装って口を開く。

「大したことじゃないよ。治君から男バレの話聞いてた」
「せやで。角名のいいところめっちゃアピールしといたわ」
「へぇ」

治君のフォローによりそこまで怪しまれずに済む。下手に角名君のこと聞きまわっていると知れて嫌われたりしたら嫌だし…それなら直接本人に聞けばいいかもしれないが、それができないというのが私という人間なのだ。

「ねぇ、今日一緒に帰れる?」
「えっ、あ、大丈夫だけど」
「俺も一緒に帰らせてー」
「お前は邪魔だから来んな。…じゃあまた連絡するから」
「うん」

チャイムが鳴ったのはほぼ同時で、角名君は自分の席へと戻っていった。
私たちのやり取りを見ていた治君はたいそう面白いオモチャを見つけたかのように笑った。彼は普段テンションの高いほうではないのに珍しい。

「面白いもん見たわ」
「今の面白かった?」
「うん。なぁ、来週うちで他校との練習試合があんねん。一般も見に来れるし来たってや」
「?わかった」
「それと角名には内緒でな」
「うん?」

先生が教室に現れたので治君は前を向いて座りなおした。

その試合の日も私たちは部活がある。でも休憩時間に抜けだして少しくらいは見に行けるかもしれない。
角名君に内緒にする意味は分からなかったが、治君には色々と教えてもらったので彼との約束を守ることにした。


帰り道、また角名君に昼間治君と何を話していたのか聞かれた。
私が大したことは話していないと何度言っても角名君はあまりいい顔をしなかった。

「あんた、嘘ついてもすぐ顔に出るよ」

どうやらうまくごまかせていなかったらしい。
その日の彼は私でも分かるくらい不機嫌であった。





今日、一年生が二人部活を辞めた。
どうやら練習についていくのが辛くなったらしい。三年生がいたころは、正直趣味に近いような練習量だったから、そう思って入部してきた子にとっては今の部活は苦しかったかもしれない。

キャプテンには直接退部届を渡しにくいということで私が代わりに受け取った。名前だけの副部長だったけれど、まさかこんな役割を担うことになるとは。
親友に事情を説明し二人分の退部届を渡すと「やる気ない奴がいてもしょうがない」と気丈に振舞っていた。



そんな日常も過ぎていき男バレの練習試合の日、休憩時間に部活を抜け出し親友と第三体育館へ向かった。第三体育館は最新の造りで二階に観覧席まである。
階段を駆け上がれば、そこには宮兄弟のファンであろう女の子たちがいて賑わっていた。
手すりに近寄り覗き込むようにコートを見ると22-24と稲荷崎リードの終盤戦になっていた。

サーブは相手チームから。打たれたボールは稲荷崎一番のキャプテンの人が上げ、セッターの宮侑が銀島君へとセットアップをする。銀島君の強打は相手のリベロに拾われ、ボールが空中へとあがる。だが短く、次のセットアップが乱れる。ネットから近い距離、相手チーム四番の助走の出遅れ。上から見るとわかりやすいが平面状のコート内でそれに気づくのは難しい。でもその乱れを見逃さなかった角名君がブロックでボールを叩き落とし、試合は稲荷崎の勝利となった。

挨拶をし、一度選手がコートから掃ける。
そのまま角名君を目で追うと体育館の隅で汗をぬぐいながら宮侑と話をしていた。その時使っていたタオルが私のあげたもので嬉しくなった。見に来てよかったかも。

「彼氏大活躍じゃん」
「そうだね」
「きゃあ!治君こっち来たぁ」
「かっこいい〜!」
「さっきからかっこいい連発しすぎやない?」
「だって事実だし!それに男の子なら言われて嬉しいセリフでしょ」

次はメンバーを変えて試合をするのか角名君たちと入れ替わるように治君が準備を始めていた。
すぐそばにいた女の子たちはどうやら治君のファンらしい。彼がアップのためコートに入った瞬間黄色い声援が飛ぶ。その声に反応したのか治君と目が合ってしまった。なんとなく逸らすのも不自然かと思い軽く頭を下げる。すると彼は角名君のところまで移動してこちらを指さした。非常に嫌な予感がする。

「なんであんたは隠れてんの?」
「いや、なんかこうやって顔を合わすのは恥ずかしいというか」
「馬鹿じゃないの?何しに来たのよ!」

部員全員から角名君の彼女認定をされている手前、ほかの人に気付かれるのも恥ずかしい。それに私としては試合中の角名君と自分がプレゼントしたタオルを使っている場面を見られただけで充分なのだ。

