両片想い進行中

掲示板の前を通り、ふと足を止める。
貼られていたA2サイズのポスターには夜空に咲いた大きな花火が写されている。七月に入り掲載されたそれを見て、もうそんな時期かと一人納得をする。八月下旬に行われるその花火大会はこの辺りでは一番大きなお祭りだった。

「先輩、なに見とん?」
「うわぁっ?!」
「花火大会?そういえばそんな時期でしたね」

ぼーっと見ていたのがいけなかったのだろう。驚いて振り返れば部活の後輩である銀島君と角名君の姿があった。二人ともブリックパックを飲んでいるところを見ると裏庭の自販機まで行ってきたようだった。

「去年はみんなで行ったなぁ」

銀島君の言う通り、去年は部活が終わった後再び現地集合してみんなで行ったのだ。みんなと言うのは稲荷崎男子バレーボール部のメンバー達のこと。初めは現二年生である銀島君、角名君、侑君、治君とで行くはずだったらしいが私が誘われ北君や尾白君、赤木君に大耳君も加わり大所帯になって行ったのだ。

「そうだったね、懐かしい」
「あの時、尾白さんが外国人観光客に声掛けられて笑ったよね」
「せやったな!『オレ エイゴ ハナセナイ』って日本語で答えとったのめっちゃ笑うたわ!」

男バレはみな仲がいい。それは学年や性別問わず。唯一の女子部員でマネージャーである私にも何かあれば声を掛けて誘ってくれる。

「今年もみんなで行こうや!」
「いいね」
「いや、ダメでしょ」

角名君が飲んでいたカフェオレのブリックパックをパコっと潰した。
えっもしかして私嫌われてる?とややネガティブ思考に陥ってれば隣にいた銀島君も「せやったわ」と納得し始める。普通に悲しいのですが……

「そうだよね…うん、今年は男子水入らずで楽しんできて」
「えっそういうつもりで言ったんじゃないんですけど。というか去年邪魔したの俺等だったじゃないですか」

角名君の言葉に首を傾げれば、銀島君が捕捉するように口を開く。

「本当は二人で行くつもりやったんやろ?俺ら気づかんで侑達と騒いですんませんした」

しかしそれは補足でもなくただの謝罪だった。
いよいよ訳がわからない。

「ちょっと待って、どういう事?私は去年みんなと行けて楽しかったよ。それに二人でって誰のこと?」

次に首を傾げたのは後輩二人だった。そのシンクロ率に少し笑いそうになってしまったが二人は至って真面目な顔をしている。

「先輩それマジで言ってます?」

マジも嘘もないわけで、私は曖昧ながらもこくりと頷いた。しかし今だに状況は把握できていない。
角名君と銀島君が顔を見合わせて、そしてやや言いづらそうに銀島君が口を開いた。

「北さんと行くつもりやったんやろ?」
「へ……?」

なんで北君が………いや、でも本音を言えば北君と二人で行きたかったのだ。
私はもう長いこと同じ部活の北信介に片想いをしている。

「だってお二人付き合ってますよね」
「えっ」
「去年はなんも考えずに先輩誘うてもうて俺等も反省したんや」
「いや、」
「まぁ元はと言えば侑が先輩と行きたいって我儘言ったせいですけど」
「あのっ」
「治も一緒になって誘っとったもんなぁ。結局北さんも巻き込んだけど」

私の声は二人に届かず、そして脳内はパニック状態だった。
いつからどうしてなんで私が北君と付き合っているということになったのだろうか。そうなれれば本望なのだが生憎いまも片想いだ。

「私、北君と付き合ってないよ」
「「は??」」

二人はパチパチと瞬きを繰り返し、私も一緒になって瞬きを繰り返した。どうやら互いに混乱中らしい。

「いや、先輩達よく二人で帰ってるじゃないですか」
「家の方向が同じだからだよ」
「よお二人で話してますよね?」
「それはマネージャーとキャプテンとして話してるだけ」

二人は顔を見合わせて、そして盛大な溜息をついた。私の答えは二人の希望に沿わなかったらしい。しかしこれが事実である。

北君とは一年の時に同じクラスで、ある出来事をキッカケに話すようになった。二年でクラスが分かれても部活は同じわけだから疎遠になることもなく交友関係は続いた。そして彼がバレー部のキャプテンとなり、業務的なやり取りのため部活中でも一緒にいる機会が増えたというだけのこと。

北君のことが好きな私としては理由がどうあれ一緒にいられる時間が増えれば嬉しい。でもきっと北君からしたら私と話すこともただの日常の一部に過ぎないのだろう。

このまま後輩二人に勘違いされたままでは北君に迷惑が掛かってしまう。だからはっきりと否定はしたのだが伝わっただろうか。

「絶対嘘だって」「お互い気付いてないんちゃう?」「でも北さん俺達が先輩と話してると見てくるじゃん」「先輩も北さんのこと目で追っかけとるしな」

私に背を向けコソコソと話し出した二人。その内容までは聞き取れないが分かってくれたと信じたい。
後輩たちの姿を視界の端に移し、もう一度と壁に貼られたポスターを見る。

高校生活最後の花火大会。
北君と二人で、なんて贅沢は言わない。
でも、せめてまた一緒に花火を見れたらいいなと心の中で呟いた。





いつも通り今日の練習メニューを頭の中で復唱しながら体育館へと踏み入れると同じ顔した二人に迎えられた。

「センパーイちょっとお顔貸して頂いてよろしいですかぁ?」
「俺たち話がありまーす」

どうにもおかしな日本語だがこの二人の場合は気にする必要はない。稲荷崎で、いや高校バレーボール界でも有名な宮兄弟である。

私がいなすように「はいはい」と返事をすれば先に声を掛けてきた侑君に腕を掴まれ体育館の端へと連れてかれた。また何かしでかして北君に怒られる前に助けを求めに来たのだろうか。そういうことはよくある事だった。

「今日、角名達に聞いてんすけど先輩等付き合ってないって本当ですか?」

本日二度目の話題にドキリとするがさすがに今回は顔には出さなかった———と思っていたのだがやはり顔に出ていたらしい。治君にせっつかれた。

「別に隠さなくてもええですよ。今さら冷やかしたりしいひんし」

違う違う。なんで後輩達はこんなにも勘違いしているのか。誰かデマでも流しているのかと疑いたくなる。しかしそんな非道な人間はこの部活にはいない。

「私に彼氏はいないよ」

そしたら同じ顔と同じ表情で私を見てきた。

「何でそんな噂が流れてるのか不思議なくらい」

続けて伝えれば二人は角名君達と同じ事を言い出した。
確かに私が北君と二人で帰っていればそう見えたかもしれない。でもそれには理由があるのだ。

私は高校になって兵庫に引っ越してきた。新居は住宅街のど真ん中にあって、方向音痴且つ似たような道が入り組んだ場所で私は入学早々家に帰れず迷子になった。そんな時、当時同じクラスだった北君に出会い家まで送ってもらったのかキッカケだ。
さすがに今では一人で帰れるが家が近いのとうちの周りに街灯が少ないため、時間が合えば一緒に帰るようになったというだけのこと。

「だからみんなの勘違いだよ」
「じゃあ先輩の気持ちはどうなん?北さんのこと何も思っとらんの?」

侑君のその聞き方はずるい。
でも私は自分の気持ちを北君に伝えるつもりはないのだ。

理由としてはやはり同じ部活だからというのが大きい。振られたとしても毎日顔を合わせるのだ。私のメンタルが持たない。

「大切な仲間だよ」

そして万が一、お付き合いができたとしても他の部員が気まずい思いをしそうである。
部員達は皆、勝つために日々努力をしているのだ。その邪魔になるような私情を持ち込みたくはなかった。

「でも向こうはどう思っとるか分からんやん」

治君の疑問の意味が私には分からない。
北君から見ても私はきっと部員の一人である。そこにマネージャーというオリジナルの肩書きがついたとしてもそれ以上の何かはないだろう。
だから、結局告白をしたとしても答えは出ているのだ。

「何を寄ってたかってマネージャー取り囲んどるんや」
「「「っ!?」」」

高身長な二人の間から顔を出したのは北君だった。
別に悪口を言っていたわけではないのだが先程の会話が聞こえていたのではないかとドキリとする。

「北さん?!いや、先輩に今日の練習メニュー聞いとっただけです」
「せや、最近練習試合多いから組み合わせが気になったんです」

北君はいつも通り感情の読み取れない顔で二人を見ていた。そして次に私へと目を向ける。共犯という表現はおかしいけれど、二人に助け舟を出すことにした。

「そうそう。先に聞かれたから二人に教えてたの」
「そうか。せや、今日は自分塾ない日やろ?」
「えっうん。そうだけど……」
「帰り送るわ、校門で待っとって。ほんで侑と治は早よアップしいや」
「「はい!!」」

今までは何となく帰り道に会ってそのまま一緒に帰ることがほとんどだった。でも今日は面と向かって誘われた。びっくりして、でも嬉しさの方が勝って心臓を脈打つ音が早くなる。だからなのか唐突に言われた言葉に、私は返事を返しそびれてしまった。でもこれは、おそらく決定事項だ。

「うわぁマジか……」
「おっかないわー」

私の脳内はかなり浮かれていたのだが傍にいた二人は私と真逆の反応をしていた。
今日の北君にはそこまで圧がないように思えたのだが二人にはだいぶ堪えたらしい。

「もう部活始まるよ。ほら準備して」

顔面蒼白になりかけている侑君と治君の背中を叩く。私は二人に喝を入れ、準備のため北君を追いかけるよう駆け出した。


「あれって俺等への牽制やん」
「今日の練習は後頭部守っといたほうが良さそうやな」
「俺は北さんと敵チームなる方が怖い」
「それもそうやな」


そんな会話が後輩達の間でなされていたことは、もちろん私の知るところではなかった。





夏休み前の期末テストが終わった。そしたらそのまま席替えをすることになった。ただでさえ受験という息が詰まる日常に、気分転換をかねてやろうという担任の計らいだった。

「おっ自分もしかして前の席か?」
「そうだよ。なんだか後ろに赤木君がいると安心するね。さすがリベロ?」
「ファーストタッチは任せろ!…って教室でボールは飛んでこうへんやろ!」

私の席は廊下側の後ろから二番目。そしてその後ろは同じ部活の赤木君だった。
三年生の時点でクラスは特進科と普通科に分かれる。文系特進クラスを選択した私は部内で唯一赤木君と同じクラスになった。

「この後、先日の模試が返ってくるんだっけ?」
「おん、俺が全然できんかったやつや……」
「私も。数学の点数見るの怖い」
「あと化学もやわ。それにしてもテスト模試テスト模試で頭おかしなりそうや」

机の上で項垂れた赤木君を見て私もそう思った。
期末テストが終わったと思えば、いつ受けたのかも覚えていない模試が返ってくる。そしてその解説のために午後にも授業が行われることになった。まぁ勝負と言われる高校三年の夏なのだから仕方のないことでもある。

「あ、居った。なんや席替えしたん?」
「北君?」

横向きに座り半身を捻って赤木君と話していた私が先に気が付いた。
教室後方の扉から北君が顔を出しており小さく手を振られた。今もだけど廊下であった時とか中庭から偶々二階にいる北君と目があったりしたとき、彼は私に手を振ってくれる。控え目で、周りの人からは分かりづらいその挨拶が私は好きだった。私達にしか分からない秘密の合図みたいで、ちょっとだけ彼の特別になれた気がするのだ。

「北、どしたん?」
「彼女に借り取った参考書返そ思て」

北君の手には先日貸した参考書があった。それは私が塾で使っているもので世界史が分かりやすくまとめられていると伝えたら見たいと言ったので貸したのだ。

「部活の時でもよかったのに」

席を立ち、赤木君の後ろをぐるりと回って北君の元まで行く。

「この後もしかしたら使いたなるかと思て」

確かに模試解説の時にあった方が便利なのかもしれない。でもその時は大抵板書をするのに精一杯で参考書を捲る暇はないのだ。でも北君は気を利かせて持ってきてくれた。こういうところに彼の誠実さが垣間見える。

「そっか。わざわざありがとう」
「こちらこそ。あとこれお礼」

参考書と共に掌サイズの包みが載せられた。リボンも付けられた透明な袋からはピンクと白の可愛らしい色合いが覗いていた。金平糖だ。

「ただ貸しただけなのに申し訳ないよ」
「大したもんやないよ。それに勉強には糖分が必要やろ」

チョコレートではなく金平糖を選ぶのが北君らしい。まぁ夏だからチョコだとすぐに溶けることを考慮してくれたのかもしれない。

「ありがとう。大切に頂きます」
「おん。それとまた数学のノートも貸すしいつでも声掛けてな」
「うん。そうさせてもらうね」
「ほなまたな」
「また部活でね」

ばいばい、と小さく手を振る。そしたら振り替えしてくれた。私たちの距離は数十センチしかないのにね。でもこの秘密の合図はどうしても使いたくなってしまうものなのだ。

「なぁいつもあんな感じなん?」

視線をやや下に動かすと赤木君がぽかんと口を開けて私の事を見ていた。

あんな感じとは北君とのやり取りのことなのだろうか。赤木君には驚かれてしまったが私達の間で物の貸し借りは頻繁に行われる事だった。受験となった今でこそ参考書になってしまったが、元を辿れば私が漫画を貸したのが始まりだった。

いつだったか、私の好きな漫画が実写映画化することになりそれを北君に伝えたら原作も読んでみたいと言ったのだ。少女漫画の恋愛ものだし、今思えばそれは社交辞令だったのかもしれない。でもそれを馬鹿正直に受け取った私は次の日に全巻北君に貸した。

そしたら今度は北君が読んでいた恋愛小説が映画化することになった。彼の話してくれるあらすじを聞くだけで興味がわいて「私も買ってみる」と言ったらなんとそれを貸してくれたのだ。その日、私は初めて北君の家まで行った。当時は彼のことを意識していなかったけれど、今となっては飛び上がって喜ぶほどのイベントだ。もっと部屋の中を良く見ておけばよかったと今でも少し後悔している。
ともあれ、それを機に参考書やノートの貸し借りを行う仲になったのだ。

「参考書とかの貸し借りはよくするよ。私、数学苦手だから北君のノートすごく助かるんだよね」

北君がいる七組は理系特進クラスである。そしてその中でも成績上位な彼のノートはとても見やすく分かりやすくまとまっている。因みに七組には大耳君もいる。

「いや、ちゃうねん。なんやろ…こう、むず痒いというか……なんか空気がちゃうねん!」

赤木君の言っていることはいまいち理解できない。そして何故だか悶絶するように頭を抱えてしまった。

「大丈夫?」
「銀達が言うとった意味分かったわ」
「うん?」

よく分からないが曖昧に返事はしておいた。
私も席に戻り参考書を鞄の中にしまう。

「俺が言うのもあれやけど、なんや、まぁ…頑張れ」

赤木君の口ぶりに、もしや北君が好きなことがバレたのかとドキリとする。
付き合っているというデマではないだけ北君には迷惑が掛からないのでいいのだけれど、ちょっと恥ずかしい。

「ありがとう……」

こちらとしては隠しているのに私はそんなに分かりやすいのだろうか。
火照った顔を隠しながら小さくお礼を言った。





夏休みに入り部活も全国大会に向けた本格的な練習が始まった。
マネージャーである私もスコアノートを取ったり水分補給のためのドリンクを作ったりと慌ただしく過ごしている。なんせマネージャーが一人しかいないのだからしょうがない。