「ほら、来たよ!」
「うわっ」

親友の馬鹿力により、襟首を引っ掴まれて強制的に立ち上がらされた。するとちょうど観覧席の真下にまで角名君は来ていて、私は親友に背中を押されるままギリギリまで身を乗り出した。

「来てたんだ」
「うん。あの、試合すごかった」
「他には?」
「えっと、かっこよかった」

先ほど黄色い声援を送っていた女の子達の会話を思い出す。
角名君はどんな反応をするのかと思っていたら顔を伏せてしまった。

「角名君?」
「いや、何でもない。宿題、終わらせるの時間かかったね」

宿題、という言葉を聞き依然彼としたやり取りを思い出す。そういえば、試合の感想を述べるばかりで一番シンプルで一番伝えたかった言葉を私は言いそびれていた。

「すっごくかっこよかった!」
「ありがとう」

後ろから親友に肘でつつかれ、そろそろ戻る時間だと教えてくれた。
角名君に小さく手を振ったら振り返してくれた。

にやける顔を引き締めて第三体育館を後にする。
今日は私から彼にメッセージを送ろうと思った。

そしてこれは後から知ったのだが、私と角名君とのやり取りは部員のほとんどの人が見ていたらしい。それを聞いて久しぶりに恥ずかし死にしそうになった。
でも角名君はそれを楽しそうに話していたので、やっぱり私はまだまだ彼のことが分からないなと思った。





日曜の今日は少し早く来てしまい、まだ部室の鍵は開いていなかった。
昨日の角名君たちの練習試合を見て感化されたものがあり、少しでも早くバレーがしたくなった。体育館の鍵も持っていないし、こんなことなら昨日戸締まりを申し出るべきだった。

バックの中からボールを取り出し、部室棟前の開けた空間でトスを始める。
一年の時に購入して、しばらく使用していなかったマイボールだ。

最近は一年生の練習に付き合うことが多いため、自分のやりたいことができていない。サーブだってもっと強く打ちたいし、トスの精度も上げたい。スタミナもまだまだ自信がないし、課題が山積みだ。

「なんや、早いやん」
「え?あっ」

不意に声を掛けられ、ボールがあらぬ方向へと飛んでしまった。でも、さすがは高校ナンバーワンセッターというべきかアンダーでボールを拾ってくれた。戻ってきたボールをキャッチすると、「なんでやめてまうの?」と不服そうに言われてしまった。

「どうしたの?」
「あんたと同じで早く来すぎてもうてん。鍵もボールもあらへんし、トスしとるんなら混ぜてや」
「いいよ」

同じセッターとしては身に余る申し出である。宮侑君とは彼女バレした時以来の再会でありまともな会話となれば今が初めてであるけれど、角名君に私のことを聞いていたらしく声をかけてくれたようだった。

「なぁいつも角名となに話しとんの?」
「バレーのこととかかなぁ」
「付き合っとるんやし他になんかあるやろ」
「急に言われても…逆に部活の時、角名君ってどんな感じ?」
「器用に練習サボりよる」
「……他にないの?」

高くもなく低くもないトスが一定の間隔で繋がる。
会話をしながらもぶれることなく続くラリーは心地よかった。

「そういや最近スマホ見てよくにやけとるよ。なに笑うとんねん言うたら彼女とケースお揃いだって自慢されたわ」
「っつ!?」
「おぉ!大ホームランやな!」

つい力んでしまい、ボールが再びあらぬ方向へと飛んでいく。ボールは地面へと落ち転がった。宮君は爆笑しながらボールを拾い上げ土を払いのけてくれた。

「ごめん…」
「おもろいわー角名がよく揶揄うわけや」
「何で知ってるの?」
「サムから聞いた」
「あぁ…」

彼らの中でしっかりと情報は共有されていたようだった。
それから追い打ちをかけるように、この前の練習試合で私が会いに行った後の試合はノリノリだったとか最近いつも同じタオルを使っているのだとか意味ありげな視線を送りながら教えてくれた。宮君はそれが誰のおかげか知っているから、わざとらしく私の表情を見ながら話す。