「お疲れさん」

今日も丸一日練習付けの部活が終わり、水道でドリンクのボトルを洗っていたら声が掛けられた。
視線を上へ上へと移動させると部内でも一等背の高い大耳君がいた。

「大耳君もお疲れ様」
「いつもドリンクやスコアボードの準備ありがとな」

大耳君は高身長とそのお堅い表情のせいで怖がられる事が多い。かくいう私も入部当初は彼のことが少し怖かった。でも話してみればとても気さくでサラッとお礼まで言えてしまうようなめちゃくちゃ良い人だった。

「私にはこれくらいしかできないから」
「いや、君が頑張ってくれとるから俺等も練習に打ち込める」
「それならよかった」

大耳君は肩にタオルを引っ掛けて水で顔を洗っていた。

そこで私はふと気が付いて辺りを見回した。遠くから掛け声やボールが床を叩く音が聞こえるが辺りには誰もいない。
これはチャンスだと思い、洗い終えたボトルを籠に戻して大耳君に声を掛けた。もちろん彼が顔を拭き終わったタイミングで。

「どうした?」

あくまで一方的ではあるが私は大耳君に信頼を寄せている。もちろん部活の人は皆いい人ではあるけれど大耳君に至ってはさらに口が硬いのだ。

二年生の時だったか、尾白君がテストで赤点を取り再テストで合格点を出さないと一週間放課後の補習授業に出なければならないというピンチに陥ったことがある。当時、北君はキャプテンでもなかったけれどやはり一目を置かれていた。赤点を取ったからと言って北君が怒ったりすることはないが、尾白君のなんとなく知られたくはないという気持ちは理解できた。そして偶然、彼の点数を知ってしまった私と大耳君は北君にはバレないように尾白君の勉強を手伝った。その時の経験もあり、大耳君の口の堅さと信頼に一目を置いている。

「あの、私と北君って何か噂になってたりする……?」

だから最近の気になることについて聞いてみることにした。大耳君なら変に周りに言いふらすこともないだろう。

「え……」
「いや、なんか最近二年生に色々言われたからどうなのかなって…!」

割と恥ずかしいこと聞いちゃったなと思い、言い訳のように付け加える。

「あー……まぁ仲ええなって皆思っとるだけやないか?」

大耳君の返事もやや煮え切らないがそれならそれでいい。二年生達が騒いでいるだけなら北君の耳にも届かないだろうし。

「そっか。変なこと聞いてごめんね」
「俺は別にええんやけど何かあったん?」

私としては噂の真意を確かめたかっただけだったけれど思いのほか心配されてしまった。というのも、大耳君としては何で今さら聞いてきたのか分からないといったようだった。

「二年になって…ちゅうか一年の終わり頃から特に親しくなってたやろ」


確かにあの頃、私に心境の変化があった。
北君が読んでいた恋愛小説が映画化し、それを見に行かないかと誘われたのだ。
貸してもらった小説を読み、確かに私も見に行きたいと思っていた。でも平日も土日も部活がありクラスの友達とは予定が合わないので諦めていたのだ。
私でいいのかとも思ったが、「男一人では行きづらい」と言った彼と一緒に見に行くことになった。

映画自体は原作とはやや違ったものの、それでも感動できるもので私は大満足だった。
いつも通り二人で歩く帰り道、前に伸びる自分の影を見ながら一生懸命話をしていたら北君がじっとこちらを見ていることに気が付いた。
ひとりで話しててうざかったのかな、と心配になっていたら彼が「君と一緒に見れてよかった」と言ってくれたのだ。

別に、何てことのない一言。
北君にとって私は恋愛映画を一緒に見に行ける女友達に過ぎないのかもしれない。
でもそんな彼の言葉に私は一瞬にして舞い上がり、そして恋心を自覚したのだ。


「いや、ええっと……うん」

その時のことを思い出し言い淀む。
恋心を自覚し一年以上、でももしかしたら好きだった期間はもっと長いのかもしれない。まぁ実るような恋ではないけれど、好きの気持ちは抑えられない。

「まぁ俺としては応援しとるからな」
「えっ!?」

大耳君の爆弾発言に猫が胡瓜を見つけた時並みに飛び上がってしまった。そうしたら喉を鳴らして笑われた。
気持ちは抑えられなくとも何か行動を起こしていたわけではない。部活でも私は他の部員と等しく平等に北君に接してきたつもりだ。
でもこの場合の応援ってそういう意味だよね…?

「あ、あのっもしかして私が北君のことが好きなの気付いてた………?」
「あぁ」

私はその場に崩れ落ちた。そしたらお次は声に出して笑われた。大耳練、恐ろしい男である。

「なんで…というかいつから?」
「俺は二年の秋合宿の時に何となく気付いたな。ほら夕飯後に———」

去年、稲荷崎はシード校として春高に出場した。シード校となると予選が行われる秋は暇になるわけでその年は二泊三日の合宿が組まれたのだ。
一日目の夕食時間、私達は固まって食事を取っていた。それも終わりみんなが食堂を後にする中、北君と大耳君は二人で食後のお茶を飲んでいた。

「そんとき侑が俺らに『老夫婦みたい』言うたとき、自分絶望的な顔でこっち見とったで」

あぁ…確かにその言葉に私はショックを受けていた。大耳君に嫉妬するなんておかしな話だけれど夫婦に勘違いされるなんてちょっといいなと思ってしまったのだ。

「そんなに私って分かりやすいでしょうか……?」
「いやそれで確信した訳やないけど、その後もなんとなく注意しながら見とったらまぁそうなんかなって」

頭から水を被りたいくらい顔が熱くなった。割と隠し通してきたつもりであったがまさかバレていたとは……私は明日からどんな顔をして部活に出たらいいのだろうか。

「お願い!誰にも言わないで!!」
「もちろん言わへんよ」
「本当に、絶対に、お願いします!」
「分かったって」
「なんやえらく盛り上がっとるなぁ」

ひぃぃい!!
発狂を心の中で収め後ろを振り返ると北君がいた。タイミングよく来るなんて心臓に悪すぎる。
そんな私と北君を交互に見ながら大耳君は笑っていた。笑わないでよ、北君にバレちゃうじゃない。

「北、お疲れさん」
「お疲れ。二人が一緒におるなんて珍しい組み合わせやな」
「そうかな?あ、水道使う?今退けるね」

スペースを作るため置いてあった籠の取っ手を掴んだら、その上に北君の手が重なった。びっくりして今度は本当に叫びそうになったが寸でのところで吞み込んだ。今日の私は我慢が出来てえらいな、と頭の隅で自分を称賛する。

「いや大丈夫やで。スコアノート見たくてどこあるか分からんかったから聞きにきてん」
「あ、えっと、か、監督に…!黒須監督が次の他校との練習試合の参考にしたいからって言って持ってったの」

しかし動揺故のどもりは中々にひどい。コミュ障丸出しの話し方である。
大耳君は表情こそいつも通りにしているが、おそらく心の中では今も笑い続けているのだろう。

「ほな明日見させてもらうわ。それと、これはもう洗い終わっとるん?持ってくわ」

私の手からするりと籠の取っ手を奪い持ち上げた。もう中身は入っていないので籠自体は軽い。

「悪いからいいよ、大丈夫だから」
「いつも一人で頑張ってくれとるやん。偶には手伝わして」

歩き出してしまった北君に、どうしようか迷っていれば大耳君に肩を叩かれた。何も言われなかったがその顔を見れば「追いかけろ」と書かれている。だから彼に、さっきのこと誰にも言わないでねと念押しして北君の後を追いかけた。


「俺が先に気ぃ付いたんは自分やなくて北の方になんやけどな」


大耳君の独り言は当然私の耳には届かなかった。何故なら目の前の背中を追いかけるのに必死だったのだから。

北君に追い付いて、私が持つと申し出る。でも北君は自分がやると譲らなかった。なんだか今日はやけに頑固だ。そうなれば私も引くに引けなくなり、しばらく押し問答が続いた。
結局北君は譲らなくて、でも私もいい顔をしなかったので妥協案が提示された。