「宮君、もういいです…」
「あんたももっと惚気ればええのに。あと、宮君って呼ぶのやめてくれへん?呼び慣れへんくてむず痒いわ」

治君と全く同じことを言う。見た目は置いておいて、性格は割と違うのにこういうところで双子なんだと実感する。

「じゃあ侑君で」
「それでええよ。もう部室も空いたころやな、ほなまたな」

ボールをパスされ、彼は嵐のように去って行ってしまった。



その日の帰りは一緒に帰る約束はしていなかったのに、角名君はいつもの待ち合わせ場所に立っていた。五分待って会えなかったら帰るつもりだったらしい。私としては嬉しい偶然で、二つ返事で頷いて一緒に帰ることになった。

「最近女バレ頑張ってるみたいじゃん」
「うん。春高では全国大会出場を目指してるの」

全国大会常連の角名君の前で言うのは少し恥ずかしかったが、彼は嘲笑う人でもないから正直に話した。「偉い偉い」とやや棒読みに言われるがこれが角名君のいつもの調子なので馬鹿にされている感じはしない。寧ろ私はその言葉を素直に受け取り、朝にあった出来事を思い出し嬉々として彼に報告をした。

「あっそれとね、今日の朝、侑君に会ったんだ。ただトス練しただけなんだけど、やっぱりバレー上手だなって感動しちゃった」

欲を言えば彼のジャンフロも近くで見たかったが、いささかほぼ初対面の状態だったのでお願いできなかった。それに外だったし。次会った時に頼めばやってくるかな?と聞けば角名君からの返答はなかった。

「“治君”に“侑君”」
「どうしたの?」
「で、彼氏の俺は“角名君”。これってどういうこと?」
「え?」

私は角名君の言っている意味が分からず瞬きを三回も繰り返してしまった。

「俺は名前で呼んでもらえてない」
「あ……」

そういえば、確かに私は今も昔も変わらず“角名君”呼びである。
いやしかし、あの二人の場合は生徒のほぼ全員が下の名前で呼んでるから私も呼べるわけで角名君の場合はみんな苗字呼びをしているから私からしたらかなりハードルが高い。

「俺の名前、倫太郎っていうんだけど」
「知ってます……」
「“倫太郎君”」
「…倫太郎、君」
「そうそう」
「ごめん、やっぱ無理…」
「いや、頑張ってよ」
「頑張れない…」
「悲しい。最近あいつらとばっか仲良くしてるし」

「悲しいわ」ともう一言繰り返し、彼は前を向いて会話は途切れてしまった。
もしかして怒ってしまったのだろうか。確かに角名君の立場からすれば、名目上“彼女”である私の行動はよくなかったのかもしれない。それに、彼から見れば私が治君や侑君とこそこそ会話しているように見えたかもだし。

「倫太郎、ちょっと待って」

制服の裾を引っ張ると彼は足を止めた。
決して強く引っ張ったつもりはなかったのだけど。

「みんなの前ではさすがに無理だから、二人でいるときは倫太郎って呼ばせてもらってもいいですか?」
「…………」
「あの、他の男子は呼び捨てで呼ばないよ。だから、どうでしょうか…?」
「…………」

私、今ものすごく恥ずかしいことを言っているのでは?と頭の片隅で突っ込みを入れる。
しかしいくら待てども肝心の彼から返事はなく、私は視線を掴んでいる制服の裾から徐々に上げていった。
そうしたら目の前に黒い影が落ち、彼の手で視界が遮られてしまった。

「えっなに!?」
「いま、見ないで」

もしかして、照れてる?
そう確信した私はすぐに手をどかして彼の顔を窺おうとした。
今まで散々揶揄われてきて、ようやく私が彼に勝ったのである。いや、勝ち負けの問題でもないけれど。しかし、私は自分の羞恥など忘れてどうしても彼の顔を見たくなったのだ。

「なんで顔背けるの?」
「だから見ないでって」
「ねぇってば」
「ほら、行こう」

彼の手を掴んでいた私の手は、そのまま彼の指に絡まり離れなくなる。そしてぎゅっと握られてしまえば、次に顔が赤くなるのは私であった。ようやく目が合った彼は、なぜだかどこか勝ち誇ったように笑っていた。

「これは不意打ちすぎる…」
「先に仕掛けてきたのはそっちだし」
「倫太郎」
「…っ!」
「って名前、いい名前だね」
「………ありがと」

その一秒後、二人で大笑いしてしまった理由は今でも分からない。
でも私はその時、確かに幸せだったのだ。





先日、他校へ練習試合に行った。
春高の代表決定戦まであと一カ月半ということで練習試合が多く組まれることになった。

最近、私たちのチームは調子がいい。オポジットである親友も調子を上げてきているし、一年生のWSの子とも連携が合うようになった。MBのブロックの精密度には少し不安が残るが、二年のリベロが上手く繋いでくれている。チームとして悪くない。

そんな状況の中、なんと男子バレー部の黒須監督が私たちの練習を見てくれることになった。確かに男バレはすでにシードで春高への出場が決まっているから余裕がある時期かもしれない。けれど、そんなことは今までになかったことで私達としてはかなり嬉しかった。

倫太郎にそのことを話せば喜んでくれたのと同時に厳しい人だから頑張って、と苦い顔で応援された。

確かに黒須監督の指導は厳しかった。でも言われたことは全て的を得ていて必至になって練習についていった。
そしてプレイスタイルに対し一番口を出されたのは私であった。「判断に欠けるセッターはいらない」と言われたときはさすがに精神的に辛いものがあって泣きそうになった。

「大丈夫だって。今日の経験、本番で活かしてこ!」

練習後、見るからにへこんでいた私を親友は持ち前の明るさで励ましてくれた。後輩たちにも気を使わせてしまったらしく、優しい言葉をたくさんかけられて嬉しくもあり、けれど少し自分が情けなくなった。

それからは朝早めに来て、部活後はスパイカーの子たちと居残りをすることが多くなった。
だから最近では倫太郎と一緒には帰れていない。謝ればもちろん彼は許してくれるし応援してるからと言ってくれる。しかし、私としては申し訳なさが勝ってしまった。私は思っていたよりも恋愛に対して不器用で、恋愛と部活の両立はできないのかもしれない。



「おはようさん」
「侑君?!びっくりした」
「俺らの体育館まだ開いとらんの。寒いからここいさせてー」

そうは言うが、彼はちゃっかりシューズまで持ってきていたのでどうやら練習がしたいらしい。まだ他の部員が来るまで時間もあるし、人が増えたところで問題ない。
それにしても侑君は努力家だ。確かに才能はあるかもしれないけれどそれを磨く努力がなければあんな美しく的確なトスは上げられない。本人はそう言われるの嫌がりそうだけど。

「どうぞ。ボールも使っていいよ」
「おおきに」

彼とは距離を取り、手を温めるためにトス上げを始める。目標は百でそれが終わったらサーブ練をしようかと頭の中で練習計画を立てる。
視界の端に映った侑君もトスを上げており、私よりもはるかに高く回転のかけ方も美しかった。

お互いに黙々と練習し、侑君が片づけをし始めようとしたときに私は思い切って声をかけた。

「侑君はセットアップするとき何を考えてる?」

同じポジションの彼だからこそ聞いてみたかった。
侑君は一番近くにいる最高のお手本だと私は思う。

「俺が最高のトス上げたるから絶対ミスんなよって思うとる」
「かっこいい」
「せやろ」

黒須監督の言葉の意味をようやく理解する。
確かに、終盤になると私は仲間の顔色を窺い、疲れているのだろうと判断しトスは低めに上げていたかもしれない。それにオポジットにばかり負担がいかないよう気を使っていたところも今思えばあった。勝利を掴むためにはセッターに必要以上の情はいらないのだろう。でも、私にはそこまで割り切ることが難しそうだから個々に合わせた最高のトスを上げたいと思った。精度の高い絶対的なトスを。

「私、頑張るよ」
「そんならこの動画見てみ。男子選手やけどめっちゃ参考になるで」
「どれ?」
「これとーあとこれも。URL送ろか?」
「ぜひお願いします!」

侑君と連絡先を交換するため、メッセージアプリを開く。
その時、倫太郎から通知が来ていて思わずそれを開いてしまった。その時の私はそれどころではなく、既読だけつけてトーク画面を閉じてしまった。

『久しぶりに話したい。今日は一緒に帰れる?』

その返事を私が返すことはなかった。





代表決定戦まで残り二週間を切った。
最近では帰ったらすぐに寝落ちするような生活をしていたので倫太郎とは教室で顔を合わせる程度になってしまった。

そんなことが続いていたら、ある日彼は私の前の治君の椅子に座って話しかけてきたのだ。
教室ではそれこそ冷やかしの対象になりそうなので私たちはあまり会話をしない。まぁ勝手に私が気にしているだけでおそらくそんなことはないのだろうが、私たちの中ではそれが暗黙のルールだった。