「俺がこっち持つから君が反対側持って」

籠の取っ手を左右片方ずつ持つということに落ち着いた。しかし私の心臓は何も落ち着いていない。明らかに効率性の欠いた持ち方に、きっと北君だって折れなかった私に仕方なく付き合ってくれたのだろうと思った。でも———

「二人で持つと楽やね」

笑ってそんなことを言われてしまえば同意するしかない。
北君がそういうことをする度に、私は何度も恋に落ちてしまうのだ。





全国大会まで残り一週間を切った。
一日一日を大切にしつつ監督の指導の下、レギュラー選手の調子を整えていく。

そんな日々練習に打ち込む選手達のために父兄の方からアイスの差し入れを頂いた。クーラーボックスいっぱいにアイスキャンディーが詰められている。
部員一同お礼を言い、私はそれを部員達に配った。休憩もかねて皆がそれを食べ始める。渡しそびれた人がいないか、確認のため体育館を見回した。その時、体育館端で蹲る一人の部員が目に入り私は慌てて彼の元まで走っていった。

「ねぇ、大丈夫?」
「先輩…?あの、俺……」

今年入学した一年生だった。どちらかといえば色白な子だけれど、彼の顔はやけに赤かった。そして手の指がわずかに震えており視線も合わない。

「どうしたん?」
「具合が悪いみたいで…熱中症みたい」

側を通った北君が声を掛けてくれて事情を説明する。彼もしゃがんでその子の様子を見てくれた。
体育館には五台ほどの大型扇風機を設置しており窓だって開け放っている。それでもクーラーなんてものはないわけで気温自体は高いのだ。こまめな給水を取っていたとしても練習疲れから体調を崩す部員も多い。

「悪いけど赤木呼んできてもろうてええ?それと先生にも声かけて」

北君の言葉通り、私は急いで赤木君を呼んで手伝いをするようお願いした。そして先生達にも知らせ彼を保健室で休ませる許可も貰った。
保健室の先生に診てもらうとやはり熱中症だった。でも症状は軽くしばらく寝ていれば良くなるだろうとのことだった。

北君と赤木君には部活に戻ってもらい、私は他の一年生に彼の荷物を持ってきてもらうよう頼み保健室で付き添った。
一時間ほど仮眠をとった彼の顔色も幾分かマシになっていた。保健室の先生ももう大丈夫と言ってくれて、その頃には外の日差しも和らいでいたので早めに帰らせた。

私が体育館に戻る頃にはすでに部活自体は終わっていて、皆が自主練習に励んでいた。
先生方のところに報告へ行くとちょうど北君が練習メニューについて打ち合わせをしている最中だった。先生方にも体調が良くなって帰ったことを伝えると安心してもらえた。その後、私も打ち合わせに混ぜてもらい明日の練習メニューの確認を取った。

「付き添いありがとうな」
「ううん、北君も運んでくれてありがとう」
「赤木も手伝ってくれたからな。せや、最近遅くまで練習が続いてたこともあって今日は自主練も含め部活は終わりやと」
「そうなんだ」

練習を頑張りすぎて本番力を発揮できなければ意味がない。今日のこともあるし、先生の判断は確かに正しいのかもしれない。

「自分は今日塾あるん?」
「あるけど部活が早く終わったから時間には余裕があるかな」
「そうか。なぁ、悪いんやけどちょお付き合うてもろうてもええ?」

首をわずかに傾けた北君と目が合う。何その仕草、可愛い……じゃなかった。もしかしてデートに誘われてる?——いや、デートじゃないか。付き合ってもいないし。きっと北君にとっては一緒に帰るのと同じくらいのテンションで声を掛けてくれたのだろう。でもそれでも嬉しくないわけがない。

「もちろんいいよ」
「おおきに。じゃあ体育館の鍵閉めてから行くから校門で待っとって」

北君はそう告げて自主練をしている部員達に向かって号令を出していた。
というか、北君何気に鍵閉めの役割まで買って出てくれた。鍵閉めは特に当番制でもないのだが、部員達に清々と練習してもらうために夏休みに入ってからは私が行っていたのだ。

そういう何気ない優しさが好き。
声に出しては言えないけれど。

でも「ありがとう」の言葉だけは北君に伝えて私は先に体育館を出ていった。





「待たせてすまへん」
「大丈夫だよ。戸締まりもありがとう」

実は校門の前ではそんなに待ってはいなかった。
汗のにおいが残らないようにいつも以上に時間をかけてケアしたし、それと校門で待っていて他の部員に見られるのにも少し抵抗があったのでわざと時間を潰していた。
でも北君には本当に申し訳なさそうに謝られてしまった。彼としては私を外で待たせて熱中症になっていないか心配だったらしい。

「次からはここやなくて昇降口のほうがええかもしれへんな」

北君の言葉に、一緒に帰ることがこれからもあるんだと気付かされる。いや、話しの流れで言っただけかもしれないけれどそんな彼の一言で私は熱中症でもないのに顔が熱くなってしまうのだ。

「時間の方は大丈夫か?」
「まだ全然大丈夫だよ。そういえば付き合ってほしい場所ってどこ?」
「近いから大丈夫やで」
「うん?」

答でない答えに頷きつつ、いつも通り歩き出す。
そして何気ない会話をしながら辿り着いたのは学校近くのコンビニだった。でも私たちの通学路からは一本外れたところにある。だから兵庫での生活三年目においても私の知らない場所だった。

「ここ?」
「おん。なんかもったいぶったわりに面白んなかったな」
「ううん」

なんでコンビニ?とも思いつつ北君の後に続いて店内に入る。冷房の風が気持ちいい。そして北君は入って直ぐの冷凍庫の前で足を止めた。そこには色々なアイスが収められている。

「アイス?」
「自分、差し入れのアイス食べられへんかったやろ。だから好きなの選び」

父兄からの差し入れを確かに私は食べそびれていた。具合が悪くなった部員を家に帰し、その後体育館に戻ってクーラーボックスを開けてみたが袋の外からでも溶けているのが分かり諦めた。棒付のアイスだったため再び凍らせて食べることも難しく、申し訳ないと思いつつも処分させてもらったのだ。でもそのことを私は誰にも言っていない。

「知ってたの?」
「知っとったちゅうよりは食べる暇なかったことには気付いとったからな」
「そうなんだ。でも声かけてくれただけで十分だよ、自分で買うし」

本当に気付いてもらえただけで十分だったのだ。それだけで救われたような気持ちになれた。でも北君は奢ると譲らなかった。さすがにそれは申し訳ない。別に北君に奢られる理由はないのだから。そう言ったら彼はひとつのアイスを冷凍庫から取り出して私に見せた。

「これは食べれる?」
「え、うん」
「じゃあこれにしよ」

北君はレジに向かうとササッとお会計までしてしまった。私がお財布を取り出す隙もなかった。

「北君、あのっ」
「コンビニの隣の公園にな、木陰になっとるベンチがあんねん。夏でも涼しいんよ」

私を待ってはくれるが話を聞くつもりはあまりないらしい。いつもより少し強引な北君の後についていく。
「ここや」と言われた視線の先には確かに木の陰になっているベンチがあった。夕方というにはまだ十分明るい夏の空。地面からはジリジリとした照り返しもあるけれど、木陰にあるベンチだけは別空間のように涼しそうに見えた。

「暑いのは苦手やけどこのベンチで過ごす夏は悪ないなって思うねん」
「そうなんだ。あの、お金……」

並んでベンチに座り、ようやくお財布を取りだせたと思ったら半分こにされたアイスが渡された。二つに繋がったチューブ型の容器は、人の手で簡単に分けることが出来る。確か何かのテレビ特集でこのアイスは仲良く分け合って食べることを想定して作ったのだと説明がなされていた。

「買ったアイスは一個やからお金はいらへんよ」

中身は二つだけど確かに買ったのは一個だ。もう一つは北君が食べるのだから問題はないのかもしれない。元々の値段すら二百円にもいかないのだから割り勘にしたって一人百円もいかない。しかし、数十円といえどもやっぱり北君に奢られる義理はないのだ。これは私のプライドというよりはケジメに近かった。

「こういうのはちゃんとしたいの。だから受け取って」

百円玉を差し出す。もう片方の手に握られているアイスは外からの熱と私の体温でもう柔らかくなっていた。指の隙間から流れる水滴がスカートの上に濃い染みを作る。
でも北君は私からお金を受け取るつもりはないらしい。それでも私は譲るつもりはなかった。

「ほな、今度は君がこのアイス買ってくれへん?で、俺に分けて欲しい」

百円玉が握られた手を優しく押し返された。
本当にそれでいいの?私は馬鹿正直な性格だからその言葉を鵜吞みにするよ?