「最近忙しいの?」
「ごめん、部活で疲れて帰ってもすぐ寝ちゃうの」

トーク画面には倫太郎のメッセージばかりが残り、私のものはずいぶんと前に遡らないと見つからないほどになっていた。

「でも侑にはちゃんと返事してるよね」
「え?」

確かに侑君と連絡先を交換してからは偶にやり取りをしている。でもそれはやっぱりバレーのことで、向こうが動画を教えてくれたり私が質問をしたりして二、三回のやり取りで終わる短いものだ。

「ごめん。同じポジションだから聞きたいことも多くて…」

別にやましいことをしていたわけではない。それに言うタイミングがなかっただけで隠していたわけではないのだ。

「別にそれはいいけど、俺にも連絡くれたってよくない?」

その時、私の中でプツンと何かが切れたのだ。
返事をまともに返さなかった私が絶対に悪い。そんなことは分かっているつもりだ。だけど、応援してくれるといったのに彼が私の気持ちを汲んでくれないことに理不尽にも腹が立った。

「今は何よりも部活を優先したいの」
「それは分かってる。でも、」
「私は多分恋愛するのに向いてないんだと思う」
「……何が言いたいの?」

彼からの告白を受けて、私は今までちゃんとした返事をしていなかった。
倫太郎のことを好きかと聞かれれば、多分好きなのだと思う。でも付き合いたいとは思わない。矛盾していることを言っている自覚はある。しかし、不器用な私は今バレーと恋愛どちらを優先するか聞かれてしまえばその答えは一つだった。

「別れたい」
「………あっそ」

席を立った彼の顔を、私は最後まで見れなかった。
しばらくすると再び、前の席の椅子が引かれる音がした。

「大丈夫か?ツムが朝練の時にあんたとやり取りしてんの角名にバレたゆうてたんやけど」
「大丈夫だよ。もう別れたから」
「は?」


涙は出なかった。
でも虚しさだけは残った。

その日、私は角名君の彼女をやめた。





付け焼刃で勝ち上がれるほど、甘い世界ではない。

春高予選はベスト4という結果で幕が下りた。
今までの成績からしたら躍進の結果であったと大人は言うが、私達はその結果という事実にひどく悔しい思いをした。

こんなことなら角名君と別れなければ…なんてことは思わない。
あの時の決断は私を一つ強くしたのだと信じている。

仲間とは一緒に泣いて、慰めあって、そしてまた頑張ろうと肩を叩きあった。



いつものように朝練を終え、教室へと向かう。
クラスの友達におはようと挨拶をし、席へと足を向ける。友達の隣の席は角名君でいつもは私より遅くに来るのに今日はすでに席についていた。

珍しいな、と思いつつも私はなにも言わなかった。もちろん、角名君が声を掛けてくることはない。互いに人付き合いが得意という訳でもなく交流関係は広くない。異性のクラスメイトに朝の挨拶をするほうがおかしなことなのだ。

椅子を引き席に座り、持ってきた教科書類を机の中に移す。鞄はいつも通り机の横に掛けようとしたところで何かが手に引っかかった。それを取り外すと見覚えのない紙袋であり、私は不思議に思いながらもその中身を確認した。

『大会お疲れ様でした。ずっともらってばかりだったから返します。角名』

二つ折りにされたメッセージカードと、ラッピングされた袋。
中にはパステルカラーの肌触りがよさそうなタオルが入っていた。

その時、私はようやく自分が馬鹿なことをしたんだと自覚した。
誰よりも私のことを応援してくれていたのが彼だ。しかし、私のことを好きと言ってくれた彼の気持ちを私は自分のことを優先して踏みにじった。


その夜、彼に連絡をした。
いまさら何を送ればいいのか分からなかった私は、タオルありがとうの短い文しか送れなかった。

しばらくしてスマホから通知を告げる音が鳴った。

『ずっと付き合わせてごめん。今までありがとう』

始まりは突然に、そして本当の終わりもあっけなかった。





私は不器用なくせにどうやら未練がましい女だったらしい。

一月初旬、春高二日目。
稲荷崎の初戦を私は東京まで見に行った。

対戦相手は宮城県代表の烏野高校という聞きなれない学校名であった。
試合は第三セットまで続き、三十点にも及ぶ長いデュースを制したのは烏野高校だった。優勝候補の一つとして呼び声の高かった稲荷崎は初戦敗退という苦い結果で終わった。

治君たちも含めて、みんな悔しそうな顔をしていた。
そんな中、角名君は顔色一つ変えずに整列をし荷物を持ってコートを後にした。
それを見て、私は急いで観覧席から抜け出した。

彼らがこの後どこに向かうのなんか知らないし、今さら角名君に会う資格などないことは分かっている。でも今彼を一人にしてはいけないのだと、そんなことを元彼女の私は気づいてしまったのだ。

会場を駆け回り、臙脂色のジャージを目印に探すが人が多いため簡単に見つかるはずもない。
スマホのアプリを立ち上げ、彼と連絡を取ろうか迷う。メッセージか、いやそれよりも電話の方が早いだろうか。少しでも迷えば今の気持ちが萎んでしまうような気がして、私はお気に入りのケースに入ったスマホを握りしめて通話ボタンを押した。

「っもしもし?」
『なんでいるの…?』

まさかワンコールで繋がるなんて思ってもみなくて、でもそれよりも驚いていたのは角名君だった。
角名君は『上見て』と短く言った。私が顔を上げ、ぐるりと見まわすと階段の上で私を見下ろす彼の姿があった。
通話を切り急いで階段を駆け上がる。久しぶりに角名君の顔をまともに見てひどく切なくなったのは、きっと私が彼のことをちゃんと好きだった証拠なのだ。

「びっくりした」
「試合、見に来たの。お疲れさまでした」
「どうも」
「あのね、さっきの試合で一番かっこよかったのは角名君だから。いいコース狙えてたし、ブロックだって正確だった。誰よりもかっこよかった」
「急にどうしたの?」
「悔しそうな顔してたけど、私は角名君に自分のこと責めてほしくなかった」

感情を表に出さなかっただけで、悔しくないわけがない。
インターハイ決勝の時だってきっとそうだったのだ。
いまさら彼女面したいわけじゃないし、角名君に許してもらおうだなんて思わない。でも貴方のことを一番に応援していたのは私だったんだと、知ってほしかったんだと思う。

「……向こうの眼鏡のミドル舐めてたわ。それに侍のやつのブロックのタイミング見誤った」
「うん」
「後悔はないはず。でもなんだろ、負けるのはやっぱ嫌だわ」

目元を手で覆った彼はそれ以上なにも話さなかった。
私はタオルを渡した。それは彼にもらったものだった。


彼の時間が許す限り側にいた。
だって私は角名君のことが好きだから。





春を迎え進級し、私達は三年生になった。

治君と角名君とはクラスが分かれ、その代わりというのも変な話だけれど今度は侑君と同じクラスになった。日々の生活でそこまで深く関わりあうことはないが、きっかけがあればつい長話をしてしまうような間柄。

放課後、明日からの夏休みに備え受験関係の本を図書室から借りた。三年生の夏を部活と受験の掛け持ちで過ごすなど相当大変だが親友と両立しようと約束したから頑張れそうである。
重い荷物を抱え部室棟へと歩いていると偶然会った侑君に声がかけられた。
いつも授業が終われば部室へ直行しているのに珍しい。そういえば彼は今日日直当番だったか。

「明日から夏休みかーそっちもそうとう練習試合組んどるやろ?」
「うん。念願の全国大会出場だからね」

侑君を見上げると少し背が高くなったように感じた。男子はまだ身長が伸びるので羨ましい。それと同時に月日の年月は早いものだとしみじみ思う。

「女バレは九年ぶりの全国出場やろ。黒須監督も喜んどったよ」
「ほんと?嬉しいなぁ」
「角名もやで」
「なんでそこで角名君が……」

春高の時に彼を応援するために東京まで行き、試合後には実際に会って会話もした。
でもその後、私達の関係が劇的に変わることはなかった。

そのことを親友に報告をすればドン引きされた。
「いやそれもう両想いやん。なんで付き合うへんの?意味わからん…」
私だって彼とは両想いな気がする。私があの時のことを誤れば許してくれるかもしれない。でもここまでくるともはやタイミングというかキッカケを失ったというか…
いつ行動を起こせばいいのか窺っていたらあっという間に三年生になっていたというのだから笑えない。

「また付き合うたらええのに。あんたら見とると飽きへんもん。あ、でも角名に惚気られるんはウザイ」
「結局どっちなの」
「まぁ俺はどっちでもええけどな。でもあんたと付き合うてたときの角名めっちゃ健気やってん。駅まであんた送ったり、外で何十分も待ったり」
「それどういう意味…?」
「角名は寮やろ?駅と方向逆やん。あといつだったか帰り一緒に帰るゆうて待ってたことが——」
「ねぇ、角名君って今どこいるか分かる?」
「え?あー……今日委員会で部活遅れる言うてたけど」
「ありがとう、じゃあまたね!」