「いいの…?」
「おん。約束な」

また一緒にアイスを食べる口実できちゃった。

半分このアイスはほんのり苦いコーヒー味だった。
でも今まで食べたアイスの何よりも甘く感じた。





インターハイ二位という結果で稲荷崎男子バレーボール部の夏は終わった。

決勝戦の相手はあの井闥山学院だった。その強豪校相手に一セット奪うものの惜敗した。結果だけ見れば十分な功績だったのかもしれないが私たちが目指していたのは頂点のみ。
悔やんで泣いて、帰ってからはまた練習をしてその結果を消化する。それが稲荷崎のスローガンである“思い出なんかいらん”に繋がるのだ。

選手でないにしろ私だって悔しい。
帰ったら自分に何ができるのか考えないと。
でもその前に———

「いいか、気持ち悪くなる前に言ってくれ。すぐにでもバスを停めるから」

私はとにかく乗り物酔いが酷かった。試合や大会に関しての移動は大抵大型バスだ。薬を服用しているため今まで吐いたことはないが、血の気が引き顔色が悪くなるため周りにかなり心配される。行きは何とか乗り切ったが、帰りもまた先生に心配されてしまった。

「すみません……ありがとうございます」

全ての乗り物がダメというわけではない。ただ大型バスが苦手なのだ。独特の匂いと空調の強さ、車輪の上の揺れなんかが特に苦手。だからバスの移動があるときは薬を飲んで好きな音楽を聴き目を瞑ってやり過ごす。帰りのバスもそれで乗り切るつもりだ。

目を瞑っていたらいつの間にか寝てしまったらしい。気が付くと折り返し地点のサービスエリアまで来ていた。外に出ると頬に当たる風が気持ちいい。
トイレに行き、傍にあった自販機で水を買った。バスでの移動もあと二時間ほどの辛抱である。

「ひぃあっ!?」
「大丈夫か?」

蜃気楼に揺れる駐車場の景色を見ていたら首筋に何かが触れた。その冷たさに体の中の不快感が飛んだような気さえした。
冷えた首筋を抑えながら振り返れば北君が笑っていた。てっきり双子のどちらかかと思ったのだが意外だ。彼のちょっとした珍しい悪戯に思わず頬も緩む。

「びっくりさせないでよ」
「ずいぶん思いつめた顔してたからつい。堪忍な」

はい、と私の首筋に当てられたペットボトルが渡される。スポーツドリンクだった。毎日作っている割に、私がそれを飲む機会はほとんどなかった。

「それ自販機で当たったさかい貰うてくれると助かる」

嘘つき。ラベルにコンビニのテープが付いてるよ。

私が遠慮することなど彼にとってはお見通しだったのだ。

なんでそんなに気が利くのだろう。
なんでそんなに優しいのだろう。

やめてよ、期待しちゃう。
北君も私のこと好きなのかなって。

「………ありがとう」

でもそんなの私の自惚れだ。
だって北君は他の人にもそれができる人だもの。
前に体調が悪くても練習に取り組んでいた侑君を叱って、そしてこっそり差し入れをしてたこと知ってるんだから。

私にしていることもそれと同じ。
北君はみんなに優しい。年齢も性別も、選手もマネージャーも関係ない。
彼はそういう人だ。

「寝たいんなら子守歌も歌うか?」
「それは、大丈夫」
「バァちゃん直伝の歌やで?」
「やっぱり気になるかも」

でもさすがに北君の子守歌を聞けた人は部員にはいないかも。
そんな小さな発見をしてみては私だけは特別なのかもと優越感に浸るのだ。





インターハイ後もまだ夏休みは残っている。もちろん部活はあるけれど、全国大会後は三日間の休みが与えられた。

その日、講義は入っていなかったけれど塾には行くつもりだった。自習室は空調も聞いており机ごとに仕切りもあるため快適に勉強できる。
そう意気込んでいたのに、久しぶりの休みで気が緩んだのか昼頃まで寝てしまった。塾は開いているが今から行っても自習室の席は空いていないだろう。
そう判断し、市内の図書館へ行くことにした。

真上から照り付ける太陽を睨み図書館へと向かう。しかし、考えることは皆同じなのか席はほぼ埋まっていた。勉強する人以外に本を読みたい人も利用するのだから自習室よりも競争率は高いのかもしれない。

今日は諦めて家で勉強した方がいい。そう判断し図書館の外へと向おうとしたら手首を掴まれた。驚いてその手を辿っていくとすぐそばの机に教科書を広げ椅子に座っている北君がいた。

「北君!?」
「何度か呼んだんやけど気ぃ付いてへんかったから引き留めてしもうたわ。驚かしてすまへん」
「ううん、気付かなくてごめんね。ここで勉強してたんだ」

周りの迷惑にならないよう、小さな声で会話をする。
そして席がなくて帰るつもりだと伝えたら北君の隣の席を進められた。他の人が使っていると思ったのだが先ほどまで一緒にいた大耳君は用事がありついさっき帰ったとのこと。だから有難くその席を使わせてもらうことにした。

同じクラスの時ですら北君と隣の席になることはなかった。だからこれは高校生活最初で最後のシチュエーションになるかもしれない。ノートの隣に置いた問題集をめくるたびに北君の腕が視界に入る。そんなことで一々ドキドキしているなんてしれたら気持ち悪がられそうである。だからなるべく意識をしないよう、私は目の前の問題に集中した。

図書館では大声での会話は禁止されているが話をしてはいけないわけではない。だから私たちは互いに勉強を教え合った。先に北君が古文に関しての質問をしてきて私が答え、私は数学の分からないところを教えてもらった。
三時間ほどの勉強時間だったけれど一人でやるよりはかなり効率のいい勉強ができたように思えた。

「北君、この後時間ある?」

閉館時間となった。図書館は塾よりも終わる時間が早い。だから日の長さも相まって外はまだ明るかった。

「あるよ。どうしたん?」
「アイス食べない?」
「ええな」

あの時の約束、叶ってよかった。

幸いにも、以前北君と立ち寄ったコンビニは図書館からも近い距離にあった。
そこへ向かいつつ他愛もない会話をする。全国大会が終わった今となってはその話題が受験に関するものになるのは必然だった。

「受験までもう半年もないね」
「せやな。夏休み明けには模試もあるし点数上がっとったらええねんけど」
「私もだよ。あっでも模試の翌日って練習試合組んでたよね?そうなると特別講義は出れないかな?」
「え…自分、まだ引退しないん?」
「えっ?」

私としては春高までマネージャーを続けるつもりでいた。インターハイの結果は二位、だから春こそは優勝をしてほしい。それを考えたとき、微力ながらも私はマネージャーとして彼らを支えたいと思ったのだ。

「春高までいるつもりだったんだけど…」

そしてもう一つ理由を上げるとするなら私は責任を感じていたからだ。男バレに私以外のマネージャーはいない。毎年募集を掛けたが集まらないか、せっかく来てくれてもきつすぎて辞めてしまい後任ができなかったのだ。それに関して私は負い目を感じていた。それと私のしていた仕事をレギュラーではないとはいえ選手に任せるのは可哀そうだと思ったのだ。