私は回れ右をして駆けだした。
置いてきぼりにされた男子生徒Aは数秒後、廊下に響くほどの大声で笑っていた。
その声に背中を押され、私はもう迷うことなく突き進む。

そういえば私は角名君がどの委員に所属しているのか知らない。こんなことなら侑君に聞いておけばよかったと思う。仕方がないので一先ず彼のクラスを目指す。
しかしその教室もすでに施錠されており生徒の姿はなかった。もしかしたら入れ違いになってしまったと思い再び部室棟へと足を向ける。

少し先の曲がり角、久しぶりに見る彼の後ろ姿。
背が少しだけ伸びたように思えるその背中に、私は躊躇うことなく声を掛ける。
驚いて足を止めた彼の元へ小走りに向かった。でも拒否されるのが怖くなって数メートルの距離は開いたままだ。
ちょっといい?と声を掛ければ、彼は「うん」と頷いた。

「あの時、角名君の気持ち考えずに別れようって言ってごめんなさい。自分勝手な行動だった」

不器用な私は全てのことを正直に話そうと思ったし、謝ろうと思った。それに、今更取り繕ったところで角名君には全て見透かされてしまう。

「……初めに勝手なことしたのは俺だよ。あんたは好きでもない俺の我儘に付き合ってくれただけでしょ」

角名君は悲しい顔をする。私が彼に別れを告げた時と同じように顔を逸らされた。

「確かに初めは角名君のことクラスメイトとしか思えなかったし、特別好きじゃなかったと思う。でも私は角名君との約束守ったよ」

彼は首をかしげる。
角名君にとっては会話の一部だったかもしれないけれど、私の中であの言葉は約束でもあったのだ。
私は彼と付き合ってから毎日考えていた。何度も自分の気持ちに問いかけて、考えて。結局失ってから気付いたけど、だからといってそれを過去のことと話すには私にはまだ早い。

「角名君のこと好きになった。それで、今も好き」

告白するのは緊張する。でも、想像以上に私の頭はクリアだった。
私は確信をもって好きだと言える。もう迷う必要性などないのだから

「ずっと言えなくてごめんなさい」
「うん」
「自分勝手だけど、返事もらえないかな。すぐじゃなくてもいいから……」
「うん」
「角名君…?」

数メートル開いた彼との距離が、一歩に二歩と詰められる。
思わず後ずさりそうになったら腕を掴まれた。びっくりしたけど痛くはなかった。

「俺さ、思ったより嫉妬深いみたいだし、割と捻くれてると思う」
「うん」
「表情も乏しいし何考えてるか分りづらい」
「うん」
「別れた後もスマホケースは変えらんないし、タオルは今も大切に使うような女々しい男だけど」

一呼吸おいて、目があった。
彼が意外と嫉妬深いということは学習済み、表情が乏しいこともすでに知っている。私だってスマホケースは変えられないし、貰ったタオルは大切な試合の時だけ使う特別なものになっている。

「好きだよ。それは今も変わんないし、俺が一番あんたに可愛い顔させられる自信はある」
「なにそれ」
「その顔だって」

互いに笑いあったのは何時ぶりか。でも別にもうそんなことはどうでもいい。
だってこれからは何度も一緒に笑いあえるのでしょう?
でもいつも笑わせられるのは悔しい。

「また倫太郎って呼んでもいい?」
「っ……なんでわざわざ聞くの?」
「名前で読んだら照れてくれるかなって思って」
「性格悪い」
「倫太郎に似たのかも」

私が勝ち誇ったように笑えば角名君はそっぽ向いてしまった。
なるほど、これが可愛い顔というやつか。

でも彼の方が上手であることは変わらない。
倫太郎は腕から手を放し、私の指先を軽く握った。

「今キスしたいって言ったら怒る」
「お、怒る…!」
「じゃあハグは?」
「無理です…」
「いつならしてくれるの?」

つつ、と握られていた指先が彼の指と絡まる。

「倫太郎が今日の部活の練習サボらなかったら」
「それ言ったの治か?いや、侑の方か……」

わずかな隙を突き、するりと彼の手から自分の手を抜き出す。
さすがにもう部活に行く時間だ。それにこれ以上一緒にいたら離れがたくなってしまう。

「秘密だよ」
「まあいいけど。でも、今の言葉絶対忘れないでよ」
「わかった」


部活後が待ち遠しい。
だから私は練習前に急いで侑君にメッセージを送っておいた。

『今日の練習サボらないように倫太郎のことしっかり見ててほしい』
『え、倫太郎ってどゆこと?しかも急になんで??』
『彼氏がサボると今日ハグができなくなっちゃうから』