「一月までって受験のこと考えたらキツイやろ」
「でも私が引退したらマネージャーがいなくなっちゃう」
「せやけどもっと自分のこと考えた方がええんちゃう?」

北君なら喜んでくれると思ってた。「君がいてくれたら心強いわ」って言ってくれると思ってた。でもそれは私の妄想でしかなかった。
北君は部員達と接するときと同じように私に正論を並べた。

「勉強もやるよ」
「頑張っても時間だけはどうにもならんやろ」

いや確かにそうなんだけど…
でもそれを言うなら北君も同じだ。彼もまた春高まで部活に残る。確かに選手の北君と私とでは部活に対する貢献度は違うかもしれない。それでもこんなにも否定されるとは思わなかったのだ。

「………」
「H大学が第一志望なんやろ?」
「っ!なんでそのこと…」
「前に借りた参考書に塾に提出するプリントが挟まっとった。見るつもりはなかってんけど……すまん」

模試では未だにD判定、それでも私の学びたいことがそこにはある。
だから今も第一志望は変えていない。

「偏差値も高いとこやろ。だから勉強時間は大切なんやと思う」

北君の言っていることは正しい。行く大学によっては自分の将来にも大きく関わってくると思う。それに家の方針と、そして私の気持ち的にも浪人の選択肢はない。となると今回が一発勝負の大学受験なのだ。

「北君は、私が部活に残るの嫌?」

でもそれと同じくらい私は部活も大切に思っている。あそこで過ごした日々は絶対に私の人生の財産になる。だからこそ最後まで関わりたかった。
だから私は北君にずるい聞き方をした。どうしても彼に肯定してほしかったのだ。そうすれば部活は続けると断言できると思ったから。

「その聞き方はあかんよ」

でも北君はやっぱり北君だった。
私と真正面に向き合って、ぴったりと視線を合わせて彼はもう一度口を開く。

「今はそういう話してへんやろ。君の意思やなくて部員達に同情するだけなら引退した方がええ」

その言葉に、否定も肯定もせず私は駆けだした。
北君の言っていることは正しい。でもそれを真正面から受け止められるほど私は出来た人間じゃない。同情も嫉妬もお節介も空回りもたくさんする。分かっていても“正しい”選択肢を選べないことだってある。

解ってくれとは言わない。
でも、もう少しだけ歩み寄ってほしかった。

西の空には泣きそうなくらい美しい夕陽が辺りを朱に染めていた。





夏休みも残り一週間を切った。
私がいつまで部活にいるのか、そのことは先生にも伝えていなかったのだが今日少しだけ話をさせてしまった。

結論から言うと私はまだ部活を続けるか迷っていた。それを先生にも正直に伝え、夏休みが終わるまでには返事をすると話した。先生方もやはり「受験生なんだから無理をするな」と言っていた。大人もやはり“正論”を言う。

教官室から体育館へと戻ると用意してあったビブスの籠がなくなっていた。これから練習試合をするのでチーム分けのために配ろうとここに置いていたのだが。

「あ、先輩。ここにあったビブス持ってっちゃったんですけど大丈夫でした?」
「うん。渡せなくてごめんね、ありがとう」
「いつも先輩にやらせっぱなしですからね。やることがあれば俺等にも言ってください」

あの一年生は確かバレー推薦で来た子だったか。毎日顔を合わすと言っても一年生と会話をする機会は少ない。でもマネージャーの仕事にまで気を使えるなんて優しい子だ。

「キャプテンすみません、ここなんですけど———」

一年生のことを目で追っていたら部員に呼ばれた彼が視界に映った。
北君とはあの日以来、会話をしていない。というか目も合わせていなかった。
あの場の空気を悪くしたのは完全に私だ。北君は現実を私に教えてくれただけのこと。だから私から謝るべきことは十分に分かっているのだが気持ちが乗らない。なにを拗ねてるんだと思われるかもしれないが私は生憎そこまで人間が出来ていなかった。

「先輩、あっちで試合やるんでスコア係やってもろうてええですか?」 

いつも通り自分の仕事をしていると治君に声を掛けられた。彼と視線が交わるとその位置は以前よりも高くなったような気がする。どうやらまた背が伸びたようだ。若い子はすごいな、と一つしか変わらないのに感心してしまった。

「うん、わかった」
「あのー………北さんと何かありました?」

私の方が年上なのに中身は治君の方が上らしい。
いつも通りでいたつもりだったが、どうやら隠し通せていなかったようだ。やはり私は分かりやすいのだろうか。目の前にいる治君にはあっさりと見破られてしまった。

「別に………どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、明らかに二人とも様子が違いますやん」

治君が横目で北君のことを見たのでつられて私も視線を動かす。
北君はいつも通り淡々と業務をこなし練習をしているように思えた。

「そうかな?」

そんな話をしていれば突然こちらを見た北君と目が合ってしまった。そして私は反射的に治君の陰に隠れた。何をやっているんだと、すぐに我に返ったがもう遅い。私は北君を拒絶してしまった。そしてそれは相手にももちろん伝わったことだろう。

「北さん可哀そ」

そして治君の言葉により私の背には罪悪感が乗り上げた。
こんなこと、本当はしたくなかったのに。

「ごめんなさい…」
「それ、俺やのうて北さんに言ってくださいよ」
「サム!先輩呼びに行くのにいつまで時間かけとんねん!」

がっくりと肩を落としていると侑君もこちらへとやってきた。そうだ、治君からスコア係をお願いされたんだった。侑君にも迷惑を掛けてしまった。

「ごめんね。すぐ行くよ」
「なんかあったん?」
「北さんと痴話喧嘩やって」
「違います!ほら試合やろう!」

私たちは恋人じゃないの。
私の募らせてきた彼への想いはあっけなく散った。それは好きじゃなくなったという意味ではない。失恋をしたということだ。私みたいな物分かりが悪く、目先のことしか考えられない人間は北君に釣り合わない。それに好かれる要素すらない。というか寧ろ嫌われた。完全に終わったのだ。


「なぁツム、」
「分かっとる。今、俺とサム全く同じこと考えてると思うで」
「銀達にも声かけよ」
「それがええな。あと他の先輩等にも口裏合わせてもらおか」


もう外からは蝉の鳴き声も聞こえない。
長かった高校三年の夏が終わる。





塾終わりにスマホを確認するとメッセージが一件届いていた。ポップアップを横にスライドさせると治君からだった。個人での連絡なんて珍しい。
内容を確認すると花火大会のお誘いだった。二年生四人と行くから先輩も是非、とのこと。

夏休み前にポスターを見てからは確かにこのお祭りを楽しみにしていた。あの頃の私は北君と一緒に行けたら、なんて考えたりもしていたが北君とはまだ言葉を交わす勇気がない。でも単純に花火は見たかった。夏休みは部活と勉強で夏の思い出と言えば北君とアイスを食べたことくらいだ。それでも十分だけれどやはり夏と言えば花火である。

二年生と行くなら北君とも会わないだろう。そう判断し二つ返事でメッセージを送った。
そうしたら「了解」の言葉ともう一文添えられたメッセージが返ってきた。
その文章を読み、花火大会がまた少しだけ楽しみになり私も「了解」と返事をした。





空砲が鳴り響き、花火会場へと向かう道はすでに多くの人で賑わっていた。出店も多く立ち並び辺りからは美味しそうな匂いも漂っている。
そのアスファルトの道をカランコロンと下駄を鳴らして歩いていく。

治君から連絡が合った通り私は浴衣を着て来ていた。今年はみんなで浴衣を着て行きたいと侑君が言ったらしい。角名君と銀島君も着てくるとのことで私ももちろん着てきた。引越しの時に捨ててしまったのではないかと心配だったのだが親に言ったら新しい物を買ってもらえた。「高校最後に思い出作ってきなさい!」と花火大会に行くことも快諾してくれた母には感謝しかない。

新しい浴衣に、揃いで買った髪飾りも揺れる。今日ばかりは勉強も部活も忘れて只々楽しみたい。
集合場所に着くと一番乗りだった。時間も十五分ほど早く当然と言えば当然だった。次に来るのは誰だろうか。なんとなく銀島君が早く来てくれそう。

「どうして居るん?」

スマホから顔を上げて、私は息をのんだ。
目の前の人は浴衣だった。だから一瞬誰だか分からなくて。でも気付いてしまえば私の心臓は煩く音を立て鳴り出した。

「え、なんで…北君が?」
「俺は大耳達に誘われてんけど」
「私は治君達に……」

手元のスマホが震える。北君からディスプレイに視線を移し届いたばかりのメッセージを確認した。
『すんません、俺ら全員食中毒になりました』
『祭りは行けそうにないです』
絶っっ対に嘘だ。

ちらりと横を確認すると北君もスマホを確認している。しばらくそれをじっと見て、そして視線は私へと移される。

「大耳達、みんな急用ができたって」
「治君達も来られなくなったって」

これは絶対、治君達が仕組んだことだ。でも大耳君達も来れなくなったというのはどういうことなのだろう。まさか共犯……?
しかし、些かこの状況は気まずすぎる。

「それなら私は——」
「一緒に回らへん?」

私には贅沢過ぎるほどの北君からの申し出。夏休み前に、いや去年からずっと北君と二人で行けないかなって思ってた。
私でいいのだろうか。せっかくのお祭りで、高校生活最後の夏の思い出が私になっちゃうよ?

「あ、の……」
「せっかく浴衣も似合うとるのにこのまま帰るのも勿体ないやろ」
「そ、うだね…じゃあ行こっか」
「おん」

さすがに今日は逃げなかった。
二人で祭り会場へと歩き出す。人が多くいたけれど北君が前を歩いて道を作ってくれたので歩きやすかった。
北君の後ろを着いて行きながら彼の項を見つめる。浴衣の襟元から覗くそれがやけに色っぽく見えた。

「あのね、北君」
「ん?」

さっきは言いそびれちゃったけど———

「北君も浴衣似合ってるよ」

私の浴衣、褒めてもらえて嬉しかった。

「………おおきに」

花火が上がるまで時間があったので屋台で物を買って食べた。でも互いにそこまで会話はしなかった。初めて家に送ってもらったときすらもっと喋っていた気がする。
せっかくの花火大会。私と北君のふたりきり。でも、あの日から時間が経ちすぎていて仲直りのタイミングすら見失ってしまったのかもしれない。

「そろそろ花火が見えるとこ移動しよか」
「そうだね」

去年、みんなで見つけた穴場スポットに向かうことにした。会場の近くにある高台で花火が良く見えるのだ。でもここから向かうとなると人の流れと逆行することになる。慣れない下駄だし大丈夫かな、と心配になっていればスッと手を取られた。

「あ……」
「人が多いから」
「え、」
「それに方向音痴やろ」

いま方向音痴は関係ないよ。
でも嬉しかったから、私はそれ以上何も言わなかった。
冷たいような熱いような北君の手。見た目通り骨張ったごつごつとした指で、でも優しく握ってくれたから痛くはない。私ははぐれないようしっかりと握り返した。

ドンッ———と地を震わすような音と共に空に大きな花が咲く。
色も種類も形も様々で本当に綺麗だった。
交わした言葉は少なかったけれど楽しかった。
一生の思い出になると思った。

だってそれは、好きな人と手を繋いで見た花火だったから。



お祭りが終わり、祭り会場を出ても私たちは一緒だった。帰る方向も同じだから当然なのかもしれない。そして繋がれた手は今もまだ離されていなかった。

「私、北君に謝らないといけないことがある」

その手が離されることが怖くて、私は祭り会場を出てすぐにそう切り出した。
北君は何も言わなかったけれどこちらを見てくれたことは分かった。でも顔を上げる勇気はなくて、私はやや俯いたまま続ける。

「あのとき逃げてごめんなさい。北君が私のために言ってくれたのに聞きたくなくて、それでその後もずっと避けてた。本当に、ごめん」

わずかの震えた北君の手を、私は握り返す。

「あれから色々と考えたの。部員たちを支えたい気持ちは今もある。でも第一志望の大学に行くには今の勉強量じゃ足りないってことにも気付いた」

私はそこまで要領の良い方じゃない。努力は必ず報われないし、熱意だけではどうにもできないことは今年のインターハイが教えてくれた。でもせめて自分の中で後悔のないようには努力したい。

「それにもし私が春高までいたとして、来年マネージャーが入るか分からないし入ってくれても私はいないから仕事は教えてあげられない」

そして部員のことを本当に考えるならその場しのぎではダメなのだ。三年生にとっての最後は春高だけど二年生にはまだあと一年ある。そして今の一年生にはまだ二年もある。

「だからね、ノートを作ったの。今までも仕事のことをまとめた簡単なものはあったんだけどそれを書き直した。虎の巻ってほどでもないけど私が居なくなってもあの子たちが困らないように」

私が稲荷崎マネージャーとしてできること。直接支えにならなくとも後にも残せるものを作った。

「部活はこの夏で辞める。でもこれは北君に言われたからそうするわけじゃないよ。私が北君の言ってくれたことを考えて自分で決めたの」

これは逃げなんかじゃない。前に進むための一つの選択だ。
私はそこでようやく顔を上げて彼の瞳を見た。

「だからね、あのとき私にちゃんと話をしてくれてありがとう」

私に“決断”の勇気をくれた北君に感謝の言葉を伝えたい。
北君にとっても言いづらいことだったと思う。それでもちゃんと言葉にして私に伝えてくれた。戒めてくれた。そんなことそうそう出来ることではない。

不意に北君の足が止まり、繋がれた手が私を引き留める。
北君は珍しく視線を逸らし足元をじっと見ていた。
下駄をコンクリートの地面に擦らせて私は体の向きを変える。北君と面と向かい合い、彼の名前を小さく呼んだ。

「謝らなあかんのは俺の方や。自分の意見を君に押し付けた、すまへんかった」
「謝らないでよ。私は感謝してるんだよ?」

北君は僅かに口ごもり私の顔を見た。その煮え切らない表情は彼らしくもない。でもきっと彼のことだから促さなくてもちゃんと言葉で伝えてくれるのだろうと思う。だから私はその言葉の続きをじっと待った。

「君にはH大学に受かってほしかったんや」
「どうして?」
「俺の第一志望もそこやから」
「え!?」

それは初耳だった。
私は合格できる自信のなさから自分から志望校を言うことはなかったし、北君も聞いてくることはなかった。それなら私も北君の志望校を探るべきではないと思い聞くことはしなかったのだ。でもよくよく話を聞けば、北君はH大の生物学部志望だった。学部こそ違えど確かに同じ学校だ。

「まだ誰にも言うてへんのやけど将来的に農業やりたい思うててそれでH大選んだんや。カリキュラムも充実しとったしな」

そうなんだ。確かに私の志望理由の一つもそれだ。勉強以外にも社会奉仕活動や海外姉妹校との交流も盛んでそこに魅力を感じた。

「模試はまだC判定で君に偉そうなことは言えへんのやけどな。せやけど同じ大学行きとうて強う言い過ぎた。あ、でも部活続けたからって無理とは思うてへんよ」

少し焦ったように言う北君を見て笑ってしまった。そうしたら北君は照れ臭そうに笑う。
その表情を見て、あぁやっぱり好きだなぁって思ってしまう。

「ありがとう。でも夏休み後は勉強一本で頑張るよ。私も北君と同じ大学行きたいから」

北君と同じ大学に行けたらきっと楽しいんだろうな。学部が違えば講義もキャンパスも違うけど、それでもまだ繋がりを持っていられそう。

私の片想いは一生続くかもな、と苦笑していたら急に繋がれた手が引っ張られた。
そこまで距離があったわけでもない。だからたった一つのその動作で私と北君の距離は数センチまで縮まった。

「あの……」
「本当は卒業まで言いたくなかってんけど、聞いてくれへん?」

私のか細い声はすぐに打ち消された。
至近距離で見つめられて問われればもちろん肯定以外の返事はない。しかし、そもそも北君からの問いかけに私が首を横に振ることはないのだ。