私なりの意味不明な惚気は侑君にもしっかりと伝わったらしい。
今日の部活では部員全員にめちゃくちゃにされどつかれたのだと、彼の腕の中で報告を受けた。まぁ私は恥ずかし死にして半分以上頭に入っていなかったが。


あの日の告白の返事を、私は結局一年も待たせてしまったのかもしれない。
でも、もう曖昧な関係じゃない。


私の彼氏は、角名倫太郎です。


◇ ◇ ◇


そうだ、告白しよう。
そんな某旅行会社のキャッチフレーズのような言葉が浮かび、俺はそのまま行動を移した。

高校一年、バレー推薦により進学したのは兵庫にある稲荷崎高校。
初めての地で、家族も知り合いもいない土地で生活するのは想像以上にしんどかった。寮というなれない空間、食事も味噌汁の味一つとっても違う。そして何よりも聞きなれない方言に酔いそうになる。俺ってこんなメンタル弱い人間だっけ。

入学して数日、何の授業かは忘れたがグループになって話し合いレポートを提出するという課題が出された。グループはそのときの席順で勝手に決まり、五人の机を向かい合わせたとき初めて彼女に出会った。

別に、どこにでもいそうな普通の人。
それが彼女の第一印象。

そのグループ学習で一人やたら出しゃばる男子生徒がいた。早口で喋り、あまり周りが見えていない熱血系の奴。俺が一番苦手なタイプ。他のメンバーも正直引いてたし、皆適当な相槌を打って早く課題を終わらせてしまおうという雰囲気ができていた。

でもそんな中、彼女だけは頷きながらもそいつの言ったことを声に出して復唱しながらメモを取っていたのだ。
ただ彼女が真面目なだけだったかもしれないし、後のレポートを楽にするためだけの行為だったかもしれない。でも、どうにもその行為が皆に伝わるよう解説していたように思えて俺は純粋にいい人だなって思った。

「さっきは助かったわぁ。あいつの言うてることいっこも分からへんかったんやんな」
「あの人とは中学一緒だったんだ。悪い人じゃないんだけどね」
「そうなんや。ってか地方出身ちゃうんやな。話し方的にそうやと持っとった」
「両親が関東出身だからかな。生まれも育ちもこっちだけどね」

授業後、同じグループメンバーだった女子とそんな会話をしている彼女がいた。
別にそのとき自分が彼女となにか会話をしたわけではなかったけれど、妙に印象に残った。

それからは偶に用があれば話す程度。バレー部という共通点はあれど、特別親しくもない。
俺も彼女もそこまで交友関係も広くなく、共通の知り合いみたいのもいなかったし。
でも、目があえば軽く会釈をしてくれて、挨拶をすれば二、三言話す間柄。悪くはない距離感だったと思う。

二年で再び同じクラスになった時も、また一緒かーなどという感想を頭の中で述べた程度だった。
しかし、二組と合同で行った体育後の男子更衣室での会話で、俺は自分の気持ちを自覚することになる。

「あの子可愛ない?一組の身長高めの女子」
「あー女バレの人やん。可愛いちゅうか美人系じゃね」
「さっきな、俺が飛ばしたボール取ってくれてん。その時微笑みかけてくれた」
「うわ、幻想乙」
「喧しい!彼氏おるんかな。彼氏候補に俺どうやろ」
「知らへん。せやけど押し弱そうやったさかい案外いけるんじゃね」

彼女がそいつと二人でいるところを想像して、俺は嫉妬した。
その感情に自分でもびっくりして「嘘だろ」と独り言を漏らせば、隣にいた治に「パンツ忘れたんか?」と聞かれた。違う、そうじゃない。

だからと言って気持ちを自覚してから、彼女と親しくなるために何か行動を起こしたわけでもない。少しだけ目で追う頻度が増えただけ。


しかし、どうだろうか。


夏休み前最後の登校日。
偶然彼女と鉢合わせた。

そのときに、直感的に「今だ」って思った。

その時、振られたらどうしようとかそんな後先も考えずに告白をした。


そしてまさか付き合えるとは思っていなかったし、俺自身あんなに彼女に執着するだなんて思ってもいなかった。


「角名君のこと好きになった。それで、今も好き」


そして、彼女にこんなにも愛されるだなんて思ってもいなかったのだ。