こくりと一つ頷くと、北君は深呼吸をした。
その呼吸の音がやけに色っぽく耳に残った。

「俺、君のこと好きや。いつからとかは分からんけど、本を貸したのも映画に誘うたのも君やからそうしたんやと思う。それに廊下で会うと小そう手ぇ振ってくれるとことか、偶に頑固になるとことか可愛ええなって思うとって…知らへん思うけど帰り道で君の背中見つけたら嬉しなって走って追いかけた」

私の頭は真っ白で、北君の言葉は右から左に通過していった。聞いていたはずなのに脳まで伝達されていないようだ。でも私が心の中でいつも北君に言っていた二文字が真っ白な頭の中でくるくると回転していた。

「俺、君のこと好きや」
「私も」

次こそその言葉は私の脳までしっかりと届いて言葉の意味を理解した。
そして反射的に声が出た。先ほどまではまともに声も出なかったのにね。でも足りなかったから私はもう一度はっきりと彼に伝えた。

「私も北君のことが好き——ずっと、貴方に片想いしてました」

後の方の言葉は羞恥と嬉しさで、結局蚊の鳴くような声になってしまった。
自分でも顔が赤いのが分かって、ここが街灯の少ない場所でよかったと思う。でも北君との距離が近すぎて私の顔が真っ赤なことも彼には簡単に分かってしまったことだろう。

「違うよ。片想いやのうてずっと両想いやってんやろ?」
「えぇ!?だっていつ好きになったか覚えてないって……」
「んー…でも君より先に好きになっとったと思うで」

ふにゃりと笑うのはずるい。しかもなぜそんなにも余裕があるのか。

「そ、そうなの…?」
「でもこの続きはまた今度な」

北君は歩き出す。
でもその前に一瞬だけ手が離され、そして繋ぎ直された。

「あ、の、」
「これからよろしゅう、俺の彼女さん」

指を絡めたその手のつなぎ方は、これからの私たちの関係を表していた。


◇ ◇ ◇


まだ半年ほどしか経っていないのにその場所はひどく懐かしく感じた。

「みんな集合!OBの方来てくれはったから挨拶!」

そしてあのお騒がせ双子の片割れが今ではキャプテンなのだ。いつまでも後輩だと思っていけれど彼らの顔は立派な“先輩”の顔になっていた。嬉しいけれど少しだけ寂しいと思う自分もいる。

「北さん、先輩!お久しぶりです!」
「元気しとったか侑。治と喧嘩して部員に迷惑かけてへんか?」
「少し見ないうちに侑君はすごくキャプテンらしくなったね」
「貶されるのと褒められるの同時にやられると反応に困るんでやめてもらえます?」

夏の全国大会を控える彼らの元へ、私達は差し入れを持って尋ねに来た。
キャプテンとして迎えてくれた侑君に、懐かしい現二、三年生の顔ぶれが並ぶ。そして初々しい一年生の姿を見て代替わりを改めて感じた。

「この前、赤木先輩等が来てくれたとき先輩いなくて寂しかったんですよ」
「北さんも来なくて心配しとったんです」
「何かあったんですか?」

私達が持ってきた差し入れをさっそく食べていた治君に話しかけられた。そしたら銀島君と角名君も集まってきて昔に戻ったような気持ちになる。

「ごめんね。本当は赤木君達と来るつもりだったんだけど私の都合で無理になっちゃったんだ。しん……北君は私に合わせてくれて今日一緒に来たの」
「別に北さんのこと下の名前で呼んでくれていいんですよ」

う"っ、やっぱり言い間違えたことに気付かれてた。
角名君の一言に治君も銀島君も頷いている。

「二人でほんまにH大合格するなんてびっくりしましたよ」
「まぁ付き合うた時点でいける気もしてんけど」

去年の夏に部活を引退した私はあれから猛勉強した。年が明けてもなお最後まで模試でA判定を取ることはなかったが無事にH大学に合格することができたのだ。

信介と一緒に合格発表を見に行き、彼の手をしっかり握りながら番号を探した。そして互いに合格したことが分かるや否や私は柄にもなく信介に抱きついてしまった。大泣きしてしまった私を子供のようにあやしてくれて彼の手の温もりは今もよく覚えている。

「私は結構危なかったと思うんだけど信介に勉強見てもらったおかげかな」

ひゅー、と古臭くも口笛が鳴らされる。もう顔が赤くなることはないけれど照れてしまうことは変わりない。私は終始顔をにやけさせたまま後輩達との久々の再会を喜んだ。





最後にもう一度、先生方に挨拶をして体育館を後にした。
校門を出ようとして、そういえばここで待ち合わせをしたこともあったなぁと青春の一ページを思い出した。

「卒業してからそんなに経ってないのに校舎も体育館も部員達も、すごく懐かしく感じたね」
「せやね」
「それと今年はマネージャー入ってくれてよかったよ。私のノートも役に立ってるって言われちゃった」
「よかったなぁ」
「うん。全国大会、今年こそ優勝してほしいよね。もちろん見に行くでしょ?赤木君達にも連絡を取って……って、信介?」

隣の彼を見たら何やら随分と思い詰めた顔をしていた。一人で喋りすぎてしまったと少し反省する。しかし、もしかしたら気分でも悪いのだろうと不安になる。伺うように名前を呼んだらようやくこちらを見てくれた。

「あ……すまへん」
「大丈夫?体調悪いならどこかで休もうか?」
「いやそうやのうて……」
「どうしたの?」
「………………嫉妬した」

信介は足元に視線を落としポツリと言った。
小さい声だったけれどそれは確かに私の耳に届く。

「嫉妬?」
「やって君の周りにずーっと後輩等おったやろ。それに一年だって『あんな可愛いマネージャーがおったなんて羨ましい』って言うとったんやで」
「えぇ?!」

ちょっと待って、色々と情報が多すぎる。というよりも驚くべき箇所が多すぎる。一つ一つ聞きたいところではあるが、一番に確認すべきことは信介が嫉妬していたというところである。

「え、いや、なんで…?」
「何でって、自分の彼女が他の男に言い寄られとったり変な目で見られとったら嫌な気持ちになるやろ」

いや、確かにそうかもしれないけれど相手はかつての部活の後輩達である。それに変な目って……私のことが可愛いかどうかは置いておいて、多分女子大生という人間に興味を示して見ていただけな気もする。

「それは信介の思い違いだよ。私にそこまでの魅力はないんだから」
「そんなことあらへんわ」

彼が珍しく怒る。
それに目をぱちくりさせていれば次々と言葉が飛んできた。

「元から可愛かってんけど大学入ってから更に美人になったやん。この前食堂で会った時、俺の後ろにいた男が君に話しかけようしてたんよ。初対面なんに」
「お、落ち着いて!一先ず落ち着いて!」

彼はこんなにも嫉妬するタイプだっただろうか。付き合うようになってからというもの、それなりに恋人らしいことはしてきた。でも彼はあまり言葉で想いを伝えるタイプではないのだ。

「迷子の君を送って行った時から好きなんに、今さら他のやつに取られたない」

迷子って、私達が出会った時?
黙ってしまった私を見て、信介はようやく我に返ったらしい。気まずそうにやや下を向いて、そして私と一度目を合わせてから頭を下げた。

「すまん……なんや、熱くなりすぎた。束縛とかしたいわけやないねん、堪忍な」

そんな前から私のこと好きでいてくれたんだ。それなら、みんなに誤解されていたことも頷けるような気がした。
そしてそのことを知ってしまえば、本の貸し借りも金平糖もアイスも下校も全てが一つに繋がって一気に恥ずかしくなってしまった。

「あ、えっと……ほら、アイス食べよう!私が奢る約束してたでしょ?」

信介の手を取って私は走り出した。

随分と遠回りしてしまったけれど、私達は想い想われていたわけで。
そして好きの気持ちは今も進行中である。